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中学の歴史について質問です。
江戸時代、江戸幕府は武家諸法度を定めました。その中に[幕府の許可なくかってに婚姻してはいけない]とありますが、なぜこれを定めたのですか?

A 回答 (6件)

政略結婚の禁止です。

これは、幕府にとって大名同士が幕府の知らぬところで結婚などを通して連帯を強めるとやっかいなので禁止しました。将軍と大名とは1対1でなら主従関係がはっきりとわかれますが、大名が束になってしまうと将軍の地位も危うくなりますから大名同士の連帯を警戒したわけです。
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婚姻によって、大名同士が結束し


大きな勢力になると、幕府が困る
からです。
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戦国時代の大名同士の同盟では、自分の娘などを実質的な人質のようにして他の大名に嫁がせたりして関係の強化をしていました。



江戸幕府は大名たちが勝手に結びついて反抗しないように、婚姻に制限を設けていました。
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無知はなんでも政略結婚で済ませる。


確かに後述の事を目的とする政略結婚を防止する事が目的ではあるが、大名レベルになると「政略結婚」でない結婚などないので「政略結婚」という理由での禁止など、できるわけがない。
(【幕府の許可なくかってに婚姻してはいけない】とされたのは「大名」クラスです)


回答
1:大名間の関係を把握する為。
2:↓のような事態の発生を防止する為。

婚姻によって、幕府の知らない内に大名間の連帯が強くなって、幕府の政策に集団で反対したり、倒幕運動が起こるとやっかいだから。



一応答えたが、この程度の事はまず教師に聞けよ。
「中学の歴史について質問です。 江戸時代、」の回答画像3
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権力をもった人同士が結婚して権力を上げてって、幕府に反抗されたら困るから。

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政略結婚の防止。

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Q中学の歴史について質問です。 戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、

中学の歴史について質問です。
戦国時代に織田信長が、1568年にほかの戦国大名よりも早く京都を抑え、足利義昭を将軍としたのに、1573年に足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼしたのですか?

Aベストアンサー

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によって殺害され、替わりに義栄が14代将軍として擁立される、ということまで起きています。

信長が義昭を将軍に添えたのも、理由としては同じです。
世の中に色々と命令などを出したいが、自分の名前で出すと周囲の大名たちの反発を生んでしまう。義輝を殺害して、義栄を擁立した三好氏と同じように信長も、義栄を追放して、義昭を擁立することで、義昭の名前を利用しようとしたわけです。
実際、足利義昭を将軍に添えてから数年で近畿地方における勢力を確立しました。
しかし、信長の力が伸びることに反発した義昭は、周囲の大名に対して信長を討って自分を助けよ、というような書状を出すなどしました。
信長としては、近畿地方をほぼ制した上に、自分の敵ばかりを作る義昭、室町幕府はもはや用無し。なので、追放し、幕府を滅ぼした、ということになると思います。

元々、室町幕府はあまり他の大名を統制できるような力を持っていませんでした。
そして、応仁の乱を抑えられなかったことにより、完全に幕府、将軍の権力はなくなり、その時々の実力者が、自分の意向を世に広めるために、将軍の名前を使って命令をする、というような状態でした。
そのため、都合が悪くなると、将軍を退位させ、別の将軍を立てる、なんていうことも珍しくない状態でした。実際、足利義昭が将軍になる3年前には、義昭の兄である13代将軍・足利義輝が、近畿地方で一大勢力を持っていた三好氏によ...続きを読む

Q部落差別

昭和の頃までは部落差別はありましたが、平成の現在は部落差別など若者はしてないですよね?

と言うより部落を知らないですから。

Aベストアンサー

父が役所でその専門部署におりましたので、良く存じておりますし、私も人生経験の中でそうした方とや付き合いもあり
破局に追いやられた経験もございます。

時代が変遷し、そうした意識が薄れて行く事は、個人的には好ましいと思います。

時が解決していく、、、良い事だと思いますよ。

Q玉音放送で国民がなぜ天皇陛下の声を知っているのか

https://www.youtube.com/watch?v=YbdCWdRNgz4
このラジオ放送です。
ラジオだから音声だけで顔は見えないはずなのに何を根拠に天皇陛下だと判断したのでしょう。

Aベストアンサー

>ラジオだから音声だけで顔は見えないはずなのに何を根拠に天皇陛下だと判断したのでしょう

玉音放送の時点で「この声が天皇陛下だ」と思った人はほとんどいなかった、というのが真相です。

ただし、玉音放送がある、仕事の手を休め学校も中断して聞くように、という命令が事前に出ていたこと、放送内容が「日本はポツダム宣言を受け入れて降伏する」という内容だったことから、「天皇直々に話をされた可能性が高い」と思っただけです。

その後の新聞やラジオのニュース、降伏後の敗戦処理などの内容が伝わるにしたがって「あれは本当に天皇がしゃべったんだ」という認識が広まった、ということです。

Q日本がドイツ、イタリアと同時期に近代化を成し遂げられた理由

日本は欧州に比べて近代化が遅れたと言われますが、それはイギリスやフランスに比べるとであって、ドイツやイタリアと比較すると同時期であったようです。

〇ドイツ統一:1871年 (ドイツ統一の三傑:ビスマルク・モルトケ・ローン)
〇イタリア統一:1871年 (イタリア統一の三傑:カブール・ガリバルディ・マッツィーニ)
〇廃藩置県:1871年 (維新三傑:木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通)

この3国が同じ年に統一近代国家を結成したというのもかなりの偶然なのですが、日本だけが遠く離れた位置にあるのにもかかわらず、西洋諸国と同時に近代化を成し遂げることができたのはなぜでしょうか。

Aベストアンサー

近代化の土台を整える準備ができていた事。そもそも、近代化できる文化度、産業の土壌が日本には根付いていた事。

近代化の土台を整えた一例を上げますが、教科書では、黒船がやってきて慌てふためいてと教わりますが、慌てふためいたのは事実ですがそれまで何もしていなかったわけではありません。暴れん坊将軍でおなじみの徳川吉宗は、西洋の野蛮さに気付き、西洋研究の必要性を理解していました。そのため1720年に漢訳洋書禁緩和を行いました。これによって西洋の知識が日本国内に入り、近代化の土壌を養いました。

そして、日本には当時から教育制度が確りしていて、識字率はヨーロッパの諸外国よりも高かったと言う説もあります。

教育が確りしていたので、「よいものは吸収する」という今の価値観では当たり前のことが国民レベルで備わっていました。その当時の半文明といわれた大半の国は、「外国の知識」というだけで毛嫌いし、見下す傾向にありましたが、日本は教育が行き届いていたのでその外国の知識が優れているのかを見分ける教養が備わっていました。


産業ですが、実は日本は今も昔も産業国です。昔の日本は農業国というイメージがあるでしょうが、それは一面的です。戦国時代に、西洋の銃を輸入し、それを模造し再現し、現地生産し、しかも改良を行ってその当時の西洋の銃よりも優れた銃が日本中に普及していました。これは、それだけ産業が強かったためです。こんな事が当時できた国は、世界でも稀です。その当時は、西洋と比べても日本の工業力は優れていました。

幕末になると西洋の産業力と比べ物にならなくなるのですが、キャノン砲を模造できるだけの基礎的な工業力は当時からあり、このような教育や産業の土壌があったからこそ、近代化が成功しました。


日本が地理的に極東で幸運だったのは事実ですが、もしそれだけが近代化の成功した理由なら、隣国もその当時に近代化を成功させていたでしょう。

近代化の土台を整える準備ができていた事。そもそも、近代化できる文化度、産業の土壌が日本には根付いていた事。

近代化の土台を整えた一例を上げますが、教科書では、黒船がやってきて慌てふためいてと教わりますが、慌てふためいたのは事実ですがそれまで何もしていなかったわけではありません。暴れん坊将軍でおなじみの徳川吉宗は、西洋の野蛮さに気付き、西洋研究の必要性を理解していました。そのため1720年に漢訳洋書禁緩和を行いました。これによって西洋の知識が日本国内に入り、近代化の土壌を養いま...続きを読む

Q江戸時代の農民は貧しかった?

昔から疑問でした。
学校では農民は苦しい生活とか習いましたが、感覚と一致しないです。

貧乏で生活するだけで必死なら文化なんて生まれないんじゃないですかね?

各地の郷土料理。祭りもあるし?
死ぬ前に一度は伊勢参り?
茶屋だってあるし?

巡業だってあったでしょう?

村の寄り合い?に遅れたら駆けつけ3杯?お酒のんでるじゃないですか?

江戸で白米ばっか食べてた町民よりはよっぽどいい食事をしてたのでは?

そこそこ普通に生活してたんじゃないですか?

Aベストアンサー

救いようがない程の貧乏村はゼロではなかったでしょうが平均的な言い方をすれば普通に生活をしていたというのが小生の考えです。
きっかけは小生の生まれたところ。村高250石、殿様への年貢が200石、免(年貢率)は何と8割。ですが酷税に泣かされたといった悲惨な伝説はありません。寺も神社もあるし酒も飲んでいました。伊勢参りの記録は確認していませんが四国遍路の記録はあります。

なぜ免が異常に高いか
村高は豊臣秀吉が各地の領主に命じて調べさせたのが最初。しかし領主が役人を派遣して調査したのはごく少ないようで一般的にはやり方を説明して各村々にやらせ報告書を提出させた。これを「差出検地」といいます。村高が決まると年貢が決まる。村人は年貢は少なくしたい。ならば貧乏村にしてしまえ、というわけで過少申告した村があった。でもすぐにばれる。ばれると正しい年貢に増量されますが村高は訂正されなかったので免だけが異常に高くなった。
その後領主が変わるなどして再検地があると村高は訂正されることもあったようです。しかし小生の故郷は江戸時代を通じて領主の交代はなかったので再検地もなかったようです。

小生が知る範囲で最も重税なのは備中羽山村。村高58.5石、年貢が93.8石、免は160.3%(万治3年、1660年)。年貢の量が村高の1.6倍。年貢の常識論では有り得ない値。
この村、2年後には村高は128石余に増えている。農民の負担が増えた、村は苦しんだなどと言った史家先生がいたのではないかと思うが年貢の量は94.1石とほぼ変化なし。免が73.5%と何とか常識的な値に下がっているのだ。
史家の多くは村高基準で年貢制度を語っているようですがまちがい。年貢の絶対量を基準にしないと農民の負担はわからない。余計なことですが史家は算数ができないのかと疑いたくなることがよくある。

領主に納めた年貢の量を村の人口で割って1人あたりの年貢の量を調べたことがある。備中の20数か村でやったのですがどこの村も3斗5升から4斗とほぼ一定になった。小生の故郷も 年貢200石÷人口500人=0.4石 となる。村高や免の値とはほぼ無関係にこうなる。ただし宿場町や漁村は例外。さらに5才程度以下の子供は人口として数えられていないことがあるので要注意。上の羽山村は人口のデータが見つからないので計算できず。
1人あたり食糧が米1石、年貢0.4石、衣料費など雑費が最低1石必要と考えれば2.5石程度が1年間生活するために最低限必要な経費ということになる。村の数字の記録がどうであろうと1人あたり2.5石(米換算で)の生産があったということになる。当然冬の生産も含まれる。村高は夏の生産だけしか考えていないのでこのことも注意が必要。
逆に言えば人口がわかれば村の生産量が推定できるということになる。

農民はアワやヒエばかり食べていたか
年貢は土地(一般に田、畑、屋敷)に対してかかります。何を栽培しようと、逆に何も作らなくても年貢の額は変わりません(変えた領主もいたようですが)。米を作ろうとヒエを作ろうと年貢は変わりませんから誰でも最も高価な米を作ろうとしたはず。何故アワやヒエだったか、その理由は気候風土の問題で米が作れなかったのです。
関東地方などでは丘陵が多く水が乏しかったため水田は少なく、多くが畑。少ない水で育つ作物でないとダメだったのです。しかし畑の年貢も米で納めるのが基本。僅かに取れた米は全部年貢に。それでも足りないと他所から買ってきて年貢に充てました。それを見た、恐らく西日本出身の人が「米が食えない貧乏村」と言ったのでしょう。

救いようがない程の貧乏村はゼロではなかったでしょうが平均的な言い方をすれば普通に生活をしていたというのが小生の考えです。
きっかけは小生の生まれたところ。村高250石、殿様への年貢が200石、免(年貢率)は何と8割。ですが酷税に泣かされたといった悲惨な伝説はありません。寺も神社もあるし酒も飲んでいました。伊勢参りの記録は確認していませんが四国遍路の記録はあります。

なぜ免が異常に高いか
村高は豊臣秀吉が各地の領主に命じて調べさせたのが最初。しかし領主が役人を派遣して調査したのはごく少...続きを読む

Qまじ質問です。アポロ11号でアームストロング船長が初めて月に降り立つ映像を撮影したのは誰ですか?

まじ質問です。アポロ11号でアームストロング船長が初めて月に降り立つ映像を撮影したのは誰ですか?

Aベストアンサー

>キャノンが世界初!ならありえますね。

キャノンが世界初でなければ、もっと可能性は高いですよね。
でも、NO10さんの言う通り、ピント固定方式であった可能性の方が高いでしょう。

日本でも固定焦点式のカメラが1986年頃から大衆向けに安価に売り出されています。
構想から大衆向けの商品になるまでに、10~15年位かかっても不思議はないと思いますよ。
NASAは国家威信をかけた事業であった筈ですから、費用は青天井だったと思います。

Qこの問題で、紀元前2000年という意味が分かりません…さっきも質問したんですけどもう一度させていただ

この問題で、紀元前2000年という意味が分かりません…さっきも質問したんですけどもう一度させていただきますm(*_ _)m

Aベストアンサー

今は西暦2017年ですよね。

その西暦元年より前が紀元前です。

つまり、西暦0年より10年前は紀元前10年。

西暦0年から100年前が紀元前100年です。

紀元前2000年の場合は、西暦0年より2000年前となり、
今は西暦2017年なので、今から4017年前ごろ・・というのが答えになります。

Qヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

ヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

Aベストアンサー

総統閣下は馬鹿では無いです 、当時のアメリカのニューディール政策に相当する国家公共事業を、一人で考案しました。

労働者の待遇を良くする為、劣悪だった職場の衛生管理を整え、仕事に対しての余暇を充実させました。

戦争が無ければドイツの労働者家族は、フォルクスワーゲンに乗ってアウトバーンを走り、海岸のリゾートホテルに宿泊して充実した休暇を過ごしていたはずです、あるいはブレーメン号やオイローパー号のリゾート船に乗ってクルージングを楽しんでいたでしょう。

色々な方向から総統閣下の事を調べると、必ずしも愚か者では無いと解るはずです、なにせノーベル平和賞にノミネートされたぐらいですから。

Q命懸けの決闘をやるメリットは何ですか?

剣道の試合みたいに防具を着て竹刀で打ち合うならスポーツです。
宮本武蔵が高条件で自分を雇ってくれる王様にアピールするために決闘相手を募るのも分かります。
それ以外です。
相手とあらかじめ打ち合わせして奇跡的な名勝負をやって周囲から賞賛を得ようとするのでなく、勝利したらお金をもらえる状況でもなくて、戦争中でもない、
武器を使わない事を約束した上の殴り合いだったり、ギブアップしたら即座に絶対強者が止めてくれるわけではない、
ギブするときにはもう決定的な重症で助からない可能性も高い刀や剣や銃を使う決闘です。
挑んだり受けるメリットは何ですか?
受けた直後に冷静になって、やっぱりこっちが悪いです負けでいいです御免なさいの実例は歴史上に少ないのでしょうか?

Aベストアンサー

決闘と言うのは、両者が話し合いでは解決できない問題の最終解決方法が決闘です。

「力が強い者は何でも正義と言う倫理」と、「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」との違いは、「力が強い者は何でも正義と言う倫理」は、ルール無用。勝てば何をやってもよいと言う方法で行われ、その組織が存在する限り永遠に紛争は終わりません。どちらかが滅ぶまで続きます。


「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」は、両者が争っている争点の最終解決方法として、両者が合意したルール(その文化圏で慣習的に認められた仁義が基準となる場合が多い。例え「命を掛けた決闘」でも飛び道具や投げナイフは駄目とか。)で決闘を行います。その決闘の後は、その問題解決を行う権利は勝者にあると言うのが決まっただけで、人としての勝敗が決まったわけではなく、その後はこの問題は過去のモノとし、建設的な未来志向で互いの関係を構築する(命を掛けた決闘でも、決闘によって死なれた人の仲間がその報復を行う事は野蛮とする)。

このような目的でやられるのが決闘です。



その合意内容は、その地域の文化的、歴史的な慣習で養われる事が大半です。


「命を懸ける決闘のメリット」ですが、決闘とは個人の問題なので、その状況によりますので漠然とした答えになりますが、「命を懸ける決闘のメリット」は、話し合いでは解決できない、どちらかが死ぬしか問題解決が無い。しかもその殺し方は闇討ち、暗殺などでは駄目で、正々堂々と決闘による勝負が必要である。そのような背景があるからこそ「命を懸ける決闘」を両者ともに合意しているのだと思います。


それで、そのメリットですが、勝者はその問題を解決する事ができます。

決闘と言うのは、両者が話し合いでは解決できない問題の最終解決方法が決闘です。

「力が強い者は何でも正義と言う倫理」と、「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」との違いは、「力が強い者は何でも正義と言う倫理」は、ルール無用。勝てば何をやってもよいと言う方法で行われ、その組織が存在する限り永遠に紛争は終わりません。どちらかが滅ぶまで続きます。


「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」は、両者が争っている争点の最終解決方法として、両者が合意したルール(その文...続きを読む

Q真珠湾攻撃をアメリカが事前に知ってたは明らかにウソでは?

戦死2,345民間人68。
これだけ犠牲が出たのを事前に知ってたけど戦略的な理由で黙ってましたは関係者が遺族から袋叩きになりません?
アメリカは民間人も銃を持ってます。
予想される犠牲者が数人ならともかく有り得ないと思いませんか?

Aベストアンサー

真実はだれにもわかりません。

しかし状況から見て,おおよそのことは判断できます。
私は質問者さんの感覚は正しいと思います。

知っていたけど黙っていた・・・
そんなことがあとからバレたら大統領どころか
政権も吹っ飛びます。

戦争を始めるにはもっと小さな被害で十分です。
民間人が一人虐殺されれば国内は大騒ぎになり,
戦争へとつながります。

生麦事件だって死んだのは一人です。
そこから薩英戦争が起こりました。

軍人を2000人以上犠牲にする必要はありません。
まあ,No.9さんの回答も説得力がありますけどね。

歴史は証明が難しいため,
とかく自分の都合がよいように操作されるものです。
質問者さんのように「自分の常識で考える」のが
いちばんよいのでしょうね。


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