.(A|ψ>)†=<AΨ|=<ΨA†
Aは演算子 Ψは波動関数
上式がなぜ等しくなるのかわかる方教えて下さい

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量子力学」に関するQ&A: 量子力学の利用

A 回答 (2件)

ANo.1・・!



御免!
自分で言っておき乍ら最後の式縦線入れ忘れ・・!
よって
(A|Ψ>)†= <AΨ| = <Ψ|A†
・・に訂正!
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(A|Ψ>)†= <AΨ|=<ΨA†


<ΨA†→<Ψ|A†の誤記!?

演算規則によって
(A|Ψ>)†=((|Ψ>)†)A† = <Ψ|A†
一方Hermite共役性によりbraベクトル内の演算子を外に出すと†になるので
<AΨ| = <Ψ|A†

よって
(A|Ψ>)†= <AΨ| = <ΨA†
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この回答へのお礼

有難う御座いました

お礼日時:2017/03/29 17:55

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Q能<隅田川>について。

学校のレポートで、能についてだされました。わかるかた、教えてください。

能<隅田川>と、それに関係するほかの文芸作品について、表現の特徴を述べよ。

です。わかる範囲でいいので、おねがいします。

Aベストアンサー

能の「隅田川」に特有の表現方法としましては、子供の幽霊と母が抱き合おうとしても、子供を抱こうとして差し出した母の手がむなしく空を切るところでしょうか。
これはほかの曲では見たことがない(勉強不足か ?)演出です。
子供が実際に出てくるときと、子供の声だけが聞こえて私たち見る側が母の動きに合わせて子供の姿を想像するときの 2 種類の演出があります。

隅田川に出てくる母役は、吉田の某というおそらく階級の高い人の妻です。設定されている時代、苗字を持っていること自体が階級の現れです。また、母役が和歌をたしなんでいるなどから高い教養をもっていることもわかり、その夫の社会的地位の高さをうかがわせます。

その、本来なら屋敷の奥に篭って一生を過ごすはずの母役が、京都からはるばる東の国まで子供を訪ねてきたことへの一種の尊敬の念なども、作品からにじみだしています。

狂女(狂い笹という笹を手に持っているのが特徴)とはいいますが、ほんとうに気が触れているのではなく、子供を想うあまりに「狂女」というある種 大道芸人として町を訪ね歩く姿を、能楽では「狂女」と呼びます。

子供を探し歩く母が生きた子供に出会えないというのも、これまた能楽では珍しい設定です。

関連するほかの文芸作品については... わかりません ^^;; ごめんなさい。

能の「隅田川」に特有の表現方法としましては、子供の幽霊と母が抱き合おうとしても、子供を抱こうとして差し出した母の手がむなしく空を切るところでしょうか。
これはほかの曲では見たことがない(勉強不足か ?)演出です。
子供が実際に出てくるときと、子供の声だけが聞こえて私たち見る側が母の動きに合わせて子供の姿を想像するときの 2 種類の演出があります。

隅田川に出てくる母役は、吉田の某というおそらく階級の高い人の妻です。設定されている時代、苗字を持っていること自体が階級の現れです。...続きを読む

Q宮沢賢治<青い槍の葉>の解釈

宮沢賢治の「春と修羅 第二集」にある
青い槍の葉という詩についての解釈を勉強している者です。
「黒くをどりはひるまの燈籠」というのは
どういった状況描写なのかわからなくて困っています。
をどりは、原文ではおどりとも書かれていて
なにかの踊りのことを指すのでしょうか?
燈籠とどうつながるのか教えて下さい。よろしくお願いします。

個人的には黒い馬が跳ね上がる様は、
きらきらとして、燈籠のように昼間の光の中でもいっそう輝いて見える事かと
考えているのですけど。。

Aベストアンサー

はじめまして。

手元に詩集がなかったので、ネットのページで読みました。まずは、すばらしい詩を教えてくださってありがとうございました。(賢治は昔から好きなのですが、その割に多くを読んでいないのです)

雑誌発表時に「挿秧歌」と副題が附されているので、田植えの風景を歌った詩なんですね?
それで、ご指摘の箇所は、ここですね。


雲がきれたかまた日がそそぐ

土のスープと草の列

黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ)

泥のコロイドその底に


…それで、何度か全篇を読み返しているうちに、急に思いついたことなのですが、「黒くおどり」と表現されているのは「おたまじゃくし」のことなのではないでしょうか?
そして「燈籠」は、「廻り燈籠」(まわりどうろう。「走馬灯」ともいいます)か、それに近いイメージではないかと思いました。

と言うのも、私は田植えの経験はありませんが、子供のころ住んでた近くに田んぼがあって、よくそこらで遊んでたんです。
春になると辺りいったいレンゲが咲いて、それから四月から、五月ころにかけてだと思いますが(ですから田植えの季節にも大体あっています)、田んぼの中はおたまじゃくしでいっぱいになるんですよ。
田んぼのきれいにすんだ水の中をちょろちょろ泳ぎまわって水面に来て空気を吸ったり、水底に潜っていっては泥をぱくついたりする影法師が、水の底の泥の上にきらきらきらきら映っていました。

ですから「黒くおどりはひるまの燈籠」というのは、たくさんのおたまじゃくしが田んぼのすんだ水の中をちょろちょろちょろちょろ泳ぎ回っている姿がまるで踊りを踊っているようで(もしかしたら、もう手足が生え始めたやつもいたかもしれません。それならほんとに踊りですね)、そのいくつもの影法師が「泥のコロイドその底に」ゆらゆらと写っている様子が回り燈籠を見ているようだよ、と言っているんじゃないでしょうか…。

一つの意見として参考にしてみてください。
きっと、田植えをしたことのある人には、この詩の色々な細部がすみずみまでツーカーでわかるのかもしれませんね。賢治も割りと当たり前のつもりで書いていたりして…

書いたことでご不明な点がありましたら、どうぞまたお尋ねください。

(ご存知のところもあるかと思いましたが、この詩を読みながらいくつか見つけたページを挙げておきます。こちらもよろしければ参考になさってください)

それでは。

http://www.ihatov.cc/haru_1/026_1.htm
http://www.moko-moko.com/otamajyakusi
http://www.acl.ec.musashi-tech.ac.jp/~imai/news(o).html

はじめまして。

手元に詩集がなかったので、ネットのページで読みました。まずは、すばらしい詩を教えてくださってありがとうございました。(賢治は昔から好きなのですが、その割に多くを読んでいないのです)

雑誌発表時に「挿秧歌」と副題が附されているので、田植えの風景を歌った詩なんですね?
それで、ご指摘の箇所は、ここですね。


雲がきれたかまた日がそそぐ

土のスープと草の列

黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ)

泥のコロイドその底に


…それで、何度か全篇を読み返して...続きを読む

Q詩の解釈<土くれと小石byウィリアムブレーク>

いつもお世話になっています。

土くれと小石

愛は自分の歓びを求めたりはしないよ、
自分のことを気にかけようともしない。
ほかの人に安らぎを与え、
地獄の絶望のなかに天国を築くんだ。

 牛の足に踏みつけられた
 小さな土くれはこううたった。
 しかし小川の小石は
 震える声で本当のうたをうたった。

愛が求めるのは自分の歓びだけ、
自分の歓びのために他人を縛ることだけ。
他人の楽しみは安らぎを奪い、
天国の悪意のなかに地獄を築く。


このウィリアムブレークの詩で、土くれと小石はなぜ、違った愛に対する考え方を持っているのでしょうか。そもそも「土くれ」と「小石」は何を表しているのですか?上手くこの詩を解釈出来ません。
どなたか詳しい方、解釈が得意な方、教えてください。
お願いします(^^)

Aベストアンサー

初めまして。詩の解釈などとは縁の無い学生ですが、思ったことを書かせて頂きます。

きっと「牛の足に踏みつけられた小さな土くれ」というのは、人の下で使われる立場の労働者や、社会的弱者、又は一般人の他に縋る心のようなものを表しているのではないでしょうか。現実が厳しくて苦しいから、何か別のものへ夢を見る、希望を抱くと。
そして「小川の小石」は反対の中~上流階級の人間、人を支配する立場の者で、しかし幸せを感じているわけではないモノのことで、現実はそんなに素敵じゃないよ夢を見るな、という感じで……。

または土くれも小石も同じ立場の人間だけど、片方が夢を追い求めるロマンチストに対して、もう片方がシビアなリアリストだとか。楽観論者と悲観論者だとか。

挙げてみると次々出てきてしまいますが、如何でしょうか。
よく「勘違いが多い」と言われるので、的外れなことを書いているかもしれません……。
駄文失礼致しました。

Q大橋巨泉の<みじかびの きゃぷりきとれば・・・>は、百人と並ぶほどの、優れた短歌なのでしょうか?・

先日、大橋巨泉が亡くなりました。
私は、短歌について興味が無いのですが、気になりましたので質問します。 
たまたま、岡井隆の現代百人一首を眺めていました。
そのなかに、皇后、釈迢君、寺山修司、俵万智などの歌人と共に、大橋巨泉が入っていました。
彼の歌は、
<みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ>
でした。これ、CMで大ブレークしたものですね。
ところで、この作品は、百人と並ぶほどの、優れたものなのでしょうか?

Aベストアンサー

jazzのスキャットは、ルイアームストロングが歌詞を忘れて、リズムに合わせた声を入れ、それを面白がってレコードにした。
勿論意味はない。
しかし、今やスキャットを歌では無いと言う者はいない。

マチスの絵を、マチスと言わずに見せると、「なんだ!子供の落書きか?絵じゃ無い。」と言うだろうし、「これが1億円する」と言うと驚かれる。

巨泉が万年筆のCMで、音感だけで短歌を即興で詠んだ。
それはそれで新しい短歌。
百年前の古典短歌のみを良い短歌だと評するのは、ミケランジェロしか絵では無い!というような物。

この歌を岡井隆さんが選ぶのには、その新しさがあったからとは思うが、追従者がいない。追従者がいないのは、独り善がりと云っても過言ではない。
だから現代百人一首に入れるべき歌とは思わない。

万葉集でも音、リズムを重視した。短歌、長歌も唱う物だったから。

今の人は、短歌の文を黙読して意味を重視している。文字面短歌とでも言うのであろう。

Q作者名を教えてください!(><)!

高校のときに教科書で読んだ気がするんですが
雪を踏む音とりんごをかじる音を掛けた
短歌か詩があったんですけど
最近急にその歌が気になってしまって
そわそわしています。
もし、判る方がおられたら回答をください。
お願いします。

できたらなんですが、その歌が載ってる本もわかれば教えてください。

Aベストアンサー

「君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」
詩人、北原白秋の作品で「桐の花」です。

岩波書店から【北原白秋歌集】と言う文庫が出ているみたいですよ。
Amazonで検索したトコロ、ヒットしましたのでURLを記載しておきます。
参考にしてみて下さい。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003104846/249-6392235-4470757


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