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「行けれるんですか?」と言ったら間違いと言われました。
「この道は先に行くことができるのですか?」の意味で可能性を表わす言葉として「行くことができる」は何と言うのが適当なのでしょうか?
「行かれるんですか?」
「行けるんですか?」
教えてください。

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A 回答 (7件)

こんにちは。


文法的に少し説明します。
「行けれる」は確かに誤用です。
「行く」の【可能】形は、「行ける」あるいは「行かれる」です。
【可能】を表す場合は、一段活用、カ行変格活用動詞の場合は、『未然形』に【可能】の<助動詞>「られる」を接続し、五段活用動詞の場合は、<可能動詞>を用いるか、『未然形』に【可能】の<助動詞>「れる」を接続します。
「行く」は、カ行五段活用動詞なので、【可能】をあらわすには、<可能動詞>「行ける」か、『未然形』+【可能】の助動詞「れる」による「行かれる」のどちらかになるわけです。
現在、五段活用動詞の【可能】形は、<可能動詞>を用いるのが一般的になってきています。例えば、カ行五段活用動詞「書く」の【可能】形は、「書かれる」(『未然形』+「れる」)よりも「書ける」(可能動詞)というのが通常でしょう。かつては、『未然形』+「れる」が使われたのですが、時代とともに変化し<可能動詞を用いるのが一般的になったようです。
「行く」に限っては、「行ける」も「行かれる」も用いられていますが、「行ける」の方が多数派だと思います。
「行けれる」についてですが、このような誤用が生じる原因は、【可能】の<助動詞>は「れる」「られる」であるため、「る」の前に「れ」を差し入れたものだと思います。
でも、多くの人が「行けれる」を言うようになれば、それが正しい使い方になるわけです。言葉は生き物なので、変化するものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。的確なご説明でたいへんわかりやすく勉強になりました。また、日本語の仕組みを理解した上で、変化していくことを受け入れなければなりませんね。ありがとうございます。

お礼日時:2004/08/25 00:37

文法的に議論したら、たぶん前の方々がお書きになっている通りでしょう。


私は国語に弱くいので、詳しい議論はできません。
しかし、「行けるんですか?」とい表現を間違っていると決めつける事に対して、使ってもよいのでは?とも思います。
ら抜き言葉も文法的に間違いかも知れませんが、一方、ら抜き言葉は中部地方の「方言」という一面も持っています。
「行けれる」「行けれるんですか」というのも同じく方言という意味合いもあるのではないでしょうか?

単純に若い人の間違った使用方法という事だけでなく、かなりの歴史をもった(文法的には間違っているかもしれませんが)使い方のような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。方言ですか?そういうこともありますよね。こちらは九州出身ですが、私自身は違和感がないと思っていました。

お礼日時:2004/08/25 00:24

「行かれるんですか?」「行かれるのですか?」も誤りではありませんが、最近は「行くことができるのですか?」という意味ではなく「お行きになりますか?」という意味でこの表現を使うことが多くなってきたので、やや紛らわしいです。


「行けるんですか?」「行けるのですか?」なら誤解の恐れはありません。

ただし、繰り返しますが、「行かれるん(の)ですか?」を「行けるん(の)ですか?」という意味で使うことが誤りだというわけではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。確かに紛らわしい言い方がありますよね。素直に考えた方がいいみたいですね。

お礼日時:2004/08/25 00:21

「行けるのですか」が“正しい”です。



「…んですか」は、くずれた口語表現です。
「ん」、「んだ」、「んです」は、くずれた口語表現であって、国語辞典によって載っていなかったり、記述がまちまちだったりします。
しかしながら、国語辞典によっては載っているのですから、「行けるんですか」も“正しい”日本語のうちに入るのでしょう。いえ、入る「ん」でしょう。(笑)


「行く」は、カ行5段活用なので、可能を表わすとき、「行ける」が正しく、「行けれる」は誤りです。


なお、「行かれるんですか」についてですが、
これは、これ単独としては日本語として正しいですが、敬語の一種である尊敬語に当たりますので、「行く」人が尊敬の対象である場合に使います。
よって、自分が「行く」人なのに、「この道は先へ行かれるんですか」を使用するのは誤りです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。更に正しい日本語のご説明もいただき、勉強になりました。

お礼日時:2004/08/20 23:29

行けるんですか?(ややくだけた表現)


行けるのですか?(改まった表現)
行けますか?(一番自然)

が、適当でしょう。

「行ける」は「行く」という動作が可能であることを表す下一段活用の動詞です。
「行けれる」が誤りなのは、助動詞「れる」は一段活用の動詞には接続しないからです。
また、
「行かれるんですか」が適当でないのは、
「行かれる」という表現は、多くは受け身か軽い尊敬の文脈で使われるからです。可能を表す「行ける」というもっとぴったりした言葉があるので、適当でないということになります。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。なるほど、間違いの理由がわかりました。ご丁寧にご説明いただき、ありがとうございます。

お礼日時:2004/08/20 23:22

普通なら、行けますか?が正解では?

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。そうですね、普通に考えればよいですね。

お礼日時:2004/08/20 23:19

「行けるんですか」



これでいいですよ^^;
「ら抜き言葉」ってのがありますが、
なんにでも「れ」をつける「れ付き言葉」も
最近多いっすね。
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この回答へのお礼

素直に考えれば「行けるんですか」って思い浮かびますね。ありがとうございます。

お礼日時:2004/08/20 23:17

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Q「行かれない」と「行けない」

前者を日常的に使う人にゆかしさを感じてしまう人がいるのはなぜなでしょうか。

Aベストアンサー

「行く」という動詞の可能表現には「行ける」と「行かれる」の二つがあります。

「行く」は可能だけですが、
「行かれる」は可能の他に、自発・尊敬・受身の意味でも使われます。
「行かれる」の方が意味がいくつもあってちょっとわかりにくいところがあります。

言葉というものは意味がハッキリしているとキツク聞こえる場合があります。
婉曲法というものがありますように、ハッキリしない方が上品で奥ゆかしく聞こえるものです。

断りを入れるのに「行けない」と自分の意志がハッキリしている言い方よりも、「行かれない」のように、自分の意志がモロに出ない断り方の方が好ましいと思うのでしょう。

Q「見れない」と「見られない」とどちらが正しいですか

例)

「yahooのサイトがエラーになってHPが見れない」

「yahooのサイトがエラーになってHPが見られない」

「見れない」は、ら抜き言葉を使ってるだけで、「見られない」が正しいですか?

Aベストアンサー

学校文法での規範的言い方では「見られない」です。
方言としては中部地域で、また関西以西で一段活用での受身&尊敬態との分別性を持たせた可能形として「見れない」が通用しています。
また、語形の短い、特に一語漢字に特有の問題として、サ変動詞である「愛す」⇔「愛する」間での揺れと同じように、「見ら+れない」⇔「見+れない」という揺れの現象として、今日拮抗しつつあるとも見られます。
一方、逆に、「見れない」が一般的に通用している地域や若い世代においては、その「見れない」を更に可能表現にした「見れれない」と言った表現も出現し始めているようです。

1.本来の語形(学校文法)
       基本形  可能形  受身&尊敬形
一段活用…見る    見られる  見られる

2.ら抜き(中部以西の方言)
       基本形  可能形  受身&尊敬形

一段活用…見る    見れる   見られる
2´.単漢字(語幹)変化
       基本形  可能形  受身&尊敬形
一段活用…見(る)   見れる   見られる

3.れ足す(二重可能表現)
       基本形  可能形  受身&尊敬形
一段活用…(見れる) 見れれる (見れられる)

うるさく言えば全国&全世代に通用する学校文法を規範としたいところですが、カ変動詞や単漢字動詞に限っては、こと会話上での表現としては許容として構わないと考えます。
次のような俗っぽい、いわゆる「くだけた表現」のレベルとしての許容です。
そこの<ところ>を   →そこん<とこ>を!
何を<見ている>んだ →何を<見てる>ん?
何とか<やっていく>  →何とか<やってく>。
何とも<見られない>ね→何とも<見れない>よ。
すぐ<来られない>か →すぐ「来れない」? 

学校文法での規範的言い方では「見られない」です。
方言としては中部地域で、また関西以西で一段活用での受身&尊敬態との分別性を持たせた可能形として「見れない」が通用しています。
また、語形の短い、特に一語漢字に特有の問題として、サ変動詞である「愛す」⇔「愛する」間での揺れと同じように、「見ら+れない」⇔「見+れない」という揺れの現象として、今日拮抗しつつあるとも見られます。
一方、逆に、「見れない」が一般的に通用している地域や若い世代においては、その「見れない」を更に可能表現にし...続きを読む

Q「なそう」? 「なさそう」?

以前から疑問に思っていたのですが、
例えば

「あの人、料理しなさそう。」

「あの人、料理しなそう。」
では
どちらが文法的に正しい表現なのでしょうか?

この例では前者の方が正しいような「感じ」が個人的にするのですが、

「危なさそう」

「危なそう」

では後者の方が正しいような「感じ」がします。

これら「なそう」・「なさそう」の文法的な解説をしていただけないでしょうか?

Aベストアンサー

私は日本語日本文学科に所属しています。
そういった勉強を集中的にしている者として、少し専門的に分析してみましたので、意味がわからなければ遠慮なくご質問ください。

広辞苑には
「形容詞および助動詞『ない』の語幹に接続(形容詞の語幹が1音節の場合は、「さ」に介して接続)」とあります。
さて、「料理…」の文は「料理+する+ない+そう」という仕組みになっていますよね。
「ない」は「なくなった」「なければ」とつかうことができます。
ここで「ない」はどういう形で使われても「な」という一語は動かないということに気づかれたでしょうか。
この動かない「な」が語幹です。
「な」は助動詞であり、そのまま「そう」をつけるのが原則です。
以上から考えると、「料理しなそう」の方が文法的に見れば正解といえるでしょう。

次に「危なそう」です。
これは「危ない+そう」となっています。
「危ない」は「危なかった」「危なく失敗するところだった」というように使えます。
つまり、「危な」までが語幹です。
ですので、「危なそう」となります。

いろいろ言いましたが、言語は動く生ものです。
時代と共に言葉は変化します。
特に発音の世界では、文法上の分類は違ってもその実質的な意味や、発音が同じだとごっちゃになって使われる場合もあります。
一番目の場合がそのよい例です。
「ない」は助動詞、形容詞どちらの用法もあります。
「ない」の語幹は「な」の一語。
ですので「形容詞の語幹が1音節の場合は、『さ』に介して接続」が当てはまります。
そこで「料理しなさそう」という言われ方もするようになったのでしょう。

個人的な意見ですが、正しく意味が通じればそれがすなわち正しい言葉といえると思います。

私は日本語日本文学科に所属しています。
そういった勉強を集中的にしている者として、少し専門的に分析してみましたので、意味がわからなければ遠慮なくご質問ください。

広辞苑には
「形容詞および助動詞『ない』の語幹に接続(形容詞の語幹が1音節の場合は、「さ」に介して接続)」とあります。
さて、「料理…」の文は「料理+する+ない+そう」という仕組みになっていますよね。
「ない」は「なくなった」「なければ」とつかうことができます。
ここで「ない」はどういう形で使われても「な」という...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q不起訴と起訴猶予の違いは何ですか?

よく事件報道の新聞やニュースを読んでいると、不起訴とか起訴猶予という言葉を耳にしますが、どう違うのでしょうか・・・・・
実際、交通人身事故で当方、不起訴処分告知書を戴いた事があるのですが・・・・・

Aベストアンサー

基本的には、No.1、2さんの回答の通りです。

将来起訴されるかどうかと、「不起訴」「起訴猶予」はほとんど関係ありません。

「起訴猶予」も、法律上定められた処分であり、ゆるやかな「一事不再理」の原則があるとされています。

したがって、検察の運用としては、新証拠が出るとか、検察審査会が不起訴不当の結論を出すなどの新たな事情が無いと、いったんした起訴猶予を取り消して起訴することはありません。

他方、「不起訴」の場合も、新証拠が出て、再度嫌疑が生じれば起訴されます。

現実問題として、不起訴が新証拠で覆ることはあっても、起訴猶予は、犯罪事実自体の証拠はすでにあるのですから、それ以上に、情状面の重大な証拠がでるということはほとんどなく、覆ることはありえません。

Q「基」と「元」の使い方

経験を"もと"に話す。
上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?>

「基」になります。

1.「経験を"もと"に話す」とは言い換えれば「経験にもとづいて話す」ことと同じです。

2.「もとづい(て)」は「もとづく」の連用形です。

3.「もとづく」は「基づく」という漢字しか存在しません。

4.従って、ここでは元、本、素などの漢字は適切ではありません。


ご質問2:
<経験を"もと"に話す。>

1.「~をもとに」という語感が「~を元に戻す」といった語感になるため、「元」の漢字を想定されたのだと思われます。

2.しかし、ここで使われる「もと」とは「土台」の意味になります。

3.他の漢字「元」「本」などには「土台」「ベース」といった意味はありません。

4.従って、ここでは基が適切な漢字となります。

以上ご参考までに。

Q「かもしれない」と「やもしれない」

職場で「○○するかもしれない」と言うときに「~するやもしれない」と言う人がいます。
これはどちらが(どちらも?)正しいのでしょうか。
上の人なので、本人に聞くわけにもいかず…。
gooで「かもしれ やもしれ」で検索したら他社のQ&Aサイトのスレッドが一番に出てきて「やも」は昔からある言葉ですと書かれていましたが、ウン十年生きてきてそんな言葉は聞いたことがありません。昔からっていつからなんでしょう?? 昔って実は古文だったのかもしれませんが、もう記憶にありません(苦笑) どなたか教えてください。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<これはどちらが(どちらも?)正しいのでしょうか。>

どちらも正しいです。


ご質問2:
<「やも」は昔からある言葉ですと書かれていました>

その通りです。


ご質問3:
<昔からっていつからなんでしょう??>

万葉集の時代(奈良時代)には、既にこの用法の「や」は存在していたようです。

1.この「や」は係助詞「や」になります。

(1)終助詞「や」の用法も考えられますが、「~やもしれぬ」と、文末が連体形で止まる用法から来ていることから、「係助詞+連体形」の文法規則から、係助詞と判断できるのです。

(2)この用法は
1)疑問の意を表す
2)問いかけの意を表す
3)反問・反語を表す
などの用法が、前後文脈や状況によって使い分けられます。

(3)意味は
1)疑問の意を表す:「~かしら」「~かもしれない」
例:
「天地は広しといへど吾が為は狭くやなりぬる」(万葉集)

2)問いかけの意を表す:「~か?」
例:
「夜や暗き、道や迷へる」(古今和歌集)

3)反問・反語を表す:「~ではないか」
例:
「月やあらぬ、春や昔の春ならぬ~」(伊勢物語)


ご質問4:
<職場で「○○するかもしれない」と言うときに「~するやもしれない」と言う人がいます。>

その方は昔の方か、時代劇をよくご覧になっている方ではないでしょうか?

1.現代口語では上記で説明した係助詞「や」は、「か」にとって変わられています。

2.現代口語でこの用法の「や」の名残が残るのは、「~するや否や」の「や」などに若干残る程度で、それ以外は詠嘆や呼びかけを表す間投助詞の働きなどに限定されます。

3.また、係助詞の用法の「や」を使って「~やもしれぬない」という語法を取る人は、古語の「や」と現代語の「ない」を組み合わせていますから、バランスがとれた語法とはいえません。

「や」を使うなら、否定語も「ぬ」と古語でバランスをとるべきです。
例:
「~やもしれぬ」

4.ご質問にある「~やもしれない」は、こうした古語と現代語のミックスした使い方で、昔の言い方を踏襲している方か、時代劇をよくご覧になっている方が、現代語風に使った意い方と推察されます。

5.ただ個人的には、聞く側としてはそれほど違和感はなく、特に気になるほどの間違い、とも思いません。


以上ご参考までに。

はじめまして。

ご質問1:
<これはどちらが(どちらも?)正しいのでしょうか。>

どちらも正しいです。


ご質問2:
<「やも」は昔からある言葉ですと書かれていました>

その通りです。


ご質問3:
<昔からっていつからなんでしょう??>

万葉集の時代(奈良時代)には、既にこの用法の「や」は存在していたようです。

1.この「や」は係助詞「や」になります。

(1)終助詞「や」の用法も考えられますが、「~やもしれぬ」と、文末が連体形で止まる用法から来ていることから、...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q「ビバ」とはどういう意味か?。

 「ビバ」
 という言葉がありますが、どういう意味でしょうか?。
 
 用例
 ビバ!埼玉
 ビバ!兄弟

 などなど・・・。

Aベストアンサー

イタリア語でバンザイですね。「viva」


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