プロが教えるわが家の防犯対策術!

この時期の墓参り?とかも、別に仏教徒?ではないので自分からいったことない(もう20年くらいは行ってない)程度の無信仰です。

1.宗教を信仰してる人はですね、天国だとか地獄だとか、そんなことの前提として、まずは死後の自意識が継続することありきなんですか?

2.あと適当に見る限り天国ってのは何でも満たされて、50年100年の人生ならいいでしょうけど、ずっとそれじゃ。真綿で首を絞められるように思考力を奪われて退屈すぎてどうにもならないという最高の地獄にみえちゃうんですけど、みんな天国(相当)のとこにいきたいんですか?

質問者からの補足コメント

  • 誤解を生む可能性のある質問でした。

    宗教を否定する意図があるわけではありません。
    信仰する人の気持ちを知りたいという意味合いが強いです。

    世界では宗教を信仰する人々の方が圧倒的に多く、そして宗教観念はその生活圏における常識(もちろん法律にも)にも影響するものだと思います。

    ただ、なぜ人は宗教を信仰するのか、各人が信仰する由来とはなんなのか、疑問に思い質問の「1」が
    理由なのかなと憶測した次第です。

      補足日時:2017/08/14 01:01

A 回答 (12件中1~10件)

自分の死後に世界があって、そこに生きている人に迷惑が掛からないように、ゴミはきちんと片付けたいと思っています。

    • good
    • 0

#8です。

お礼を読みました。
>死後の世界を信ずる人たちは、その前提として死後の自意識の継続が「暗黙的」に(宗教によっては明示的に)信じておられるのかどうか、ぜひお気持ちを教えてください。

死後の世界を信じるとき<死後の自意識の継続>は前提としてあります。
これは当たり前すぎてここに疑問を持つ人がいるとは思わなかったです。

キリスト教で死後に自意識がいつ目覚めるかは様々な考え方がありますが、
死後の自意識の継続は自明なこととして取り扱われてると思います。

キリスト教徒ですが天国とか地獄とかを具体的に考えることはないですね。
天国や地獄は単なる教義でしかなく死後の世界は神しか知りえないでしょう。
ただ、死後の世界がどういう形態であろうと自意識の継続だけはあると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自明としてあるのですか…
死後の世界があったとしてもそれはただ在るだけで、そこに自意識はないという可能性もあり得るとは思うのですが…

ただその逆、死後の世界はないが、死後も自意識の継続はあるというのはどのような状態か想像がつかないので、死後の世界という言葉には当然自意識の継続があるのかもしれません。

明確なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/15 16:08

本気であると思います 



と言っても 証明などできません
それは 無い と言う人が
証明できないのと同じです

あると思う根拠は

有から無にならないからです
変化するなら 論理的に整合性がとれます

すなわち 死は 生が変化したもの と捉えるのが
納得いく考えです
もちろん証明などできません

仏教の「因果応報」は原因と結果を述べた科学です

差別は原因があるから生じるのも化学なら
人間に差別があるのも 科学で
前世がなければ 成り立ちません

たとえば
女を泣かせば 次の世で女に泣かされる
一人殺せば 次の世で今度は自分が殺される
100人殺せば 100回殺される
これ 生まれ代わりが前提で無ければ 成り立ちません


前進麻酔 夢を見ません
情報が空間に飛び散るからです
 もちろん 様々な見解があるのも承知してます

これが死なら 誰でも 条件が整えば
飛び散った情報を集めて 再生するのです

死後 しばらくして 再び生まれ変わる
これが 合理的な妥当な 科学的な 考えです

仏教の「空」の概念が科学の進歩により
少し理解できるようになりました

ユングやフロイト等の深層心理学者は
仏教の九識論の一部を明かしたものです

生命の 個別化の原理 差別化の原理
個性化の原理 表す原理 生命の大きさ 
これ 
現在の生命物理学は その入り口に入ったにすぎません

最先端科学 量子論 超弦理論を少し知ると
やっと 宗教を理解する 死後を理解する
基盤ができたと思います

逆に 死後はない と言う 
根拠 整合性 妥当性 科学的根拠
誰も示せません
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問には証明や根拠は求めていません。

死後の世界があると信じてる方は、その前提として自意識の継続もあると信じておられると解釈いたしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/15 16:03

NO4,6です。


1に対する答えです。
 死後の世界があるとは思っていません。
人前で(知ったかふりして)あたかも天国や黄泉の世界があるような話をします。
理由
場を盛り上がる時、物知りにみられる
特に京都などでお寺の観光をする時など
妻が理屈っぽいバカだから黙らせるのに使える等
思想や哲学と比較するより、歴史として勉強すると面白い
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

死後世界があるかないか、というよりも死後の世界があると信じる人たちは、その前提として自意識の継続があることとしているのかとう質問でした。

死後の世界がないと信じる人でも、自意識の継続とは別だとは思いますが、気になって質問した次第です。

質問の仕方が悪く、申し訳ありませんでした。

お礼日時:2017/08/15 16:02

わたしはキリスト教徒ではありますが、かなり疑い深いほうですね。


死後の世界はあるVS死後の世界はない=30:70位かなと、疑いのほうが強いです。
死後の世界はない可能性は高いが死後の世界を信じたほうがよりよく生きられそうなので死後の世界はあるかもしれないと思ってちょっとは信じて生きる道を選んでるというわけです。

死後の世界があるとどこまで本気で信じられるのか疑問に思って親しくなったクリスチャンには死後の世界があるとほんとに思ってるのと聞きましたがその答えは人によって様々でしたよ。素朴に信じてると言う人もいれば、死んでみないと分からないと言う人もいる。信じるということは不確かなことに賭けるものなんで疑いもいくぶんは含んでいるのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

死後の世界を信ずるか?というタイトルのせいで誤解を生んでしまっていることを後悔しています。

死後の世界を信ずる人たちは、その前提として死後の自意識の継続が「暗黙的」に(宗教によっては明示的に)信じておられるのかどうか、ぜひお気持ちを教えてください。

お礼日時:2017/08/14 21:41

最後まで 読んでくれるかな



熱心に信仰している私から一言

宗教がどれ程 人類社会に貢献したかご存知だと思いますが

宗教は
①人間を強くします
②人間を善くします
③人間を賢くします

エセ宗教や占い 霊など 例外があります 

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ
無宗教の奴等 そのだらしなさは あきれる
内村鑑三は嘆いている事でしょう
国家社会は 宗教で 繁栄もすれば 滅亡もします
 
宗教を否定する人
科学が分からない無知な人ばかり

今回 化学の分野から 少し論じる

アインシュタインが否定しましたか
ホーキンスが否定しましたか

科学者は宗教を否定しないのです
科学の発展で 人類が繁栄するとは言いません
そこの宗教が必要である事は 一致した意見です

宗教と科学は共存しないと
人類は滅びます

ホーキンスは
神と宇宙について
物理学理論を前提にすれば
宇宙の創造者を考える事は余分であるが
宇宙を生み出した 物理法則に
カク教授の言う「神の御心」や
シャーフ教授の「極小端子に居住するエイリアン」
と同じものを見ている

アインシュタインは
宗教無き科学を否定します


生命科学者の多くは
ありのままを受け入れるしかない
何らかの手が加わった
等 言います


量子論等では 化学の因果の法則が
当てはまらないのです

物理学の最大の問題
空間が分かれば すべてが分かる
仏教でも
空が分かれば 仏です

ごく小物質に神がいる とまで言います

物理者は もし この世を神が作ったならが
と言う前提の元  神の数式を 追い求めています

現在の 量子論 呟理論 宗教と 交差します

長くなるので そろそろおまりますが

人の心の違いは
哲学 宗教心によります

皆 大量の情報を取り入れます
哲学 宗教がないと 又偏った哲学を持つと
好き嫌い 損得のみで判断する人間になります

何の論理的裏付けのない
占い 霊 奇跡 気孔 等は論外

正しい哲学や宗教心があると
そこに理性が 正義が 道理が働きます

 トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
     知ることが決してできないからである
第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています


ここまで読んでくれたら 感謝します


仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm


法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
    • good
    • 0
この回答へのお礼

最後まで読むのは読みました、が主旨としては
信仰者として死後の自意識の継続は信仰の前提としてあるのかどうか、その点も教えていただけないでしょうか?

宗教の「役割」や「科学的」なものをここで論じるつもりはありません。

個人的な立場としては科学で証明されないから「ない」などとは全く思いません。そして現時点では宗教を科学することは困難であろうと思います。所詮科学なんていうのは、知識や技術の体系化であって、今だ証明されていないものは「不明」というしかなく、結局のところ分かってないことの方が多いでしょうから。

それはさておき、信仰者の気持ちとして、まずは自意識の継続というのは暗黙的にあるかどうか、そこをまず信じられておられるのか、それともまったく違う由来があるのか是非教えてほしいです。

お礼日時:2017/08/14 21:38

No4です。


多分、 中間位? に近いかな。
当時、田舎に実家がありましたので、子供(孫)を連れて盆と正月には実家に帰っていました。
墓参りもあれば、お寺のお坊さんもいつも通り来てくれる感じです。

数年前、実家をほどいて、お墓もこちらへ引っ越ししました。
実家の仏壇とお墓を壊す時には、やはりお経をあげてもらいましたし
新しいお墓に、遺骨を入れる時もお経をあげていただきました。
小さな仏壇を購入しましたが、特にお坊さんには来てもらってはいません。
田舎のお坊さんに相談して、仏壇の置き場など決めました。仏壇はネットで購入しました。
家を建てた時には、近くの神社から神主さんに来てもらい、お札をいただき、壁の上の所に置いてあります。

意外と仏教も神道も勉強してみると面白いですよ。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/butuzou3.htm
http://buddha-osie.com/index.html
日本神話の神様
http://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/37c1bd19b24c …

>個人的には日本の法律にも宗教的観念は・・・
現在の日本憲法は戦後のGHQ指導の元に出来ています。
先進国では全て、人を殺せば殺人罪、盗みをすれば窃盗罪です。
宗教と云うより社会秩序の維持が根底にあります。
その中で、宗教の自由が認められています。

日本の法律は、日本国民の生活を良くするためで、日本国内で、罰則もあります。
日本の宗教も、人の幸福を願いますが、罰則はなく、国境もありません。
目標は、同じですから    
日本の法律 と 宗教的観念 一致する部分が多いだけです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

少しでも信仰心があるのでしたらぜひ1に対するご回答をいただけないでしょうか。

明確に「死後の自意識の継続」が前提である。前提でない。いまだどなたからも回答いただけていないと思っています。

お礼日時:2017/08/14 21:32

んー、信仰する人の気持ちを答えたんですけどね

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.信仰とは「死後の自意識の継続」が暗黙的に前提となっているのか、お答えいただけないでしょうか。

お礼日時:2017/08/14 13:46

>世界では宗教を信仰する人々の方が圧倒的に多く、そして宗教観念はその生活圏における常識(もちろん法律にも)にも影響する・・・


その通りですね、イスラム教やヒンズー教などは戒律が厳しいですよね。
仏教でもチベット仏教などは生活の一部になっています。
所が、日本ではかなり緩いです。
多くは、お盆にはお墓参りをして、ご先祖様を供養する程度でしょう。
このサイトを呼んでいる普通の日本人とイスラムの方とは大きく違うでしょうね。
爆弾背負って教会に突っ込み死ぬ方は、本当に死後はアラーの神の元へ行けると信じているでしょう。
さて
何年も前ですが、実家でお盆にお経をあげてもらってお坊さんと色々と話をしたことを思い出しました。
仏教大学出身の若お坊さんで私より年下です。気さくに話が出来る仲になりました。
そのお坊さんに天国や地獄の話をしました。
答え
お寺のお坊さんが「天国も地獄もない」と答える事は絶対にない。 その通りでしょうね。
・たまたま良いことに恵まれる、九死に一生を得るなど、良いことがあれば、神様のおかげです
 逆に、不幸が続いたり、間が悪い事故にあったりすると、悪魔のせい、生き地獄だ。と思うでしょう。
・自分の過去と現在を一番していいるのは自分自身ですが、未来や将来は自分でもわからないので不安です。
・誰もが、今よりは幸せでいたいと幸福を願います。
・天国に見たいな世界を想像しています。地獄みたいな未来を希望する人はいないでしょう。
なので、天国は良い所、地獄は怖いと話をすれば、誰でも納得するそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。個人的には日本の法律にも宗教的観念は入っていると思います。
個人的には「集団で生活したいなら人を殺すな、だってお前は殺されたくないだろう?だから殺人は罪とする」というような集団生活における社会性にそって策定されているものが多いように思えます。

しかしその社会性は「常識」を体系化したものであり、その常識は何によって醸成されたのか?そこに宗教観念が入っていないとは思えません。

さておき、 hallo-2007様はお盆にお経をあげてもらったとありましたが、それは信仰者としてしてもらったということでしょうか?それとも敢えて悪い言い方をすれば見栄、世間の目(社会性)の維持のためにされたのでしょうか?

もし信仰者としてお盆にお経をあげてもらったのでしたら、1。「死後の自意識が継続...」に対してご回答いただけると幸いです。

お礼日時:2017/08/14 13:07

1.宗教を信仰してる人はですね、天国だとか地獄だとか、


そんなことの前提として、まずは死後の自意識が
継続することありきなんですか?
  ↑
天国地獄を解かない宗教もありますよ。
日本の神道などには天国、地獄はありません。
黄泉の国があるだけです。

天国、地獄がある宗教ですが、
信仰にも濃淡、程度がありますので一概には言えませんが
一般にはありきです。
おかしい、と薄々感じている人もいるでしょうが。
だから、自爆テロなども出来る訳です。
聖戦で死ねば天国に行けるそうです。

どうしてこんな不合理な心理状態になれるのか。
人間は、望むモノを信じる、信じたい、という
願望があるのです。
天国にしても、あればいいな。
いや、きっと有る似違いない。
あるんだ!
となるのです。

そこには、今までピンピンしていた人が
タダの物質になることに対する心理的抵抗が
あるわけです。





2.あと適当に見る限り天国ってのは何でも満たされて、
50年100年の人生ならいいでしょうけど、ずっとそれじゃ。
真綿で首を絞められるように思考力を奪われて退屈すぎて
どうにもならないという最高の地獄にみえちゃうんですけど、
みんな天国(相当)のとこにいきたいんですか?
   ↑
そういう理屈で考えたら、そもそも宗教など
不合理極まりなく、成り立ちません。
理屈抜きで信じろ、というのが信仰です。
だから仏教でも、他力本願を主張するのです。
考えるな。
ただただ、仏の教え通りに生きろ、という具合です。

イスラムでは、聖戦で死ねば、天国で六人の処女に囲まれた
生活が出来るそうです。
女性はどうするんですかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.この質問は「死後の自意識の継続」という前提条件がまずはあるのか。という意味でした。
天国、黄泉の国、異世界、転生、なんでもよく、それを信じないことには始まらない気がしています。

2.理解より納得することが大事ということでしょうか?

お礼日時:2017/08/14 10:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!