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もらった回答の中にあったうたです。

どういう意味でしょう?

わたしが分からない〔と あとで思った〕のは 《燈(ともしび)》は
誰に対しても 《向かう》ようなことはないはずだ という点です。

比喩として採っても どういう意味でしょう?

おしえて! ぐー。

A 回答 (3件)

"己がまにまに"と云っているので、たぶん「道」を求めているわけではない、との意思表明かと思います。



ここでの"ともし火"とは「道」への入り口を指し示す明かり、と解釈できます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ "己がまにまに"と云っているので、たぶん「道」を求めている
わけではない、との意思表明かと思います。
☆ えっ? ん?

いや つまり 生き方を考えたり生きる道を求めたりすることとは 
無縁だ。ということですか?

論理的には あり得ましょうが そういうことを言わば座右の銘と
したりするでしょうか?



★ ここでの"ともし火"とは「道」への入り口を指し示す明かり、
と解釈できます。
☆ いや だって 求道の精神は無かったんですよね?

あっ そうか。道を求めるとも 求めないとも 言わない。いちい
ち考えない。言わば 無の境地だってことですかね?


いやぁ それにしても そういう意味合いのことをわざわざ分かり
づらい表現にして うたをつくりますかね?

でも ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/25 12:53

もらった回答、の内容が分からないので歌そのものの解釈をしてみました。

回答者は、どのような思いでこの歌を取り上げたのでしょう。歌の解釈が回答者とは違うのかも知れません。
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この回答へのお礼

次の回答です。

【Q:人知を超えた神なる《概念》〔と人びとは言う〕を ひ
とはその人知でこしらえたと言うのか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9893328.html?pg=1&i …
◆(回答№2) ~~~~~
人が操ることのできる言葉・概念は、窓枠の形と方向性のみ
でしょう。十字の窓、丸窓、鍵十字の窓、三角を二つ重ねた
様な星型の窓。。。

そうしてはめ込まれた様々な種類のガラスが、反射率や屈折
率の差異に応じハーフミラーとして、自らの姿をあたかも窓
の外の景色の様に重ね合わせる。。。

窓の向こう側に、言葉・概念の実態があるにしても、無いに
しても、人類が知的に共有可能なのは「言葉・概念」という
窓枠のみなのでは無いでしょうか?

窓から差し込んでくる光は、外からのともし火なのか、ある
いは自らの生命のともし火がハーフミラーに反射したものか
も知れない。。。

「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず
己がまにまに」(光厳院)
~~~~~~~~

☆ k-jinen さんというわたしの旧知の方です。
どうでしょうか。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/08/25 13:11

歌の解釈は№1のままでよいのではないかと思います。



"窓枠"議論をみて思う事。
こころと云うものは客観物を映す鏡なんだなぁ、という事です。
心があるから人はこの世界を認識しますが、その認識した世界を何の疑いもなく信じています。

でも心は鏡・印画紙のようなものと気付くと、飛躍しますがここでの回答者の意見が皆違ってくることに納得できます。

心は外界のものを映す鏡、なんですね。
我々が認識しそれを意識したものは、外界のものそのものをダイレクトに受け止めたのではなくて、自身の心(に映った映像)を見ているんですね。

仏道修行とはそうした己の心の曇りや歪みや汚れをなくそうという事なんでしょう。
そして限りなく客観物を正確に認知しようという行為なのだと思います。

k-jinenさんがこの歌をどのように解釈して取り上げたのかは、よく分かりません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ k-jinenさんがこの歌をどのように解釈して取り上げたのかは、
よく分かりません。
☆ 文脈としては 意味がかかわっていると思っていましたが《燈
火》が《向かう》という表現で 分からなくなりました。

ですから 同じく分からない状態です。一たん投稿が途絶えました
ので いまは そのまま(分からない状態のまま)です。


★ 歌の解釈は№1のままでよいのではないかと思います。
☆ そうですか。何となく しっくり来ないものですから こうや
って長引いています。



★ "窓枠"議論をみて思う事。
こころと云うものは客観物を映す鏡なんだなぁ、という事です。
☆ それは そうでしょうね。そして 自分自身も その心から・
または心を 相手に向けて発信します。=(あ)

《客観物》の――解釈をも経たものの――相互作用が 見られるで
しょうね。=(い)


★ 心があるから人はこの世界を認識しますが、その認識した世界
を何の疑いもなく信じています。
☆ 疑いを持つ場合もあるのではないかとは 思いますが。


★ 心は外界のものを映す鏡、なんですね。
我々が認識しそれを意識したものは、外界のものそのものをダイレ
クトに受け止めたのではなくて、自身の心(に映った映像)を見てい
るんですね。
☆ たぶん =(あ)+(い)。

★ 仏道修行とはそうした己の心の曇りや歪みや汚れをなくそうと
いう事なんでしょう。
そして限りなく客観物を正確に認知しようという行為なのだと思い
ます。
☆ ううーん。つまり 仏道に限りませんし 修行ですらないかも
分かりません。

つまり 世界を相手にして 《ものの見えたる》状態になることは 
人間なら 誰しもがつとめ励むことではないでしょうか。
(お言葉を返しましたが)。

お礼日時:2017/08/25 23:05

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