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表題のとおりです。

こたえは分かり切っているのですが それでも みなさんによる
確認が必要であるようです。

どうぞコメントを。

A 回答 (19件中1~10件)

No.18です。



「中身が無いと言うのなら あるような議論を示してください」
⇒あなたも恥を知らない人ですね。
まあ、負けたくなのでしょうが、いい年をして恥ずかしいことです。

私の考えは、ここまでの回答できちんと書いています。
それを理解できないのではなく、その通りだと認めたくないのでしょうね。
その負けたくないという思いは、幾つになっても子供なのですね。
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この回答へのお礼

神については どうでもよい。――こういう神論は 承知しています。

これで わたしの神論――についての疑問――が 負けたというのな
ら 仕方がないでしょう。

お礼日時:2017/09/04 22:27

「No.17です。



「☆☆ 【Q:これが 神の理論だ】https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9904929.html
⇒その中身は、あなたが勝手に書いているだけで、何の証明にもなりません。
あなたの身勝手な屁理屈ですね。
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この回答へのお礼

そういう物言いは 批判と言うにはあまりにも独り善がりです。

中身が無いと言うのなら あるような議論を示してください。

お礼日時:2017/09/04 16:08

No.16です。



「☆ でも 仏教やキリスト教などは 倫理や歴史でまなびます」
⇒何を頓珍漢な。
倫理や歴史では、単に仏教やキリスト教という宗教があるということを教えているだけです。
神が人知を超えた絶対的なもの、などとは教えていません。

「言葉で これこれは《人知が及ばない》と言えば そう成るとでも思っていますか? 《絶対なるもの》を いったいどうやってつくるのか? その前に中身すら 知り得ない」
⇒あなたがそう云っているだけで、中身は何もない。絶対絶対と念仏を唱えているだけですよ。

「☆ あなたが知らないだけですよ。《絶対》とは何か? というように みな言葉の定義から入らないと 話がかみ合いません」
⇒あなたも何も知らないのですよ。
知らないのに言っているだけです。
もちろん、かみ合いませんね。
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この回答へのお礼

▲ 【中1】歴史 世界の宗教のおこり 三大宗教、キリスト教・
イスラム教・仏教を学習!
http://e-clus.com/archives/4429
▲ 中学校社会 歴史/三大宗教の始まり
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6 …

★ 神が人知を超えた絶対的なもの、などとは教えていません。
☆ いづれまなびます。



☆☆ 【Q:これが 神の理論だ】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9904929.html

お礼日時:2017/09/04 00:03

No.15です。



「特定の宗教をふくむ場合があると言っていますが それももちろん学問の立ち場に立ち 普遍性ないし一般性をもとめて研究します」
⇒かなり違いますね。
宗教学が一般のためであれば、小学校から大学までの一般教養科目に組み入れます。
宗教学は、そういう位置づけではありません。あくまで宗教に興味がある人たちのための学問的考察ですよ。

「人知を超えたものを 人知がどうやって知り得て それをつくったと言うのでしょう。知らないものを どのようにつくるのか?」
⇒簡単なことですよ。人々が尊ぶように、人間が及ばない高貴なものとして、位置づけしただけです。
考え出した人間達がそう決めただけです。
そんな難しいことではありません。

「あるいは人間が神のことを好きだと言おうと この悪魔め ほろびろとののしろうが 神は痛痒を感じません。絶対だからです」
⇒あなたが、そのように絶対だと決めているだけです。
まあ、あなたがそう決めているのも個人の自由なので、一般の人たちにとっては何も問題はありませんけどね。
神に興味がない人にとっては、その高貴さを知らなくても何も困らず、問題もないのです。
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この回答へのお礼

★ 宗教学が一般のためであれば、小学校から大学までの一般
教養科目に組み入れます。
宗教学は、そういう位置づけではありません。あくまで宗教に
興味がある人たちのための学問的考察ですよ。
☆ でも 仏教やキリスト教などは 倫理や歴史でまなびます。

その場合も 一般性をもった学問としての内容をまなびます。


★ 人間が及ばない高貴なものとして、位置づけした
☆ ということは 昔の話などで 貴賤がまだあったころ 高
貴な人の着る衣服を着れば 《人間の及ばないものとしての位
置づけ》が成った・・・ということなんですかね。

何度も言っているように 中身が経験事象であるならば 人知
が及んでいるのですから その知り得た内容というものがあり
ます。

《人知のおよばないもの・人知を超えたもの》の中身をいった
いどうやって知り得るのか? です。

言葉で これこれは《人知が及ばない》と言えば そう成ると
でも思っていますか? 《絶対なるもの》を いったいどうや
ってつくるのか? その前に中身すら 知り得ない。


☆☆ 「あるいは人間が神のことを好きだと言おうと この悪
魔め ほろびろとののしろうが 神は痛痒を感じません。絶対
だからです」
★ ⇒あなたが、そのように絶対だと決めているだけです。
☆ あなたが知らないだけですよ。《絶対》とは何か? とい
うように みな言葉の定義から入らないと 話がかみ合いませ
ん。

お礼日時:2017/09/03 23:10

No.14です。



「宗教学は 宗教・宗派の立ち場には立たず あくまで第三者の一般の視点で研究してその成果を明らかにしています」
⇒違いますよ。
宗教学は一般の視点ではありません。
宗教学は、宗教に興味がない人を対象にしてはいないのです。
あくまで宗教に興味がある人たちのための学問的考察ですよ。

「☆ わたしが提起しているのではなく わたしは提起を受けて批判すべきを批判しています」
⇒これも苦しい言い訳ですよ。
あなたは”神は人知を超えたもの”と主張しています。
これに対して、それは人間が勝手にそうのように定義していると、反論しているのです。

そもそも、人間が存在しなければ、神は存在しません。
何故ならば、人間が”神というもの”を作ったからです。
そちろん、あなたもその人間です。
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この回答へのお礼

★ 宗教学は一般の視点ではありません。・・・

▲ (ヰキぺ:宗教学) ~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99 …

(あ) もともとは神学の一部であったが独立し、キリスト教の神学
以外の分野を対象とするかたちで、民俗宗教から新宗教まで、幅広く
研究する学問分野である。
・・・
(い) ● 特定宗教の教義の研究を行う神学・教学・宗学、あるい
は宗教哲学とは区別される。●

(う) 広義の宗教学では、これらを含める場合もある。
~~~~~~~~~~~
☆ (い)が 一般的な内容説明です。

(う)は 特定の宗教をふくむ場合があると言っていますが それも
もちろん学問の立ち場に立ち 普遍性ないし一般性をもとめて研究し
ます。



★ あなたは”神は人知を超えたもの”と主張しています。
☆ 主張しているのではなく 学問にもとづき そういう定義が 一
般性を持つものとして提出されているので 活用しているだけです。




人知を超えたものを 人知がどうやって知り得て それをつくったと
言うのでしょう。

知らないものを どのようにつくるのか?

苦しみをやわらげるものであるなら 人知のおよぶものです。ですか
ら そういう神は おもちゃの神であり ほんとうの神ではありませ
ん。

★ 人間が存在しなければ、神は存在しません。
☆ いいえ。人間がどうなろうと 神に変わりはありません。

あるいは人間が神のことを好きだと言おうと この悪魔め ほろびろ
とののしろうが 神は痛痒を感じません。

絶対だからです。

お礼日時:2017/09/03 21:40

No.13です。



あなたは社会常識がない人ですね。

ウィキや辞書に書かれている
”一般に絶対的、超越的な存在とされる”や”人間を超えた力と考えられていて、高度な宗教では超越的な力を有する人格的存在とされることが一般的”などと書かれているのは

あくまで、「宗教信仰の対象」としてです。

つまり、宗教人の人たちの認識なのであって、一般人には関係のないことなのですよ。

よく読んで理解してくださいね。
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この回答へのお礼

▲ 高度な宗教では超越的な力を有する人格的存在
☆ これは 一般性の例に挙げていません。

▲(ヰキぺ:神) ~~~~~~
1. ブリタニカ百科事典では「宗教信仰の対象。」と説明されている。

2. そして、一般に絶対的、超越的な存在とされる、と指摘。

3. ・・・

4. 広辞苑の第六版では6項目に分けて説明しており、
ひとつめは「人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以って
はかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。」
を挙げている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ (2)が たしかに(1)の「宗教信仰の対象。」という規定の中で
《一般に》と言われている・・・と読めないことはないですね。

ただし たとえそうであっても (1)の《宗教信仰の対象》という規定
は 一般人の立ち場から認識し言っています。

たとえば宗教学がそう定義することもあります。宗教学は 宗教・宗派の
立ち場には立たず あくまで第三者の一般の視点で研究してその成果を明
らかにしています。



(4)は 宗教から離れて しかも宗教のオシヘなどを考慮に入れて 研
究者ないし辞書編集者たる第三者の立ち場から 述べています。

宗教信仰の中に位置づけられることと それでもその位置づけを学問はそ
の普遍性ないし一般性の立ち場から捉えて 一般向けの定義をすることと
これらふたつの事柄は 別です。

もしこれらの辞書の定義が 宗教に片寄っていてそこに取り込まれている
としか見ないとすれば この《神》という項目は ほとんどぜんぶ削除さ
れても仕方がないことになります。






それにしても このような問題を提起しているのは あなた方のほうです。
すなわち:
☆☆ ~~~~~~~~~~~~
(あ) 《神は概念であり 人間がつくったものだ》
そして
(い) 《神は死んだ》

このふたつの命題を提出するのは 《神はどうでもよい》派です。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ わたしが提起しているのではなく わたしは提起を受けて批判すべき
を批判しています。


つまり 《神には関係ない》派も 神について議論をおこなっています。
第三者としてではないのですか? 辞書の立ち場も同じです。

お礼日時:2017/09/03 19:00

No.12です。



お礼コメント最後の
「だから 辞書に一般性として載せてあります」
⇒”神は人知を超えるという見方が一般性を持つ”ということは辞書には載っていませんよ。
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この回答へのお礼

▲ (ヰキぺ:神) ~~~~~
1. ブリタニカ百科事典では「宗教信仰の対象。」と説明されている。

2. そして、一般に絶対的、超越的な存在とされる、と指摘。
~~~~~
☆ この(2)の記述は 宗教から離れた一般の立ち場です。


《宗教から離れ しかも広く宗教をもふくめた一般の立ち場》と言った
ほうがよいでしょうね。

お礼日時:2017/09/03 17:24

No.11です。



お礼コメント最後の
「そのほかに 神は人知を超えるという見方が 一般性を持つと知るべきでしょう」
⇒”神は人知を超えるという見方が一般性を持つ”ということをあなたが勝手に云っているだけですよ。
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この回答へのお礼

だから 辞書に一般性として載せてあります。

あなたのほうが 独り善がりです。

その辞書の記述を 無視するんですから。

お礼日時:2017/09/03 16:29

No.9です。



「☆ まづ辞書一般の記述にもとづくことは 《自分勝手に思っているだけ》なのではありません。辞書の定義が 一般性を持つとは言えそうです」
⇒まったく違います。
辞書はその言葉の意味を書いてあるだけです。
つまり、宗教上はそのような意味で使っている、というだけの一般性ですよ。
いいですか、宗教上だけです。
その意味は、宗教に入っていない人には関係ないのです。

「けっきょく問題は  gouzig さんご自身が 神についてどう捉えているかを明らかにすれば済むことだとも見られます」
⇒もちろん、最初からそうなのですよ。

「自分勝手ではない定義をのべてください」
⇒毎回書いていますよ。
神は人間が考え出したのです。
人間が生きていく中での苦楽を和らげるために神というものを考え出したのです。
それは、苦楽に満ちた人々を和らげ、心を穏やかにするためなのです。

そして、心を穏やかにできれば、その人は幸せなのです。
それでいいのです。

そこは否定していません。

もちろん、神に助けを求めなくてもいい人たちもいるのです。
苦楽は、全て自分の中で解決しているからです。

神も宗教も、自分で解決できない人々を救うために考え出したものです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 辞書一般の記述にもとづくことは 《自分勝手に思っているだけ》
なのではありません。辞書の定義が 一般性を持つとは言えそうです
★⇒ まったく違います。
辞書はその言葉の意味を書いてあるだけです。
▲ (ヰキぺ:神) ~~~~~
1. ブリタニカ百科事典では「宗教信仰の対象。」と説明されている。

2. そして、一般に絶対的、超越的な存在とされる、と指摘。
~~~~~
☆ この(2)の記述は 宗教から離れた一般の立ち場です。


☆☆ けっきょく問題は  gouzig さんご自身が 神についてどう捉えて
いるかを明らかにすれば済むことだとも見られます
★⇒ もちろん、最初からそうなのですよ。
☆ ですから その見解を 定義から始めて どうぞ。

☆☆ 自分勝手ではない定義をのべてください
★ ⇒毎回書いていますよ。
神は人間が考え出したのです。
☆ 人間の能力を超えたところの何かを 人間がどうやって考え出したの
ですか? という問いです。概念の想像や思考ではなく その中身をどう
つくったか? です。

知らないものをどう作ったか? です。


★ 人間が生きていく中での苦楽を和らげるために神というものを考え出
したのです。
☆ そういう場合ないしそういう種類の神は あるかも知れません。

ただし だったら《苦を和らげる》という経験事象としての中身がそこに
はあります。経験事象ゆえに 人間が――概念操作として――つくり得た
わけです。

《人知を超えた神》については 当てはまりません。
つまり:
★ それは、苦楽に満ちた人々を和らげ、心を穏やかにするためなのです。
☆ というように《概念だけでつくった神》は その効果が発揮される場
合もあれば されない場合もある。

つまりは 気の持ちようだというようなからくりなのでしょう。それは
おもちゃの神です。


★ 神も宗教も、自分で解決できない人々を救うために考え出したもので
す。
☆ 考え出したのが 別の人だったとしても そういう神をつくったのな
ら やはり人間のチカラでは解決できない問題を 人間が神をつくったと
いう人間のチカラで解決したことになります。

そのほかに 神は人知を超えるという見方が 一般性を持つと知るべきで
しょう。

お礼日時:2017/09/03 14:43

自分が知る何かに置き換えて満足するでしょうね。


神とか悪魔とか障害者とか怠け者とか天才とか。

それが自分を脅かす恐れがあるなら殺したり排除するでしょうね。
「阿呆質問です:人知を超えたものを人は知り」の回答画像10
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

自分自身をもふくめて 人間のしわざでありかつそこに原因もある
という場合――つまり いわゆる人災であるような場合―― 世の
中や政府の所為にする見方を通り過ぎるなら だいたい 神の所為
にするでしょうね。

また じっさい神の所為にして コノヤローと神に向かって怒るの
も よいはずです。(神は 受け留めてくれましょう 一般的に言
って)。

ただし だから神を殺したのだと言うのは 文学的表現の話であっ
て 哲学には通用しません。

という問題だと考えます。

お礼日時:2017/09/03 11:47

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