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通りすがりの旅芸人に、家を売って薔薇を贈った人はいないと思いますが、
この歌は世界中で愛され、日本でも多くの歌手が歌っていて、どれだけの人
の心を潤したか知れないと思います。

さんざん尽くして、捨てられてしまっては不幸ですが、(つまり、依存的な愛
は危険ですが)子供は親の愛で一人の人間になりえます。
会社も国家も「自分が所属するもの」という思いからの愛によって成り立ち、
発展するものでしょう。
日本が、この二十年で先進国の中で唯一経済が発展していない国なのは、愛を
捨てたからではないでしょうか?

愛が枯れればあらゆる芸術が陳腐なものになるでしょう。
追いかける価値に普遍性がないほどに社会は発展しない、というのは道理だと
思います。

愛が燃え上がることを「惚れる」と言うと思います。

この「惚れる」という心が枯れようとしていると思うのですが、それは何故で
しょうか?

「惚れる」の質問画像

質問者からの補足コメント



  • 素敵な動画を見つけましたので、貼っておきます。

      補足日時:2017/09/21 07:54


  • あまりにも素敵な歌声なので、男の子の表情があまりにも愛らしいので…

      補足日時:2017/09/22 08:50

A 回答 (18件中11~18件)

それにしてもまた部屋に虫が出て、しかも死んだ虫。


ですから、「もう二度と、私の部屋に虫は出ない」
気休めでも書いておきます。
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調べていて、天使とか出てきたので、さらにブラックジャックで思ったのですが、


天使が釣りをしていると、京都大学の学生が出現するのでしょうか?
わざわざ過疎だとかいって。
そうだとすると、成人向け漫画家のルシオの天使の羽といい、似ていませんか?
京都のレトロなカレー屋は無人島に出展していたようですし、
サイエンスライターやアンデス山中は京都だし、
嫌な人がどんどん、京都に関係しているのですが。
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簡潔にお答えしてみます。

時間があまりないので箇条書きで許してください。

・まずは昔からあった話だと思いますが、愛しているということが発覚するということは、弱みを握られるということでもあります。相手に付け入られることはあるでしょう。また周囲にも「こいつを攻撃してやれ」ということになると、恋人をこぞって攻撃し始めます。だから秘めて隠していることが多いわけですね。

・しかし今日の社会は愛する権利というものがあるようです。相手がOKだと言っており、周囲もOKと祝福している場合です。これがないと、ストーカーだということになったり、押し付けだとなったり、変質者ということになったりするわけです。

・おそらくバラを全部買った若者は、おかしいということになるでしょう。窓から窓を覗き込んで、恋人を探すのもご法度でしょう。ここら辺が異常なくらいに厳しくなった社会だと思います。例えば職業を通じて知り合った人に求愛したら、当人同士が合意していても、個人情報違反になるわけです。昔のアメリカの映画みたいなラブ・ストーリーはまず職務規定違反になるでしょう。

・さらに社会がグローバル化した結果、その場にいる「あなた」でなくても、よくなったのです。携帯で簡単に繋がれる「誰か」でよくなってしまったのです。目の前に家族がいても、恋人がいても、携帯をそれぞれいじっているのが都会のデートの風景です。その時、その時で都合のいい誰かのところに行って、自分が心地よい話をする。こういうナルシシズムが肥大化した社会では、他人のために尽くそうという発想が育つはずはありません。

たぶん将来の社会では、惚れるという言葉は、死語になって行くのでしょう。ちょっと残念な気もしますが。
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この回答へのお礼

骰子さんは私とは生まれ育った時代が違うので、時代の「放射能」を私より
はるかに大量に吸い込んでいるし、それに対する「抗体」もできているのだ
ろうと思います。

時間があるときにまたゆっくり話すために、思ったことを書いておきます。

私は私の生まれ育った時代に惚れ込んでいます。
また、幼いころに知った正義の男たちの生き方に惚れ込んでいます。

この「惚れこむ」ということはある意味厄介で、殺されても引っ込むもので
はないのです。
私が最も大切にしている私だけのものです。

でも、その心が暴走しないように知性を磨くべきだと思います。
心の共有は難しいですね。
だから、まずは知性の共有をしたいと思う。

カントは結局こういうことを言いたいのかなあ?

お礼日時:2017/09/22 09:17

日本人の家族観が、戦後の戦勝国の教育によって破壊され、核家族化、個人至上主義になってしまったことによるという見方もあるかと思います。


個人を尊重したいのは私もやまやまなのですが、自分のルーツや共同体の意識が希薄になると、全体としての動きにキレやダイナミズムが無くなります。
それが、戦後教育の狙いだったという説を聞いたことがあります。この説には賛否両論あるでしょうが。
ところで私は最近、ふと、次のように思うことがあります。
天の祖父から今の私の振る舞いや日常の暮らしを見たならば、どんな風に映るだろうかと。
すると、意識がいつもの自分の視点から第三者的な視点へと移り、自分の有様を客観的に見ることができます。
そして、あぁ、恥ずかしいなぁと、思ったりするわけです。
祖父母や先祖に顔向けできる、納得できる、ひいては自分自身恥ずかしくないような生き方をしなきゃなあと、しみじみ思うわけです。

さて、失われた自分のルーツや共同体意識は復活するか?という話ですが、私は復活すると思います。特にルーツと言うものは潜勢力とも言えるもので、表面に現れて居なくとも奥静かに存在しており、何かの拍子に人々の意識に湧き出てくるものだと思うのです。
そして、ルーツが甦れば、共同体の意識も必然的に再生され、日本人としてのまとまりも再び生まれるのだと。
そうして、自らの民族が安定すれば、他民族に対する尊重や友愛の気持ちも生まれ、世界が全体として調和するのではないかと。
もちろんこれだけでは希望に過ぎませんが、ルーツや共同体意識と言うのは然程に断ち切り難いものだと思われます。
根(ルーツ)があっての花(個人)であり、ルーツ無くしては個人は咲き得ず、究極的には人としてのルーツを見出すことが、個人としての生き方の最終目的地になると思ったりもします。

金儲けばかり考えて人の幸せを無視するような考えは、奴隷根性を植え付けられたのでそうなってしまったんだとも思います。
何者かの奴隷ではなく、人の子孫であり、その尊厳を持って生きて行こうというのが一つの理想かと。
人とは何かという深遠なテーマに通じる問いかと思います。
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この回答へのお礼

戦時中アメリカは早くから勝利を確信し、日本に対する植民地政策のため、日本の
地理、産業、文化等万般にわたり時間をかけて研究をしていたといいます。

その時に日本の指導層は竹槍を持って「一億玉砕」だなどと叫んでいたわけです。
アメリカの指導層との知性の違いは歴然としていたと思います。
また、その知性の低さはいまだに引き継がれているのではないでしょうか?

アメリカの教育制度を日本にそのまま移植してしまったことが大きな誤りであった
ことは、マッカーサーにも読み切れなかったことでもありましょうし、日本の教育
担当者にも全く手に負えないことだったと言えるのでしょう。

>先祖に顔向けできる

久しぶりで聞いた言葉です(笑)。
しかしここには先祖を神とする日本の文化の名残を見ることができるでしょう。
戦時中は天皇家の氏神ともいえる「天照大神」に対する信仰心が当時の指導層によ
って侵略戦争に結び付けられてしまった、と言えるのではないでしょうか?
ここには、ユダヤの一神教の最大の弊害と言えるものが存在すると思います。つま
り、他の神と対立するということです。

「惚れる」ということは、「信じる」ということでもあるし「自分を捧げてもいい
よ」ということにもなると思います。
つまり、広義の「信仰」になるのではないかと思います。

しかし、この「惚れる」「信ずる」という心があまりにも踏みにじられてきたので
人々はこれを捨て、宗教、哲学というものが否定されていったのだと思います。

>失われた自分のルーツや共同体意識は復活するか?という話ですが、私は復活すると思います

私もそう思います。しかし、そのためには、人間が人間を信じられるようにならね
ばならないと思います。
そうなるにはどうしたらいいのか?そこに賢人たちの知恵が結集されるべきでしょう。

お礼日時:2017/09/22 08:25

木造一軒家は違う、ということになってしまうのよね。


パターンから考えると。
だからといって、マンションなのか?という話になるのだけれど。
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家の話がわからないのです。


木造さんがいるということは、反対の鉄筋コンウリートとか
そういうことなのでしょうけれど、

いろいろと冗談ではない話になりそうで、嫌です。
ちなみに、私が就職活動をしていた頃、住宅販売会社の集団説明会に参加して、
いろいろと思うことがあって、仏教の勉強を通信大学でしたのだった。

仏教の勉強は、やめておけば良かったとおもいます。
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アイドルを応援するために1千枚のCDを買った若者ならたくさんいますが。


彼らの多くは、尽くす事の喜び、他のファンよりも役に立った満足感が目的です。
愛があれば経済発展するなどという事はありません。
経済発展=過剰な経済競争は、愛を見失わせます。
日本の高度経済成長は、まさに日本の伝統文化に根差した家族的経営が破壊され、
雇用の流動化や能力給による拝金主義、貧富の格差の悪化した時代です。
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この回答へのお礼

愛が経済発展の主たる要因とは言いませんし、経済発展すればいいなどとも
思っていません。

また、GDPの数値が上がったとしても、一般大衆に回る金が少なければ豊か
な国とは思いません。

しかし、バブル崩壊後現在に至るまでの体たらく、そして、20年後の大没落
を予想したときに、その要因は何かと考えれば、「他人に対する愛を捨てた
自分さえよければいいという”手柄主義"」とは言えないでしょうか?

>アイドルを応援するために1千枚のCDを買った若者

これこそ依存的愛、つまり、女性が嫌う「オタク的愛」の持ち主ですね。こ
ういう存在を煽り、またこれに依存する経済を主導するものこそ「エコノミ
ック・アニマル」と呼ぶに相応しいと思います。

一人の人間ということだけでなく、社会というものがいったいどうあるべき
ものなのかという模索はあるものの、どんなまとまりがついてゆくのかは、
全く悲観的にならざるをえないので、我が微力を尽くす以外にないと思いま
す。

これが、私の「愛」です。

お礼日時:2017/09/22 07:19

David_Rossiさん、いい質問ですね~。



「日本が、この二十年で先進国の中で唯一経済が発展していない国なのは、愛を捨てたからではないでしょうか?」
⇒そうかもしれませんね。

別な言い方をすると、バブル経済の頃の日本には、すでに愛はなかったのではないでしょうか。

戦後の昭和30年代の高度経済成長、40年代~50年代の安定成長、そして60年代までのバブル経済とその崩壊。
この中に、私もいました。

皆が貧しかった戦後からの復活、各家庭には愛と幸せがありました。
そして、戦後の日本経済を牽引した松下幸之助、土光敏夫、 井深大、 盛田昭夫、本田宗一郎といった経済人にも愛がありました。

しかし、1980年後半以降の日本の経済人は、愛のないエコノミック・アニマルでしたね。
金と権力にまみれた連中が多かったと思います。

彼らが日本をダメにしたのです。
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この回答へのお礼

「日本人は、調子が悪いとすぐ卑屈になり、調子がいいとすぐ慢心を起こす」
と言った人がいますが、その通りだと思います。

私が見てきたのは、小さな会社で役職が上がった途端に傲然とするような小物
ばかりでしたが、gouzigさんはA級戦犯達を目の当たりにしてきたのだと思い
ます。

幕末から明治にかけて我が国には「人材」が多く輩出され、それが300年の鎖
国に後に短期間で経済大国に変化できた要因だと思います。

仰るように、松下幸之助、本田宗一郎などの一流の人間たちには深い思想・
理念があったと思いますが、金と権力に酔った二流・三流の人間たちが日本の
文化を低俗なものにしてしまったと思います。

バブル崩壊後においては、それが一般大衆の中に深く浸透してしまった感があ
ります。

日本は間違いなく大没落します。近い将来日本人がそれを反省できるようにし
たい、というのが私の目標の一つでもあります。

お礼日時:2017/09/22 06:45

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