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神とは、宗教とは、信仰とは?

ここ最近、自宅近くで新興宗教の事務所と思わしき物が増えてきて、ついこの間、友人との待ち合わせ中に勧誘をされ、酷く不快な気分にさせられました。

そしてふと彼らの言う神や信仰に疑問を持ち始めました、神とは?宗教とは?信仰とは?

調べれば調べるほどに宗教が人へともたらした光の部分と闇の部分に私は何とも言えない気分になってしまいました。

神を信じることによって精神的苦痛から救われた人間、宗教によって生きる希望を見出だした人間。

その逆に

宗教によって身を滅ぼした人間、宗教によって家族を失った人間、そして宗教によって起きた戦争。

調べる度に宗教が人の欲望によって作られた物なのではないかと言う考えが頭の隅を過り、私は最も古い神について調べてみました。

その多くは細分化されていましたが自然に対する信仰、自然信仰が大半を締めており特定の神も、信仰を強要することも無い、そして現代に残る宗教を改めて見たとき、ふと私は思いました。

神も宗教も信仰も、すべてに人の欲が絡んでいると。

宗教とは面白い物で信仰を金で買えるのだそうです、篤い信仰心が無くとも、金を積むことで神はその人間を救って下さるのだとか。

どれだけ篤い信仰を捧げる信徒が居ても、信心の無い金を積む信徒の方が偉く、そして救われるのだそうです。

古くからある宗教も現代になって数多く現れた新興宗教もやはり金がすべてなのでしょうか?

もう、多くを調べる内に分からなくなってしまいました、神とは、宗教とは、信仰とはなんですか?

どうか、私にそれを教えてください。

A 回答 (20件中1~10件)

いやーこれはテーマが大きすぎますね。

神と人間の問題。。一筋縄ではいきませんが回答を試みてみます。途中支離滅裂になるかもしれませんが、その節はご容赦下さい。さて、お説の通り、宗教は全て「欲」によって産み出されたのではないか?という疑念はごもっともとは思いますが、そう断じてしまうのはあまりにも哀しい、という感も否めません。ここで議論を進める上で「欲」について狭義の「欲」と広義の「欲」に区分したいと思います。前者はいわゆる「金儲け」的なもの、後者は人間の弱さからくる生理的根源的な「依存欲」です。
ふるくからの仏教キリスト教ユダヤ教などの宗教の創始者の行動原理は後者の広義の欲によるものだと思います。それが最近の新興宗教では、人々から富を搾取するシステムを作り上げてきたのが、大部分(きょうその思いに反して大きくなりすぎた教団の経済基盤を維持するため後に変容してしまだたものも含めて)と言えるかもしれません。
繰り返しになるかもしれませんが、各教祖は目の前に広がる人々の苦悩(生病老死等)を救いたいという純粋な心が動機としてあったであろうことは想像に難くありません。
あらためまして宗教がなぜできたか、といえば、人々が神を求めたからです。その際、自然豊かな日本をはじめとするアジアでは自分達を優しく包み生かしてくれている「自然」にその対象がも求め、お調べになった通り「自然神」が多数発生しました。一方見渡すかぎり荒野の広がる中東のイスラエルでは自らに似せて「神」を作り上げました。これがユダヤ、キリスト教ですね。その発生経緯から色濃く人的な性格を継承しているため様々な人と神との対話がその教義に散見されることになります。
さてそれでは人はなぜ神を求めるのでしょう?ここで、ロシアの文豪ドストエフスキーに登場いただきましょう。彼はその絶筆となった「カラマーゾフの兄弟」の前段の有名な「大審問官」という章で、キリスト教の本質を鋭く掘り下げています。私がここでぐたぐだ書くよりも是非ご一読いただけてばと思います。簡単に要約しますと「人間は常に弱いので、常に自分が跪ける対象を探している。しかもその対象は自分だけでなく、皆が一斉に跪ずく威厳を備えたものでなければならない。この「跪拝の統一性」ことが我々(カトリック教団)の秘密だ」といった内容だったと思います。以上正確である自信はないので、ぜひご一読下さい。以上失礼しました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

同じ自分の為の欲でもこれだけ違うのですね、自分の物欲を満たす為の「金儲け」、自分の心の弱さを隠す為の「依存欲」。

神と言う概念が産まれたのは人間の心が弱かったからなのでしょうか?

環境が神の存在を人にもたらし、人は目に見えぬ存在である神にすがりついた、目に見えない物であるから偉大で全能で人間を救う物であると思わずに居られなかった。

そしてその神を視覚化しようとしたのが各教祖なのですね、目に見えず、統一した信仰がなかった時代に神の言葉を語り、そして奇跡を起こして人々の信仰を纏め上げた。 

そして自らに神を似せて作ることで磐石な基盤を手に入れ、今の宗教へと続いた…こうして考えると神は各々の中に居るようにも感じますね。

誰に言われた訳でもない大昔から神と言う概念は存在し、それが最初は自然に対する物だったとしても確かに存在した、それを各教祖が纏め上げただけで確かに個人は神に近しいものを各々で感じていた様にも思えます。

貴方のお話を聞いてその「カラターゾフの兄弟」に興味が湧いて来ました、今度探してみますね。

貴重なご意見ありがとうございましたヽ(*´▽)ノ♪

お礼日時:2017/09/25 15:39

宗教で 人は幸せにもなれるし


     不幸にもななります

宗教で 国が繁栄もすれば
     国が滅ぶ事もあります

すばらしくもあり
恐ろしくもあります

・宗教は何でも良い
・人の宗教を批判するな

これ 大変な間違いです
宗教に無知 無学 無関心 の人が言う無責任な言葉です

だから エセ宗教が はびこるのです

宗教は 個人にとっても
国家にとっても
決定的な意味があります

信ずる と言う人間の意識は 
  我々の想像を遥かに超えた働きがあります

信から知恵が沸き 分からない事がわかるのです

その事が量子論で生命科学で 今 明らかになりつつあります

機会があれば 論じたいと思います

信ずるとは
 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage13.htm

日本の宗教だけを見ても  
千差万別で
大多数は 金も受けのいい加減な エセ宗教です

日本人の殆どが無宗教です

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ
無宗教の奴等 そのだらしなさは あきれる
内村鑑三は嘆いている事でしょう

すなわち 宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に騙されるのです

皆 大量の情報を取り入れます
哲学 宗教がないと 又偏った哲学 宗教を持つと
好き嫌い 損得 功績のみで判断する人間になります
判断の基準が道理 理性 義 不変性 でなければならないのです

ちなみに 宗教と哲学は 同じです

トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
 第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
 第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
     知ることが決してできないからである
 第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
 第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
 第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
 第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
 と言っています

キリスト教には当てはまらないかも

仏教 キリスト
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm

一口に宗教 哲学と言っても 千差万別
高い 低い 浅い 深い 間違った 邪悪なものまであります

私達が求めるのは
 高い 深い 正しい 結果の出る 宗教 哲学でなければなりません
それを見定める基準があるのです

人間を 強く 善く 賢く できるか できないか です 
論理的に正しいと思われても
どんなに深く解明し 知識を蓄えても
考えるだけの ただの学問としてだけの宗教 哲学など必要ありません
実践しない できない 結果の伴わない宗教哲学は空論にすぎません

それを探す事は大事な事ですが

低い 軽い 浅い いい加減な宗教は直ぐ信じるのです

人間を 強く 善く 賢く できる
深い 高い 最高邦の宗教は
ズバリ これだ と言っても
誰も信じないのです

プラトンのたとえ話に
生まれてから洞窟に捕らえられて 外の世界を知らない人に
青い空 緑の大地 の話しをしても 信じないのと同じです
   さあ おれを信じて 外の世界を見てみよう と言うと
洞窟の皆からバカにされ キチガイと言われ 迫害されるのです 
  
人は 先入観を捨てる事はできません
一歩 外に出れば すべてがわかるのですが

その一歩が 難しいのです
すなわち 
人間を 強く 善く 賢く できる宗教哲学は
「信」じて行動して  そして初めて分かるのです
 

人間の意識は無限の可能性を秘めている事が
量子論などで 語られています

意識は環境をも変えてしまいます

信ずる と言う意識は 分からない事が 分かるようになります
疑いは 簡単な事でもわからないのです

それは 信から 知恵が沸くからです

哲学と宗教と量子論は 交差しています


ちょっと ずれたかな



ごまん とある宗教を見定める基準があります
宗教は 幸福になる事が目的です 
宗教のため 教祖のため 神のためではありません

キリスト教作家で有名な 遠藤周作が
小説(沈黙)で 神は沈黙である事を証明しています

宗教を見定める簡単な基準を教えてあげて下さい
①人間を強くしますか 弱くしますか
②人間を善くしますか 悪くしますか
③人間を賢くしますか 愚かにしますか
です

又 
非科学的ではなのか(原因と結果を無視) 
不変妥当性はあるか(原始的な考え 占いとか 霊とか) 
道理に反していないか(理屈に合わない 反社会的)
金がかかり過ぎないか(書籍やお守り 仏像 等 高額で買わされる)
自由を束縛されないか(決まりが厳し過ぎる)

等 よく見定め 教えてあげましょう 



私達の故郷は地球 国籍は世界 人種は人間であると言う
宗教哲学を探しましょう 

ガンジーは 偉大な運動が経る五段階
「無関心 嘲笑 非難 抑圧 を突き抜けて 尊敬の段階に入る」
と言いました
プラトンの説から
無知な人々から 最もバカにされ キチガイと言われ 迫害された人が
乱れた世では 偉大な宗教を哲学を知っています
 ガンジーの言う「尊敬の段階に入る」のは200年先でしょう



法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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人は死んだら無になるんですよ。


天国も地獄もありません。
死んでも困りません。
そういう観えない部分で不安を煽る詐欺師集団なんです宗教は。
自分で困るって人は死んだら「ハーレムになる」と思ってください。
そうすれば死んでも薔薇色です(笑)

そもそもこの世の戦争は全部宗教戦争なんですよ。
宗教が無くなっても何も問題はない。

神は居ない。
神は作られた存在だ。
誰に?
そりゃ詐欺師共にだよ。
信仰させるために作られた悲しい存在が神なんだよ。
宗教は詐欺師の集まり。
信仰は信じさせること。
神は全知全能で間違いはない。
私は神の使いで代弁者だから私に従えとね(笑)
胡散臭さ一兆倍だな(嘲笑)

>神を信じることによって精神的苦痛から救われた人間、
宗教によって生きる希望を見出だした人間。

これはさ、神や宗教に救われたんじゃなくて、間違って生きてきたと勘違いしてる人間が
頼るものもなく路頭に迷ってる時に信じられたモノと錯覚して真面目に生きた結果
救われた、と思ってるだけに過ぎないから(笑)
真面目になったから回避できただけで普通の事だから。
さも神が起こした奇跡とかのたまう奴らがおかしいの(笑)

>どうか、私にそれを教えてください。

教えるもなにも答え出てるじゃん。
>友人との待ち合わせ中に勧誘をされ、酷く不快な気分にさせられました。
これが答えだよ。
酷く不快にさせることしか出来ない宗教であり神なんだよ。
あなたは賢いの。
宗教家なんてキチガイしか居ないから。
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お礼ありがとう。

是非「カラマーゾフの兄弟」を読んで、後日その感想を聞かせて下さい。因みに私も前回この回答を書いた後、久しぶりに急に読みたくなり、書店で新潮文庫から出版されている同書(原卓也訳 上巻840円)を買い求め、貪る様に読みました。やはり凄い内容で打ちのめされました。是非あなたも体験してみて下さい!
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お礼を有り難うございます。



日本の宗教事情ではなく、海外の新興宗教について問われていたのですか!?

殆どの回答者が学会を始めとする日本の事を自分の体験談を元に
書かれているので、てっきり神仏についてで良いのかなと思ってました。

イスラムのコーランは読んでいませんが、イスラム、ユダヤ、キリストは
3兄弟宗教だという事はご存知?

まず、ユダヤ教が現れ、そこからキリスト教へ。
さらに最後の予言者が現れ、それがイスラムへと繋がっています。
兄弟ですから聖地も皆、エルサレムに置かれています。

でも兄弟だからでしょうか、仲は悪いようです。
金が全てと思った事は私はないですが、お金ではなく、教会の壁画や
ステンドグラスを寄進する事はあったようです。
お金ではなく物で充当するので、仏教のお布施と良く似ていますね。

お金が無い者は無いなりに宗教と向き合えるのでは?

自爆テロを行なった若者はお金で請け負った訳ではないでしょ?
死ねば楽園に行けると言われて行動を起こしている訳ですから、
質問者様の金が全てというのはどうも違和感があります。

失礼しました。
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僕も親族がそれぞれ色んな宗教を信じている(あるいは生前信じていた)ので、互いが互いの教えを悪くいう場面を子供ながらに醜いなと感じておりました。



それに加えて父の職場の先輩が某新興宗教の熱烈な信者で、自分の期末試験の前日に教団の布教用ビデオを半強制的に見せに来たりして、非常に迷惑に感じたものです。

その結果、宗教は一人か同じ志の者同士でやればいいと思うようになりました。

宗教がお金で買えるのはある意味正しいと思います。'
仏教の戒名なら信女と大姉さらに清大姉では金額が全然違います。
男性なら信士、居士、大居士に当たりますね。
宗派や地域により金額が違いますが、信士、信女は20万~、大居士、清大姉だと50~100万程度になるようです。
あの世にもヒエラルキーを作ってどうかなと思います。

本物の宗教の見分け方は、第一印象だけではわかりにくいですし、教団もあえて最初から見せないように巧みにオブラートに包んでいます。
ただ、教団や教会に入った時の空気や信者(特に子供)の表情が不自然に感じられるならただちに去った方がいいです。
また、キリスト教系や異端に一部ある事ですが、収入の1割を必ず(!)献金しなくてはならない十一献金のある教会は避けた方が無難です。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます

やはり多くの方が新興宗教にあまり良い印象を抱いていないようですね、事実そう抱かれるだけの事をしているのですから仕方がないでしょうね(;´∀`)

お金を集めるためだけの為に新興宗教を興す方もいらっしゃるのが残念ですね、宗教に救われた人も居れば宗教に壊された人も居る、本当に残念なことです。

貴重なご意見ありがとうございましたヽ(*´▽)ノ♪

お礼日時:2017/09/26 02:01

人は死ぬと無になるのでなく、天国か地獄へ行きます。

地獄へ行って苦しみたくなければ、信仰を持つ必要があります。信仰のない人は不幸です。死んでからあわてないために大川隆法の本を読んでみてください。『死んでから困らない生き方』という本がわかりやすいです。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

信仰がない人は不幸ですか…では私は不幸なのでしょうか?

食事をするとき、眠るとき、本を読むとき、私は幸せを感じます、例えそれが当たり前の事だとしても私はその当たり前が幸せで仕方がない。

では貴方は何に幸せを感じますか?貴方の信仰する神へ祈りを捧げる瞬間ですか?

「地獄へ行って苦しみたくなければ」、あらゆる宗教において脅し文句とも取れる言葉は多く存在します、だからこそ私は分からない、自らを信仰しなければ災いや不幸が訪れる。

それは祟っていることと同じように私は感じるのです、仏は救い、神は祟る、そんな言葉がありますがどれも変わらない様に感じるのです。

死後の定義は人によってまちまちですが私は死後の世界は無いと思っています、死は終わりであり、それ以外の何でもない。

終わった物に先はなく、線路が途切れた列車がそれ以上動かないようにそれで後は何もない。

そう、私は考えて居ます。

貴重なご意見ありがとうございました

お礼日時:2017/09/26 01:57

「人を崇めている」というのは、その宗教を作ったからでしょう?



作った宗教家が崇めているのはほぼ100%仏教の教典に登場する
如来や菩薩様ですから、宗教の教義を知らずに安易に考えては
いけません。

確かに日光東照宮は家康を、太宰府天満宮は道真をという様に
人を崇めていますが彼ら単独ではなく、神や仏のご加護の上に
存在しています。

金が全てなのかという問いですが、空海が高野山を開いた時、
多くの僧が学びに山奥へ修行に来ていました。
その僧達が生きるために下界から金剛峰寺に食料を持ち運ぶ
必要があったわけですが、現代は流通事情が昔と違うため、
食料ではなくお金で賄うということです。
そのお金で修行僧の学費や食事は賄われているというわけです。
また、空海さんの為に毎日毎日お食事が今も作られています。
これらも皆さんの寄付金やお布施が使われるのです。
高野山に行ってビックリしたのは、親鸞上人のお墓や、全国の
大名のお墓、ソニーや松下電機をはじめ、数々の会社が不慮の事故
で亡くなった会社員を慰霊する供養塔が所狭しと建っているのを
この目で見たときです。
高野山金剛峰寺、是非一度行かれて下さい!

お金を積むという事の意味は不施行というものですが、そもそも
お金ではなくお米や野菜だったわけですね。
新興宗教の中には確かにカネカネという団体もあるでしょうが、
財務状況が厳しいんだなと思っていれば良いのではないでしょうか。

試しに、そう言われたら、お金の代わりにお米でどうかと聞いてみると
良いですよ。
ダメだと言われたら、お布施の意味が分かっていないと切り返して
やりましょう。

ただ、仏教会の中でも戒名や法名を故人に付ける時、お金の有無で
文字が違う場合が有るのは全ての宗派ではありませんが、確かに
有るようです。
ですが、これもお寺との係わりが彼岸、盆、正月等で密に有るか無いかで
違って来ます。

お寺との係わりが無い場合、お金をきっちりと請求されるようです。
まあ、当然と言えば当然の様な気がします。
普段は何の音沙汰も無く、亡くなったからと言って法戒名を頼まれても
故人の事が全く知らないわけですからお寺側も困惑するのは当然です。

こういった質問をされるという事は、お寺との係わりが無いのでしょうか?
お寺のご住職と宗教問答をやるのが一番良い方法だと思います。

お寺との係わりが無い場合、殆どの方が親が行なっていなからなのだそうです。
しかし、その上の代の祖父母で40%、さらに上の曾祖父母が80%はお寺に
係わっていたと当方の菩提寺住職さんが以前に仰っておられました。

私事で恐縮ですが、
四国八十八ヶ所の中の、とあるお寺でせっかく来たから参拝しようかと
思いお堂に近づいたところ、寺人から呼び止められ、
「あなたはお参りしなくて大丈夫よ」と言われました。
当初は何の事かさっぱり分らなかったのですが、
詳しい方に聞いたところ、お参りする必要がないのだそうです。
つまり、どなたかが守護して下さっているらしいです。
ですが、生活は楽では有りません。
どうやら金銭苦が私の修行らしいです。

バラバラな文面、
失礼しました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

私も書き方がかなり支離滅裂でしたね(;´∀`)

私が言いたかったのはキリスト教やイスラム教、その他の海外に存在する宗教や今も多く存在する新興宗教についての事でした。

仏教についてですが私個人としてはその大本、ブッダが人の生き方について説いた話の方に重きを置いています。

貴方はイスラムのコーランを読んで見たことがありますか?

アラーを崇めぬ異教徒は殺してしまえ、およそ神が述べた言葉とは思えない物が多く、その他の宗教についても異教徒に対する嫌悪は激しい物でした。

そしてそれが信者に対する独占欲の様にも私は感じたんです、元来神と姿形のない自然への尊敬や感謝、畏怖かは産まれたものでした。

ですが各宗教の教祖が自らに神を似せて作ることで神と言う概念を固定化し、信徒を増やした。

私はまだ仏教や密教、神道に対する知識は乏しいです、なのでこれからもう少し詳しく調べてみようと思います。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2017/09/25 16:03

私も学生時代(25年前)の頃ですが、不快になった経験があります。


友達との飲み会を私の地元でやるので駅前で待ち合わせをしていました。その時私はラグビーの練習で手を骨折しており三角巾で吊っていました。
すると信者Aが「貴方は今苦労をされている、手をかざして治せる方に合わせてあげる」とスタート。
最初は相手にせず無視していましたが、どこにいたのか信者B.C.Dとやってきて囲まれるようになりました。「負のエネルギーが凄い、特に右手」「これは家族に影響する、手をかざして幸せにしてあげる」などアレコレ言ってきたので、私は「そこのガード下にいるホームレスのおじちゃんを幸せな暮らしにするのが先だろ、そっちに行けば」と言いました。信者達は「あの人は若い頃に悪事をして今の姿がある。あれは神が与えた苦行だから、あの人の為」とか言いました。なので「じゃあ私も今の骨折による不自由も神が与えた苦行と受け止めて乗り越えるから手をかざす必要は無い」と言うと、更に信者E.F(どこに居たんだ?)が出てきた。何回も同じことを言ってくるのでイライラがMAXになり、「話を聞いてやるからついて来い」と信者Aを連れて駅前の派出所に行きました。論破するでもなく、手を振り解いて逃げて行きました。
あの信者達はいわゆる末端なのでしょう、お金を積まされているだけの人。不憫だな、と思います。
高校の同級生がSG会で選挙の度に電話してきますが、「飲み会の誘い電話に託けてその話を持ち出すなら行かないから」と言うと、次からはその話をしないようになりました。
本当に信仰とは何だろう、と思います。
長々と書いて失礼しました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

新興宗教とは如何に相手の心の不安につけ込むか、と言う詐欺にも似た手法を使うので厄介なのは間違いありません。

そして貴方の出会った信者も派出所へ行こうとした途端逃げ出したと言うことはそれがどんな行為であるかを理解していたと言う事でしょう。

自らの行いを理解してそれを続けて居る辺り、どうにも理解し難いですね、しかも複数人でのしつこう勧誘は恐喝罪などの刑法でも罰する事が出来るのでヘッドロックをかけてでも連れていくと良いと思います。

さて、信仰についてですがやはり信仰とは個人に許された自由であり、それを他人へと押し付ける物では無いと私は考えて居ます。

その方達もその新興宗教を信仰するのは自由です、ですがそれを他人へと無理矢理押し付け、あまつさえ警察へ行こうとして逃げ出すなど自らが間違った事をしていると告白しているような物です。

新興宗教では信仰をお金で買えるのだそうですから無理な勧誘などでネズミ講の様な事をしているのかも知れませんね(;´∀`)

貴重なご意見ありがとうございましたヽ(*´▽)ノ♪

お礼日時:2017/09/25 15:49

スミマセン教えるほどの知識も教養もありませんが



昔とある宗教団体支部のお偉いさんに
「おまえは、悪魔の申し子ダ!」と言われた身として思うことを書かして貰うと

個人的感想と思ったことです

全ての宗教とは、
いいませんが国内にあるほぼの宗教団体は、
神を奉っておらず
人間を崇めているにすぎないと思っているんですね

某宗教団体SG会とかT教×2
なんかは、顕著デスよね

あるT教で「おつるりとおなりよ」と言われたそうです
その人は、
私は、
欲深き人間だから欲(財産)を手放せとの教えなのだと
想い全てを寄付したら、困難が去ったそうです
凄いですね!巧妙というか
ある人は、あるもので
ない人は、肉体労働なんですよね!
しかも、お偉いさんの子供が勘違い鼻は灘しくない家庭の子供を苛めるんですよ
そして言う台詞が
「徳のある人間が徳のない人間の徳を積んであげている」だそうです。
んで、そこにのめり込んでいる母親は、
泣きながら?ありがたいと頭を下げてましたけどね
私には、理解不能でした。
ソレでも、私は、宗教事態は、否定しないんですよね
その人の心の支えであれば
でも、そうでは、なく大概が寄付とか強制勧誘(考え方の押しつけ)が多いような気がして嫌ですね

ソレと案外某有名人による勧誘ビデオなるものも存在していてSG会なんて
まあもう一昔前なんですが
私が観たのは、Mチャミが
力説しているものでしたよ

気持ちの寄付が大事ダソウデスヨ!
因みに本当の話です
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

か、かなりヘビーな道を歩んで来られたんですね(;・∀・)

でも確かに言われてみればその通りですね、神を奉らず、人を崇める、本当にその通りだと思います。

ご意見ありがとうございましたヽ(*´▽)ノ♪

お礼日時:2017/09/25 00:29

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