この人頭いいなと思ったエピソード

家族関係や学習、住環境、仕事について現代と第二次世界大戦中および終戦後の違いについてご存知の方。漠然としていますがどんなことでもいいので教えてください。
たとえば、食べ物はこんなものを食べていたとか、こんな家で生活していたとか。

A 回答 (3件)

空襲を受けた都市の人達は、都市の復興から


始めなければず、辛酸を舐めました。

そうでない地方都市の人達は、自作農などで、
比較的安穏に生活できたそうです。

しかし、朝鮮特需を向かえ、日本が高度経済成長期
に入ると、立場は逆転しました。

「空襲で都市が廃墟となった時をチャンス」
としてとらえ、
「未来を見据えた新しい都市作り」をした場所
は栄え、旧態然とした地方都市はさびれ始めます。

私の住んでいる地方でも、
「商店や住宅地でありながら、歩道が全く無く、
 車道と直接面している通り」
が今でもあります。
もちろん駐車する場所もありませんから、
商売も近所の人達だけが相手でしょう。

(東京では他の交通機関が発達しているので、
 あまり問題にならないかもしれませんけど、
 あくまで地方都市の話です)

そういう風景を見ると、まるでタイムカプセル
でも見るかのような気持ちになれます。

しかし、昨今ではその事情も変わってきました。

老若男女、全員が一人一台自動車を所有する
ようになると、郊外に大型店ができ、
街中のアーケード街がすたれ始めてきたのです。

以上の事から、戦後の日本は「自動車の普及」
が生活や街の様相を変えてきたような気がします。

戦後のライフスタイルの変遷と合わせて
考えてみて下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます。車道に直面した店舗には私の実家にもありましたが、そういう理由だったのですね。

お礼日時:2004/09/19 00:26

 おはようございます。



 家族関係でいいますと、何世紀にもわたって続いてきた制度である、家督制度がなくなったということが一番大きな変化だと思います。

昔は家が共同生産,共同消費の共同体でしたから、家の財産はできるだけ分散を防ぎ、いつまでも家が続くようにしなければなりませんでした。
 そこで家の財産の管理者である家長が死亡すると新たに家屋を管理する家長が必要となり、その要請にこたえるために、家督制度という長男子単独相続制度が生まれてきました。

 ところが現代では、工業の発達にともなって、家はしだいにその生産性を失い、単なる共同消費の共同体となってしまいました。
 家族員はみんなそれぞれ思い思いの職業について収入を得、それによって自分または自分と配偶者と子の生計をたてていかねばならない世の中になったのです。
 そして、家族みんなが自分で自分の家庭の生計をたてていくことになれば、家の財産の永続も、職業の世襲も不可能になります。これが現代の家族の姿です。
 
 そこで、相続制度もこの家族の形態に見合うように変化しなければなりませんでした。
 このため、現行民法はこのように考えて、配偶者に相続権を認めるとともに、諸子均等相続制を採用しています。

 ちなみに、今の戸籍は親子2代しか載っていませんが、戦前は家長を筆頭に親子3代まで一緒に載っていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。曾祖母に聞いても戦争体験のことを思い出したくないらしく口をにごされてしまったので困っていたところでした。
ただ、曾祖母は私たちが捨てようとおもった物でも大切に長く扱うのでその点は私たちと違うのではないかと思います。戦争で物のない時代を経験したからなのかな~と思っています。
年長者の方に対する敬意の払い方も違いますよね。教育の面でも違ったんでしょうね。

お礼日時:2004/09/12 12:11

これはまた、めまいがしそうな広範囲なご質問ですね…



お知りになりたい項目も多岐にわたるようですが、「終戦後」とは戦争終結直後のことですか?それとも平成時代も入る?

こちらを絞って頂ければ(なにぶん60年ものの幅があるので)、回答もつきやすくなるのではないかと。

この回答への補足

すみません。あまりに広範囲で答えにくい質問だとは思います。
第二時世界大戦を経験された方の当時の生活を知りたいと思っています。
終戦後と書いたのもはっきりしていませんでしたね。終戦直後と限定します。
家族関係、住宅、教育について現代との違いを教えていただけたらと思っています。

補足日時:2004/09/12 02:41
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2004/09/12 11:59

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