
1. 神は 普遍神であって 《有る神がある》と《無い神がある》との
二つの相い異なる主観を 同時にみとめている。
2. 《有る神》派と《無い神》派とは 互いに自由に同等である。
3. なぜなら これら有神論および無神論なる《人知》を 神は超えて
いるのだから。
4. だから 神をめぐっては われわれ人間は 互いに見解が異なって
も 仲良くするのが 自然でふつうのことである。
5. あるいは 宗教が おれんとこの神がいちばんだ 唯一ただしい
ほかのはデタラメだとほざくのは チャンチャラ おかしい。
6. などなど あなたの自由な主観としてのご見解をおしえてください。
No.25ベストアンサー
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
「カラマーゾフの兄弟」は、あくまで文学(小説)ですから、何かを論じたものでは無く、物語です。
物語の中で、アリョーシャと兄であるイヴァンが論じてはいますけどね。
もちろん、物語から、何かを感じて論じている人はいます。
ドストエフスキーにとっては、神は、キリストしかいないわけですから、作者にとっては論じる必要は無いでしょう。(しかし、その作品においては、果たしてそうなのか?と言う感じは与えます。)
有名な作品ですから、ネタバレはいくらでもWebにありますし、青空文庫でも翻訳の全文は読めます。
有名な第2部第5編5「大審問官」などは、かなりの論評があります。
個人的な感想では、キリスト(のような者であって、明示はされていません)は無条件に赦すと言う意図と思いますが、そうでは無いと言う読み方ももちろんあります。(ただ、その作中の物語を語るのは、「無い神」を信ずる者なわけですが)
芸術である以上、何らかの感情の揺さぶりを与えるのが、作者の意図であり、そこに教訓や思想を読み取るのは、読み手の勝手な作業です。(この物語から受ける感情は、人それぞれでしょう)
これ以上は、文芸評論になってしまうので、カテゴリー違いになってしまいますね。
ご回答をありがとうございます。
次の二つの命題は 同じ内容ではありませんでした。すみません。見過ご
していました。
★★ (回答№16) 文学として、「在る神」を信ずる者も、「無い神」
を信ずる者も、実は「全て許される」と言う事を論じています。
☆☆ (質問趣旨) 1. 神は 普遍神であって 《有る神がある》と
《無い神がある》との二つの相い異なる主観を 同時にみとめている。
☆ カルワンをも交えて 《さばき》の問題としては触れ得たのですが
わたしの質問趣旨は そういった或る種の倫理としての救済の問題からは
自由に 論理的な区別と位置づけだけをしたものでした。
お分かりかと思います。《みとめている》という言葉は すくいに預かる
ことが出来ますよというような問題(視点)をふくみません。
すでに初めに普遍神のもとで 人のすくいは つねに・例外なくあり得る
という立ち場です。
というよりも すくわれるかどうかは ほんとうは問うていません。いつ・
どのように《和解》が得られ 《われはわれなり》の――もともとの自然
本性にもとづく――境地に立てるか? だけを問題にしています。
普遍神のもとに人は誰もが 網ですでに掬われているといった感覚を――
はっきりせよと言われれば―― 推し出しています。
★ 物語の中で、アリョーシャと兄であるイヴァンが論じてはいますけど
ね。
☆ かなりねちっこい議論が展開されているのでは?
★ ドストエフスキーにとっては、神は、キリストしかいないわけですか
ら、・・・
☆ ヘーゲルのように〔と言ってよいと思うのですが〕 やはり現代では
普遍神として扱うことが 前提となるのではないでしょうか。
★ 「大審問官」:・・・キリストは無条件に赦すと言う意図と思います
が、そうでは無いと言う読み方ももちろんあります。(ただ、その作中の
物語を語るのは、「無い神」を信ずる者なわけですが)
☆ おもしろそうですが 《赦す》つまり《さばき》の問題になるような
感じを受けます。
さばきは 新約聖書にも出ますが やはり旧約の神の問題であるように思
います。《律法》の問題としてですね。
★ これ以上は、文芸評論になってしまうので、・・・
☆ うまく哲学カテの質問に仕立てることができればおもしろいかも分か
りません。
No.29
- 回答日時:
少し書きますが、貧富の格差やカーストから逃げるため他の宗教に逃げる。
宗教は自己矛盾と絶望から逃げるための居場所と考えます。
人間それほどつよくない。
ご回答をありがとうございます。
★ 貧富の格差やカーストから逃げるため他の宗教に逃げる。
☆ 現状を批判する宗教が出て来るんでしょうね。
★ 宗教は自己矛盾と絶望から逃げるための居場所と考えます。
☆ 弾圧されない限り 苦しむ民衆を集めるでしょうね。
つまり:
★ 人間それほどつよくない。
☆ それでも 間違いは間違いなんです。
あたらしいよい人たちを――身分制を廃止し 自由な社会をつくる
人たちを――えらんで 共同自治をする方向にすすむ。
宗教は そのウゴキをむしろ妨げる場合があります。
そして そういうよいウゴキを共にするという場合でも 自分たち
が参画していなければダメだというふうに 凝り固まっています。
No.28
- 回答日時:
宗教とは何ですか?本来心の安らぎを求めるもの、又は死の恐怖から一時的に逃げる手段、神の前の平等?貧富の格差、カーストから逃れるためイスラム教やカトリックに改宗する人多数、インドは極端親切な人と不寛容な人がいます。
イスラム教徒は殺され。カトリック教徒は無視?何故ここまで宗教は、歪んだのか、これを考えると神の存在は、人の希望や慰め、この意味において神はいるのであり、神は人間の望みが作った幻想とも言える。(個人的見解ですが)ご回答をありがとうございます。
★ 宗教とは何ですか?
☆☆ 5. ・・・おれんとこの神がいちばんだ 唯一ただしい ほかのは
デタラメだとほざく
☆ 神観のことです。
★ 本来心の安らぎを求めるもの、又は死の恐怖から一時的に逃げる手段、
神の前の平等?
☆ オカルト商売をやる者でも 同じことを言います。
★ 貧富の格差、カーストから逃れるためイスラム教やカトリックに改宗す
る人多数、
☆ しっかりと世界を見据え いい解決法がないかと考え 地道に生活を推
し進める人びとのほうが多いでしょう。
★ インドは極端親切な人と不寛容な人がいます。
☆ どこでも同じでしょう。
★ イスラム教徒は殺され。カトリック教徒は無視? 何故ここまで宗教は、
歪んだのか、これを考えると神の存在は、人の希望や慰め、この意味におい
て神はいるのであり、神は人間の望みが作った幻想とも言える。(個人的見
解ですが)
☆ 神に頼るのなら 《幻想》と言うのはおかしい。ましてや 《人間の望
みが作った》と言うのは 自己矛盾である。

No.27
- 回答日時:
神は人知を超えている、という表現になってしまうのは、宇宙の本体である霊体を”分かっていない”事をいみじくも表明してしまっていますね。
大霊体とは、われわれの言葉で言えば精神の事。この世は大霊体の意の力が出現させているのです。そして人の心、”精神”に能力(意志・意力とか、理性とか、感情とかの)があるのは、大霊体の分身だからです。
この宇宙が膨張しているとか、ブラックホールがあるとかのもろもろの現象は大霊体の意の力の現れ。現象なのです。
その現象は、物質としては感覚を通して理的に反応し、そして変化しつづけます。それが生物ともなれば肉的感覚ともなります。さらに進んで高等生物のその感覚は、はじめは肉体的刺激を通して好悪を感じ、進んで精神的な心情である喜怒哀楽となるのです。
釈尊は宇宙の仕組みを般若心経で表し、人の心の仕組みを四諦八正道で表しました。
一般衆生への教えは対機説法という形を採っています。
ペテン師ではないですね。
ご回答をありがとうございます。
★ 神は人知を超えている、という表現になってしまうのは、宇宙の
本体である霊体を”分かっていない”事をいみじくも表明してしまって
いますね。
☆ そうでもないですよ。というのは 《人知が及ばないと証明され
た(不可知)》とは別だからです。
人知を超えているは 非知と捉えるもので 《分かるかも知れないし
分からないかも知れないということが 同時に言える(言わなければ
ならない)》というものだからです。
★ 大霊体とは、われわれの言葉で言えば精神の事。
☆ 人間の精神はざんねんながら あやまち得ますし 移ろいゆかざ
るを得ませんよ。
★ この世は大霊体の意の力が出現させているのです。そして人の心、
”精神”に能力(意志・意力とか、理性とか、感情とかの)があるのは、
大霊体の分身だからです。
☆ そうかも知れないし そうでないかも知れません。
★ 釈尊は宇宙の仕組みを般若心経で表し、人の心の仕組みを四諦八
正道で表しました。
☆ そんなことは 大したことではありません。
★ 一般衆生への教えは対機説法という形を採っています。
☆ 人と人とのコミュニケーションは 一般に相手〔の人間性に信頼
し かつ知性や意志のありかなど〕に応じて話し合う場合と 相手を
人間一般として向き合い理論のようにして一般論で自己表現する場合
とがあります。
当たり前です。
ただし 対話と説法とは 別です。説法では 言わば人格や人間性を
超えて人間存在そのものが相手より上に立つという眼差しをそそいで
自己表現するものです。
つまり 阿呆です。つまり:
★ ペテン師で
☆ あります。

No.26
- 回答日時:
>☆ ここでとめておけばよかった。
反省はあなたの人生に有効だと思います。

No.23
- 回答日時:
>あなたの考えを述べてください 情報交換しましょう。
>というとき ご見解をおしえてください。という日本語を使いませんか?
あなたが日本語をどう使うかはあなた次第ですが、私はその様な表現はしません。
そもそも、「あなたの考えを述べてください」と「情報交換しましょう」は違います。
「情報交換」では、お互いの情報を交換するわけですが、「あなたの考えを述べてください」は、「あなた」とされる側が「考えを述べるよう」要求されているだけです。
そして当然ながら、「あなたの考えを述べてください」や「情報交換しましょう」と、「ご見解をおしえてください」も異なります。
情報交換は情報の交換です。
それに対して、あなたはここで質問しているだけです。
他人がどのように考えているかわからないあなたが、それについて「おしえてください」とお願いしているのです。
言い方をどう変えようと、あなたが「おしえてください」と教えを請うた事実は変えようがありません。
★★ (回答№7) ~~~~~~~~~~
「人知を超えた場」は、「人間の知るところではない場」です。
簡単に言えば「あなたの知り得ぬ世界」です。
知らないくせに勝手な妄想はやめましょう。
☆☆ (この回答へのお礼) ~~~~~~
間違いですよ。
★ 「あなたの知り得ぬ世界」
☆ と表現した場合には:
(あ) 知り得ないと知り得た(証明できた)場合= 不可知
(い) 知り得ぬかも知れないが 知り得るかも知れないと同時に
言える場合= 非知
☆ のふたつの種類があるのです。
《人知を超えた場》は (い)のほうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここでとめておけばよかった。

No.21
- 回答日時:
>★ あなたの日本語力の問題です。
>☆ どのように?
あなたはこの質問に続けて次のように書いています。
>★ そもそも、あなたはここで他人に教えを請うている人です。
>☆ 情報交換ですよ。
お礼文に置いては、あなたは「これは情報交換」であると主張されていますが、そもそもの質問文は「おしえてください」と、教えを請う言葉で締めくくられているのです。
あなたご自身が「おしえてください」と書いたのです。
だからこそ私は「あなたはここで他人に教えを請うている人です」と書いたのです。
あなたは、ご自分の記述内容についての理解さえ、不足しているようです。
他人の言葉への理解が不足することは、尚更かも知れません。
日本語の猛勉強をお勧めします。

No.20
- 回答日時:
>思考力が尽きましたか。
私の思考力の問題ではありません。
あなたの日本語力の問題です。
そもそも、あなたはここで他人に教えを請うている人です。
自分の考えに自信を持つ事が出来ていないから、「教えて!」と言っている人なのです。
もっとわかりやすく言えば、あなたは「わからないから質問している人」なのです。
まずは、日本語の猛勉強をされることがお勧めです。
「あなたの抱える諸問題の解決にもっとも有効な手段がそれである」というのが、私からあなたへの「教え」です。
ご回答をありがとうございます。
★ あなたの日本語力の問題です。
☆ どのように?
★ そもそも、あなたはここで他人に教えを請うている人
です。
☆ 情報交換ですよ。

No.19
- 回答日時:
(グラデーションの神)を想定してみて、(慈愛に満ち溢れた神)の反対側の対極に(今にもそこを離れそうな神)を想定したとき、その中間に(中立のような神)を想定できるような気がしました。
また、(積極的な神)と(消極的な神)の中間を(中立的な神)と想定してみます。このとき、(ない神)を(何らかのニュートラルな神)と考えてみてはどうか、ということでした。
けれども、これは、性格をあらわす神々の一部を扱うような話になってしまうので、これを、わたしの個人的な主観のなかでどこそこの神々がどこに位置づけられるかを云々すると、いろんな方々からご批判の嵐になるような気がしています。信仰もしないで、ただ冒涜を加えているように見えてしまう、と思います。
ただ、(わたしも含めて)自然科学に興味があり、自然科学を研究したいな、あるいは、研究したかったな、という思いの人にはなんとなく便利な神にも思えました。わたしはただ、自分の都合に良い神を想定したいだけかも知れません。けれど、(ない神はある)という何かこころの落ち着かなさは(ニュートラルの神)として呼ぶほうが少しだけ違和感らしいものが抜けるのではないかという話でした。
でも、そのあと少し考えてみて、戦争論・非戦論のようなものを考えてみると、このニュートラルの神は何もしないようにも見えます。
これはただただ(人間の問題)に戻るみたいです。
ご回答をありがとうございます。
★ (グラデーションの神)を想定してみて、(慈愛に満ち溢れた神)の
反対側の対極に(今にもそこを離れそうな神)を想定したとき、その中
間に(中立のような神)を想定できるような気がしました。
☆ つまり 神について《慈愛に満ちた》と規定するのは 《人知》
の問題です。神について――それは わるいことではないでしょうが
―― 《忖度》しているわけです。
★ また、(積極的な神)と(消極的な神)の中間を(中立的な神)と想定
してみます。このとき、(ない神)を (何らかのニュートラルな神) と
考えてみてはどうか。
☆ えっと 期待をわざと外すようですが 《人知を超えている》と
いうことは そういった忖度・推理から自由な存在だということで
す。
つまり 《非知なるナゾ》は 《積極的な神も消極的な神も中立の
神をも》みな超えているということになります。
★ わたしの個人的な主観のなかでどこそこの神々がどこに位置づ
けられるかを云々すると・・・
☆ みな そうしています。神に願いをかけています。自分の主観
にかなう神であって欲しいと。
ただし 神は それらの人知や思いをすべて超えています。
★ 自然科学・・・にはなんとなく便利な神にも思えました。
☆ それは 神論が 《価値自由な理論》だからです。主観の持つ
価値観から自由な理論として なるたけ 構築しています。それは
自然科学の行き方と合致しているはずです。
★ (ない神はある)という何かこころの落ち着かなさ
☆ どう言いますか 決して《無い神》派に成りなさいということ
ではありません。《有る神》派でもよいのですし もしそれは嫌で
神などはいるもんかと思っているなら それは 結局においては
《無い神》派に――普遍神のもとで――成るというだけのことです。
信じていないのなら もうそのまま生きて行くことになります。
哲学は しかし そういった場合や情況をも 全体として交通整理
しておこうとしますし それが つとめだとも――学問のほこりを
持って――思っています。
★ 戦争論・非戦論のようなものを考えてみると、このニュートラ
ルの神は何もしないようにも見えます。
☆ そのことは 《有る神》派にとっても同じなんです。人知を超
えた神なのですから 何かしても分からない。
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