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天気予報で、天気が「下り坂」と言っているの聞いて、ふと考えました。

「下り坂」という言葉は、変じゃない?
「坂」自体には、下りも上りもないでしょう?
川ならあるけど。

坂を歩く人(や、天気や、景気)が「上る」か「下る」かなので、それを言うならむしろ「坂下り」じゃないかと・・・

屁理屈みたいな質問ですみません。

A 回答 (22件中1~10件)

#13です。



他の方へのご返答等を拝見して、疑問に思われている点は分かりました。
「下り坂」という語そのものへの疑問で、本来上りも下りもないものにそれを頭につけて「上り○○」「下り○○」というのはおかしい、ということですね。

しかし、質問者さんの疑問には、ちょっと分からない点があります。
No.7のお礼欄を見ると、

>>川の上り下りは自然現象(地勢の問題)坂の上り下りは人間が決めることです。
>⇒ので、「川」ならわかりますが「坂」はちょっと変なのかな、と思う次第です。

「川」の場合は分かる、とおっしゃっていますが、私には、「坂」も「川」も同じように感じます。ともにそれ自体は上り下りという属性を持っておらず、

1)川の場合は「上り川」「下り川」という言い方はしないのに、どうして「上り坂」「下り坂」というのか。
2)人が川を下ることを「川下り」と言うように、天気が坂を下るので「坂下り」とでも言った方がいいのではないか。

というところがguramezoさんのおっしゃりたいことだと思うのですが、いかがでしょうか。

以下勝手ながら、そうだという前提で話をさせてもらいますが、2)の方は、おっしゃる通り、「天気が坂下りする」という言い方はあってもおかしくない表現だと思います。たまたまそういう言い方が根付いていないだけだという気がします。

1)についてもかなり悩ましいところですが、私は「坂」については、「川」と違って、それ自体に、傾いた状態を表す意味があるというところにカギがあるのではないか、と思います。

手元の辞書で「坂」を引くと
1)山の傾斜しているところ
2)傾斜している山道
とあります。

2)の場合は道そのものを指していますので、これは「川」と同じで、それ自体に上り下りの属性はなく、「下り川」がおかしな表現であるのと同じように、「下り坂」もおかしいというふうに言えるかもしれません。

ただ、1)の意味は傾いた面の状態を表しています。この意味の場合だと「下り」を付けてもおかしくはないと思います。つまり「下り坂」は「下っている斜面の状態」言い換えれば「下り勾配」というような意味だと思います。

例を挙げれば、
a)「土手は上から見て緩やかな坂になっている」
 ⇒「緩やかに傾斜している(緩やかな勾配になっている)」という意味で、1)の意味。
b)「この町にはたくさんの坂がある」
 ⇒「たくさんの坂道がある」という意味で、2)の意味。
c)「この道はこの先で坂になっている」
 ⇒「この先で道が傾斜している」というふうにとれば、1)の意味。
 ⇒「この先で道が坂道に変わっている」というふうにとれば、2)の意味。
というふうに言えるかと思います。

この例に「下り」をつけてみると、
a)は「土手は上から見て緩やかな下り坂になっている」
 ⇒「下り勾配になっている」という意味で妥当。
b)は「この町にはたくさんの下り坂がある」
 ⇒坂道そのものには上りも下りもないのでおかしい。
c)「この道はこの先で下り坂になっている」
 ⇒1)の意味で考えて「道が下り勾配になっている」という意味ととれるので妥当。

ですから、天気の場合も、「下り坂」の「坂」を、2)の意味に取らずに、1)の意味、つまり、天気が徐々に悪化する「下り勾配」の意味だとでも考えてみられるといかがでしょうか。
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この回答へのお礼

「川」は、水が流れて初めて「川」です。水がなければ「道」ですかね。
で、水は、流れる方向が決まっています。高い方から低い方へ流れます。
したがって、「川」は、標高の低い方が「下り」と、はっきりしています。舟に乗った人から考えても、「下り」か「上り」かは、共通の認識で、ある人にとっては「下り」、ある人にとっては「上り」ということはあり得ません。
でも、水がなくなった「道」は、その道を進む人の進み方で、「上り」にも「下り」にもなるので、「道」自体に、上りも下りもないということです。

ですから、「下り川」は、おかしな表現ではなく、「上り坂」はおかしいということになります。

これで、私の主張がおわかりいただけますでしょうか?

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2004/09/28 18:33

No.15及び16です。



「川下り」は「川を下っている」状態を表していて、その状態を「坂」で表現するなら「坂を下っている」と表現するしかなさそうです。
英語で言う所の「現在進行形」でしょうか。
「人がちょうどその動作を行っている」というイメージです。
本当ならここで「坂下り」という言葉もあって良さそうなものですが、一般的に全く普及してませんから読んだときにかなり違和感を感じますね。

「下り坂」は前にも書きましたが「坂がだんだんと低い方へ向かっている」状態で、その状態を「川」で表現するなら「川がだんだんと低い方へ向かっている」と表現するしかなさそうです。
これは対象物の状態を表しているだけで、「人が対象物を観察している」イメージです。
ここで対応する「下り川」があってもよさそうなのですが、上記と同じく一般に全く普及していないので読んだときにかなり違和感を感じます。

「下り坂」に対応する表現が「川」などにはないので、似たような「川下り」と比較してしまいます。
ただ、それは根本から違う状態の表現なので比較すること自体がおかしいと思います。
何かと何かを比較する場合、基準は同じでなければ正確な答えは出ないんじゃないでしょうか。
この場合、比較すべき対象の言葉が一般に普及していない、むしろ「存在しない」ので比較することができないのでは?

>水がなければ「道」ですかね。
「川」から「水」がなくなったら「坂」ではないですか?
傾斜がついていなければ水は流れませんし。
「傾斜のついた道」を「坂」と表現するのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

#21の方へも書きましたが、ちょっと論議が迷路に入ってしまった感もあるので、もう一度考えてみます。

尚、
>>水がなければ「道」ですかね。
については、私も考えたことですが、「坂」というのは、それなりの傾斜があるものと思いました。「川」位のゆるい傾斜では「道」ではないかと考えた次第です。ですから、「川」は「坂」にならない(ことが殆ど)という主張です。

お礼日時:2004/09/29 15:21

物体としての坂に上りも下りもないのはその通りですが、そのことが「上り坂」「下り坂」がおかしいという理由にはなりません。


Aという条件下でのみ成立するBに対して、「Aという条件がなければ、Bは成立しないじゃないか」と言っているのと同じで、それは当たり前のことです。
「上り坂」「下り坂」という表現を使うときには、すでに視点という条件が付けられていますから、その条件を取り去ったらおかしくなるのは当然で、それは「上り坂」「下り坂」がおかしいのではなく、「上り坂」「下り坂」を考えるときに“条件を取り去ってしまうこと”がおかしいのです。

> 「高い山」は、一般の山に比べて「高い」であって、
その通りです。しかし、

> 何かの基準より「高い」のではないと思います。
「一般の山」という基準があります。「高い山」と言われたら、聞いた人なりに基準を思い浮かべてそれと比較することになります。どんな山でももっと高い山と比べれば低い山になります。
「上り坂」「下り坂」もそう言われた時点である条件が付けられていることになります。そのある条件を無くしてしまうことがおかしいのです。

「物体としての坂を『上り坂』『下り坂』と言っているのではない」のですから、「物体としての坂を『上り坂』『下り坂』と言うのはおかしい」というのはそもそもそんなことは誰も言っていないというだけのことです。

「上り坂」「下り坂」は単なる言い回しでそう言われるというだけではなく、言葉の意味を考えても変ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お手数お掛けしています。

ちょっと論議が迷路に入ってしまった感もあるので、私なりに、もう少し適切な表現とか、他の例とかをもう一度考えてみます。

少し、お時間をいただきたいので、とりあえずお礼だけ申し上げます。

お礼日時:2004/09/29 15:11

「下り坂」と「坂下り」は全く違う意味です。

「上り坂」は道がどうなっているかを示しているのであり、「坂下り」は人が坂を下っている様子を示しているものです。従って、「下り坂」と呼んでいるものを「坂下り」と言ったら、まるっきりの間違いということになります。

坂に上りや下りがあるのかということなら、#3に戻ってしまいます。
例えば、坂の下にすんでいる人が坂の上の駅に行く場合、同じ坂でも行きは上り坂、帰りは下り坂と呼んで何もおかしくはありません。行きはその坂を上ることを前提としていますし、帰りは下ることを前提としているからです。見方によって評価が変わるのは当然のことです。
これをおかしいと言い出すと、高い/低い、速い/遅いなどという言葉自体がおかしいことになってしまいます。これらの言葉は何かを基準にしてどうなのかを言うものなので、その基準が変われば同じものでも評価が変わります。

「右下がりの直線」を書いてみてください。書けると思います。しかし、その線は紙の裏側から見たら「右上がりの直線」です。坂自体には上り下りがないから上り坂、下り坂はおかしいというのであれば、直線にも右上がりも右下がりもないはずですが、実際には自分から見て右上がり、右下がりと考えるので「右上がりの直線」「右下がりの直線」は存在します。同様に「上りの坂」「下りの坂」も存在します

坂自体に上りも下りもないのは確かにその通りです。しかし、だからといって、坂に対する評価がないわけではありません。坂の上から見ている人にとっては「下り坂」と評価され、下から見ている人にとっては「上り坂」です。坂の上から見ていた人が坂を下った場合は、これから戻るつもりなら「上り坂」に評価が変わりますが、そのままどこかに行ってしまうなら「下り坂だった」という評価のままです。「上り坂」「下り坂」は坂自体を言っているのではなく、坂の評価を言っているのです。

これから上る「上り坂」を見て「いや、あれは上り坂じゃない、坂だ」と本気で言う人がいたら、それは屁理屈ではなく表現力がない、これから上る坂を表して上り坂と言ううということを知らない人ということになると思います。

屁理屈というのは、道理の通らない理屈のことですから、本人が屁理屈と言うということは、道理が通らないことがわかっていてわざと間違った理屈を言っていることになります。ですから、本当に屁理屈で言っているのなら、質問にはならなくなってしまいます。
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この回答へのお礼

度々のご回答、ありがとうございます。

これから上るのだから、「上り坂」、ということで当然というご説明と思います。まあ、そう言った観点から作られた言葉であるでしょう。
でも、上る行為が実行されて始めて、坂が上りになるので、必ず、人の行動がついての言葉だと思うのです。従って、物体としての坂には、「上り」も「下り」もないはず、というのが、私の主張です。

尚、「屁理屈」と言っている理由は、「通常使われている言い回し」で、それが「誤用でもないことは分っている」けれども、「言葉の意味を考えると、変かな」ということから発生した質問ですので、「使い方がおかしい」という追求の仕方ではないので、まともに「理屈」で考えることとは異なる、という意味からです。

これで、趣旨をご理解いただけますでしょうか。

更に、高い/低い、速い/遅いという場合、何かを基準にしているというより、相対的に比較しているのではないでしょうか。
「高い山」は、一般の山に比べて「高い」であって、何かの基準より「高い」のではないと思います。
そして、これには人の行為が伴わなくて成立するものですので、「下り坂」には適用されないと思います。

又、ご意見いただければ幸いです。

お礼日時:2004/09/28 19:35

三度現る!


悩み爆発してますね。

「天気」はどっかに1箇所だけあるんじゃないんですよ。
それは東西南北とかのつながりだけじゃなく・・
時間のつながりもあるんですって。

そして、天気の変化が「時」とともにかわる様子を
「坂」に喩えてるのですからして・・

「今の天気」だけでなく、
「今までの天気」と「これからの天気」があって、
その連なりが「背後の道」と「これからの道」になり、
登りなら「登り坂」降りなら「降り坂」になるんですって。

また書きますけども「観測者のあゆみ」は「時の流れ」
私達は「立ち止まれない観測者」。
「立ち止まったら」「登り」も「降り」も無いけれど、
「立ち止まれない」から「登ったり」「降ったり」
エスカレーターみたいなもんなのですよ。

「立ち止まれる」と思うのが間違い。

結構感動系のフラッシュをご覧あれ!

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkin …
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この回答へのお礼

フラッシュ拝見しました。ご期待通りに感動はしませんでしたが、こんなものもあるのかと、驚きました。

で、本題については、「時の流れ」があるから、立ち止まった(時が流れていない)観測はない、ということでしょうか。「上り坂」という表現には、必ず時の流れがあることが前提になるとのご説明ですね。

う~ん、ただいま会社で考えていますが、仕事の頭では難しすぎ・・・爆発しそうで、のんびりしてから考察してみます。

三度もご回答いただき、ありがとうございます。

お礼日時:2004/09/28 18:17

「下り坂」や「上り坂」はその坂道をある方向に向かって歩いている人から見た坂の表現です。

同じ坂が,ある人(歩行者)から見れば上り坂に,別の歩行者から見れば下り坂になります。坂に上りも下りも無いじゃないか,というのは立ち止まって(横から)眺めている人の(さめた)見方です。
天気の変化が,あたかも「下り坂」を歩んでいくようにだんだんと下がってくる(悪化してくる)ということを言っているのですね。がけから落ちるような急激な変化ではなく坂を下るように徐々に(標高が?天候が?)変化することを表します。
「会社の業績が上り坂だ」という表現も考えてみました。(この場合も「さかのぼりだ」とは言わない)

「坂くだり」に相当する表現では「さかおとし」を思いつきましたが,漢字変換してみたら「逆落し」でした。(^_^ゞ
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この回答へのお礼

>同じ坂が,ある人(歩行者)から見れば上り坂に,別の歩行者から見れば下り坂になります。
⇒というのが、皆さんがおっしゃりたいことかな、と思います。
結局は、この結論かなと・・・

上ろうと思っている人にとっては「上り坂」、下ろうとしている人にとっては「下り坂」になる、ということでしょうかね。

すると、「坂」は、観測者によってその固有の性格が変化する・・・って、量子力学の世界みたいで、テーマも深遠になりそう。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/28 18:03

No.15です。


>下り専用階段の場合、「下り」とは表示してあっても、「下り階段」との表示は見かけません。

そうですね、デパートなどの階段の表示には使わないかもしれません。
でも会話中に使いませんか? あとは小説とかにも出てきません?
私だけですかね?(^^;
それはともかくとして同じ階段でも「上り」と「下り」はありますよね。
「一つの階段」に「上り」と「下り」があるわけですが、これもおかしいのでしょうか?

>一つの坂が「上り」であり「下り」であるのは変じゃないかと・・

えーと、階段の他にも、電車でも同じ車体なのに「上り」と「下り」がありますが、あれもおかしいですか?

さっきの説明の補足をしますと、
「(人がこれから歩く)坂が段々と低い方へ向かっている」
というものなので「人がこれから歩く坂の状態」を表しているのだと。
つまりは「人の視点」がどこにあるか、というのも「状態」を表す基準になっているのでしょう。

「ものの見方」は一方向のみではありませんし、多方面から見れば「上り」でもあり「下り」でもあるというのは矛盾していないと思います。
……こう、ここで上手いこと例が出てこないのがもどかしくはありますが(^^;

この回答への補足

寝られる前に考えていただき、ありがとうございます。

え~、「下り階段」は、使用例がたくさんありました。失礼しました。

階段の場合は「下り専用」が存在するので、「下り階段」という表現が使われやすいのかも。
でも、やはり「下り坂」と同じ疑問が該当しそうですね。

尚、電車については、車体で「上り」「下り」が決まるのではなく、電車が走っている線路が「上り」「下り」なので、川の場合と同じと思います。

肝心の坂についての「多方面から見れば上りであり下りでもある」というのは、おっしゃるとおりです。だからこそ、「上り」とか「下り」とか特定するのがおかしいと思うのですが・・・

補足日時:2004/09/27 22:58
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質問を拝見してから一晩悩んでみました。



「山登り」や「川下り」は山を登る、川を下る、という「(人の)行為」を指しているように思えます。
しかし「下り坂」となると「坂が段々と低い方へ向かっている」という「(坂の)状態」を指しているように思えます。
だから階段なども「下り階段」とか言いませんか?
あれも「階段が段々と低い方へ向かっている」という階段の状態を表しているから「階段下り」とは言いませんよね。

と思ったんですが(^^;
(全然自信ありません(苦笑))
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この回答へのお礼

一晩悩んでいただいて、ありがとうございます。

「下り階段」とは言わないのではないかと思います。
下り専用階段の場合、「下り」とは表示してあっても、「下り階段」との表示は見かけません。
「下りエスカレーター」なら、ありますけど。

>「下り坂」となると「坂が段々と低い方へ向かっている」という「(坂の)状態」
⇒イメージはおっしゃるとおりですが、その坂を下から上れば「上り坂」になるわけで、一つの坂が「上り」であり「下り」であるのは変じゃないかと・・・

もう一晩、悩んでいただけますか。

お礼日時:2004/09/27 21:48

前の方に「登山」「下山」の例がでていたので、少し気になった事を……。


「登山」「下山」の場合はもとが漢文で二つの文字の間にレ点がついて、「登ル山ヲ」「下ル山ヲ」だったのではないでしょうか。
主語が省略されていて、「私は山を登る」と「私は山を下る」だったのだと思うのですが。
もとから(主語+)述語+目的語だったので、「登っている山」という意味にはなり得ないのではないでしょうか。
他にも中国から輸入されたなごりで、日本語とは述語の関係が逆転している熟語ってありますよね。
なので述語が前に来て目的語が後に来るような言葉も、日本人はすんなり受け入れてしまうんじゃないでしょうか……。
見当違いでしたら申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ちょっと私の説明が分りにくかった(今回の説明は、全部わかりにくいのですが)ようです。

おっしゃるように、「登山」は、「登っている山」を表す言葉ではなく、「山を登る」ことを意味しますね。
従って、(人が)山を登るのが「登山」ですから、(人が)坂を上ることを「登坂」というならば、その人の行為として分るのですが、坂自体を「上り坂」と表現するのは変?ということです。

・・・書いているほうも、かなり混乱して、分りづらいでしょうが、ご勘弁を。

お礼日時:2004/09/27 21:04

屁理屈大会が面白そうなので私も参加させてください。



●天気が「下り坂」について

天気が「下り坂」または「下り坂になる」というのがおかしいという話ですが、確かにこの言い方だと「天気=下り坂」というふうにも見え、今ひとつ意味がつかないというのも理解できます。

おそらくこれらの言い回しは本来のものではなく、元は「下り坂へ向かう」というのが正しい言い方だったと考えられます。天気がいくらか時間を経過した後に悪化の方向に進むことを、これから行く道の先にある下りの坂道に向かって歩いていくことに例えた言い回しだと思います。それがいつしか「下り坂に向かうこと」を単に「下り坂」というふうに、動詞を省いて言うようになったのでしょう。

このような例は探せばいくつも見つかると思いますが、例えば、「そんなことは朝飯前だ」という場合、これは「そんなことは朝飯前(に済ませてしまえるほど簡単)だ」の略であって、「そんなこと=朝飯前(という時間)」ということではありません。

そのように「下り坂へ向かう」が本来の意味だと考えると、
>坂自体に「上り」「下り」とつけるのはおかしい。
という疑問も多少解消するのではないでしょうか。つまり、天気=下り坂(あるいは上り坂)そのもの、と考えてしまうと、確かに坂そのものには上りも下りもありません(言ってみれば、山の部分が「晴れ」、谷の部分が「雨」の「お天気坂」とでも言えるでしょうか)ので、ちょっとおかしな言い方にも聞こえます。しかしそうではなくて、現在が晴天であって、これから向かう先に「お天気坂」の下りの坂がある、という意味だと考えると、何となく理解しやすいのではないでしょうか。

ただ、
1)「天気はこれから下り坂(になる)でしょう」
2)「天気はこれから下り坂に向かうでしょう」
と2つ並べてみた場合に、1)はこれからすぐにでも悪化するように感じ、2)はこれからしばらくした後に悪化する(少し行った先に下り坂がある)ようにも感じます。ですから現在は若干使い分けられている部分もあるかもしれません。


●天気が「上り坂」について

確かに「天気が上り坂」というのは使いません。検索すると下記のページでは「晴れの天気というのが、一般的な基準で、そこから落っこちていくか、また戻ってくるか、というような表現なのでしょう。」と書かれていますが、私はちょっと違うように感じます。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/rainyboy/caster/word. …

以下、全くの個人的な解釈ではありますが、私はそこには「重力」が関係していると思います。

 #【注】実は以下の部分は、質問者さんがNo.9のお礼欄に書かれている #
 
 #>「下り坂」(私見では「坂下り」)というと、歩いていても自然に #
 # 「下っていく」ことができますが、「上り坂」(「坂上り」)は、 #
 # 大変ですよね。                        #
 # 本来、天気や景気が「上向き」なのは、いいことなのに、「上り坂」#
 # では苦労することになってしまい、その言い回しは使わないのでは #
 # ないかと思うのですが・・・                  #
 
 # の部分を拝見せずに書いてしまいましたので、かなりダブる部分が #
 # あります。ご容赦ください。                  #

というのも、「下り坂」つまり坂道を下る場合、それは重力に向かう方向ですから、何の力も入れることなく自然と下っていきます。丸いものを置けばじわじわスピードを上げながら転がっていきます。そのように徐々に自然と下の方に下がっていくイメージが下り坂にはあります。ですから徐々に進行する天気の悪化を比喩するのに使いやすかったのではないかと思います。

それに対して「上り坂」つまり坂道を上る場合、重力に逆らう方向になります。となると、そこにはある程度力が必要になります。力を入れて上がるというのは、徐々に自然と快方に向かうという天気のイメージとは異なります。そのようなことから天気を現す比喩には使われなかったのではないでしょうか。

「上り坂」「下り坂」は人気などの例えにも使われますが、それに動詞を続ける場合、「上り坂」は「上り坂を駆け上がる」、「下り坂」は「下り坂を転がり落ちる」というようになり、やはり「上り坂」には力ずくで上にあがるというイメージがつきまといます(「とんとん拍子」など他の語がくっつく場合は別です)。

これがもし坂ではなく、放っておけば自然に上に上がっていく適当な例えがあれば(あまり適当なものは思いつきませんが、煙、風船とか)、天気の悪化にも比喩的に使われることもありえたのではないかと考えます。

一般的に「下り坂」に比べて「上り坂」という表現をあまり使わないのには、天気用語として「下り坂」の方のみが使われていることもあるかもしれませんし、上向き調子という快調なイメージに「力ずく」な「上り坂」は使いにくいというのもあるかもしれません。


以上、かなり私感を含んでおりますが、いかがなものでしょうか。

この回答への補足

また、すごい長文のご回答で、お疲れ様です。

まずは、#11の方への補足をご参照下さい。
で、「朝飯前」は、「朝のご飯を食べる前」ですから、言葉として問題がないと思います。これが「前飯」といっているようなものが「下り坂」ではないでしょうか。

「上り坂」「下り坂」についてのご意見は、(珍しく)私の意見にやや賛成で、感謝感謝。

反対語のようで、実は「上り坂」と「下り坂」は、異質の言葉ではないかとも思うようになりました。

ありがとうございました。

補足日時:2004/09/27 20:53
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