A 回答 (16件中1~10件)
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No.3
- 回答日時:
早い話が「引き分け」です。
日本が6対4くらいで有利になっただけです。
いくら日本海海戦でロシア海軍が全滅しても、満州のロシア陸軍はほとんど無傷で健在でした。
夏まで戦争が長引いて冬季休戦状態があけたら、日本軍の数倍の規模を誇り火力も補給も完璧(シベリア鉄道)なロシア陸軍は、完膚なきまでに日本陸軍を叩きのめしたはずです。
だから児玉たちは奉天会戦のあと早期講和を望んだのだし、日本びいきのアメリカもあの時期に仲介の労を取ったのです。
No.4
- 回答日時:
結果、満州や樺太です。
ただ、向こうにすると東アジアに侵略した出先での戦争。
こっちは東アジアの守りの戦争。という形です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2 …
日本がロシアを撃退しただけですね。
No.5
- 回答日時:
引き分けという表現はナンセンスかもしれませんね。
実際は日本がほとんどの地域で勝利しました。
しかし、アメリカの介入により、完全な勝利を得ることができなかったのです。具体的には、賠償金をとることをアメリカに禁止されました。
日本は勝利を、ロシアは負けたわけではないことを主張していると考えてはいかがでしょうか。
No.6
- 回答日時:
戦争の勝利、敗北とは戦争目的を達成されたかどうかで判断します。
当時の日本の戦争目的は、ロシアが南下し、日本も植民地にしてくる状態でしたので、最低でも朝鮮半島39度線までロシアを後退させるというものが戦争目的でした。
結果は、朝鮮半島39度線どころか、朝鮮半島は全て、そして南満州までロシアを追い返しました。当初の戦争目的以上の遥かに成果を挙げたので、勝利ではなく大勝利となります。
しかし、当時の無知なマスコミは、戦争目的という、戦争の勝敗を判断する基礎教育すら出来ておらず、絶対評価で判断しました。そのため「モスクワまで占領しなければ勝利ではない」「賠償金を獲得していないので勝利ではない」など、風潮でした。逆に言うと、それくらいの信じれないほどの大勝利でしたので、「ロシア領土はともかく、最低でも莫大な賠償金くらいは取らないと駄目でしょう」という世論でした。しかし、小村寿太郎は、戦争目的は達したので南満州までロシア軍は引き上げると言うだけの講和で締結しました。ロシアの当時の高官は、こんなにロシアにとって傷の浅い講和が締結できた事に拍子抜けでした。
そんな世論でしたので国民が怒り狂い、小村寿太郎の家を焼きました。
実は、その時点で弾薬がありませんでした。そのためそれ以上進軍は不可能で、戦争目的も達成したので講和を結びました。マスコミに公開すれば、国民の怒りも収まったかもしれません。その代わり弾薬不足と知ればロシア軍が講和を破棄して、攻め込んできます。そのためこの事実は以後10年隠されます。
日本人で日露戦争の評価を聞くと「日露戦争は微妙な勝利」という評価が多いのは、このような背景があります。
ロシア人が「日露戦争に勝った」というのは、国民国家史とはそういうものです。国民に自信と誇りを植え付けるために、自国に有利な歴史観にするのは、歴史捏造において大なり小なり差はありますが、日本以外はどの国でもやっています。ロシアの日露戦争の歴史観に日本人が従う必要はありませんが、「ちゃんと国民国家史をやっている」と言う意味では、見習う点はあるでしょう。
(歴史と国民国家史は異なります。区別して考えましょう。)
>日本はロシアのバルチック艦隊を撃破しロシアの旅順陥落などほとんど日本の勝利だと聞いたのですが本当に正しいのでしょうか教えてください!
正しいです。
旅順陥落
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86 …
ぎりぎりの勝利でした。朝鮮から南満州の陸戦はほぼ全てぎりぎりの勝負でしたが、結果的には連戦連勝です。
バルチック艦隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
とてつもなく大勝利です。
*当時は満州と言う国はありません。南満州とは地域の名前です。
No.7
- 回答日時:
ある意味日本の勝利で正しいかとは思いますが、正確には日本有利な段階で講和が成立した、その時点での勝利ってことじゃないですかね。
講和の結果得られた租借地や権利などを見ると日本が勝ったように見えますが、賠償金をとったわけでもないし。勝った勝ったといわれている戦闘(戦争ではない)でも、少なくとも陸戦では予備戦力は使い果たし、銃砲弾は枯渇に近い状態です。対するソ連軍は動員可能な予備軍が100万単位で残っていますし、銃砲弾に不足したという話も聞きません。講和時点では以降の戦闘継続が不可能な状態になっていましたから、仮にポーツマスでの講和が不調に終わったとしたらその後の会戦で日本は極めて厳しい状況に陥ったものと思われます。
ロシアのお友達にしてみれば、「アメリカが止めに入ったから途中でやめただけで、そのままやってれば勝ったはず」が「勝った」になったのではないかなと思います。
No.8
- 回答日時:
黒を白という呆れた論理です。
回答にも自己卑下的なものが多くみられます。世界はこれをどう見たのか、それがその後の世界にどう影響したのかを見る
必要があります。
それで世界の見方の代表例として英語とドイツ語のWikiの主要な点をを紹介
します。反論する時に必要でしょうから原文もコピペしておきます。
訳はいずれも拙訳です。
英語Wiki
ロシアは日本に対し度重なる敗北を重ねた、しかし皇帝ニコラウスはロシアが
勝利することと戦争を継続することを望んだ、最初に然るべき海戦*の結果を
待った、その後屈辱的な平和を回避することでロシアの権威を守ろうとした。
戦争はアメリカ大統領セオドア・ルーズベルト大統領の仲介によるポーツマス
条約により終わった。日本軍の完璧な勝利は世界中の観察者を驚かせた。帰結は
東アジアの力バランスを変え、日本の世界の舞台への再評価を結果としてもたら
した。あるアジアの力が一つのヨーロッパの力に近代に於いて軍事的な最初の
勝利であった。哲学者は今なほその戦争の歴史的な重要性を論じている。
* バルチック艦隊の勝利(訳注)
<Russia suffered multiple defeats by Japan, but Tsar Nicholas II was
convinced that Russia would win and chose to remain engaged in the war;
at first, to await the outcomes of certain naval battles, and later to preserve
the dignity of Russia by averting a "humiliating peace". The war concluded
with the Treaty of Portsmouth, mediated by US President Theodore Roosevelt.
The complete victory of the Japanese military surprised world observers.
The consequences transformed the balance of power in East Asia, resulting
in a reassessment of Japan's recent entry onto the world stage. It was the
first major military victory in the modern era of an Asian power over a
European one. Scholars continue to debate the historical significance
of the war.>
https://en.wikipedia.org/wiki/Russo-Japanese_
独逸語Wikiです。
露日戦争は、1904年2月日本帝国海軍のポートアルセイユ港(旅順港)への攻撃に
始まり、1905年の夏一連のロシア帝国側の損失の多い敗北で終わった。アメリカ
合衆国の仲介の下で取決められた1905年9月5日のポーツマス講和条約で、アジア
人のヨーロッパ巨大国家に対する100年来の初めての意味のある勝利を確定させた。
<Der Russisch-Japanische Krieg begann im Februar 1904 mit dem Angriff
des Japanischen Kaiserreichs auf den Hafen von Port Arthur und endete
nach einer Reihe verlustreicher Schlachten im Sommer 1905 mit der
Niederlage des Russischen Kaiserreichs. Der unter US-amerikanischer
Vermittlung ausgehandelte Friedensvertrag von Portsmouth vom 5.
September 1905 besiegelte den ersten bedeutsamen Sieg einer asiatischen
über eine europäische Großmacht seit Jahrhunderten.>
https://de.wikipedia.org/wiki/Russisch-Japanisch …
つまり戦いと云うものは、ゴングが鳴った時点で、勝ち名乗りを受けた者が
どんなにヘロヘロであろうが勝者であり、歴史にそう記録されるのです。
その後の経過、ロシア帝国の崩壊、日本帝国の勃興を見ても明白な事実です。
これは当時虐げられていたアジアの人々に勇気と希望を与えた事実でも有ります。
(ただし、これはいわゆる副産物です。日本が狙ったものではありません。
誇大に宣伝するのも考え物です。)
No.9
- 回答日時:
誰も、日本がロシアに負けた、などと言ってるわけではないのに、日露戦争では日本が勝ったと教えているのに、どうして自虐史観云々というアホが出てくるのか理解に苦しみます。
なんでもかんでも自虐史自虐史言いたいだけなのでしょうね。
No.10
- 回答日時:
日本の勝ちは譲れないところですが、少なくとも日本が負けたと言える戦争では有り得ません。
ただ、ロシアが負け惜しみ的に、「ロシア側に『負けた』と言える被害はなかった」などと言うのは、ロシア側の勝手です。
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