1. 一般および個別絶対性なる理論に立つなら どういう実践が出てくる
のか? 現実の生活はどうなるというのか? ――これにこたえる必要があ
ります。
2. 普遍神〔とわれとの関係〕は 言葉や概念・理念の問題ではなく ち
からの問題である。――これを明らかにするのが 特殊絶対性仮説です。
3. 要するにまづ 一般および個別絶対性は次のごとく説明されます。:
(あ) 名前の異なる神もみな 同じひとつの神であり その普遍神を仮り
に表わすシルシの違いに過ぎない
(い) 有る神のほかに無い神を 普遍神のシルシとする場合もある。互い
に同等である。
(う) 普遍神とわれとの関係なるわが非思考の庭――つまり信仰――は
そこからヒラメキにおいて得られる観想をオシヘとして・しかも――あろう
ことか――そのオシヘを信じなさいと他人に説く宗教 この宗教とは〔信仰
は〕 何の関係もない。
(う-a ) オシヘは 思想であって 普遍神のシルシではなくなる。あたま
の中に観念となってはたらく。俗に神は概念であり人間のこしらえたものだ
という説は このオシヘにおける観念の神のことを言っている。
4. そして――これら一般および個別の絶対性にもとづき ひとがそれぞ
れえらんだ――個別具体的な信仰は その実践において:
(え) 元気が出るということ。無根拠にあって元気が出るということ。
――これが 特殊絶対性仮説です。
5. 実践ないし現実の生活の問題として 元気が出る。これが その根幹
としての内容です。非思考ゆえ 無根拠においてです。
6. これが 基本として説明のすべてです。
7. 特殊絶対性は たとえば おれは神を見たんだという主観真実となっ
て表現されます。そしてこの特殊性は その人の主観内部でのみ 有効です。
8. この特殊なる主観を 思想として・またはオシヘとして表現したのが
宗教です。主観の外へ出たわけです。神を見たという主観は 他の人と共有
し得ません。し得たなら それは 観念としての神であって 神本体ではな
いからです。ふつうの信仰であっても 名前などのシルシを共有しているだ
けです。
☆ ご批判を自由にどうぞ。
9. (お) 思考や理念やあるいは信念のもとにもろもろの努力によって
出す元気は――むろん人間のものであり 一般に何の問題もありませんが
それは―― 元気が出たり出なかったりする相対性の問題だと考えられます。
10. (か) また そうだとすれば 特殊絶対性としてどこからか湧き
出るチカラは ふつうの精神・身体における人間のチカラとの二者択一の問
題ではないと考えられます。両方が 同時に現実であり得ます。
☆ 以上を問います。
A 回答 (4件)
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No.4
- 回答日時:
bragelloneさん こんばんは
人間の本性は、いわば、神から与えられたものだと考えることができると信じます。
身体の各々の細胞が一斉に働くことがあるとすれば、五感による認識を超えた自分の本当の姿を観ることがあるのではないか、と私は考えるのです。
数学や物理では表現することはできないけれども、
例えば、
人が霊を観るというのは、自らの心の状態を表していて、そこは危ないから早く逃げなさい。あるいは、そこを何とか治してください。ということではないか。
例えば、
最近、私が気になったのは、羽生結弦さんが金メダルを取った演技で、自らの怪我をした足とリンクに語りかけていた行為です。
彼は、あの時、優勝も確信していた。おまけに、曲も陰陽師だった。
人々は、感動して熊のプーさんんが飛び交った。
彼は、ゾーン体験をしていたのだろうか?天空から自分を観ていたのだろうか?
観客は、シンクロニシティしたのか?ミラーニューロンが働いたのか?
私には彼が神のように感じた。
十字架のイエスキリストもあのような状態だったのだろうか?
人間の本性を感じる者が自由意志を実現できるのではないか?
という、あくまでも仮説にすぎないお話なのです。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ 人間の本性は、いわば、神から与えられたものだと考えること
ができると信じます。
☆ 同感です。身と心――それに ブッダターやアートマンといっ
た神の霊が宿るという想定――を 自然本性( natura )と言うと
思います。
★ 身体の各々の細胞が一斉に働くことがあるとすれば、五感によ
る認識を超えた自分の本当の姿を観ることがあるのではないか、と
私は考えるのです。
☆ 別の言い方では ヒラメキ・啓示でしょうか。(あるいは 良
心のはたらきというのも 天与のものではないかと)。
★ 数学や物理では表現することはできないけれども、
☆ どうも そうらしいですね。
★ 例えば、
人が霊を観るというのは、自らの心の状態を表していて、そこは危
ないから早く逃げなさい。あるいは、そこを何とか治してください。
ということではないか。
☆ そういう場合というのは 或る種のヒラメキですね。
★ 例えば、
最近、私が気になったのは、羽生結弦さんが金メダルを取った演技で、
自らの怪我をした足とリンクに語りかけていた行為です。
彼は、あの時、優勝も確信していた。おまけに、曲も陰陽師だった。
人々は、感動して熊のプーさんんが飛び交った。
☆ そういう事例で聞いて驚いたのは 逆子の場合に きみは位置が
逆ですよと語りかけるのだそうです。そうすると からだの向きを直
すと言います。
★ 彼は、ゾーン体験をしていたのだろうか?天空から自分を観てい
たのだろうか?
観客は、シンクロニシティしたのか?ミラーニューロンが働いたのか?
私には彼が神のように感じた。
☆ 或る主観の内ではたらいたという意味で 特殊絶対性の部類に入
れてもよいのかも知れません。
★ 十字架のイエスキリストもあのような状態だったのだろうか?
☆ この場合は ふたつの見方を同時にするのがよいと考えます。
人間イエスとしては 大泣きに泣いたとあります。神の子キリストと
しては むしろすすんで・意志のもとに 磔に就いたと。
★ 人間の本性を感じる者が自由意志を実現できるのではないか?
☆ これには 悪魔の見方をも添えることになります。自然本性にさ
からってみなが おぞましく思うことを――おのが自由意志のもうひ
とつの自由度で――やらかしてやろうという場合です。
No.3
- 回答日時:
本棚の奥のほうを探してみて、『カント入門』石川文康(1995)ちくま新書 が出てきました。
153 ~ 156 ページのあたりに、オオカミ少年のお話と、ペテロの話と対比にして、道徳法則のはなしをわかりやすくしようとしているようです。定言命法とか仮言命法とか、そっちのほうがわからないので、道徳の話があたまに入ってきません。
ペテロの話はとても峻厳な話ですね。
ご回答をありがとうございます。
★ ペテロの話はとても峻厳な話ですね
☆ 迫害から逃げるのではなく それに甘んじる・・・ですか。
カントについては もう少し全体的な把握が必要なように思います。
No.2
- 回答日時:
カントさんの入門書のなかに、クォーヴァーディスなる逸話が挿入されているところがあったような気がしています。
著者はなにを言いたかったのでしょうか。
弱りました。覚えていないか 読んでいないかだと思います。
そう言えば プロレゴメナを読んでいなかった。
クオワディスは 小説ですね。ペテロの話でしたか。
でも これも よくは覚えていません。
弱り果てました。
カントは けっきょくあたらしい形而上学をつくれなかったのでは
ないかと思っているのですが。そのための予備学を推し進めたのだ
と思いますが。
申し訳ありません。
ご回答をありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
bragelloneさん こんばんは
>おれは神を見たんだ!
これはですね。たぶん、自分の姿を観たということです。
問題は、何故、誰もが神だと思うのかということです。
最近、IPS細胞の解明によって、臓器がお互いに物質によって指示を出し合っていることが分かってきました。
人は、何らかの生命を脅かすような危機的な状態に陥ろうとする時、自分の姿を観るということです。
あまり、良いことではないのでしょうが。
自覚のない危険な状態が分かれば、人は自由意志に目覚めて問題を取り除くことができます。
あくまでも、自分の問題です。そして、神によって救われたと思う。
信仰の強い人ほど、自由意志は強力に発揮されるのではないかと考えます。
そう考えると、宗教団体を信じている方々の自由意志が蔑ろにされているのは、皮肉なことになります。
誰にも責任のない、信仰の問題なのでしょう。
私の考えなので、参考になれば幸いです。
こんばんは。
☆☆ >おれは神を見たんだ!
★ これはですね。たぶん、自分の姿を観たということです。
☆ ええええっ?
錯覚ですか? ただしその見たものを 神そのものとはせずに 神を仮り
に表わすシルシ(補助線)とするのなら 別に問題はないと思うのですが?
つまり ただし:
☆☆ 7. ・・・この特殊性は その人の主観内部でのみ 有効です。
☆ ということになるはずです。
★ 問題は、何故、誰もが神だと思うのかということです。
☆ ふむ。
★ 人は、何らかの生命を脅かすような危機的な状態に陥ろうとする時、
自分の姿を観るということです。
☆ つまり――わたしが物言いを言っているのは―― この《錯覚》と
して観た《わが姿》は 神そのものだと思うのではなく そうではなく
神という正解へとみちびく補助線だと捉えていれば 別に間違いではな
い・・・のではないでしょうか?
★ 信仰の強い人ほど、自由意志は強力に発揮されるのではないかと考
えます。
☆ これは 度合いの問題であり その発揮される事態をほかの人がど
う感じるかのやはり度合い のことではないでしょうか?
つまり 《強力さ》は 必ずしも他と比較するような問題でもないかも
知れません。
客観的に測定できたなら 考え直さねばなりませんが。
★ そう考えると、宗教団体を信じている方々の自由意志が蔑ろにされ
ているのは、皮肉なことになります。
☆ 皮肉なことですし 実際問題として――本人の自覚に責任はあるの
ですが それにしても―― その組織が誘導するということは その誘
導する人間が 自己を偽っています。
だって 仮りのシルシ(補助線 あるいは 指の先ではなく指そのもの)
を無条件に受け容れなさい(つまり 信じなさい)というトンデモナイ
ことを考えおこなっているのですから。自己欺瞞です。
ですから:
★ 誰にも責任のない、信仰の問題なのでしょう。
☆ 責任ははっきりしています。
自己欺瞞する人間(特に指導者たち)が 不法行為をおこなっています。
指の先を見るのではなく指そのものを見て神だと思うその人たちそれぞ
れも 自覚が足りない間違いを犯しています。
このように考えます。
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