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主観的真実を失った結果、悲しみや絶望通りこして体の中が空っぽになり僕に訪れるのは空虚感と漠然とした不安だけです。力んでみても自分の感覚が戻ってこないのです。大好きだったベートーベンの月光やもののけ姫の主題歌etcなどの音楽を聴いても何も感じないのです。感覚としては握りこぶしをつくっている感覚があるのにじつは手がないといった感じでしょうか。(分かりにくてすみません)要するに宙にぶら下げられた自転車のペダルを急回転させている感じです。事の発端は19才のとき(現在24才)のことなんですけど一浪して北海道の短期大学に行くことになったのですが、北海道に行く前に自己をしっかりと形成しようとしました。そうでなければとても一人で暮らしていけないから、と思った訳です。そして自己を形成するために勉強するにつれて大人への欺瞞や特に親が僕の自我の形成を妨げていることに気付きました。今となっては親には悪気があって僕の自我の形成を邪魔しようとはしてなかったということは分かったのですが、当時は親は分かってて俺を邪魔しようとしてるに違いないと思っていたのです。だって僕より30年以上生きてきたのだから何がだめで何が良いのか分かってるはずだと思っていたからです。そして勉強していくなかで自分にとっての究極の主観的真実を発見したのです。その真実は感覚的な面が多く上手くは伝えられそうもないのですが、僕の持っている言葉で言うと「愛を語られたら何も言えなくなる」というとてもわかりづらい説明、舌足らずな文ですみません。
そして親父と喧嘩をしました。
自分からひっかけたのだからもう親父には甘えられない、一人立ちするんだという思いを抱え一人北海道へ行きました。北海道へ行き1カ月が立ち強いホームシックが現れました。同時に親父への罪悪感が芽生えて謝りたいと思いました。でも喧嘩した手前謝るのは屈辱でしかないと思い、でもつらくてつらくてしょうがなくなって親父に謝ることにしました。その結果自分が今まで築き上げてきたものが一挙に崩れました。驚天動地でした。まるで魂を引き抜かれたような感覚でした。そして後に残ったものは憎しみと空虚感、荒涼とした空間、空っぽの満足の空間としか言えないですがそういった諸々が僕が感じるところです。
今の現状は19才のときと比べると不安は落ち着いてきてはいますが、今苦しんでるのは自分のなかで残酷な妄想がおきるようになったことです。残酷な妄想はしてはいけないと自分に言い聞かせても反省する機能が止まっているのか消えたのか分かりませんが機能しないので、残酷な妄想を防ぐ手当がないのです。もう醜い自分を感じるのは嫌です。
僕は生きていたいです。死にたくありません。怖い思いをしたくありません。どうか知らない皆さん僕に言葉を下さい。皆さんなりのこの文章を読んだ感想を下さい。出来ることならアドバイスを下さい。

A 回答 (1件)

今、真実と思っていることも、未来においてそれが真実とは限らない。


あるいは、過去や現在における自分の価値観も、一生同じままではない。

主観と客観の2つで一つ。
一方に偏れば偏るほど、心(精神)のストレスは大きくなっていく。
そのそれぞれの落とし所(どのバランスが自分の心に負担にならないか。あるいは、この世で生きていく原動力になるのか)は人によって違う。
だから明確な回答は誰にもできない。

気質というのは、生まれてきてから幼少期までに作られる。
基本的に変えることはできないもの。
けれども、自分の気質を知ることは、自分が生きる糧を探す良い機会になると思う。
気質や性格は自分の断片であり、それが自分らしいという部分でもあるから。
マイナス面だけをみてしまうのは、人の性とも言えるけれど、
マイナス面があるということは、それに釣り合うプラス面が必ず存在するということ。
それをうまく引き出してあげる事が、精神の安定につながると、私は信じています。

貴方の安らげるものは、貴方自身で見つけるしかない。
しかし、今苦しんでいる事、悩んでいる事は、必ず意味があってそうなっていると思えれば、
少しは楽になれないかな。

歳を取らないと見えないものって、本当にあるから。
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