人生のプチ美学を教えてください!!

躁鬱病だと判明してから、激しい躁鬱の波を繰り返してきた母が、私の出産がきっかけになったのか、最近では比較的落ち着いた状態になってきました。

ところが、今日は母から散々な目にあわされ、情けない気持ちでいっぱいです。
と言うのも、おとつい頃から「もしかして、躁になったの?」と心配していたのですが、今日も一緒に出かけた母は、手持ちのお金を全て使い果たそうとし、それを止めようとした私を散々罵倒し、喫茶店で子供がぐずるので「もう帰ろう」と促す私に、「あんたは先に帰りなさい」と言って聞かなかったので、「お母さんを信用するから、すぐ帰ってきてね」と言って、帰りの電車賃が無い母にお金を渡し(細かいお金がなかったので1万円貸しました)、母の買った大量の荷物を持ち、子供を背負って家へ帰りました。

しかし母が帰ってきたのは夜の12時前。全く謝るそぶりも見せず、「お金は全部使った」と言う母に怒った私を、「あんたはお父さんと一緒で、私を縛りつけようとする最低の娘だ」と罵倒するのです。

昔の母はこんな人ではありませんでした。子供の目から見ても(多少の欠点はあれ)素晴らしい人でした。でも、躁状態になった母は、人を罵倒し、ひどい浪費をし、誇大妄想で昔の母の姿とはかけ離れた状態になってしまいます。

母が躁鬱病になってからというもの、できる限り母の心を労わろうとしてきたつもりですし、自分自身の心が揺さぶられ過ぎないようにしてきたつもりでした。
でも、何度も繰り返されてきたこととは言え、今日は久しぶりにとても胸が痛みます。
心の病気である母だからと言って、人の心を平気で傷つけていいのかと思ってしまいます。
病気だから許されるのでしょうか。性格なら許されないのでしょうか。

A 回答 (4件)

他人事に思えなくて回答することにしましたが、同じ悩みを持つ私自身、未だに折り合いはついていないのでお役にたてるかわかりません。



何十年もこの病気を患っていると、その人の人格と病の症状は不可分になってきます。 私も親の本当の人格は躁状態のそれか、鬱のそれか、もう考えるのはやめました。

お母さまの言動に質問者さんが傷付くのは、質問者さんがお母さんに質問者さんを傷付けるパワーを与えているからです。 「母が私を愛しているなら、こんなことはしないはず」「いつか昔の母に戻ってくれるはず」などの期待を一切捨てて、病気に苦しむ一人の人間として見てあげて下さい。

お母さまは治療は受けていますか? 躁状態の時は特に病院に連れて行くのは大変でしょう、本人はちっとも辛いとは思っていないのですから。 お母さまが信頼関係を築ける精神科医を探すこと、体にあった処方を見つけること、どちらも難儀ですが、あきらめないで下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
apollonia さんも同じ悩みを抱えておられるということ、そのような方の意見を伺えるというのは、励みになります。

>何十年もこの病気を患っていると、その人の人格と病の症状は不可分になってきます。 私も親の本当の人格は躁状態のそれか、鬱のそれか、もう考えるのはやめました。
> 「母が私を愛しているなら、こんなことはしないはず」「いつか昔の母に戻ってくれるはず」などの期待を一切捨てて、病気に苦しむ一人の人間として見てあげて下さい。

そうなんですよね。。。母の本当の人格は何なのか追求することとか、母に期待をすることとかは、母が長く患っている間にすべきではないと思うようになりましたが、やはり私がまだ子供なのか、母の状態が良くなると母に期待してしまうんですね。。。
母の治療も、躁鬱病だと判明してからずっと続けていますが、果たして、何らかの効果が出ているのか分かりにくいものがあります(薬の種類を変えても、症状はほとんど変わらないので)。。。でも、いい方法を見つけられるように頑張っていきたいです。

お礼日時:2004/10/17 12:04

病気でも許されない・・・と思ったとしても、対処法は病院に連れて行くしかないんですよ。

やっぱり。

スミマセン。励ましになってませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>対処法は病院に連れて行くしかないんですよ。

そうですね。どんなに焦燥感が募ろうが、病院での治療に頼らざるをえないんですよね。
ただ、母が躁鬱病だと判明してから、ずっと病院で治療を続けているものの、その効果が見えにくいものがあるので、家族全員が疲れてきているのも確かです。とは言え、母が一番辛い思いをしているというのは判るのですが。。。

お礼日時:2004/10/17 12:11

こんにちは。


私も、躁ではなく鬱ですが病気の人が身近にいるので、
お気持ちが少しはわかる気がします。

「病気だから許されるのでしょうか。性格なら許されないのでしょうか。」
という質問者さまの疑問に対する答えをはっきりと申し上げるのは、
#1のかたもおっしゃっているように、心の病気という面を考えると
医師にもカウンセラーにも、そして私を含むここの回答者の多くにも、
とてもむずかしいことだと言えるでしょう。

ただ一つはっきりしているのは、病気なのだからある程度は仕方なくとも、
今回のように、お母様のご病気によってご家族である質問者さまが
胸を痛められたり、心が傷つけられたりするというようなことは
やはりできるだけ少ないに越したことはない、ということです。

そしてそのようなことは、本来の性格によるものならば
この先一生、避けることはできません。
しかし、病気ならば薬を飲み、診察を受け、治すための努力ができます。
治る可能性も大いにあります。
この違いは、大きいと思いませんか?

ご質問に対するダイレクトな答えにはならないかもしれませんが、
このように、一歩引いて考えてみられてはいかがでしょうか。

今回のようなことは、本来の状態ならばお母様ご自身にとっても、
とても心の痛む状況なのではないかと思います。
ご本人もなりたくてなったわけではない心の病気なのだから、と
大きくかまえていられれば良いのですが、日々の生活を送っていく上では
おつらいことも多いですよね。自戒の意味もこめて共感します。

特に今回は、過去何回かあった中でも特に悲しく感じられたとのこと、
質問者さまご自身にも、カウンセリングなどの助けが必要なときではないでしょうか?
精神的にも肉体的にも、無理をなさいませんよう。
少しでも参考になれば、うれしく思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>しかし、病気ならば薬を飲み、診察を受け、治すための努力ができます。
治る可能性も大いにあります。
この違いは、大きいと思いませんか?

確かに、母の発病から、家族全員が治るという可能性だけを心の支えにしてやってきているというところがあります。これからも、その日が来るのを信じてやっていくしかないのですものね。

>質問者さまご自身にも、カウンセリングなどの助けが必要なときではないでしょうか?
そうですね。こっちが完全に参ってしまう前に、カウンセリングを受けるのも必要かもしれないと思います。色々お優しい言葉を頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/17 13:32

お母様の躁鬱病、大変でしょうね


といっても、私には身近に躁病の人も鬱病の人もいないのではかりえない苦労なのでしょう。

躁鬱病を患っている人は、鬱の状態でいるよりも躁の状態のほうが辛いと聞きます。
躁の状態の人は、笑いたいわけでもないのに笑っていたり、とにかく不必要に気分(テンションかな?)の向上が病気によって半ば強制的に行われてしまうのですから当然ですよね?

質問者さんも十分理解していると思いますが、やはり一番辛いのはお母様です。
躁病の時は病院に連れて行くのは難しいです。
実際に、躁鬱病の方は躁の状態に移行すると病院にそれまで通っていたとしても行かなくなってしまい、治療が困難らしいです。
ですから、やはり無理をしてでも躁・鬱どちらの状態でも病院にはなんとか連れて行くべきだと私は思います。

最後に。
躁の時にあたられたりして、質問者さんの心は本当にいたんでいると思います。
たとえ、相手が病気であると分かっていても。
でも、躁の時にそういった態度をとってしまったことが鬱のときに沈み込むことへの拍車をかけているのだと私は思います。
どちらが被害者なのか? ではなく、どちらも被害者なのでしょう。
被害者・・・という表現は大げさかもしれませんが・・・。

この病気は、治療に時間と体力、根気がとても必要です。
病院にいきました。
薬を貰いました。
飲んだらおさまりました。
はい、完治!
とは行かないものです。

ご自身がボロボロにならない程度に、お母様を支えてあげてください。
やはり、身近な家族の協力・理解がないとどうにもならないのですから・・・。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。

>やはり一番辛いのはお母様です。
>どちらが被害者なのか? ではなく、どちらも被害者なのでしょう。

そうなんですよね。。。
頭ではそのことを理解しているし、冷静に対処できるときもあるのですが、母の度を越した自分勝手な行動が続くと、病気だと思えど、自分の中の怒りが抑えられないときがあります。まだまだ修行が足りませんね。。。

お礼日時:2004/10/21 15:04

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