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刑罰って残酷だと思いませんか?JKです。
私はある種の運命論者です。というのも、例えばですが、微生物の動きを解明したとして、たぶん、動きは神経とか物理的なもので説明がつくと思うんです。

それって人間にも同じで、なにか過ちを侵した時、その時には物理的にそれしか選択肢がなかったと思うんですよ。

もっと言うなら、ある凶悪な殺人鬼がいたとして、その人と同じ遺伝子を持って、同じ境遇で生きたら、必ず誰でも殺人鬼になったと思います。

こうなると、そうするしかなかった犯罪者が、刑を受けるのは残酷だと思うんです。

やっぱり、刑罰は犯罪者本人の為にあるのではなく、たまたま運よく正常に暮らせている人間の為に存在することになるんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • やはり、刑罰はたまたま正常に生きていけた人間の為にあるんでしょうか?
    「いいえ/はい」 の後に理由づけした回答があれば、とても分かりやすくて助かります。

      補足日時:2018/04/30 22:45
  • kinesei4765さん回答ありがとうございます。確かに、境遇が同じだけであれば、色んな人物が発生すると思います。ですが、「同じ遺伝子」で同じ境遇であれば、私の例えでいえば殺人鬼になるのは真理だと思います。

      補足日時:2018/04/30 23:12
  • 魂や前世などの思想を持っている方、「人間の行動は遺伝子と境遇で決定される」という前提に同意していただけない方は、回答は結構です。本文に記述していなくて申し訳ありませんでした。

      補足日時:2018/04/30 23:40
  • はい。「人間の行動は遺伝子と境遇によって決まる」という前提に同意していただけない方は回答なさらないでください。

      補足日時:2018/05/01 00:01

A 回答 (26件中1~10件)

人類学の先生に聞いたほうが良いのでしょうか。

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ここも止まってしまったようですか。

仕方ない。

対話を心がけたつもりだったんですか" ?!

誰か私と 長らく 話せる人いないかなあ。
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人の自由意志すら、遺伝子と境遇によって決まってしまうとしたら、思考にすら自由がないとしたら、言葉で論じることになんの意味があるのか。



もしくは、自由意志があると信じることが錯覚だとしたら、その錯覚に気づくことができる人間はいるのか。
思考している自分自身を否定することはできない。
したがって、運命論的に行動規範が規定されるというあなたの説には賛成できない。
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とても巧妙なご高説だと思います。



しかしお若いですな。

私は死刑反対論者でふが、

罰全てに反対はしません。

運命論をどの程度と考えるかで、貴女の見え方は変わりますよ。

全てが運命でしかなく努力できないものとするなら、
それは、
悪も善もそのまま放置する事。
ある意味 慈愛でしょうが、
ある意味無責任です。

運命は、人に果たして、
全ての自由意志を奪うほどに存在するのか?

「そうでなければ」正しい教育はある


後世の観点の刑罰まで否定してわ、

世の中に溢れ行く不条理を何ら見ていないと同じとなります。

慈愛それは全てのものに平等な愛。
この完全版は、降る雪のごとく!
幸 (さち、ゆき)

縁が為。

エルミルシスティーア☆ミ


知ってますか?遺伝子や血液型は、最初の半分程度、
のちの後天的な、教育でこそ、
人は、自身を確立できる。
という説。

まだ人は自由意志を求め、
難しくも、自己向上のために、
社会安定、調和、正義などの問いと戦い続ける。

それもまた運命なのです
ね。

はて、貴女は、何を聞きに来たのでしたか?

刑罰を軽くする方法?

それとも自己の理論の正当性?

まぁ、まだ、長い物には巻かれろ、かも知れません ね。

世界。良き方向に導いて行ってください な。

貴方の良心が、悲劇に向かうこの世界の運命を変えていけるように、祈ります。

強くなってください!

節度が重要!

御前 (おんまえ)
そして優しさは、何より、
優れたるものです ね。

貴方の善意・前方に
運命の祝福あらん事を!
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ご心配なく。



刑法第39条
1.心神喪失者の行為は、罰しない。
2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

同法第66条
犯罪の情状に酌量すベきものがあるときは、 その刑を減軽することができる。

すなわち現在の刑法は、一律に刑罰を科すワケではなく、健康や個別事情にも配慮しています。
それ以前に、そもそも日本の刑罰は、処罰が目的ではなく、更生や社会復帰を主眼としており、受刑者の服役中に技能習得や資格取得などもさせています。
従い、「刑罰は犯罪者本人の為にある」と言っても良いだろうし。
一方の「正常に暮らせている人間」にとって刑罰は、むしろ「無縁」「不要」と考える方が妥当と思いますが・・。

それと、「人が人を殺す」と言うのは、人として究極,最悪の犯罪であって、これが不可避であると言う考え方は、ちょっと理解に苦しみますが、仮に不可避だとして、不可避だから処罰対象にしないと言う考え方は、更に奇異です。

ついでに、DNAに関して言えば、所説ありますが、現時点でも全く同じDNA型の人間は、存在しないとされており、加えてDNAには未知の領域が多々あり、それらの解明が進んだ暁には、100憶人の人類が地球が滅亡するまでの期間でも、同じDNA型の人間は絶対に現れないとも言われています。
環境も全く同じと言うことも、まず起こり得ません。

従い、「同じ境遇で生きたら、必ず誰でも殺人鬼」などと言う心配も、全く不要かと思います。
言い換えれば、ある人間が引き起こした一つの事件は、全て「オンリーワン」と言えるでしょう。
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昔は世界共通で、刑罰は数少ない娯楽だったのです。


今も公開処刑や石打ち刑、斬首刑を大量に続ける、娯楽のない中東やアフリカはそうですね。
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ある種の運命論者である質問者さんが



人間の自由意志を受け入れられるのか?
環境が変化することで、人間の進化の過程でおこなわれる自然淘汰による優勢な遺伝子が選択されて残るのを認めるのか?

遺伝子、環境、自由意志、と運命論の関りが問題のようですね。

人間は環境を変えることができるのか?できないのか?
真実は環境破壊なのか?環境改善なのか?

私は凶悪な殺人鬼にも他の人間と同じように、刑罰は平等に行われると考えているのですけれども。
質問者さんの優しい心が彼らの死を安らかなものにしてくれると信じています。
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「刑罰はたまたま正常に生きていけた人間の為にあるんでしょうか?」


  ↑
その通りだと思います。

人間は社会的な生き物なので、皆で生きていく生き方を選択しています。

遺伝だろうが、定めだろうが、人間社会の規範に背くものに、規範を守るために
刑罰を科す、という事でしょう。

殺人を犯せば、それは人間社会の規範を害したものとして、罰を受ける。
極端に言えば、悪質殺人であれば、「人間失格」の烙印を押され、死刑になる。

人間社会の平穏を保つため、がん細胞と同じで、害するものは排除される。
それが掟です。

その人間が遺伝的にどうこうとかは全く関係ない。

「同じ境遇なら、同じ殺人を犯したかも知れない。」なら、同じく死刑になるだけの話。
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No.17だが、


気がふれたものが癒してやると罪有る者に罰を下す。
これは罰ではなくて暴力である。その者はいずれ罰を受ける。
罰は人が定めた法に依る。もちろん間違った法もある。
我々が罪有る者に行うべき事は親切である。
もちろん無理をしてはいけない。

お前たちは信じられないだろうが神は罰を与えない。
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人間は罪を犯せば罰されることによって癒される。


人間以下になった人間も罰されることによって癒される。
罰は救いなのです。
人は動物は善良なのです。墨子の善良だとは言っていない。
お前もいずれ分かる。
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