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仲間等からけなされたりしても、動じない方法ってあるんでしょうか?人間だからもちろん感情的に腹がたったりするのは当然ですが、それを表していない人って確実にいます。(忘れているのか?と思わせるくらいです。おそらく本人が一番腹がたっているんでしょうが。)もちろん、年齢につれて大人になると腹もたたなくなるんでしょうが、やっぱり許せない範囲というものがあると思います。自分はこれだけは負けない!っていう、たとえば芸術的なものもそのひとつです。自分の絵とか制作した音楽とかをけなされるというのはかなりショックです。でももちろん人間の感じ方だって千差万別だし、たまたま真剣に作らなかっただけのときにタイミングが悪かったというケースもあります。それはそれで自分のなかで整理できそうですが、それで終わってしまうと相手には、自分がセンスのない人だとか、あれだけの人間なんだな、なんて思われてそうですごく癪なんです。また、自分の外見に表そうとしないでおこうと思ってわざと明るく喋ったりしても、見る人がみればショックに陥ってるこの人、、って思われます。
どうしてもこれだけは許せない!っていう、たとえば自分の子供のことをけなされて腹の立たない人っていないと思います。そういうことに対してバカにされたときって、皆さんはどうすればいいと思いますでしょうか、、?どう対処し、心のなかで整理するべきなんでしょうか?
また、長くなって申し訳ございませんが、けなされるということ自体されない人っています。それだけ威風堂々としていてけなす余裕を与えないのか、それともギャグセンスがあって面白くて仕方が無くてけなすと敵を作るとか、そういう類なんでしょうか、、そういう人って確実にいますけど、どういう姿勢で人間関係・コミュニケーションを心がけているのでしょうか?私が該当する!という方のご意見も、ぜひよろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

2回目になります。


回答に対しての答えが読み違えているようですので補足ということで・・・
goodtreasureさんの言う、

>友達が私にだまって他の人間とあそんで、私を誘わなかったということが判明したときに、逆に面白かったんだーよかったねーってわざと嬉しそうに反応すると、相手も逆にへこんだりする、というのは体験済みです

というのは皮肉って相手に気がつかせる方法ですよね。ウン、まあそれもいい方法だとは思いますが、ちょっと意地悪な気もしますよね。私の言いたいのは、間接的ではあるのだけれども、「けなす人」というのは比較的に損得勘定で物事を考えるようなところがありますので、人に飯などをおごることによって相手にその事を気がつかせるという意味合いを含んでいます。別に飯でなくてもいいんですが、とにかくけなす相手を多少なりとも哀れに思ってやり、まあとりあえず飯でも喰っておけ、という感じです。
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この回答へのお礼

なるほど、効果ありそうですね。私の場合も、過去にそんなことありました。そのときはジュースでしたが(笑) おごってやるよ。俺は君より大人だからって。でも相手もやっぱりけなすだけあって、子供でした。遠慮なくって感じで。損得勘定で物事考える人って、分かってくれる人とそれで終わってしまう人がいるんですよね。でも全然後悔してませんが。そして哀れに思ってやる、というのは同感です。
ありがとうございました!

お礼日時:2001/07/18 22:30

おはようございます.jume,2度目の回答です.



> でもその場に応じて反論が必要になってくるときって
> あると思うのです。その場に他の人がいれば、黙って
> いてはみっともないし、けなした本人の考えが間違っている
> ということを認めさせないと、自分の芸術的作品に対する
> 第三者の見方がガラリと変わってしまうのです。
> そのために速い知的センスに富んだ切り返しが必要になって
> くると思うのですが、まつわる体験談等もしあればぜひ
> よろしくお願いします。

単なる「罵倒」か丁寧な「批評」か見分けるためには,「根拠」を問うてみることです.根拠も無くて否定するような発言をする人は大抵,「罵倒者」です(自己の発言に対する責任の有無).ただ芸術作品の場合,批評が仕事になるような世界ですから,感想や批評を言葉にすること自体が難しいです.だから簡単に,「罵倒者」だと決め付けないで,根気よく「対話」してみてください.その人が一生懸命,何かを伝えようとしているかどうか,コレも極めて重要なことです.

「芸術」は,一種のコミュニケーションです.自分の中の論理的な言葉にならない何かを絵や詩や音や動きで表現するものです.それ自体「対話」と言っていい.ですから,相手と作品を巡って「対話」を交わすことは,芸術(表現)活動の一環と考えて良いように思います.

わたしは高校時代,演劇をしていて,そこで「沈黙」とともに「対話」を学びました.対話によって,自分の価値観に揺さぶりを掛けるんです.「本当に,これで良いのか?」という具合にです.少し疲れを感じたら,あるいは辛くなったら,休む.沈黙するんです.でも,黙ったままだと作品にならないので,また口を開き対話を始めます.なかなかスリリングな現場でした.辛いことも,少なからず在りました.でも,一緒にいる仲間が好きだったし,楽しかったから,何とかなりました.楽しくなくなったら,芸術活動は終わりかなと思います.楽しさが消えると,ただ辛いだけ.辛さを乗り越えられなくなるんです.でも,逆にいえば,楽しいうちは,いつまでもやっていける活動でしょう.もし,芸術活動の楽しさを知ったのなら,それは儲けものですよ.それは一生ものですからね.わたしは,かつての仲間と細々とですが演劇を続けています.
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この回答へのお礼

ひょっとしたら・・・というか確実に私はそういう人と離れてしまうのを恐れていたのかもしれません。
もちろん芸術の面で共有したいものがある、という理由で。言い換えると自分という人間が彼にとって
必要でないと思われるのが嫌だったのかもしれません。それは同時に彼の能力を認めることに
なりますが、振り返るとそのことを否定していた自分に気づいていませんでした。
もちろん彼にとっては私はセンスのある人間だ、と見られているようにだし、媚びる必要性はまったく
ありませんが、これからもお互い共有するべきものを共有していこうという前置きをしてから
話し合うべきなんでしょうかね。仲たがいはしない、という前提を少しずつ作っていく。変な話、
口喧嘩があたりまえという環境をまず作っていくことも大事なようです。(アメリカの口論の場
はそれが普通のようですが。)そしてけなされたときは逆に心の中で、ありがとう、分からせてくれて。
今にすごくなってやるから。と心に誓うべきなんでしょうね。むしろ忘れて流されていくことのほうが
怖いので、それだけはない様に注意したいと思います。

お礼日時:2001/07/18 22:16

そうタイミングが悪くて言い返せないときってありますよね。

私も良くありますよ。特に車を運転しているときなど、他のドライバーにけなされて、逃げられてしまったり、会社などで、言い返そうと思っていたら自分宛に電話がかかってきたり。そういうときは、あとで家内に話ます。けなした相手がどれだけアンフェアで無知で礼儀を知らない「どアホ」であるかを理詰めで話します。大抵家内は「そんな奴はどうせあとでしっぺ返しがくるから、無視しちゃいなさい。」と同意してくれます。
ちなみに私の家内は霊感が強く(私はそういうことはあまり信じませんが)、子供の頃、家内をいじめた子にはあとで必ず不幸が起きていると言っています。
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この回答へのお礼

2度目のご投稿、誠にありがとうございます!“無視”というのは私もかなり有効に思います。
そうですよね。そこで反論しても相手のためになるだけですもんね。それならスコンチョさんのところで
書いたように、将来的に見返してやろう!っていう気持ちを持ったほうがいいのかもしれません。
余談ですが、一年前ほど、芸術の面で私はあまりに腹がたったことを言われ、かなりどうしようかと迷いましたが、
そのときは黙っていました。しかし、その次の発表の機会で、もちろん違う作品ですが、私の作品が
万人受けしたのです。このときの痛快さと感動といったらありません。これは一年前のことですが、
現在もたまに彼が居る場で、第三者が今だに私の作品を誉めたりします。「いまに見てろ!おまえがトイレに
言っている今!テレビ見てる今!俺が追い抜いてやる!」てなくらいの姿勢で取り組むといいかもしれませんね。
(さすがにちょっと行きすぎだけど・・(笑))
ありがとうございました!無視の効用性を知ることができました!

お礼日時:2001/07/18 22:15

 goodtreasureさん、2回目の登場スコンチョです。

(^_^;) 

>>なんか癪なのは、例えばその場では私が仲間になったばかりとか、
>>そういうケースのとき、けなした本人のほうが優位に立つことができ、
>>なにをやっても許されるというか、見ていなかった振りをされます。

 私も同じような経験があります。しかし、複数名のメンバーでこう
いった行為がおこなわれるということは、そのメンバー内では他人を
落とすことで笑いをとったり、話題にしたりという事を普通にやって
いる場合が多いですね。


>>その仲間から完全に嫌われているとかそういう類ではないし、今後
>>も付き合っていきたい、だからこそ、この優位の差とその人に対す
>>る心の整理の仕方をどうすればいいか、、と思うんですが、、それ
>>についてはどうお考えでしょうか?もしよろしければお願いいたし
>>ます。

 これが仕事の関係であれば、ある意味だまって我慢するしかない
でしょう。相手を好き嫌いで選べることではないですから。

 しかし、文章を読む限りではプライベート(趣味の領域)のよう
に思えました。それであれば、次の三択でしょうか。

1.そういったグループには入らず決別する
2.部分的(一緒にやりたいことだけ)にのみ付き合い、あいての
  人間性は認めない。(その人たちと接触を持つのは、やりたい
  事への方法論として割り切る)
3.日常的に相手をけなすやりかたに、自分も同化して付き合う

 まず3の選択はかなり無理があります。goodtreasureさんが
嫌だと思っていることを、スマートに嫌われずに相手に対して
やれということですから。

 相手はこちらの嫌うことをやってくるけど、その人に対して気持
ちの整理だけで、上手く付き合っていくというのは、ある意味では
矛盾している思います。が、2を選択するなら「嫌な気持ち」と
「その人たちと付き合って得られるメリット」を天秤にかけてみた
らどうでしょうか。

 そもそも、プライベートの時間というのは、嫌いなことをやる
とか嫌いな人と付き合うべきではないと考えます。なぜなら、人生
で知り合える人というのは数に限りがありますから、自分とあわ
ない人たちにあわせていく努力をしていくよりも、無理なく一緒に
楽しい時間を過ごせる仲間と出会える努力をする方がポジティブだ
と思います。ただ、なんとなくその瞬間に、その人たちと別れるの
は、もったいないような気がするものですが。

 ですので、どうしても嫌だと思っている相手(及びメンバー)と
上手くやっていきたいというのは、先に私が書いた内容(人間関係
を分析整理する・社会勉強)の練習と捕らえるか、やりたい事への
手段と捕らえるかという問題であり、goodtreasureさんが人間的に
優位だから我慢できるとかいう事とは違うと思います。
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この回答へのお礼

スコンチョさん、2度目のご投稿、誠にありがとうございます!
まさにおっしゃる通り、趣味の領域での付き合いで起こったことでした。
そして、おっしゃった3択を、どこかで考えていたように思います。ただ冷静さを失っていたので
整理できていなかっただけで、スコンチョさんのおかげではっきりしてきました。ありがとうございます!
そして、2番の「嫌な気持ち」と「その人たちと付き合って得られるメリット」との間で付き合っていくというのが今の私の
最良だと考えます。相手もサックスがうまいとかいう類で芸術的に優れているし、それを武器に私をけなしてきたんでしょうが、
私にも芸術的な武器はあります。だからこそ相手もいままで付き合ってきたのでしょうが、
今後の方法としては、メリットは確かにあるけども我慢も嫌なので、
間違っているところははっきりと冷静に話し合うようにする。そして、心の中ではいつか、私のほうが
上に立つ!そのときは知らないよ。みたいな姿勢で努力してみようと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2001/07/18 22:14

私は まだまだな人間なんだなと思います


嫌いな人で意地悪でけなされてるとしても
必ず自分に落ち目があるから
次への成長のチャンスととります 
これをなおせれば自分は成長できるって
自分よりその分野で劣ってる人間としても それはいい意見だと思います
簡単に言うと 他人に左右されない 強い意志と 何事も受け入れれる広い心って感じかな
怒りで怒りを反発してもしんどいし プラスに考えて受け流すようにしてます

自分の子供(まだいないけど)がけなされても  私は同じですね 生まれた時点で子供の命だし人生で
私が手を出して 子供が成長(自分がいいと思うように)するチャンスを逃したくないしみたいな感じです
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この回答へのお礼

>次への成長のチャンスととります 
そうですよね。そういう柔軟な考えも必要ですよね。けなされたらけなされただけ成長する、、でもそれだけではだめなときもあるみたいです。相手が馬鹿だと、例えば自分の作品が悪いと他の人に言いふらされるとか。そこまで考えたとき、けなされたときの対処方ってどうしても必要になります。それが難しいんですよね、、数多くけなされることが必要なんでしょうかね 笑
ありがとうございました!

お礼日時:2001/07/18 02:25

少し自戒を込めて書き込みます.



「けなされた!」と思うとき,わたしは冷静ではありません.頭に血が上って,はらわたが煮えくりかえっています.ムカムカ,イライラ,ビキビキ状態です.自分でも手がつけられません.そんなとき,口を開けば,わたしは,「なんだ,このやろう,ふざけんなよ!」と相手の罵倒をはじめるでしょう.そして,数日後,ようやく冷静になってから,酷く後悔するのです.相手の言うことももっともだった,わたしの反論は単なる罵倒に過ぎず,それは「けなし返し」でさえあった,そんなことに気づかされるからです.

それに気づいたのは,もう何年か前の事ですが,今でもそんなことをくり返しています.進歩の無い人間だと,つくづく思います.しかし,あえて進歩と言えるものがあるとするなら,「沈黙」することを学んだということでしょうか.「けなされた」と感じたとき,感情のままものを言うのではなく,あえて沈黙してみる.しばらく黙ってみる.落ち着いた考えができるようになってから,口を開くと,案外,泥沼になりません.ユーモアと頭の回転の速さでその場を切り抜けられない口下手には,良い方法だと思います.(本当は皆さんの言われるようにその場で何とかできればいいのですが…)

ところで,芸術や学術の分野で真摯な対話が為されるとき,「けなされた」と思うことは禁物です.それは,自分の能力を向上させるための批判であることが多いからです.ただし,時にはルールをわきまえず,罵倒を仕掛けてくる人間もいますが,彼らは批評家ではありません.無視してください.

キィワードは,落ち着くこと・相手を敵と思わないことでしょう.できれば笑顔も添えて.

この回答への補足

ありがとうございました!なるほど、、芸術の面においては自分の能力を向上させるため、と割り切ることも必要だということですね。その面では冷静さにかけていたと思います。そして罵倒を仕掛けてくる人間は批評家ではない、というのもその通りだと思います。無視すべきですね。そして、私も今後のこともあるので最近までは極力黙ってきました。変な例ですが、ある芸能人の息子(念のため実名は控えさせてください。)が、某売れっ子有名人にサインを求めたら、彼は売れっ子で、調子に乗って手のひらにつばを吐きかけたそうです。父は泣く子を見ながらどれほどはらわたが煮えくりかえったことでしょう、、でも我慢したそうです。その売れっ子は今比較的落ち目。そしてその芸能人はたまにこのことをテレビで言ってます。そういうやり方もあるんでしょうね。でもその場に応じて反論が必要になってくるときってあると思うのです。その場に他の人がいれば、黙っていてはみっともないし、けなした本人の考えが間違っているということを認めさせないと、自分の芸術的作品に対する第三者の見方がガラリと変わってしまうのです。そのために速い知的センスに富んだ切り返しが必要になってくると思うのですが、まつわる体験談等もしあればぜひよろしくお願いします。

補足日時:2001/07/18 02:12
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私もNo#1February算と同じ意見です。


悔しさが、頑張ろうという気にさせるのです。
そして後から考えたら、嫌なことをいってくれた人のお陰で自分が成長していたということに気づくものです。
そして、芸術でも誰でもが、ピカソの絵を誉めるわけではないので、ピカソの絵をけなす人もいるでしょう。
ピカソが聞いたら、すぐ腹を立てて怒ったでしょうか?
自分がこれで良いと思ったら、それが自分にとって一番よいことでは?
人の意見に振り回される自分がいるという方も見つめてみてはいかがでしょう。
なんて偉そうなこと言ってますが、何度そのようなことに遭遇したか分かりません。
打たれ強くなっていくのですね。

参考URL:http://www.motowa-kochira.com/waru.htm
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この回答へのお礼

そうですね。そいつ(笑)のおかげで後で成長できるのは確実で、確かなことだと思います。そしてピカソを例にあげられたのがすごく説得力があり、納得してしまいました(笑)。ピカソは人にけなされることもあった、でも乗り越えて大きくなった、または、けなされても自分を信じた。だから大きくなれた。そんなとこでしょうか?人の意見が大事なときもあるし、そうでないときもある、ということですね!自分の成長のための人の意見、という見方をしてみようと思います。ピカソのように大きくなるために(笑)。ありがとうございました!

お礼日時:2001/07/18 02:00

私は、絶対にかるくでも言い返しますよ ましてや


子供のことなんかだったら 相手の痛いところをチクッと
自分だって云われたくないのに 人のことだったら平気で何でもペラペラしゃべる人は 自分以外の痛みのわからない人 今まで生きてきた世界のものすごく狭い人ではないでしょうか 色んな人間と色んなお付き合いがあって つまらない思いはだれでもしてくるものです だからこそその事を学習して自分は人からそうは思われないようにしようって 思うんじゃないんでしょうか でもね わかんないで 人の傷をドスドス踏む人には 私は言い返します
でも あなたがいま 立場的に言い返せないんだだったら
お友達を変えましょう 世間は広いからきっと貴方の考えに近い人や共感してくれる人がいますから 
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この回答へのお礼

そうですね。昔は私もかなり我慢強く(我慢強いのではなく言い返せなかっただけなのかもしれませんが)、けなされたときは黙っていました。逆にあとで見返してやろうと。でもその場に応じて、相手の欠点、穴を見つけて言い返していかないと神経がもたないんですよね。でも怖い人、っていう印象を第三者に与えかねないので、、、それが難しいところ。結局は慣れなんでしょうかね。ありがとうございまいした!

お礼日時:2001/07/18 01:51

相手をけなす人という、この「けなす」という行為は褒められた行為ではありません。


人間的に未熟であるとか、何か別の理由があってするのか、状況によりだとは思いますが、私の場合は自分のことを言われる分には全然平気です。もう大人の年齢ですので面と向かってけなされることはほとんどありませんが、そうなった場合でも、けなしている相手の顔を見ながら「どうしてこういう事を言うんだろう。何か癪にさわることでも言っただろうか。それとも腹が減って気が立っているのか?」なんて考えてしまいます。案外ほんとうに飯を抜いていたりする場合は飯をおごってやります。(笑)
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この回答へのお礼

ある意味、とくにオーディエンスがいる場合は相手をだまって“見つめる”ということが効果的、ということでしょうか?(“見つめる”というのがポイントで、にらんではいけない。)でも、飯をおごってやるっていうのは面白いです。私もたまにそんな一面を友人に見せることがあります。友達が私にだまって他の人間とあそんで、私を誘わなかったということが判明したときに、逆に面白かったんだーよかったねーってわざと嬉しそうに反応すると、相手も逆にへこんだりする、というのは体験済みです(すんません、へんな例えで、、)。状況に応じてそれも効きそうですね。ありがとうございました!参考になりました!

お礼日時:2001/07/18 01:48

>仲間等からけなされたりしても、動じない方法ってあるんでしょうか?



慣れだと思います。

>人間だからもちろん感情的に腹がたったりするのは当然ですが、それを表していない人って確実にいます。

一つの考え方のですが、人をけなす人はけなす行為が楽しいのではなく、けなした相手がその言葉で動じる表情を見るのが楽しいのでしょう。
けなされたぐらいでいちいちへこんでいると、相手の目的を達成してあげたことになり、これを阻止しようと思えば少々じゃ動じなくなります。

>自分の絵とか制作した音楽とかをけなされるというのはかなりショックです。

なんでもそうですが、評価は自分ではなく人が決めることです。
けなされたのであれば、それも一つの客観的な評価です。真摯に受け止めましょう。そしてその原因を考えて、今度はけなした相手をぎゃふんと言わせるようなすばらしい作品をつくるようにガンバルことが進歩だと思います。

>たまたま真剣に作らなかっただけのときにタイミングが悪かったというケースもあります。

真剣に取り組んでないものに厳しい評価が下ってもそれはしょうがないのでは?
作品はあなたのブランドでもあることを考えて、そのような物は世に出さないのが懸命です。

>どうしてもこれだけは許せない!っていう、たとえば自分の子供のことをけなさ皆さんはどうすればいいと思いますでしょうか、、?どう対処し、心のなかで整理するべきなんでしょうか?

自分ひとりで悩んで考えていても何も始まりません。黙っていたら相手の言葉を容認したことになります。
どうしても許せなければ、相手に徹底的に抗議します。
「どうしてそんなことを言うのか?」「どうしてそう考えるのか?」
「そんなことを言われるととても不愉快だ!」
お互いに納得するまで議論するのが基本です。(現実にはなかなか…)

>けなされるということ自体されない人っています。

「笑われて笑われて 偉くなる」「怒られて怒られて強くなる」
という言葉があります。
みんな例外なく けなされて 笑われて強くなってきたと思います。
要はそれをどう考えるかで、より自分を磨く材料ぐらいに考えられるようになれば、一歩前進です。
ちなみに大人の世界はもっとシビアです。どんどん正面からはけなされなくなります。自分を磨く指標を失い、これもさびしいものです。
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