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この間「自由と平等は相対立していて、同時に存在することは難しい」と聞いたのですが、どういうことでしょうか?フランス革命などの歴史を見ると「自由と平等」という言葉を掲げて革命を起こしたりしていると思うのですが、それは無理のあることをしようとしていたということなのでしょうか?

A 回答 (6件)

自由と平等について深く考え進めてみると



1. 平等ついて
  平等のシンボル的なものに普通選挙制度があります。民主主義の原則です。しかし、現在の普通選挙制度は、破綻を来しています。
 普通選挙制度は、その制度を維持するために守らなければならない原則があります。それは有権者はその情報、科学的な知識、倫理観等に個人差が無く、平等でなければ成り立たない、ということです。衆愚政治に陥ってはならないのです。
 しかし、現実はレベルの低い人ほど、教育期間が短くなっています。レベルの低い人ほど、教育を受けることを嫌がる人が多いのです。(教育制度が悪いのかもしれませんが)
 このように、平等を維持しようとすれば、常にレベルを維持する努力が必要となる。この努力たるや大変なものである。これは多大に自由を束縛する。レベルの低い人ほど、普通の人ほど束縛は大きい。
これが出来て初めて自由と平等は両立するのです。

2. 自由ついて
  現状の衆愚政治の中で(莫大な国債残高を持つ政治であるのでこう言ってもいいと思います。私も含めて衆愚。)才能あるひとは海外に流出していきます。多数決でものが決まり、民主的な社会ですが、衆愚政治であるため、多数決を破壊する才能あるひとは敵視されるのです。才能や能力を自由に求め評価する人は阻害されるのです。アインシュタインは、私の敵は私を理解しょうとしない凡庸なる人たちであった、と言った
のです。

的外れかもしれませんが、私はこのように感じました。
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フランス革命の「自由・平等」には、もうひとつ「博愛」があります。

この3つは本来、別の流れのユートピア(理想郷)を求める考え方をひとつにまとめたもので、当時から不可能だという議論は続いていました。そのあたりはNo1,No2,No3の方がそれぞれ書いてくださっているとおりです。無理のあることをしようとしていたのか、といえば、そうだ、と答えてもいいと思います。

ただ、ジャック・アタリという思想家は、「自由と平等は矛盾するが博愛がそれを解決する」という意味のことを書いています(「反グローバリズム」彩流社)。自由は富を蓄積する権利を優遇し、それが不平等につながるのだが、博愛はそうした他人の成功を喜べる、平等は自由を侵害するが、他人と分かち合うという博愛の喜びによって思想として生きる、ということです。
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政治学の授業では自由と平等(民主主義)は同時に成り立たないとよく言われます。

民主主義というのは、財産と教養を持たない「大衆」に政治を任せることであり、危険な考えだと思われていました。自由主義というのは、財産と教養を持つ少数の「市民」(ブルジョワ)が適切な政治を行うことで、近代市民国家を正当化するイデオロギーでした。当然この二つは、対立していました。しかし、トクヴィルという学者が、その二つを統合することが可能なのではないかと言い、自由民主主義という言葉を作りました。それ以来、なんとなく自由と平等は並立で論じられます。
 フランス革命でも結局は、市民を支持層にしたジロンド派と男子普通選挙制を求めた(大衆側の)ジャコバン派が対立しました。
 無理かどうかは分かりませんが、両立しにくいのは確かですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/30 09:07

フランス革命とかでは、時代背景を前提にして、民衆の、そのときの境遇と比べた自由、そのときの境遇と境遇と比べた平等、が、掲げられていたのだと思います。



自由とか平等とかって観念的な言葉なので、観念論だったら、対立するという説明もできるし、矛盾するという説明もできるのだと思います。

「自由競争が認められれば、競争した結果として格差が生まれて平等にならないから、自由と平等は矛盾する。」

「生まれたときから身分が決まってる時代じゃないんだから、貧乏人だって一生懸命働けばそのぶん金持ちになれる。チャンスは平等にあるしそれにチャレンジするかどうかは自由だ。」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/30 09:20

原文の前後の脈絡が分からないので想像でお答えしています。



恐らく「自由」という言葉の内容が違うのではないでしょうか?フランス革命の「自由」とは王侯貴族などからの抑制からの解放を意味していると思います。それまであった封建的な社会で、特に農民などが土地所有の権利を奪われているなど身分による不平等=不自由がありました。そういった身分による不平等の解消として革命を捉えた場合、「自由」と「平等」は並列して考えることが出来ます。

それに対し現代社会では身分制度を背景とした不自由は既になく、職業の選択も商売の方法も一定のルールを守れば基本的に自由です。お上から管理されている経済社会とはことなり、個々の国民が自分の意思で自由に経済活動を行う自由がある状態、つまり自由主義経済です。

政府などが価格や生産量をコントロールする形態とは違い、自由主義経済では競争原理が働きます。その結果経済的勝者と敗者が生まれ、貧富の差、別の言葉では富の不平等が発生します。

「自由と平等は相反する」という命題はこういった考え方から来ているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/30 09:06

↓のサイトに簡単な説明があります。



「自由と平等」
http://otsu.cool.ne.jp/aoi_yamano/majime1.html

以下抜粋です。
-----------------
しかし、今現在

もう21世紀になったのに、私達は『自由』と『平等』を手に入れていません

『自由』を謳う国には『平等』がありません

『平等』を謳う国には『自由』がありません


何かを『自由』にすると、そのチャンスや結果は『平等』ではなくなります

何かを『平等』にすると、『自由』という言葉そのものが無くなってしまいます
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/30 09:05

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