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哲学などの概論を読んでいて、ひっかかる疑問があります。

古代から始まる哲学の歴史を読みながら興味深く読めるのですが、だいたい近世以降くらい?からか少し難しくなってきます。特にカントなどが現れた頃からです。

この人たちが問題にするのは理性とか、存在とかそういうものですが、自分はどうしても科学的な気持ちが邪魔してしまいます。例えば存在するみたいな主題があると、自分は科学的にそれを捉えてしまいます。

存在するっていうのは、単純に親から生まれた。これを辿ると先祖の先祖、つまり人類が生まれた時にまで行きつきます。これを哲学においては、やや抽象的な解釈をする。ここがどうしてもつかめない。それを言えばおしまいじゃないかと思っても、どうしても科学的に考えてしまうのです。

理性とか経験とかもそうですよね。心理学や科学、物理が発展した世の中ではどうしてもそっちで解釈したほうが早くないか?って思ってしまう。でも哲学には哲学の見方がある。これはどうすれば身につくのでしょう?哲学の見方が出来ればもっと哲学を楽しめるのにと思ってしまいます。

A 回答 (8件)

古代から始まる哲学の歴史を読みながら興味深く読めるのですが、


だいたい近世以降くらい?からか少し難しくなってきます。
 ↑
この世には色々不可思議なことがあります。
人間は、知性があるので、不可思議な事を説明
しようとします。

最初は神話で説明しました。
しかし、次第に神話では飽き足らなくなり、哲学と
なりました。

その哲学もキリスト教と結びついたので、一神教との
整合性を保つため、やたら理窟っぽくなったのです。




存在するっていうのは、単純に親から生まれた。これを辿ると先祖の先祖、
つまり人類が生まれた時にまで行きつきます。これを哲学においては、
やや抽象的な解釈をする。ここがどうしてもつかめない。
  ↑
人間存在だけではなく、もっと広く普遍化
一般化するのです。



心理学や科学、物理が発展した世の中ではどうしてもそっちで
解釈したほうが早くないか?って思ってしまう。
でも哲学には哲学の見方がある。
これはどうすれば身につくのでしょう?
哲学の見方が出来ればもっと哲学を楽しめるのにと思ってしまいます。
  ↑
哲学の意義は、本来は真理発見にあります。
しかし、真理の発見なら科学の方がはるかに
優れています。

哲学と科学の違いは実証にあります。

科学は実証しますが、哲学はしません。

つまり、実証出来ないモノは科学の対象になりませんが、
哲学の対象にはなります。

そこが哲学の弱点であり、かつ魅力でもあると
考えています。

実証にこだわらなくてよいのですから、自由な発想、
思考が可能です。

その結論が正しいかは、後生になって科学が
実証してくれます。
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近世以降って翻訳が悪いです。


翻訳者が難しくしてる気がします。
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私はバカなので、哲学という言葉の意味を知るのに、あと50年ほど必要です。

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親から生まれた私には、同じ親から生まれた兄がいます。


では何故、私は兄ではなく私であったのか?
このような疑問を持つか持たないかで、読める哲学の種類も変わってくるでしょう。

ソクラテスの頃は、善く生きるとは、とか、徳についてなどが問われ、その事によって人間は只生きる事から飛躍した高次の人生を獲得することになりました。

意識についての問いも同じかもしれません。例えば自分がアメーバのように分裂して、二人になったとする。一方は自分であるが他方は他人になる。どうして自分は"こっち側"なのか?
このような問いは自分の無二性を顕現するものであり、他の誰とも違う自分自身と言う個性を主張するものとなります。この様な問いを持つことで、誰も彼も一緒くたでは無い、人はそれぞれに固有の人生を歩める様になる。

哲学は大体、数百年、場合によっては千年、二千年程、世間の先を行っている様に感じます。現代哲学の先端が何をしているのか知りませんが、今から数百年後の世の中の常識を作っているのだろうと思っています。
例えばクオリアや言語学なんかの示唆する問いは、創造すると言うことはいかなる事か?という事になると思われます。個性を獲得した人々が、今度は創造性を、つまり創造的な人生を獲得して行くと考えられます。今よりもっと未来の話です。

つまり人間社会が可能として来た、善や徳の獲得、個性や無二性の獲得、創造性の獲得、と、変容しつつ進んできたこの系譜を、哲学が先行的にやって来たのでしょう。
また、自由や平等と言った古典的な概念についても常に問い直されて深められて行くことで、新たな地平を人は開拓して行く事でしょう。その様な営みを哲学というのでは無いでしょうか。

哲学は哲学界だけのものではありませんが、つまりはそういう事だと思います。哲学をすると言うことは、この様におもしろいのだと私は思います。
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科学は、現象しか捉えられないですから、「認識論」や「存在論」、「形而上学」は、その対象になりません。


したがって、それらを解釈しなくて良いなら、科学で充分でしょう。
哲学の見方自体は、いくらでも方法があります。
「現象」から、「現象」以外で成り立つ条件を考えるのも「哲学」です。(これは、すこぶる困難です)
科学であっても、その根源的な理由を考えるならば、「哲学」になってしまいます。(現象として現れないので、実験や観測が不可能です)
優れた洞察力が必要ですが、それを身に付けるには、かなりの自制力が必要でしょう。
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血筋において生まれて来て生きているその《存在》。



《いま・ここにいるというだれだれなる存在》 これも 哲学は扱います。

この素朴な実在の認識から始めます。



ただ 数学が数量として抽象化して捉えるのと似て いまの具体的な存在
を けっきょく概念として・さらには観念として それは どういう意味
内容を持つか・・・といったようにして考えることをもおこないます。

観念ともなれば すでに経験的な事物から――想像力によって――離れて
しまいます。



そのとき そういった抽象化が必要かそうでないかについて考えるの
も 哲学です。
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哲学を語るには、膨大な基礎となる知識や経験が必要で、


過去や他人の書はその類であり、賛同や否定の対象でもありません。
解答がない世界だから楽しめるのだと思います。
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物質としての存在と、『我思う故に我あり』的な思考としての存在は、分けて考えないといけないのではないかな。



ただ哲学や心理学は、『本当にそうなのか?』証明されていないような説が、独り歩きしたりするので。とっつきづらいですよね。マズローの五段階欲求とか、ユングの夢診断とか。とっても嘘くさい。
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