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質問させてください。
室町時代は公家一党(天皇)の政治を後醍醐天皇が行い
武士への恩賞は天皇が采配していたと思いますが
南北朝以降足利尊氏が将軍職について以降各地の領地決めは尊氏が行っていました
戦国時代以降は各地の守護大名が各々土地を守る形になっているかと思われます。

ここで本題ですが、南北朝以降の公家(天皇)への年貢(?)上納米(?)等はどうしていたのでしょうか
信長が出始めたころの公家は死にかけてたという話も聞きますので、やはり公家への年貢みたいなものはなかったのでしょうか
若しくは、あったけれど少なくなっていったのでしょうか
教えてください

A 回答 (1件)

> 南北朝以降の公家(天皇)への年貢(?)上納米(?)等はどうしていたのでしょうか


信長が出始めたころの公家は死にかけてたという話も聞きますので、やはり公家への年貢みたいなものはなかったのでしょうか

平安朝でも9世紀後半には、朝廷が租税を集め、それを配分して諸官庁や貴族・公家に給付するという仕組みはなかったようです。
11世紀では、それぞれが自分の収入源でやっていたらしいです。
http://www2.odn.ne.jp/nihonsinotobira/sub14.html
http://www.zakzak.co.jp/lif/news/170902/lif17090 …
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakur …
南北朝ならば、それぞれ(天皇家、院宮王臣家、諸家、諸官庁)は自分の収受できる農園(荘園)から個別に収受、あるいはその一円から一括徴税したものを取分割合に応じて別々に納税(受け側からみれば自分の取り分を直接収受)でしたでしょう。
南北朝の合体時に、後亀山(大覚寺統)は国衙領を領地にし、後小松(持明院統)は後白河の長講堂領を領地にする合意をしていますが、そのような個別荘園領主制だったのだと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9C%9D …
天皇を荘園領主というのはおかしいのでしょうが、実質的に大きな荘園領主の一族ということだと思います。
そうした自分の取り分とする荘園が減ったり、荘園からの上がりがかすめ取られたりすれば、天皇だろうが公家だろうが財源は厳しく、邸宅の新設どころか修理もままならないという事態にはなったでしょう。
「室町時代以降の公家への上納米(?)につい」の回答画像1
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この回答へのお礼

公家は公家で領地を所有していたのですね、葵徳川等の大河ドラマをみていると公家への上納やら寄付やらみたいなお金を送っているのをよく見て武家からのそういったお金で賄っているのだと勘違いしていました、ありがとうございました

お礼日時:2018/10/21 06:14

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