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日本が侵略されなかったのは

イギリスからしたら 伝統があり 軍備があり 知識があり
知恵があり 技術があり 宗教もキリスト教 仏教とあり 奥ゆかしい国だったから。

植民地としては アジア唯一 ハイレベルな国だったからでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

英国は、同植民地するか長い時間をかけて、その国を観察しています。


日本は、オランダを使って文化・民族性などを調べ続けました。
その結果が、明治維新です。
手下の長州を使って、間接的に支配する方法を取りました。
それが最良という判断です。
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この回答へのお礼

長州利用して間接的に日本を支配する予定が
何故 支配出来なかったのですか?
薩摩ですか。

お礼日時:2018/10/13 18:55

資源らしい資源がなかったからでは?佐渡金山と石見銀山が枯渇していなければ、話は違ってたかも知れませんけどね。

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この回答へのお礼

日本は、以前 鎖国しましたが。
実は 拠点 空母かわりにしたかったらしいですが。
ハワイと同じ。

お礼日時:2018/10/13 18:58

No.1です。


再度。
支配していますよ。
英国に代わり米国が。
支配層は同じです。
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この回答へのお礼

まぁ ルーズベルト大統領のシナリオ通りなら
原爆投下 東京大空襲で 支配してますよね。
東條英機を戦犯にした上で。

お礼日時:2018/10/13 20:12

明治維新前後の時期について言えば、植民地にならなかったのは、質問者さんのおっしゃるとおり「ハイレベルな国だったから」だと思います。


そして、来日した外交官が「それ(ハイレベルな国である実態)を認識し理解した」という幸運に恵まれたからでしょう。

幕末から明治にかけて日本に駐在した英国外交官は、当時のアジアを認識しインドと清(中国)を経験した上で来日しましたから、着任後日本を知るにつけ、主に以下の点で驚愕したはずです。
「日本は、インド・清とは全く異なる。軍事力を別にすれば、自国(英国)より、はるかにレベルの高い文化国家ではないか…」と。

当時のイギリスとは比較にならない程高い識字率、貧しいけれども清潔で倫理観が極めて高い庶民、何でもない雑貨品まで高度なレベルに仕上げる多くの職人たち(彼らから見ると、美術品としか思えない)、世界を知らず狭量な考えではあっても誇り高く高潔な武士たち…等々。

現実的な問題としては、命よりも矜恃に重きを置く武士たちがみな武器(刀)を持ち、日本全国に数十万人いたのですから、いくら高度な銃器をもってしても少数の英国人で日本を統治する事は、リスクが高すぎると危惧したはず。
それと(飛躍した考えかもしれませんが)、もし、庶民に至るまで倫理観と文化的レベルが高い日本という国を植民地にし搾取する事は、歴史上の汚点になる(「世界に冠たる女王陛下の大英帝国」としての誇りを傷つける事になり許されない)、という意識も英国外交官たちにあったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

インドシナでしたか
学をさせず ひたすら 働かせて レイプして生まれたハーフに学ばせ。
恨みをイギリス人でなくハーフにそらせた。

日本には 立ち向かう 学と誇りが ありますし。

そんな事されたら 舌を噛みきり死ぬでしょうし。

お礼日時:2018/10/13 21:43

収奪資源が無かったからと思います。

しかし小判が唸るほど存在していました。銀との交換価格は、信じられない安さで、メキシコ銀を持ってきて、商品を買い、武器を小判で売れば、大儲けです。何も武器を使って植民地化するより、この方が楽です。つまり戦争をしなくても、貿易で利益が出るので、馬鹿馬鹿しくて植民地化なんて出来ません。

それでもライバルになれば、叩くしかありません。戦後の日本のように、米国に隷属していれば植民地と大差ありません。現在の日本は、アメリカの植民地の様なものです。トランプがはっきり日本の立場を知らしめてくれるでしょう。
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韓国朝鮮、タイランド、中国の大部分も欧米の植民地にならんかったけど、欧米白人は南国の香辛料や藍(インディゴ),砂糖などとプランテーションを求めていて、欧米白人の関心の薄い米とか、東アジアは関心が薄かった。

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さすがに極東は遠すぎたという地政学的理由が一番でしょう。

薩英戦争や下関戦争のような局地戦はあったものの、江戸や京都に攻め入ることはできなかった。旧式とはいえ鉄砲は大量にあったし、日本刀を持った狂信者(武士ともいう)がたくさんいて、相当な被害が予測される。

ただ、官軍の江戸攻撃が実際行われていたら、自国民保護と称して欧米国家の干渉が必然で、その過程でいろいろあったかもしれない、そういう意味で西郷勝の会見の意味は大きいかも。
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植民地政策を採ったのはいじめる為では


ありません。

儲ける為です。

その点、日本はコスパが悪かったのです。

どうして悪かったのか。

まず、めぼしい資源がありません。

また、それなりの軍事力もありました。

その軍事力を押し切って儲けるのは、
採算が取れない、と判断したのです。

当時の英国人の手記が残っています。

日本を植民地にしたら、ローニンが、あの
柄の長い恐ろしい刀でテロしまくるであろう。

そうなったら収拾がつかなくなる。

・台所で悲鳴が聞こえた。
 おそるおそる覗いてみたら、ライフル銃を抱えた
 英兵が首を切断されてのたうち回っていた。
 これはローニンがあの恐ろしい刀を持って
 襲撃してきたに違いない。

 慌てふためいて、自室に帰り、拳銃を取りだそう
 としたが、施錠されていて、開かない。
 鍵を探していたら、ローニンが乗り込んで来て 
 刀を振り上げた。
 もうダメだ、と観念したが不思議に生きていた。
 そのとき、幕府の役人が押し寄せる気配がしたので
 ローニンが逃げ出した。

 どうして助かったのか、と調べてみたら鴨居に
 大きな斬り疵があった。
 このお陰で助かった。

 植民地支配などしたら、全国で百万(当時はそう考えられていた)
 いるといわれるローニンが暴れまわるに違いない。
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この回答へのお礼

インドシナやインドなどは
そう言う 武士魂とか いざとなれば 切腹。

こいちらに 農民など させられませんからね。
サムライですから!

お礼日時:2018/10/14 07:30

運と実力です。




例えば、インドと同じ時期に侵略されたらどうしようもなかったでしょう。トルコやペルシャと同じ時期でも厳しいかもしれません。


日本と同じ境遇(侵略の危機が迫る時期)だったのが、チャイナと朝鮮です。

日本だけが侵略を免れ、近代化できたのはその当時の日本人ががんばったからです。幕末の黒船で慌てふためいたと言う表現がよくされていますが、徳川吉宗の時代から、白人の危険性を理解した上で白人研究をするために漢訳された洋書の輸入を解禁し、現状の把握に努めました。幕末の時代も、幕府側を滑稽に表現する物語が多いですが、幕府側は、目の前の危機を正確に理解していました(しかし、シガラミのせいで近代化が進みませんでした)。

チャイナが当時の日本のように挙国一致が出来ていれば結果は変わっていたかもしれません。ただ領土が広いので、狩猟をする側からすれば優先順位が上がりますので、結構厳しいかもしれません。それでも日本のように挙国一致体制が完成すれば、欧米の「草刈場」で終わる事はなかったでしょう。朝鮮はまさに日本と同じ境遇です。日本は目の前の危機を正確に理解し、近代化をなしましたが朝鮮は目の前の危機に対して有効な対策を行う事はありませんでした。



「全て実力」と言うのも、事実ではありませんが、「全て運」というのは自虐が過ぎます。
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「日本が侵略されなかったのは」を、「日本が欧米の植民地にならなかったのは」と読み替えて回答します。



>イギリスからしたら 伝統があり 軍備があり 知識があり
>知恵があり 技術があり 宗教もキリスト教 仏教とあり 奥ゆかしい国だったから。

近い部分もありますが、正確ではありません。
伝統、知識、仏教、奥ゆかしさなどは植民地にされにくいファクターではありません。
現に仏教国で奥ゆかしかった東南アジアの国々がヨーロッパの植民地となっています。
もちろんそれなりの知識もありました。

ヨーロッパではまずスペインやポルトガルが勢力を伸ばし、のちイギリス(とオランダ、フランス)が台頭しましたが、遅れること約100年ほどです。
質問が「イギリスからしたら」とあるので、スペイン・ポルトガル、オランダ、フランスに関しては省略します。

イギリスはスペインやポルトガルに遅れること約100年で、まず隣のアイルランドに手を伸ばし、その後
アメリカ大陸(北米)に手を伸ばしました。のち東の方まで勢力を拡大させますが、インドに手を伸ばし始めたのが
18世紀で、手中にした(植民地にした)のが19世紀半ばです。次に中国に手を伸ばしましたが、その傍ら
日本にも手を伸ばします。その際、薩英戦争が勃発しています。

薩英戦争は客観的に見れば、薩摩の敗北と見て良いでしょう。
鎖国の為、大砲の技術など日本は200年以上遅れていました。でもイギリスは薩摩が大砲の砲弾に炸裂弾を使用していたことには
大そう驚いたようです。本気で戦えば勝てると思ったでしょうが、自身の被害も少なからず出て、はるばるヨーロッパから
大軍を送って日本を攻略するのは得策ではないと考えたようです。
それよりも中国でしっかり足場を固め、日本には先進的な武器を中心に売りつけて交易で稼ぐのが得策であると判断しました。
それに日本では他の国と比べ金相場が相対的に安く、支払いを小判でさせると儲けも多く出来ました。

日本に先進的な武器を売りつけると、もはや日本を植民地にするのは困難です。
イギリスは薩長と組み、フランスは幕府と組む構図となりましたが、イギリスから最新兵器を導入した
薩長は幕府を圧倒し、新政府を樹立したという次第です。

当時の幕府も海外情勢には敏感で、清の阿片戦争の情報は各方面から取り入れ
阿片の持ち込みは厳しく禁じ、取り締まったことも奏功したでしょう。
人のふり見て我がふり直せという幕末から明治維新にかかる先人の英知によるところも大きいですね。
明治になってからは優れた人材を沢山留学させ、欧米の文化・文明を貪欲に吸収し、富国強兵に努め
こうして欧米列強から侮られることのない近代国家を築いたわけです。
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この回答へのお礼

アヘン戦争は支配下にあるインドにイギリスが薬ずけにして、駄目にする予定でした。

それがあるから 壁を作ったのですね。

お礼日時:2018/10/14 13:20

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