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私も回答した”アメリカについて”の、ご質問のパクリです。

米国在住で、2005年前後に、一年ほど日本に住んだことがありますが、私の知っている昭和の日本とは、漠然とした印象で、随分、変わっていたように感じました。311の前でしたから、それ以降、また、少し、違ってきているかもしれません。今年が、平成最期の年、ということで、私の知らない平成の日本は、総括すると、ずばり、何だったのか、教えていただけると、嬉しいと思います。

集団主義、というのは、Yahoo Japanの記事で、現在の日本を一言で表した言葉ですが、それだけかなぁ、という印象です。記事が見つかったら、補足したいと思います。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

国と言う概念の歴史が終わってるだけです

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この回答へのお礼

考えさせられるご回答です。

回答者さんは、お若い方なのかもしれません。本来は、国民を守る立場の国や政府、あるいは公共機関が正常に機能していないと実感しておられるのでしょうか。何か、静かな諦観の感じられます。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/11 23:54

平成の時代に少年、青年時代を過ごしました。

もしその時代を集団主義というなら、集団主義は集団主義でも、時代遅れの集団主義であったのかなと思います。
でも同輩でも真面目な人は、コツコツとやるべきことをやってしっかりと自律独立して行きましたよ。

ここ十年、スマホとSNSが出だして様相は随分変わったと思います。平成の前半と後半で様子は大分違うのです。どのように変わったかと言うと、今までは学校や会社、地域や家族が主な集団であったのが、クラスタと言う趣味や考え方、能力、ジェンダーによって繋がる集団の発言力が非常に増した事です。これは明らかに集団の持つ属性の多様性が増したのであり、画一性から個性へと時代が舵を切った事の現れだと思います。
昭和に無く平成にあるのは、情報生活です。インターネットとスマホなどの電子デバイスの普及で、世の中は変わった。世の中は変わり、個人も変わったのに、既存の集団、つまり学校や会社、地域や家族は変わらなかった。この時代のギャップが平成の問題だと思います。今度、2020年ごろからプログラミング教育を実施するそうですが、まぁ、やる事が20年遅いし、しかも本質的で無いですよね。現代教育の本質は多様性に即した考え方の普及であり、個人の内面に潜む可能性の開発なのです。情報産業が発展したからプログラミングやる、この単純思考じゃ今後の日本の基礎教育に期待は出来ない。

集団とは異なる個性を攻撃するいじめなども、上述の時代のギャップによって発生している面もあると思います。今後、"人とは違う人"と言う言葉では無く、"人と人は違う"と言う言葉が常識になるでしょう。その様な多様性の進歩が、より新しくより深い普遍性の発見、人とは何かの答えを改めて誘発するであろうと思われます。

平成の時代とは情報の時代です。子供の遊びにはビデオゲーム、仕事場にはPC、生活にはネット、手元にはスマホ。
革命はすでに起きているが、適応出来ていない人々も少なからずいたのが平成の時代だったと思います。時代遅れのTVメディア、時代遅れの学校教育、時代遅れの大会社の取締り、時代遅れの政治、時代遅れの常識。日本は大きなしっかりした国であるが故に、その変化に柔軟に機敏に対処しきれなかったのでは無いかと思います。
後は、具体的には財界の言いなりで進めた小泉改革の負の遺産が重かった。労働者の中堅が育たなかったのは、過去に人財の切り捨てや教育の放棄を行ったからです。それで今になって海外から労働者を入れたいと言う。そんな場当たり経営しか出来ないから能無しと言われる。腹据えてやれよと言いたいですね。
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この回答へのお礼

現場の生の声をありがとうございます。

携帯電話の普及は、日本のほうがアメリカよりも五年ほど早かったのを覚えています。

そこにWi-Fiが付け加えられて、若者の生活形態が180度変わりました。検索すれば、指先一本で何でも調べられ、SNSで共感も達成感も得られます。インターネットの場の満足感が、バーチャルなものか、現実か、疑問に思うこと自体、もはや、時代遅れです。

自動車業界こそ元気ですが、他の産業は、輸出をやめてしまったのか、もしかして、軽い鎖国を行っているのか、と思っていた矢先、海外からの労働者の数が世界第四位であると聞いて、驚いています。これも、行政の対策が後手に回っていると、メディアに指摘されているようです。

平成は、集団で時代遅れの対策をとっていた、と。。。。昭和だったら、”見て見ぬふり”が通ったのに、現在では、きちんと問題視できるので、そこから、もう一歩すすめて行ける、優れた人材が欲しいです。

どんな時代にも、リーダーになる考え方のできる人が必ず存在するので、そんな人たちを伸ばしてゆけるようなシステムができると良いですね。

そこに、多様性を尊重する意義があると思います。

企業や慈善団体で、返済する必要のない奨学金を支給して優秀な人材を育成したり、学校に通えない子は、自宅のPCで授業が受けられる制度が、あるかどうか、わからないのですが、そのあたりから始めたら、どうかなぁ。。。老婆心ですが。

ご回答、何度も繰り返して読みました。非常に勉強になりました。小泉元首相の経済改革について、ググってみたいと思います。

本気のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/12 00:50

へいへい!


丸くなれよ!主義だったんじゃない でじょうかね?

案外まとめてみると、特に
結論じみたことは出てきてない。

平成 たいらなるかな。
心の持ちよう!!

愛を持って接せよと。

みんな、あまり飛躍的な行いや主義を出さなかった一方。
少しずつ着実に、平和を推し進めようとしたとも見れる。


今からでも遅くないぜ!

世界を平な和にしちゃおうぜ!!
戦争の無い世紀!!

平成 装って、平和を噛み締めて、いじけてないで。

僕らの、俺らの

出来ることを始めようか。

殻に閉じこもるだけが平和では無いのです❗️

集団利己主義は、周りに
見えない壁を築く、
それは ね。壁の中で安寧を求める。ぬるま湯の秩序、ともいい変えれますから。
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この回答へのお礼

明るいですね。;)

今、振り返ってみると、確かに、昭和は激動の時代でした。私は60歳+。前回の東京オリンピックの時、小学生でした。貧しい人たちが多かったし、キャラメルやチョコレートで幸せになれた子供時代です。

平成の子供たちは、どんな時に幸せを感じるのかなぁ。平和で豊かに育つわけですから、やはり、人とのつながりが大切でしょうか。

集団主義は、その集団の利己主義を生み出して、そこからはじきとばされた者を生み出す。その殻を破ってゆこう、というのは、平成っぽいです。

ある時を境に、今まで当たり前だったことが、実は、弊害だったんだ、と、突然、気づくことがあります。怖い、難しい、と思っていたことが、実は、やってみると、簡単だったりします。覚醒の瞬間です。

平成世代は、覚醒しましたか?そうだとしたら、素敵だなぁ、と思います。いつでも、時代を無自覚に変えてゆくのは、若者なのです。

素直なご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/12 01:16

昭和にはあまり見られず、平成時代に顕著に見られるものに、ボランティア活動が有ります。



昭和の時代は良い意味で頑張りましたが、自分中心、自社中心、自国中心主義があったように思います。

今、平成に時代を生きる日本の若者は、あまり頑張らないと批判されることもありますが、本当によくボランティア活動を実施します。

災害ボランティア然り、子ども食堂然り、無料の家庭教師然り、老人ホーム慰問然り、観光ガイドボランティア然り、寺社仏閣の清掃奉仕然り。

日本は健康で文化的な最低限度の生活が保証されるようになって、本当に良い国になりました。
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この回答へのお礼

心理学者によると、大災害の様子をテレビの画面で見るだけで、PTSDやうつ病、そして、不安感を抱えもつ引き金になりうるそうです。そんな、不安定さを自分の中に見つけたら、実は、災害の被害者を救済するボランティアをするのが、健全さを取り戻す、一番の助けになるそうです。ありがとう、と言われるうれしさを知ってゆくんですね。

そんな研究のことを知ってか知らずか、日本の若者が、積極的にボランティアを行っているのは、社会に貢献するだけでなく、人の輪を作ってゆけるのが素晴らしいです。

米国でも、私達60代以上はベビーブーマー、次が、Y世代、メレニアム世代、Z世代と、年齢が下がるごとに、物質的な所有欲がなくなってゆく傾向があるそうです。所有より、シェア、だそうです。

新しい世代の、新しい考えを否定するのではなく、良いところを見つけてゆく努力をしてみますが、正直、抵抗のある部分もあります。話の分かるおばあちゃんになるか、頑固ばあさんになるか、検討中です。

気持ちの良いご回答を、ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/12 09:36

昭和の終わりごろには現代への変化の萌芽はすでにあったと、今にして思います。



それは、現在の50・60代の世代の青年期です。この時代は一般的には経済的に何の
心配もいらないという幸福感に満ちていたと思います。
給料は確実に上がるし、クビになる心配もないし、退職金も年金も間違いなくもらえ
るから、お金を使うことに躊躇がなかったという感じではなかったのでしょうか?

今でも80代の人でそういう感覚の人が残っています。

そうした危機感のない50・60代の世代が平成という時代を作ってきたし、現在の20・
30代の世代の親の世代になるわけです。

平成30年を総括すると、日本のガラパゴス化の完成と衰退への序走ということになる
と思います。

日本の集団主義というのは、全くありがちな評論だと思います。その記事を見てまた
言いたいことが出てくるかもしれませんが、私のように日本を悪く言うことは「いけ
ないこと」であり、こういった言論を集団的に圧迫します。

また、ハラスメントという悪を常に探し、見つけた場合には「鬼の首を取った状態」
になります。
それどころか、人の何らかの「落ち度」に素早く反応し、責める余地を感じた場合に
すぐに責めてくる。

そういう空気だから、人は人と同じことしか言わない、同じことしかしない、という
ことになっており、これが「集団主義」の内実ではないかと思います。
№4さんが心にもないことを言っているのは、そのせいだと思います(笑)。

まあ、世界的にこの傾向はあるとは思いますが、アメリカの青年などは素晴らしい創
造性を発揮していますね。

何故こうなったのか?ciaopolpoさんはどう考えるのかなあ、なんて思っています。
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この回答へのお礼

Yahoo/Newsweekの記事で、米国の社会学者が、日本の社会を分析していて、あとで読もうと思っていたら、行方不明になりました。すみません。

おっしゃる通り、バブル期以前に教育を受け、就職した私たちの世代は、個人の都合より、会社の利益を優先させていたし、それが当たり前だと思っていました。殺人的なラッシュアワーの電車も、年末年始の残業も、当たり前でした。

私たちの世代からすると、あの日本が、どうして、ガラパゴス化しちゃったの?と、不思議でなりません。

一つ思いつくのは、どの企業も、大きな利潤をあげていた時代。。。バブル期に、その利潤を、誰もかれも、不動産に投資したのには、強い不安を感じました。

不動産は、ただ、値が動くだけで、雇用も、優れた才能も生み出さないからで、”渋沢栄一が生きていたら、嘆くだろう”と思っていました。起業家を優遇して、産業を興す方向に舵を切れなかった。あるいは、大学を整備して、特に、科学・IT関係の研究者を優遇する措置をとれなかった。

ノーベル賞受賞者を何人も出しているのに、それが実際の利益に結び付いていないのも、残念です。

でも、それは、私の知っている古い日本で、良い方向に向かってゆくのではないでしょうか。No.4さんのおっしゃる通り、大きな災害が起こった時、若者が、人助けに向かいだす、というのは、何か、集団主義からはみ出してゆく、萌芽のようなものを感じます。

ハラスメントの責め合いは、米国で、最高裁裁判官承認の際に、大きいのがありました。このあたりは、日米、どっちもどっちだと思います。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/12 10:31

回答者さんは、お若い方なのかもしれません。

本来は、国民を守る立場の国や政府、あるいは公共機関が正常に機能していないと実感しておられるのでしょうか。何か、静かな諦観の感じられます。」←そうですか・・

55歳って 若いのか・・

まっ 文章で決め付けるくらい くだらないものは無い・・

実際に してる人と あなたみたいに 単に質問してる人の違いは大きい・・

この世が平和に なる為には 国というものは 一つに なる様に 動いてきた・・

それが叶うのが今・・

だから 歴史史上初めてアメリカと北朝鮮の対談 韓国と北朝鮮の会談が 実現しました・・

この意味は あなたが思ってる事よりも大きい・・
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この回答へのお礼

お礼の文章がお気持ちを損ねたようで、申し訳ございません。
南北朝鮮の統合がなりますよう、祈っております。

お礼日時:2018/11/12 10:33

南北朝鮮の統合がなりますよう、祈っております」←祈る時代も終わりました・・・



これからの時代は「実現させる時代」・・
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2018/11/12 14:16

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