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よく、
「騙す方も悪いが、騙される方も悪い」
「いじめる方も悪いが、いじめられる方も悪い」
という意見がありますが、

これは「殺す方も悪いが、殺される方も悪い」言っているのと同じような気がするのですが、どう思いますか?

確かに、殺されるほど悪いことをしたのかもしれませんが、殺すのは良くないと思います。いじめられるようなことをするのも良くないですが、いじめるのはもっと良くない。通り魔に殺された人は、何も悪いことをしていないのに殺されます。でも、上記のような意見の方はどういう理屈?でそう思うのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

「騙される方も悪い」「いじめられる方も悪い」と言うのは、人を騙す奴らといじめる奴らの勝手な屁理屈であって、一般的な意見じゃ全くありません。

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この回答へのお礼

一般的な意見だとは思っていませんが、こういう言葉をよく耳にすると思うんです。

お礼日時:2018/11/17 12:15

単純に「どっちが悪い」と決めつけられるほど、世の中単純でないでしょ。


だからこそ感情のもつれが起こり殺し合いにまで発展するともいえる。

人殺しでさえ
「平和なときに人を殺すと犯罪だが戦争で人を殺せば英雄となる」
「一人殺せば犯罪だが百万人殺せば英雄になる」
なんだから
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この回答へのお礼

善悪を判断するのは結局人間なので、判断する人間のさじ加減によりますね。

お礼日時:2018/11/17 12:15

屁理屈ですよね。

盗人の三分の理、くらいはあるのかもしれませんが何言ってんだ、泥棒じゃないか、ですよ。
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この回答へのお礼

なるほど、屁理屈って言葉がぴったりかもしれませんね。

お礼日時:2018/11/17 12:17

騙す事情


いじめる事情
殺す事情

に、よると思います。
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この回答へのお礼

事情があったら殺していいというのは、自己防衛とかでしょうか?

お礼日時:2018/11/17 12:19

騙す方、いじめる方、殺す方が圧倒的に悪いと思いますよ。



いじめが原因で自殺したらいじめてた人達は殺したも同然。ナイフで刺した訳でもなければ車でひき殺した訳でもないけど人殺しだと私は思います。

お年寄りを騙してお金を奪い、それを苦に自殺してしまったら騙した人達は人殺しです。

騙される、いじめられる人達に全く原因がない訳ではないけど、する側が居なければされる側は存在しないと思います。

人の命を奪う事はどんな理由があってもしてはならない。殺される方も悪いと言うなら通り魔や無差別殺人の被害者はどうなのか。ストーカー殺人、思い込み殺人も殺される方が悪いと言えるのか。
殺された遺族に殺された方も悪いと言えるのか。
裏でコソコソいじめられる方も、騙される方も、殺される方も悪いなどと言ってる人達はそのような被害な合ってないからじゃないでしょうか。

我が子が誰かに酷いことをして殺された時に、うちの子も悪かったのよ。なんて言えるのでしょうか。

友達でいじめが原因で自殺をした人がいます。未遂で終わりましたが一生車椅子生活です。
そんな人が身近にいるのにどちらも悪いとは私は思えません。
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この回答へのお礼

確かに、身内が殺されて「こちらが悪かった…」なんて言えませんね。
どんな事情や理由があっても、悪いことなのですね。

お礼日時:2018/11/17 13:59

騙しについては、そんなんで被害者ヅラするなと言いたくなるくらいに稚拙な騙され方の人もいます。


例えば『クヒオ大佐』に騙されてた人とか。

そりゃ確かにだます奴がいなけりゃ騙されることはなかったでしょうけど、その頭の残念さからすると時間の問題だったように思えてきます。
騙す以外のトラブルになってた可能性も大ですし。


イジメについては、怨恨に基づく報復とか、どうしようもない利害の衝突の末の実力行使だったり、指導だったりします。
そりゃ殺していい理由にゃなりませんがね、死ぬほどとは考えてないかもしれないしキレてしまった人にそんなこと言っても仕方ないでしょ。

私が加害者認定されたケースの一つがそんな感じです。
私の障害をネタに執拗な嫌がらせをしてきたクラスメイトがいて、とうとうキレて暴行。
私が行った暴行がイジメとして処理されました。
※担任の発表では私が受けた嫌がらせについては伏せられ、成績に対する嫉妬でいじめたことにされていました

打ち所が悪ければ死んでたかもしれないし、私が攻勢に出たのがきっかけで便乗犯による攻撃が始まり孤立したので、それがもとで自殺してもおかしくはなかったでしょう。

でも、激しい憎しみに囚われた当時の私には、彼を破滅させる以外に納得できる選択肢などありません。
これをただ否定しても仕方ないでしょ。
質問者様から見て平和的に見える解決策は、私にとっては泣き寝入りです。

加害者は、それほどまでの憎しみに囚われた、それほどまでの酷いことをされた。
この事実を認めないと話は進まない。
ただ末端の実行犯を叩いてハイオシマイという対応に終始してるうちは根本的な解決にはならない。
だからこそ、『いじめられる側にも問題がある』という発言が根強く出てくるのだと思います。
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この回答へのお礼

「クヒオ大佐」の話は初耳でした。調べてみした。
確かに、例えばお金目当てに近づいて騙された、となれば自業自得な場合もある気がします。いじめも、切り取る部分によっては被害者と加害者が逆転するのですね。勉強になります。

お礼日時:2018/11/17 19:44

責任感の問題です



「やれ」とか「やってみろ」というと
言った本人に責任と援助が必要になってきますが
「やめろ」といえば
言われた人はやらないのですから
「やめろ」と言った人には
責任も援助も必要ありません

つまり言った言葉に責任が必要ないのですね

質問の「騙される方も悪い」とか
「いじめられる方も悪い」という人は
いじめる側のこともいじめられる側のことも
考えることに対する責任を
放棄している言葉なのですね

何もなければ安心ですが
何か起きても安心したいので
両方悪いと言っておけば
何も起きないのと同じように
自分の意見は安心なのです

つまり責任のある意見を持ちたくないという人が
両方とも悪いという無責任な考えかたをするのですね

そういう発言をする人でも
ここまで考えて発言はしていないでしょうが
聞く側の立場からいえば
そういうことになります
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この回答へのお礼

なるほど、何か意図があっての意見ではなく、何も意図がないからこその意見なのですね。

お礼日時:2018/11/17 19:45

上記のような意見の方はどういう理屈?


でそう思うのでしょうか。
 ↑
原因と善悪を混同しているのです。

いじめられるのは、被害者にも原因が
ありますが、悪ではありません。
悪いのは加害者です。

騙される、というのも同じです。
欲深いから、愚かだから騙されるんだ、という
ことでしょうが、欲深い、愚かは違法では
ありません。
騙される原因を持っている、というだけで
悪ではありません。
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この回答へのお礼

悪者が加害者になるかどうかは別なのですね。

お礼日時:2018/11/17 20:04

三島由紀夫の金閣寺で主人公が最後に金閣寺を燃やして「生きようと思った」とする描写があります。


通り魔の方を持ちたいわけではありませんが、通り魔が他人を殺してしまおうと思った背景には様々な理由があるため、殺された人間が一方的な被害者で殺した人だけが悪人だというのもまた、長い社会のあり方としてみると社会に適応できない人間を排除すればいいという人間のエゴに過ぎないという道徳的、倫理的考え方もあります。世の中の金持ち貧乏人、エリートとそうでない人間というのは努力が足りな理足りなくないだのという人もいますが、一方で一定の基準でエリートとそうでない人間を区別する制度を作ったのもまたエリートですから、一度落ちぶれた人間(=世の中の大多数)のはけぐちとして、ヨーロッパ的にいうとノブリスオブリジェ(エリートの社会的責任)という考え方も生まれたという考え方すらあります。要は、格差というものを肯定する社会である以上、運やタイミング、生まれ、能力の違いによって軋轢などが生まれまが、そういうものを肯定するには弱者や社会ののけ者であっても人権や一定の救いを与える世の中でなくては成立すらしないのです。だって、エリートや恵まれた人間なんてのはごく一部ですから。そうでなくて成立する国家は、単なる独裁国家でしかありえませんよね。

騙す方も悪いが、騙される方も悪い」
「いじめる方も悪いが、いじめられる方も悪い」
という意見がありますが、
というコメントは何をもって誰に対して「悪い」とするかですが、生きるためには上記で言ったような差別や格差というものは時として無常にやってきます。なぜなら、この国は共産主義ではなく資本主義であり、強いものが勝ち弱いものが負けるということを認めてしまってるからです。

いじめというのは要するに社会で弱いものが強いものに搾取される構図(=ストレス発散だったり、自分のうっぷんを晴らすとか、スケープゴートにして悪いものにふたをするなど)ともいえるでしょうから、それを完全になくすには本質的には格差をなくすしかありえません。でも、そういう世の中を望んでないのだから、いじめられる人間は何とかしていじめられないような人間になってくか、いじめから逃れる手段を取るしか選択肢がないのですよ。

ちなみにダーウィンの格言として以下のようなものがあります。
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。

金持ちや権力者であるか、頭がいいか悪いかではなくて、世の中反映する人間というのは、適応力なのです。つまり、人間生きてく過程で様々な変化に遭遇するでしょうが、それに適応できる人間だけが生き残れるのです。けっして頭がいいから、金持ちだから、強靭な肉体があるからというわけでもありません。プロスポーツでのパワハラがさわがれてますが、そういう状況で単に耐え忍ぶだけではなくて、適応していった人間がプロになってます。ちなみに適応できた人間が必ずしも道徳的に素晴らしい人間というわけではないでしょうが、いきるとは本来はそういうことにほかなりません。

ちなみに、いじめが日本で社会問題になったきっかけは1980年代ごろですが、様々な記録によると当時のいじめなんてのは相当壮絶ですよ。いじめられた子を葬式だとか言って色紙を渡したりしてるし、教員4-5人が煽動してやってるんですから、そりゃ今で言えば死にたくもなるだろう、ってぐらいひどいもんです。そういう意味で言えば、まだ今の世の中はずいぶん緩くなってますし、逃げる道もたくさん出てきてます。だから、重要なのは助けを求める勇気、死ぬ前に別のコミュニティで居場所を探す努力を持つことであって、一般論としてなくすことがすべてではありません。
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いじめは犯罪。

先生に言えば、ただいじめた人への注意などで終わり、きちんとした処罰がない気がする。それ相応の処罰はできないんですかね。退学懲役とかね。
いじめは先生に怒られるだけで慣れてしまえば、逆に先生に言いつけたことを恨んでさらに内容をエスカレートするでしょう。やがて生き地獄になり、自殺や不登校を招く。
さらに心と体に深い傷を残すでしょうね。
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