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偶像崇拝はどうしていけないのですか?
いろんなHPを読みましたが理解ができませんでした。

「偶像崇拝はいけない」と言っているのは
キリスト教が言っているのでしょうか?
他の宗教が間違っていると言う意味でしょうか?

それとも一般的な意味でしょうか?
宗教がいけないと言っているのでしょうか?

あらゆる宗教は御本尊などの祈る対象がありますが、
その対象が「偶像」ではないでしょうか?

教えて下さい。
宜しくお願い致します。

A 回答 (15件中1~10件)

信仰の自由というのは想像の自由。

何かで似せて神を立てるということは、信仰の妨げになるからでしょう。

父なる神をヤハウェが本当に髭もじゃで仙人みたいなお方だとは限らないから、神様の容姿を決め付けるような絵や像は好まれないのです。
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ごめんなさい、キリスト教と書いてるのにイスラム教徒が回答します^^;



めっちゃ簡単な説明ですが、神のみ言葉=クルアーン(イスラム教の聖典)の中で『偶像崇拝禁止』と書かれているからです。
神様が『偶像崇拝しちゃダメよ』と言ってるのだから、その神様を信じてる人たちは、その神のみ言葉を信じる…極端に言ったら理由などなくても『クルアーンにそう書いてるから』ってなっちゃいますね。
これが一番単純な理由です。

『殺人しちゃダメ』っていうのは、それが法律で決まってるから『殺人しちゃダメ、だから殺人をしない』っていうのと同じです。
『なぜ法律でそう決まったの?』と聞かれても『家族が悲しむから』『殺された人と関わった人が悲しむから』と言う人もいるかもしれないけど、『じゃあ、無人島で生きてて身よりも知り合いもない人なら殺していいの?』と聞かれても、やっぱり『ダメ』ですよね?
だって『法律で決まってるから』
それと同じように『偶像崇拝禁止とクルアーンに書かれてるからダメ』って事です(^^)

皆さんも仰ってるようにアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の信者たちは一神教で(キリスト教はちょっと違うけど)、同じ神様を信じてるんですが、ヘブライ語の旧約聖書から既に書いてある事だそうです。

仏教や神道はそもそも一神教の宗教じゃないので、偶像崇拝に該当しないんです。
そして別に御本尊に向かって拝んでも、仏像に向かって拝んでも、それが間違ってるとは私は思いません。
『偶像崇拝(仏教や神道など)は、そういう信仰をするのが当たり前の宗教なのだから、いいんじゃないの?』と思ってます。
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日本民族に限らず人間はやたら八百万の神を拝みたがる、信仰心の現れだけど正真正銘の神を崇めなければ生きている意味がない、紀元前数千年前から勝手に作ったもの勝ち神様を賢くない人たちに最もらしい事を言って洗脳してきた、エジプトの神殿、インカの神殿、他にも太陽、月、流星、山、岩、大木、そこらで拾った石、自分で作った粘土細工、人形、人間、王様、墓、どれもこれも神の怒りに触れるものばかり、仏教、神道もも然り、イエスキリストが言っている見えるものを拝まないで見えないものを崇めなさい、旧約聖書に選民ユダヤ人の信仰の歩が詳しく書かれている、イスラエルが一番栄えた時代はダビデ、ソロモン、ソロモンは晩年老人ボケして他国の女、妾達が偶像崇拝して神の怒りを買いイスラエルは北イスラエル、ユダ、二ヶ国に分裂征服され何代か属国となるが、ローマ帝国に神殿は徹底的に破壊され国が消滅、その過渡期に出現したのが神の御子イエスキリスト、神殿では罪をあがなうために傷のない動物を殺していた、イエスキリストが人類の身代わりとなり未来永劫犠牲となり33歳十字架の上で殺されイエスキリストを神と崇める者だけに救いと癒やし、天国があたえらる、聖霊の働きを借りて預言の書聖書を読めば分かる、今はyoutubeで中川牧師アーサーホーランド牧師の映像が有るから分かり易い。

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ユダヤ教、旧約聖書、モーセの十戒の中に、偶像崇拝の禁止が含まれています。


当時は、偶像崇拝=ユダヤ人たちにとっての、異教になりました。
モーセがシナイ山で十戒を授かってる留守中、ふもとでは金の子牛像を造ってそれを崇拝、帰ってきたモーセがそれを見て、怒りのあまり、十戒を記した石版を叩き壊してます。
偶像禁止のユダヤ教の流派に対立する異教は、偶像にこだわる傾向があったみたいです。
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いけないのはユダヤ教とイスラム教。



キリスト教のカトリックが、愚かにも偶像崇拝的な信仰で信者を増やしてたので、向こうを張ったのかもしれないですね。
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像を拝むと


神さまじゃなくて、その像そのものへの信仰に変わってしまう、からではないでしょうか

ユダヤ教キリスト教イスラム教で禁止されているのは
他の方もおっしゃってますが
聖書に書いてあるから

カトリックでは教会に像がありますけど
「でも別に像を崇拝してるわけではない」
という理屈ですね
「それはおかしい」としてるのがプロテスタントですけど
でも教会に十字架はあってそこに祈るので
これも偶像崇拝になっちゃうはずなんですけどね
イスラム教はその点厳格ですね


日本の神道なんか、偶像崇拝そのものだと思います
まずそこに何かモノがあって、それが御神体となる
鏡だったり剣だったり変な形の岩とかあるいは山そのものが御神体、って神社もありますけど
人々が祈ることでそこに
神の霊が宿るという感覚

だから日本人からしたら
「なんでいけないの?」
となりますよね…感覚的に
仏教では、禁止されてないのですが
お釈迦さまは
「だけど偶像に祈っても意味はないよ」
とは言っておられるそう

でも日本の浄土宗の開祖の法然は
「たしかに像に祈っても意味はないかもしれないが
何もないと祈るのも難しいでしょ」
ということを言っておられるようです
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旧約聖書、というと、語弊がありますが、旧約聖書の母体になったものは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、全てに共通した聖典です。

私は、キリスト教の旧約聖書しか読んだことがないので、それをもとに回答します。

エジプトに移住したすべてのユダヤ人が、長い間奴隷として扱われたため、エジプト王の養子だったモーゼが預言者となり、ユダヤ人を率いて、出エジプトを試みます。紅海を渡り、砂漠をさまよった後、モーゼはシナイ山にのぼり、十戒を授けられます。刻まれた石版をもって、山を下りてきたところ、あろうことか、山のふもとで待っていたユダヤ人集団は、金の牡牛を祭って礼拝していた、という、愚かしさです。モーゼは怒って、石板を粉々に砕きます。気を取り直して、もう一度、十戒プロトコールのやり直しです。

キリスト教徒が偶像、というとき、この金の牡牛がひらめきます。

多神教、しかも、動物を神の顔に描く、エジプトに長く住んでいたわけですから、ユダヤ人たちが、エジプトの神々の影響から抜け出すのは容易ではなかったと想像できます。

もう一つは、無事、現在のイスラエルに建国を果たしたのちも、先住民が崇拝していた、豊穣の神・農業神である、バールという存在に悩まされます。土地の人々は、像をつくって農地に埋め、豊作を祈ったらしいですが、現世利益を与えてくれるバールに、またしても、ユダヤ人は靡いてしまいます。預言者を通して、バールに対する祭祀をやめるよう、再三、警告を受け取りますが、豊穣の神は強いです。バールも”偶像”に当たります。

そのうち、ユダヤ人が根こそぎバビロンに連れ去られる悲劇が起き、一旦、祖国に戻り、ローマ帝国の支配を受け、イエス・キリストが磔刑にかかったのち、すぐに、イスラエルは陥落して、ユダヤ人は世界中に散らばり、二千年後に、再び建国を果たします。(当たり前のようですが、落ち着いて考えてみると、どんな事象よりも、奇跡に近いです。ユダヤ人は、彼らの神への信仰をやめて、周りの住人たちと同じように暮らしてゆけば、激しいユダヤ人差別も起こらなかったかもしれません。でも、イスラエル建国もなかったでしょう。)

何千年経っても、ユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを保てたのは、この、”偶像禁止”、地元の神様に似た存在を”神”として認めない、という、神の言葉があったからだと思います。

キリスト教と偶像禁止について書き始めると、もっと長くなりますので、ここで筆を止めます。
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偶像崇拝禁止の概念は主に、ユダヤ教です。


そして、ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教です。

神道や仏教は、ユダヤ教とは関係ありませんので、偶像崇拝禁止と言う教えそのものがありません。




ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でも、偶像崇拝禁止の事情はかなり異なります。

ユダヤ教はよく分かりませんが、キリスト教は、教皇と言う「神の声が聞こえる人」がいますので、時代によって「神の声が聞こえる人」がルール改正をしていく事で、マイルドになって行きます。イスラム教は、その様な存在はなく、コーランやハディースを解釈する宗教ですので、今でも厳格に偶像崇拝禁止ですが、「何が偶像で何が偶像ではないか」については異論があります。





>それとも一般的な意味でしょうか?
>宗教がいけないと言っているのでしょうか?

宗教が言っています。
その宗教の信者ではないならば関係ない話です。
(その信者に接する場合は、注意が必要でしょう。例えば、雑貨屋に売っていたものを買ってプレゼントしても、普通の人ならば問題なくても、問題になる場合があるという意味で。)







>あらゆる宗教は御本尊などの祈る対象がありますが、
>その対象が「偶像」ではないでしょうか?

確かに、キリスト教徒がシンボルに向かって礼拝する行為は「偶像崇拝」ではないのか。
イスラム教徒が、メッカという対象に向かって礼拝する行為は「偶像崇拝」ではないのか。

と言う疑問は、よく分かります。

結論だけ言うと、それは偶像崇拝にはなりません。
しかし、イスラム教ワッハーブ派などの一部の宗派は、メッカと言う対象に向けて祈る行為も「偶像崇拝だ」として禁止しています。

偶像崇拝禁止とする宗教でも、「何が偶像で何が偶像ではないか」については、その宗教や宗派によって異なります。





>偶像崇拝はどうしていけないのですか?

神が決めたからです。
(その宗教の信者ではなければ、関係ない話です。)
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偶像崇拝はどうしていけないのですか?


 ↑
偶像を崇拝する、ということは偉大なる神
をバカにすることになるからです。

偶像なんてのは所詮は金属などの物質です。
神はそんなちっぽけなモノではない。

それを崇拝するなど言語道断、という考え方です。




「偶像崇拝はいけない」と言っているのは
キリスト教が言っているのでしょうか?
  ↑
キリスト教の一部の宗派が言っています。
イスラムなどはもっと厳しく禁止されて
います。
ロシア正教などは偶像禁止ですが、その代わりに
イコンがあります。



他の宗教が間違っていると言う意味でしょうか?
  ↑
一神教なら、他の神様は存在しません。
だから、その宗教そのものが間違っていることになります。
  


それとも一般的な意味でしょうか?
宗教がいけないと言っているのでしょうか?
  ↑
仏教などは仏像を拝んでいます。



あらゆる宗教は御本尊などの祈る対象がありますが、
その対象が「偶像」ではないでしょうか?
  ↑
祈るのは神のみだ、というのが偶像禁止の
理由です。
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要するに、「神は可視化できない。

神を可視化してはいけない」ということです。
これは旧約聖書に記述されて「いかなる像も作ってはならない」という教えを元にした考え方ですので、その流れをくむユダヤ教、キリスト教、イスラム教で広まっている考え方です。
仏教にはそのような教えはありませんので、偶像崇拝は禁じられていません。

ただ、9世紀頃のヨーロッパでは識字率が低く、キリスト教を普及させようとしても庶民は字が読めず、経典だけでは布教できませんでした。
そこで「見ただけで神聖なものとわかるシンボル」として偶像が必要とされたのですが、「第2ニカイア公会議」という東ローマ帝国が開いた会議によって「偶像そのものを崇拝するのではない。その背後にある神とキリストを崇めるのだ」という理屈のもと偶像崇拝が解禁されます。以来現代に至るまでの様々な宗教芸術が生まれ、それらが信仰の対象になってきたのです。
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