プロが教えるわが家の防犯対策術!

はじめまして。

知り合いのブログで「好きに理由は要らない」というような趣旨の投稿とそれについてのやり取りが為されていました。

「好きに理由は要らない」は、それでもいいと思います。
しかし何故かわからないけれど、どうしても生理的に受け付けない=キライ。
それは「何故それが嫌いなのか?」がわからないと、とても不自由です。

あるクルマが好き、ある人が好き、ある絵が好き。に理由付けは必要ないし、「なんとなく好き」で全然困りませんが、何故あるものを見ると嘔気を催すのか?何故ある色彩を見ると頭の中が混乱するのか?何故ある音(声・音楽)を聴くと暴れてしまうのか?

それは「何故」という理由がわからないと対処の方法もなく、日常生活に非常に困難を来すのです。不合理なままでは不都合なのです。

何故特定の対象に生理的な嫌悪感を示すのか?それはどこで調べることができるでしょうか?
わたしは「精神科」の領域ではないと思うのですが、適当なカテゴリーが見当たりませんのでこちらに投稿しました。

なにかアドバイスがあればよろしくお願いします。困っています。
補足要求があれば遠慮なくお聞きください。

精神科通院歴25年になります。発達障害専門医2人の診断は、「イエス」と「ノー」に別れています。

質問者からの補足コメント

  • 別の方への回答のハコブルさんのコメント

    >世界中の人間がすべて死んでしまって、しかし、好みの女性数人だけは生き残っている。また、必要な物資や施設だけは残っており、好きなように使えるし、電気や水道などのインフラも動いている。
    そういう世界を夢想して楽しんでいた人を昔知っていますよ。
    なんとなく気持ちはわかるね。

    わたしには到底そんな風に思う余裕はありません。
    自分も、家族もふくめ、全人類が(場合によっては地球そのものも)「あれ」と共に滅びればいいとは思います。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/12/01 03:21
  • わたしはマイノリティであることを望んでいます。ですから100人中120人が持っているものを持たないことに何らの抵抗も恥ずかしさも感じません。ただ、この激しい嫌悪感、そして抑えきれない殺意をなんとかしたい。出来るなら無視したい。軽蔑して歯牙にもかけずにいたい。けれども目に映るこの醜さはどうしても耐えられない。加えて「あれ」を嫌悪し憎悪するものが世界中にわたしひとりだということも気を滅入らせます。
    せめて「仲間」がいればと思います。
    http://hiki20.seesaa.net/article/462978089.html

    少数派たらんと思いますが、さすがに世界で(この国で)たったひとりというのはちょっと・・・

    繰り返しますが、わたしには「例外がない(ほとんどいない)」「反対者がいない文化」「嫌う者がいない人・モノ」というものが、どうしても受け容れられないのです。

      補足日時:2018/12/01 05:23
  • これは決して、優劣の問題ではないのです。
    「氷」と「炭」「水」と「油」どちらが優れていますか?それが「わたし」と「現代」との関係です。
    どうしても「現代社会」と相容れない、上記のような関係である以上、滅びるのは当然少数派です。

    ただ世界中どことも繋がっていない「浦島太郎」は、やはり消えるしかないのか?という問いかけです。

    無論移住・亡命・田舎への転居という選択肢もありますが、わたしの現実と照らして、それはあまり現実的ではありません。

    生きていて、たのしいと思えることが何一つないのです。無論死について考えない日はありません。
    そして「孤立無援」であるという気持ちは既に30代の頃から持っていましたね。

    「死んでやる!」と宣言しているのでもありません。ただ、もう途はないのだろうなという気持ちです。そしてそもそも「生きたいのか?」すらわかりません・・・

      補足日時:2018/12/02 14:00
  • http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1780 …

    ここのコメント欄のTakeo(わたし)と青梗菜(ブログ主)=ブログランキング「哲学カテゴリー1位」とのやりとりをお読みになって、是非「率直な意見」を、是非お聞かせください。

    わたしに遠慮はいりません。

      補足日時:2018/12/02 14:20

A 回答 (5件)

#4です。



>熱した炭と氷を同じ桶に入れて、共存できますか?

なぜ氷だと思うのか?
また、
なぜ「同じ桶」に入らなければならないのか?
といった辺りが分かりかねるところ。
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この回答へのお礼

これは

健常者と障害者は解りあうことはないということなのか?

或いは、

わたしという極めて特異で異質な者は誰とも解りあうことが無いということなのか?

それとも、

人と人とが解りあえるということがそもそも幻想でしかないということなのか?

とても参考になりました。

回答をありがとうございました。

お礼日時:2018/12/07 02:32

#2です。



>わたしが「彼ら」に対して「殺意」または「皆殺し」の意思すら感じるのは、わたしの目には「彼ら / 彼女ら」が「血と肉と心と感情」を持つ「人間」とはどうしても思えないからです。ひたすらに無機的・無表情。そして均一で同質な得体のしれない存在にしか見えない。

う~む・・・(ー_ー;)。
結構根深そうですね。
なにかトラウマはありますか?

>「彼ら」はひたすらに無機的で温もりを感じさせない「現代社会」の象徴なのでしょう。

なるほど。
たしかに、そういうことは言えるかもしれないですね。
同意できますよ。

>わたしは、自分の感性が正しく、現代社会が間違っていると言いたいわけではありません。

そうなんですか。
わたしは全く逆です。

>ただ単純に、氷炭相容れざる間柄だと思っています。そんな中で、「死ねず」もちろん「生きられず」の宙ぶらりんの状態でいるのは、最早限界であると感じています。
そして「出口なし」の現状の唯一の「出口」は自死以外にないと思うのですが、

『氷炭相容れざる間柄』だと何故『「死ねず」もちろん「生きられず」の宙ぶらりんの状態』になるのか?
という点がよくわからないですね。

>わたしは自分を「狂人」だと自覚しています。狂っていても「人間」だと・・・

まあ、自分で狂人と言う狂人はいませんから。

>ただ、この激しい嫌悪感、そして抑えきれない殺意をなんとかしたい。出来るなら無視したい。軽蔑して歯牙にもかけずにいたい。けれども目に映るこの醜さはどうしても耐えられない。加えて「あれ」を嫌悪し憎悪するものが世界中にわたしひとりだということも気を滅入らせます。
せめて「仲間」がいればと思います。

「あれ」が何かの象徴として立ちはだかっている感じですかね。
『「あれ」を嫌悪し憎悪するものが世界中にわたしひとり』ということは無いと思います。
「あれ」の前身でさえ嫌悪している人っているはず。

>「氷」と「炭」「水」と「油」どちらが優れていますか?それが「わたし」と「現代」との関係です。
どうしても「現代社会」と相容れない、上記のような関係である以上、滅びるのは当然少数派です。

『上記のような関係である以上』とおっしゃいますが、「氷」と「炭」という関係性自体poboh さんの一方的な思い込みですよね。
前提の真偽を検証することなく、いきなり『滅びるのは当然少数派』という結論を導くのは若干乱暴な気もします。
ブログ関連の感想は後日。
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この回答へのお礼

お礼が遅れがちで申し訳ありません。現在、「あれ」への憎悪問題で、10年以上前に、ハコブルさんや瀬里香さんたちと、OKでやっていた頃、完全に孤立し、皆と対立し、結局OKを去った時とほぼ似た状況になっています。その直後からわたしは海外のアート系サイトに「ネット移住」しました。最近はそことも間遠になっていますが、それでも今現在、わたしのブログにはまだ1万4千人のフォロワーがいます。(やはりそこでも日本人は10名ほど)。わたしが母国語でしゃべる時、必ずと言っていいほど孤立し傷つきます。

>「氷」と「炭」という関係性自体poboh さんの一方的な思い込みですよね。前提の真偽を検証することなく
云々に関しては、これは沼で溺れて自分の袖をつかんで引っ張り上げたミュンヒハウゼン男爵の真似をせよと仰っているのと同じです。ー「一方的な思い込みですよね。」これが「沼」です。「真偽の検証」-わたしは、わたしで、わたしを救えません。そうではありませんか?

ブログでのやり取りは是非ハコブルさんの忌憚のないご意見を伺いたいところです。今のわたしにはとても論理的な思考に耐えられるほどの気力も体力もありません。

先のURLよりもこちらの方が全て書き込まれていますし現在進行形ですので、

https://pobohpeculi.blogspot.com/2018/12/blog-po …

こちらをお読みください。

>なにかトラウマはありますか?

といわれても、わたしの過去にはこのような時代は存在しませんでしたから。

>『氷炭相容れざる間柄』だと何故『「死ねず」もちろん「生きられず」の宙ぶらりんの状態』になるのか?
という点がよくわからないですね。

熱した炭と氷を同じ桶に入れて、共存できますか?「宙ぶらりん」という言葉が余計でしたね。単に「生きられない」でよかった。

>『「あれ」を嫌悪し憎悪するものが世界中にわたしひとり』ということは無いと思います。
「あれ」の前身でさえ嫌悪している人っているはず。

結局推測でしかありませんよね。つまり「その人」をわたしは知りません。ハコブルさんも。

わたしは必ずしもハコブルさん的なものを全面的に支持しているわけではありませんが、その正義感と論理性はここの誰よりも高く評価しています。

わたしは助けを求めています。

お礼日時:2018/12/04 05:11

#2です。



>たまに外に出ると(最近は外に出ることもままならなくなっていますが)つくづく「ああ、もう自分の時代はとうに終わっていたんだ」という気持ちを新たにします。

これと似たようなことを宮台真司が言っていましたね。
取り急ぎご紹介を。
この映画見たことありますか?
他はまた、いずれ改めてお返事いたします。
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この回答へのお礼

すみません、わたしはTVを見る習慣がなく、またYou Tubeなどの動画も同様で、動く映像を観るのが今はできません。というのも、好きな映画だけはDVDなどで見ていましたが最近はそれすらできなくなっています。
また本を読むことも難しい状態です。

You Tube でクラシックやジャズを聴きながら

https://www.foroazkenarock.com/t60315-pongan-un- …

http://19thcenturybritpaint.blogspot.com/

こう言うサイトを観るのがわたしの主なネット利用方です。

映画は(音楽もですが)20世紀のものがメインです。21世紀のものはせいぜい00年代までです。
CGモノは生理的に受け付けません。特撮なら昔の円谷プロのものの方が数段上です。

それと「日本製アニメ」「ゲーム」「アイドル」昨今のマンガが特に苦手です(苦笑)

お礼日時:2018/12/04 05:26

#1です。



疑問にお答えいただきありがとうございます。

>具体的には、駅のホームで電車を待っている時に、向かいのホームにズラッと並んでいる人のほぼ全員が、「あれ」を眺めているか、いじっているか。
>「嫌いなものは無視すればいい」と言いますが、わたしにはどうしてもそれを「無視」することができないのです。
無論問題は駅や電車に限りません、クリニックや美容室の待合室で、バス停で、バスの中で、喫茶店で、レストランで・・・

たしかに異常なほど多いですね、そういう方は。
わたしの場合、「憎悪」まではいきませんが、「別人類?」という印象を受けることは多いですよ。
ひょっとしてお互いに柔軟性に欠けているのかもしれませんね。
しかし、「あれ」は確実に人間にとっての何か貴重なものを蝕んでいますね。
たしかに彼らは何かに操られているのでしょう。
今日はまた4kだか8kだかがお披露目されたとのこと。

全然関係ない話なんですが、昨日あるテレビ番組にくぎ付けになりましたよ。
下記サイト関連の特集でした。
https://www.mugendai-web.jp/archives/8418
まあ、わたしの年代には恩恵は回ってきそうもありませんが、人類の価値観も変わっていくんでしょうね。

>「彼ら」の姿を見ることは、わたしにとって、鋭利なカミソリで、心を切りつけられることと同じほどの苦痛なのです。

わたしが彼らを見る目は少し違います。
あの姿に、彼らの、もがき と 逼塞感 を私は感じる。
おそらくは、彼ら自身も気づいていないであろうところのものを。
『鋭利なカミソリで、心を切りつけられること』を、おそらく彼らも体験しているはず。
意識的にせよ無意識てきにせよ。
そうでなければ、何かの出口を必死になって探すかのように、あそこまで「あれ」にのめり込む必然性が無いでしょう。

>繰り返しますが、わたしには「例外がない(ほとんどいない)」「反対者がいない文化」「嫌う者がいない人・モノ」というものが、どうしても受け容れられないのです。

そういうものに真理は含まれていませんからね。
ただ、わかっている人はわかっていますよ、たぶん。
ただ、分かっていることを他者に認めてもらおうとまでは思っていないように思います。
分かる人だけ分かれば良い。
これでいいのでは?
エネルギーには限界があります。
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この回答へのお礼

こんばんは、ハコブルさん。

ハコブルサンは「彼ら」を

>「別人類?」という印象を受けることは多いですよ。

と仰いますが、わたしはハコブルさんをも含めた全人類と、自分は異質の存在だという意識がとても強くあります。もう少し詳しくいうと、わたしは現在55歳(無職・独身)ですが、たまに外に出ると(最近は外に出ることもままならなくなっていますが)つくづく「ああ、もう自分の時代はとうに終わっていたんだ」という気持ちを新たにします。

>あの姿に、彼らの、もがき と 逼塞感 を私は感じる。

>『鋭利なカミソリで、心を切りつけられること』を、おそらく彼らも体験しているはず。
意識的にせよ無意識てきにせよ。
そうでなければ、何かの出口を必死になって探すかのように、あそこまで「あれ」にのめり込む必然性が無いでしょう。

この感覚はわたしの持つ「嫌悪感」とは対照的で、「彼ら」への、ある種のシンパシーを伴っていますね。
こう言ってよければ「憐れみ」(?)のような感情。そして、彼らが「もがき」、「必死になって何かを捜している」と感じるのは、とりもなおさず、ハコブルさんの目には彼らを「自分と同じ、感情を持った『人間』である」という感覚があるからでしょう。

わたしが「彼ら」に対して「殺意」または「皆殺し」の意思すら感じるのは、わたしの目には「彼ら / 彼女ら」が「血と肉と心と感情」を持つ「人間」とはどうしても思えないからです。ひたすらに無機的・無表情。そして均一で同質な得体のしれない存在にしか見えない。

ハコブルさんとわたしの視点が異なるからといってそれは問題ではなく、先ほども言ったように、わたしは「いま・現在」に生きていることがとても苦痛なのです。「彼ら」はひたすらに無機的で温もりを感じさせない「現代社会」の象徴なのでしょう。


わたしは、自分の感性が正しく、現代社会が間違っていると言いたいわけではありません。
ただ単純に、氷炭相容れざる間柄だと思っています。そんな中で、「死ねず」もちろん「生きられず」の宙ぶらりんの状態でいるのは、最早限界であると感じています。

そして「出口なし」の現状の唯一の「出口」は自死以外にないと思うのですが、
それについてのハコブルさんのご意見をお聞かせ願えますか?

わたしは自分を「狂人」だと自覚しています。狂っていても「人間」だと・・・

お礼日時:2018/12/02 13:41

具体的に、どういったことで困っておられるのか、具体的に教えていただけますか。


といっても素人ですので専門的な回答は無理ですが。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんばんは、ハコブルさん。

具体的には、駅のホームで電車を待っている時に、向かいのホームにズラッと並んでいる人のほぼ全員が、「あれ」を眺めているか、いじっているか。そして電車内では、向かいの7人掛けのシートに座った7人ともが、やはり「あれ」をいじっている。それを見ると生理的に反発・・・というよりも、寧ろ激しい「憎悪」の感情に囚われるのです。ただし、ひとつの車両に100人の乗客がいて、その内4~5人が「それ」を擦り・眺めている分にはなんら問題はありません。問題は高齢者、寝ている人を除き、どの車両でも、ほぼ全員と言っていいくらいが「同じ動作」をしていることです。

上記に書いたブログの知り合いは、「嫌いなものは無視すればいい」と言いますが、わたしにはどうしてもそれを「無視」することができないのです。
無論問題は駅や電車に限りません、クリニックや美容室の待合室で、バス停で、バスの中で、喫茶店で、レストランで・・・

敢えて理屈を付ければ、わたしは「アンチ・ファシスト」です。「ファシズム」=「全体主義」の定義を一言でいうなら、「例外のないこと」です。「ひとつの文化」「ひとつの思想」を、ほぼ皆が支持することです。「アンチ」が限りなく「ゼロ」に近いことです。

しかしそのような理屈以前に、わたしは最早、自分のブログを、誰かが「あれ」で読んでいるかもと考えるだけで気分が悪くなります。

外に出ると、当然歩きながら「あれ」に没頭している者がいます。もし駅で、或いは道で、「彼」と肩が触れて、向こうが「チッ!」とでも言おうものなら、その瞬間わたしは我を忘れて、気が付いたら血まみれになっていた・・・などということを考えると、とても外に出ることができません。

ただ、わたしは薬物や、その他何らかの方法で、自分の「感受性を操作」することを望みません。わたしにとって「醜い世界」を、あたかも醜くないように「操作改作」することを厭います。それは戦場に居ても平気でいられるようになるのと同じように、不自然であるし、第一、自分の感受性を偽ることになります。

わたしは苦しんでいます。「彼ら」の姿を見ることは、わたしにとって、鋭利なカミソリで、心を切りつけられることと同じほどの苦痛なのです。そしてもう外に出られないのなら生きている意味がないと思っているのです。
どんなことでも感想をお聞かせください。

お礼日時:2018/12/01 03:08

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