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つまりこの世ははかないもの、下らないものである。
そのよーに考えて気が晴れるのであればそれでもよかろー。
それ故この世は真面目に生きるほどの世ではございません。
ってことで完結ですか?

A 回答 (16件中1~10件)

これってあるないの解釈じゃなくて


その時々に考えてる、悩んでる物事に当てはめて大きく捉える言葉であって
意味を定義する言葉じゃないとおもいますよ。
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これまでの回答とお礼を見ていると


質問者さんの考えに沿わない回答には
ご自分の考えを述べていらっしゃるので
これは質問じゃないって考えて宜しいと思います。
意見開陳は別の場所で行われた方が宜しいかと。
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>その存在しない世で飯食ってるのはなんで?



ただの筋肉の収縮活動に「飯を食う」と言う意味づけをしたからじゃ。
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解釈が違うと思います。



この世は、「ある」「ない」の2つが存在し、その上位概念として「空」が存在する。

「空」は「ある」「ない」を包括する言葉です。

この世の全てにおいて、
「ない」ものは「あり」
「ある」ものは「ない」
これが色即是空ではないでしょうか?

「私はそこにいません」と言えば、
私はそこにいることになり、
「私はここにいます」と言えば、ここにいないことになる。

「ある」「ない」は表裏一体。

「空」を感覚的に理解できればお釈迦レベルでしょう。

普通の人はムリです。
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この回答へのお礼

>この世は、「ある」「ない」の2つが存在し、その上位概念として「空」が存在する。

色即是空、空即是色、ーこの世の全ては無であり空である。
つまり、
楽しいとき嬉しいときはこの世は存在する。
それは一向にかまわない。
でも悪いことして都合悪くなるとこの世は存在しなくなる。
これもまた一向にかまわない。
そのよーに考えて気が晴れるのであればそれでもよかろーってこと。
お釈迦様はそんなことを教えているのです。

お礼日時:2019/04/12 09:40

この世は存在しない。



存在とは意味づけられる事であるから、、。。
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この回答へのお礼

その存在しない世で飯食ってるのはなんで?

お礼日時:2019/04/12 09:32

逆立ちとかヘーゲルは逆立ちしているとか


そういうkとを囲うかと思ったら
沿道我窃盗という子tでh層化

それからシブサワ英英チオか
牛沢とか三沢とか
貴兄をrとウロとがあって阿東湖tでウ書ね。
なぜ三沢が問題のようですが般若心経なので干すか。
干すかは南アのでぇ須加。支部さあ栄一はぴ駆使部ですか。
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そんな事はありません 食べ物もなく死んで行く子供たちを見て下さい



真面目に生きる程のものじゃないなどと言えるものではありません

色即是空を言い訳に目をつぶって観ない様にしているだけです

無であり空であるなどと言って苦しんでる人を助けないのは罪です。

何とかして助けないと 何時かは人類全員の問題となって行くでしょう。
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1 回答№5を支持します。

すなわち:

(1) 色即是空 ないし 色受想行識即是空 と見る段階
(2) 空即是色 ないし 空即是色受想行識 と見る段階

の二つの段階があると考えられます。



2. これを明らかにするためには 空仮中(くうけちゅう)の三諦(さん
だい・さんたい)という捉え方が分かりやすいと思われます。

3. まづモノについて問い求めます。モノもしくは色ないし色受想行識あ
るいはつまり要するに世界は 何から出来ているか? 
  
( a ) 宇宙の主宰神ブラフマンの霊としてのアートマン(霊我や我と訳さ
れますが)が それであるという説。

( b ) いやいや モノゴトには自性はなく みづからの力によって存在す
るモノ(質料)もコト(エネルギー)もその第一原因もないという説。



4. すなわち ゴータマ・ブッダと呼ばれた人は この後者の諸法無我説
に立ちました。

( b-1 ) 無我 とは アン‐アートマン(アン‐は アンインストールのア
ン‐と同じ語)ですから ( a )説の対極です。
  
( b-2 ) 無我説は ものごとが互いの関係性において現象しているのみ
という縁起説すなわちいま問題の空観と同じ内容だと見られます。


5. けれども この空観を得た(もしくは空観によって世界を捉えた)だ
けでは 済まなかったようです。
ちなみに 空=シューニャターとは 《からっぽ》という意味です。つまり 
当たり前のこととして 空観において世界を見ているのだが その世界は 
縁起によって生起しているからには空だと言っても その縁起の現象は起こ
っている。

( b-3 ) 世界は――空観のほかに―― 仮りの現象として起きていると見
る仮諦(けたい)という見方が 次の段階として必要であり妥当であろうと。


6. ただし ゴータマという人は ブッダと言うからには・つまり目覚め
たと名乗るからには その説を《さとり》としてうったえたい。

( b-4 ) ならば初めの空諦(空観)とつぎの仮諦とを合わせこれらをまと
め上げて 中道ないし中観を提示するのがよい。( と後世の人びとによる補
いだとしても 考えられました)。

7. よって 空仮中の三諦という総合的な視点が得られたようです。

(1)空諦: 色即是空 ないし 色受想行識即是空 と見る段階
(2)化諦: 空即是色 ないし 空即是色受想行識 と見る段階
  
(3)中諦: ゆえに 《色即是空、空即是色》というジンテーゼの
       ごとき中観をうたった。




8. この中諦(中観)に何の良さがあるかと言えば おそらくその知恵の
《さとり》を得た人間は そのさとりないし法を説くという慈悲の心に満た
されると言いたかったのだと思われます。

9. よってこの《さとり》の推進力ないし《慈悲――友だち甲斐のある心
――》のはたらきそのものを ゴータマのあと後世の人びとは むしろ《ア
ートマンなる・我れにやどる霊》と同じだと捉えた。捉え直しました。

けっきょくアートマンと同じ霊性だが・ただし名を別として 《ブッダター
(仏性)》ととなえることとなったようなのです。
すなわち実質的には ( a )説に戻った。





10. もしブッダの得たさとりが 価値自由で中立の自然科学的な世界認
識であるだけではなかったとすれば――すなわち 倫理から自由で中立の認
識に じっさいには終わらなかったのですから―― 最初の空観だけに終わ
ることもやっぱしなかった。のだと考えられます。

11. すなわち(1)の色即是空の段階にとどまらず (2)の空即是色
と捉え返す段階へと一歩すすめ さらには その二つの段階を総合する(3)
中観の見地に立った。というとき 良し悪しの判断にかかわる倫理の問題に
携わらないわけには行かなかった。

――こう考えられるらしいのだし しかもその価値判断というのは ( a )
の・けっきょく梵我一如と呼ばれる霊性の説(つまりそれは 神論)とのあ
いだに 誤差はなかった。
(だから インドではブディズムは屋上屋のごとくになるのだろうか)。
    



12. けれども・だけれども・そうは言うものの・ただし です。問い求
めは 終わらない。
――だって中観なら中観なる《さとり》は さとりというモノがどこかにあ
り・そこからこちらにやって来て 街のなかを歩いているというわけには行
かないだろうから。

13. 空観=中観なるさとりを身におさめ知恵を及ぼすというはたらきを
おこなう人間がいるはずですから。また いなければならない。

14. この人間は 世間の中にあって どろをかぶらざるを得ない情況に
遭遇しているかも知れないのだから。・・・現実の現実は どうなると考え
ればよいのか?・・・だれか おしえて!
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天台の「五時」によれば、「般若時」には「摩訶般若」などで「空観」を説いて、


法華経を説くために衆生の機根を整えた、と解釈されています。

「空」を説いているのです。「空」とは「無」ではありません。
この世ははかない虚しいものという意味ではありません。

「諸行無常」という言葉も、なんかそんな風に解釈されている向きがありまして、
何か、そこいらとごっちゃになっている気がします。

仏教のことあまりご存知ではないようですね。
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感じはわからない気r度


るーぱ観益してるのかですよね。謎なのですが
色欲が性欲と
形有るもの自然といってもこれは自然学の形のある
形を成したものというか

ブウよくはカーマとかもある
カーマが気になるのですが、今は案とマリがないので
保留杖素。
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この回答へのお礼

素晴らしい回答だ。
これは質問として新たに取り上げないとね。
一体全体どんな意味なのか皆に訊かないと分からんしね。

お礼日時:2019/04/09 06:05

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