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「もし明日雨が降れば、私は自宅に居るだろう」は仮定法ではなく、単なる条件を表す表現であると、学校で習いました。ただ、もし明日に雨が降る可能性がほとんどゼロパーセントに近い場合は仮定法を使用しても良いのでしょうか。

A 回答 (4件)

>ほとんどゼロパーセントに近い場合は


そんなことを考える必要がないのが仮定です、確率や可能性なんか考える必要がありません。
仮定、すればよいだけです。
通常は、原因の発生の可能性・・ではなく、現実に確認されている結果があり、その原因を追究するにあたり、複数の原因を仮定した時、最もその結果にたどり着く可能性の高い者に絞ってことを進める。
可能性は可能性でも、「原因発生の可能性」、ではなく「結果にたどり着く可能性」の可能性です。
>もし明日に雨が降る可能性がほとんどゼロパーセントに近い
これは原因発生の可能性のお話しになります。
>私は自宅に居るだろう
これを結果として何かを仮定するには無駄が多すぎます、通常の因果関係でも無数にありますね、病気(?病院に。もあります)、引き込もり、・・・・ただのぐうたら?、仮定してみる気あります?。
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補足


言葉を換えれば、通常の因果関係では結果に結びつくことが考えられない場合の苦肉の策?と言うことになるのかな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。よく理解できました。教師にももう一度説明を願い出たら、必要がないものをわざわざ仮定法で表現するのはふつう有り得ないようです。
そういえば、教師が言うには、would や could は、仮定法として以上に、婉曲とか想像上のこととかによく使われるようなのですが、そもそも想像上のことも仮定法なのではないのでしょうか? もしお時間がありましたらご回答頂ければ嬉しいです。

お礼日時:2019/04/19 17:40

"if it were to rain tomorrow"で検索してみますと、ネイティブによる語法解説サイトでなされている解説がすぐに見つかります。


読んでみますと、仮定法での表現は文法的には正しいが、古臭くて堅苦しい言い方であると解説されていることがわかります。
以上でよろしいでしょうか?
一度ご自分でも調べてみてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。あえて「もし万が一にも〜」と表現する場合には should や were to を使うのですね。

お礼日時:2019/04/19 17:41

>想像上のことも仮定法なのではないのでしょうか


想像の多くは、通常では考えられない内容が多いと思います。
ありえないことを前提にする以上、仮定でしかありえませんね。
これを敢えて仮定法というかどうかは別ですけれど。
数学では、演繹法、帰納法があります。
演繹法は、出発点の現実から理論的に話を進めます、帰納法は現実の結果から理論的に話をさかのぼります。
仮定法は?、出発点、または結果を、現実ではなく仮定します。その仮定に基づき理論的に話を進め、またはさかのぼるとき、その途中に現実と一致するものが存在するか?。
存在すれば、その仮定が正しかったと判断できる?、私の説明ですが、こんなふうになるのかと・・・・。
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この回答へのお礼

何度もご回答ありがとうございます。自分にとって仮定法はやはり難しいです。最初はあまり理屈にばかり捉われず、慣れも必要かなと思いました。

お礼日時:2019/04/20 20:30

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