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1.本の中に鎌倉幕府の力が衰えた理由として
「御家人など、鎌倉幕府の武士は領地をわけて相続するならわしだったが、この方法を長くつづけていくとどうなるだろう。領地はかぎりなくちいさくなり、相続のたびに、収入がへっていくことになる。したがって、領地のすくない弱小の御家人ほど生活に困ったはずである。

2.いっぽう、商業がさかんになり、貨幣経済は、いっそう発達してきた。元寇のころからは、農村にも定期市場がひらかれ、農民は商品作物をつくるようにもなった。又、荘園の夫役も銭ですませるようになってきた。このような動きに、御家人もまきこまれて生活に金がかかるようになった。つまり、収入がへっていくのに、支出は増えたのである。

と記されています。
そこで1.ですが、人口が増えるから相続する領地が限りなく小さくなるのでしょうか。
そしてなぜ領地がへると収入が減るのでしょうか。

2.ですが、夫役とはなんでしょうか
農民は商品作物をつくるようになったとありますが、
それまで御家人は どうやって食べ物を調達していたのでしょうか。この文からですと、ただでもらっていたみたいにとれますが。
農業に貨幣経済が入り込むとなぜ御家人の生活に金がかかるのでしょう。

そもそも御家人とは武士のことなのでしょうか

長くなりましたが どうぞよろしくおねがいいたします。

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A 回答 (6件)

 うんと簡単に言うと、鎌倉初期の御家人たちは金の代りに米を使っていました。

税として取り立てるのも米、何かを買う(物々交換)のに払うのも米です。食物=通貨だったので、年貢が入れば食べるものに事欠かなかったのです(むろん野菜やなんかは物々交換したり、支配下のお百姓さんに米の代りに必要なもので代納させたり、あるいは私的に栽培させたりして手に入れていたと思われます)。
 商品経済が発達すると、米の代って金が通貨になるわけです。円の代りにドルを使うようになったのといっしょで、とりあえず米をなんとかして金に換えなくては生きていけない(米を売って金を買うわけです。円を売ってドルを買うように)。そこで米を何らかの方法で売りさばいて換金し、それを使って買いものするわけですが、これだと米価の変動によって収入が一定しなくなります。相場の波によって、同じ米一俵を持っていても換金できる額がそのときどきで違う。当然あまり目先の利かないやつはこの段階で損をします。さらには米を売るという才覚がなくて、米で弁済するから金を貸せ、という取引をする者も出てきます。当然これには利子が必要なのですが、その支払いが御家人を苦しめる。そこへ分割相続の問題が加わるので状況がさらに悪化するのです。
 加えて言えば「金があればものは手に入る」という市場のルールが浸透するにつけて、モノそのものがなかなか手に入らなかった時代に比べ生活は奢侈になってゆきます。鎌倉末期の御家人の窮状は、おおよそはこういうところに原因があります。
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この回答へのお礼

なるほどです。
質実剛健でしたっけ。それだけじゃあ やっていけなくなってきたのですね。
金で物の価値をやりとりする時代の幕開けということなんですね。なんだか興味深いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 17:45

ごく一部を補足します。



農民が負担した税は主に以下3点があります。
・年貢:収穫物の現物で支払う税。
・公事:収穫物以外の税。建物に課した棟別銭、土地に課した段銭など。時代が下るにつれ金銭で支払われた。
・夫役:農作物の運搬や土木工事、警護など労働によって課せられた税。

古代では租・庸・調を課していましたが、これと基本的には同じで、名称や収集方法、収集者などが変わりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんだか 身につまされてしまいますねえ。
みなさま よくご存知ですね。
歴史は奥が深いのですね。
学生時代の時にあんなにつまらなかったのに
目からうろこです。
皆様本を読んで勉強なさるのでしょうか
余談でした。
書き込みありがとうございました。

お礼日時:2004/12/04 07:07

「石」は生産高なので、面積とは違います(おおざっぱに言えば比例するでしょうけど)。


領地を開拓して石高を増やすわけです。

頑張って調べてみてください。
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この回答へのお礼

まず 安易に聞いてしまって 恥ずかしいです。
調べてわからなかったら聞くべきですね。
今調べてみましたが おっしゃるとおり石高は面積ではないですね。一石が一年間ひとりが食べる量だとか。それでも数だとイメージがわかなくて、面積に直すとどうなるんだろうと思って調べてみると
70坪から300坪くらいまで まちまちなんですね。もっとも300坪くらいまでしか
想像がつきませんが。
どうやら私は視覚から理解するタイプのようで
数だとピンとこないのでした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 15:45

江戸時代では、長男のみが相続しましたが、鎌倉時代は、現代に近く、男子だけでなく女子も含めて、兄弟で平等に土地を分けたので、たとえば、当主が亡くなった際に、100石の収量がある土地を所領していたとして、男子が3人、女子が2人の子供がいたとすると、男女平等に1人辺り、20石分の土地を所有する事になり、さらにその子が亡くなった際に5人の子供がいると・・・いった具合に、限りなく猫の額の様な土地になってしまい、とても暮していけませんでした。

馬鹿の事を、”たわけ”(田分け)と言いますが、まさに”たわけ”なシステムでした。後に江戸時代になり、長男が相続する事になったのは、こういった鎌倉幕府の失敗を参考にしたからです。
一部のみ回答。

この回答への補足

恐れ入りますが100石とは 何坪くらいでしょうか?

補足日時:2004/12/03 14:33
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この回答へのお礼

わかりやすい解説ありがとうございました!
親から相続することのほかに なぜか
ご恩と奉公が頭をちらつきまして 幕府が
気に入った武士に土地をあげたりしていて それで
足りなくなったのではないかと勝手にイメージしておりました。どうやら思い込みがはげしいようで
学習のさまたげですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 14:31

>人口が増えるから相続する領地が限りなく小さくなるのでしょうか。


相続は、兄弟仲良く分割して相続する事が一般的でしたので、
兄弟が多いと親から相続される領地が少なくなります。

>そしてなぜ領地がへると収入が減るのでしょうか。
領地内が減ると、税を納める人口も減ります。
作物を作る畑等の面積等も減ります。

>夫役とはなんでしょうか
荘民が領主の直営地の耕作や貢納の運搬・警護などの雑役に従事する人夫のこと

>それまで御家人は どうやって食べ物を調達していたのでしょうか
領地で夫役に耕作をさせてます?

>農業に貨幣経済が入り込むとなぜ御家人の生活に金がかかるのでしょう。
支給物が物資(米等)から貨幣になりましたから?

>そもそも御家人とは武士のことなのでしょうか
御家人とは、鎌倉時代に『将軍と主従関係をむすんだ武士』の事を指します。

回答の最後に?が付いてるのは怪しいですので頑張って調べてみてください。
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この回答へのお礼

簡潔なご回答ありがとうございます。
下の方にも書きましたが これは昨日勉強して
わからなかったところなのです。
レポート提出じゃないのですが 今夜までに
わかりたいと思ってましたが、付け焼刃では
駄目ですね。どっぷり鎌倉時代にひたらなくては。
どこでどう勘違いしたのか 領地はとても狭くて
武士が自分で耕しているのかと思っていました。
たそがれ清平を見たせいでしょうか
ようするに地主だったんですね
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 14:26

> 人口が増えるから相続する領地が限りなく小さくなるのでしょうか。


「限りなく」になる前にシステムを変更せざるをえないことになると思います。

> なぜ領地がへると収入が減るのでしょうか。
税収が減るからです。武士は生産をしておらず、生産活動をしている民からの貢ぎ物で生きています。領地が減れば、それだけ自分への貢ぎ物が減ります。

後半は頑張って調べてみてください。

参考URL:http://www.google.co.jp/
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この回答へのお礼

なるほど!です。
中一の息子と勉強しており これは息子から
質問されたことなんです。聞かれても はて?
そもそも私もなーんにもわかっておりません。私は領地を想像では100坪くらいもらって武士が
農作物をつくってると勝手にイメージしていました。
そうですかー!その土地で税金とってたんですか。
税金は国がとるものだとばかり思っていました!
こりゃ背景から勉強しなきゃだめですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/03 14:21

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