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あるドイツの詩人は言いました

友情と恋愛は一つの根から生えた
二本の植物である。
ただ、後者は、花を少しばかり
多くもっているにすぎない。

そこで
Q1、一つの根とは何を指すのか
Q2、ここにいう花とは何か

A、一つの根とは心で、花とは、、、ドーパミン?

なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ❀友情と恋愛の違い❀

    こんばんは、ラヴです❀
    回答ありがとうございます

    友情と恋愛は
    何かが違うのは理解していて、
    また確実に何かが違うのですが、

    何が違うのか疑問になりました。

    ただこの詩から何かヒントが
    得られそうな気がしましたので
    質問してみました。

    というより、
    この詩をみて疑問がわきました。

    また、
    皆様それぞれの回答の中に
    私とは違う新たな視点がありました❀

    私自身の学びの場にお付き合いいただき、ありがとうございます❀

    汽笛さん、NNNTraditionさん、
    グリーンロードさん、

    これからお礼をさせてくださいね❀

    只今、
    ない頭を振り絞って
    考えをまとめております笑

    ではでは❀
    *・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*

      補足日時:2019/05/13 21:23
  • ❀メモ❀

    花=儚さ、激情冷静、異性、美、ドーパミン、、、

    賛否両論
    ・友情と恋愛は別だ
    ・いや、友情あってこその恋愛だ


    う〜む…



    恋愛を
     追求しても
      わかるのは
    なんともカタイ
    我が頭なり

    *・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

      補足日時:2019/05/15 09:30
  • ❀回答ありがとうございます❀
    こんにちは
    皆様の回答拝見しました

    瞬きに
     過ぎてゆくは
      恋こころ
    傘をさせるは
    愛ゆえになり

    ↑今まで私が把握していた、恋と愛の違いでした

    恋は一瞬に始まるもので
    続くかどうかはタイミングと運と相性
    一方、愛とは、与えるものだとは思っていますが、
    与えるものが愛か、感じるものが愛か
    もしくは与えた愛が相手に伝わらないと愛にはならないのか
    もしくは与えられたと勘違いして受け取った場合も愛なのか
    例えば、人間が動物に対する愛情は、動物が感じてはじめて愛なのか
    ストーカーさんの愛も愛なのかetc。。。
    これらは私の中でまだ議論があります

      補足日時:2019/05/15 14:29
  • ❀回答ありがとうございます❀
    考えをまとめてからお礼させてください
    *・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

    リトルキッスさん、
    長文ありがとうございます、
    只今拝見しております
    遺伝子の方は興味深いですね❀
    参考に考えております

    ブラジュさん
    最後のボンボアイヤージュとは、鐘の音を擬音語で表現したのですか?笑
    それとも、Bon voyage!! ですかね
    ありがとうございます
    かたい頭をフル回転させすぎて
    フリーズしないように気を付けます❀

    汽笛さん
    恋については確かにそうなのかとは思いました
    ただ少しばかり、
    私なりの疑問点をお礼に書き込みます❀
    ありがとうございます

    *・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

      補足日時:2019/05/15 14:39
  • ブラジュさん、NO.13のお礼の訂正です

    >②しかも《あらゆる経験に先立って存在する先天的な》と言う《経験世界を超えているのではない》という意味において やはりこれも 《思考の緑野》の範囲内であろうか?

    →これは、カントの話をきいているのですか?
    だとしたら《あらゆる経験に先立って存在する先天的な》がモナドについてのことを説明した私のお礼内容は訂正ですが、ただコギトの範囲ではあるのかと。
    カントはすべての認識と経験を成り立たせるための条件として人間の心の内にあらゆる経験に先立って存在する先天的な認識形式をすべてア・プリオとして捉えているということは
    おそらくライプニッツのようにモナドとしてまで細かく考えずに、《コギトを認識するためのコギト》をすべてア・プリオとして捉えらているような感じなんですか?

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/17 02:12
  • ブラジュさん、NO.14の続きです

    >(さ) しかも・ただし コペルニクス的転回というように地動説ですから 
    認識は 無意識ではなく 純粋直観にもとづく段階ではすでに意識し自覚す
    る主体性のもとにおこなうと言っているはずです。

    →これは、物の対象は、人間の認識(主観)が決めているということですよね?

    >(し)~言わば自力更生なのだと。

    →これはどうなんでしょうか?。。❀
    ここがわからなかったです。時間や空間を認識しているのは
    あらかじめ備え付けられた形式以外の何かということですか?

    >(す)アプリオリならば 神と人間の現象とのあいだに
    《物自体》をはさんだことによってでしょうか 備わっているものは もは
    やわれらのものであることになり、

    →ここも確認ですが、
    《備わっているもの》=《経験に先立って先天的に備わっている知性の働き》としてますか?

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/17 22:27
  • ❀回答ありがとうございました❀
    今回のこの課題は残します

    この詩人の花の数が違うとしたその意味は
    考えれば考えるほどしっくりきませんでした

    ココロの空腹感がなぜ生まれてしまうのかを
    あくがれ理論兼カントの思想から学ぼうとしましたが
    カントの思想自体に私の中で課題がでたので研究所に持ち帰ります❀

    友達関係も恋愛関係も育んでいき花を咲かせますが
    たいていは、恋愛関係が終わると
    友達関係としても付き合いがなくなります
    (例外はあるかもしれないですが)

    ってよ~く考えていったら、
    ココロの中では恋自体はずっと終わらなくて
    ココロは恋した人にずっと恋してるような気がします、
    よほどのことがない限りは.。..。.

    おそらくは.。..。.

    .。..。.いや違うかもなぁ

    もぅよくわかりませんが
    ただ、恋で苦しい思いをするよりも、
    恋してでもより善く生きていたい
    ので解明は続けたいと思います

      補足日時:2019/06/02 15:14
  • ❀❀閉めます❀❀

    やっぱり
    男女同士でする恋のカタチとはまた別に
    女性には女性同士でのなにやら恋に近き感情が
    あることが最近わかりました(笑)
    勿論、同性愛とはまた別です

    女性と男性でも、恋のカタチが違うのかもしれませんね

    課題です

    ❀お付き合いありがとうございました❀

      補足日時:2019/06/02 15:24

A 回答 (23件中1~10件)

お礼をありがとうございます。



そうですね。私は 笑 一文字ぐらいはいいのですが、笑笑 とダブルは、ちょっと引いちゃうかも(笑)
ラヴさんは人に興味があるのですね。うらやましい。私はそれこそ、ネコ=^_^=体質なので、甘えたいときと、ほっといてほしい、って思うときと両方あります。

回答をもうひとつ。

友情も恋愛も、深い心の奥から湧き上がってくるもの。植物が自身を養う力を土の中に求めるように、人間も、その見えない心が欲し、形を為そうと自ら渇望したり苦悩したり、そういった試行錯誤の末に、友情や恋愛という花が咲くのかもしれないですね。
だから、同じ一つの根、心だと思います。花の形や大きさは違っても。
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この回答へのお礼

キャラさん、こんばんは*・゜゚・*❀
再回答ありがとうございます❀

>笑笑 とダブルは、ちょっと引いちゃうかも(笑)

→そうなんですね❀
はぁい*・゜゚・*じゃぁ気を付けないと.。..。.❀笑❀

>ラヴさんは人に興味があるのですね。

→❀❀❀*・゜゚・*
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

どうなんだろう??❀
はじめて指摘されました❀
あまり意識したことなかったですが、嫌いな人はあまりいないかな❀
苦手かどうかとか、合う合わないとかはあるかもしれないですね❀
ただ、考えることよりも行動が先立つこともあります❀
基本的には直観に従ってるのかもしれないです❀

>私はそれこそ、ネコ=^_^=体質なので、甘えたいときと、ほっといてほしい、って思うときと両方あります

→そうなんですね*・゜゚・*❀
でも私にもありますよ.。. .。.❀
特に1人になりたい時はよくあります
そうゆうときは、ひたすら音楽聴いてたり、
何かに集中して無心になってみたり❀
無性に寂しくなることはここ数年なくなりましたかね*・゜゚・*❀

>友情も恋愛も、深い心の奥から湧き上がってくるもの。
植物が自身を養う力を土の中に求めるように、人間も、その見えない心が欲し、
形を為そうと自ら渇望したり苦悩したり、そういった試行錯誤の末に、
友情や恋愛という花が咲くのかもしれないですね。
だから、同じ一つの根、心だと思います。花の形や大きさは違っても。

→はい、そのように思います❀
確かにココロの中の深いところから、
何か見えないものがそうさせるのです❀
不思議ですね
教えられたわけでもないのに
自然に恋というものを知っているというのは❀

ただ私の恋の定義は疑わしいものであることが
汽笛さんの指摘により判明しました.。..。.笑
解明を急ぎたいところです*・゜゚・*❀

それから、
「植物が自身を養う力を土の中に求めるように、人間も、その見えない心が欲し、
形を為そうと自ら渇望したり苦悩したり」
→特にここの表現はしっくりきました❀
ありがとうございます、参考にします*・゜゚・*❀

お仕事は忙しいですかね❀
私の親もそうでしたので、
休めるときはゆっくり休んでくださいね❀

いつもありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/26 23:18

ラヴさん、こんばんは。



友情と恋愛は一つの根から生えた
二本の植物である

友情も恋愛も
育っていくものなのですね。
そして、そこから咲いた花は
風や周囲の虫たちによって
認知され、運ばれて
また違う場所に
同じく、花を咲かせる
植物が芽生える。

育つ、育てるという観点から見れば
友情と恋愛は同じかと考えました。
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この回答へのお礼

キャラさん、おはようございます*・゜゚・*❀

キャラさんらしい回答ですね*・゜゚・*❀
これはまた私にはない、優しい発想だなって思いました❀

確かに友情も恋愛も育んでいきますね
そしてやがてどちらにも花(愛)が咲くのかもしれないです

文字だけの世界なのにある程度、雰囲気とか性格とか
何となく感じるのは、なんだか不思議ですね*・゜゚・*❀

キャラさんて、たまにラフな感じ?おちゃめな感じ?
があったり、人懐こい感じがあったり*・゜゚・*❀

私自身、おちゃらけたいときは、



↑この文字を使いますが、でもこれって人によっては
捉え方が人それぞれだから難しいかなって最近思いました
いろんな視点で捉えてみることって大変ですよね
というか、捉えきれないですよね

判断て難しいなって思いますが
自分のだめだとされた面が
ある時褒められたりすることもあるので
ほんとに人それぞれ見方が違うんだなって思います*・゜゚・*❀
なのであまり否定なさらずに.。..。.❀
ただきちんと反省するところも
キャラさんのよいところなんですね、きっと゚・*❀
見習わないとと思いました*・゜゚・:.。. .。.*・゜゚・*❀

回答ありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/26 09:30



青色本: ウィトゲンシュタイン

サンプルを表示▼
https://books.google.co.jp/books?id=o5IVBQAAQBAJ …





映画「ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~」


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この回答へのお礼

リトルキッスさん、こんにちは
再回答ありがとうございます❀

今回はウィトゲンシュタインなのですね
ありがとう

この方は言語について
「論理哲学論考」に代表される前期と
「言語ゲーム論」を中心とする後期に
分けて考えた人なんですね
言語哲学?っていうんですかね

前期と後期で思想内容は
大きく異なっていますが、
時期に関わらず共通しているのは、
彼が「ことば」の使われ方に着目し、
そこから、ことばと世界の関係性や
人間の思考の限界について考えていたということですかね

前期では、
言語はそれを使う人の生きている
世界を反映していて、
言語で表せない領域のことは
そもそも考えることすらできない

後期では、
言葉に客観的な根拠はなく、
ある文化の中でたまたま共有されている
ルールにすぎない

のようなことをいっていますが

そうですね
言語とは自己(認識)と世界(対象)を繋ぐもの
ではあるのかとは思いました
言語もそうですが
音を音符とかで最初に表現した人もすごいですよね
その人の頭の中のイメージだったのかな

それから、

ボンボアイヤージュの予告もありがとうございます
めちゃ観たくなりました笑
もし時間があれば観に行こうかと思います❀

あれ?
でももしかして
ブラジュさんのボンボアイヤージュに反応したのかな??笑

リトルキッスさんてお茶目かなって少し思いました❀いい意味でですよ❀

いつもありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/20 11:17

この 柔らかい 雰囲気


ピンクベージュの イメージ
.。.:*・°♡.。.:*・°♡.。.:*・°♡.。.:*・°♡
お久しぶりですね
( *´艸`)

友情( 友愛 ) 、恋愛
同じです
この歳になると よく解りますね

ココロの "ささくれ " に
ひっかかる
柔らかな 感情
激情……

ただ 恋愛に なると
触りたい 抱きしめたい
と 皮膚の なかまで
同化したい 繋がりたい
が 欲望と いう名で
湧いてきます

独占欲 は おなじですよね?
どちらも

☆:。・:*:・゚' ☆,。・:*:♪・゚' ☆:。・:*:・☆:。・:*:・゚' ☆,。・:*:♪・゚' ☆:。・:*:・
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この回答へのお礼

おや?笑*・゜゚・*

カンタロウさん♪*・゜゚・*:.。..。.・:*・゜゚・*❀


はい、お久しぶりです❀
ハネはとりました笑
ま、でもどこかでヒラヒラしながら見守ってるかもね笑
来てくてれてありがとう❀

そうですね
単純に恋愛と友情(友愛)といっても
原理は同じなのか違うのか
少し考えてみようと思いました笑

>ただ 恋愛に なると
触りたい 抱きしめたい
と 皮膚の なかまで
同化したい 繋がりたい
が 欲望と いう名で
湧いてきます

→これは確かに友情とは違いますね
カンタロウさんて表現の仕方がすなほ.。..。.・:*・゜゚・*❀
でも確かに生命ですもんね、われらは❀

>独占欲 は おなじですよね?

→はい、こいつが厄介なんでありんすね、きっと❀
ココロの空腹を埋めても埋めても足りない
でも、何かがそうさせるんですね
その人の魅力なんですかね

この前、川柳に行こうと思ったら
閉めちゃったんですね
たまに皆のこと思い出して癒されてます❀

あ、そうそう、
私の川柳のお礼のとこに書いてありましたが、
事務所はまだ開始してないのです❀
(勿論、開始はする前提で考えてますが)
全然これからです、何もかも*・゜゚・*❀てんてこまい❀
きっとカンタロウさんの優しさかな?ありがとう❀

カンタロウさんも元気そうでよかったです
回答ありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/19 13:44

(  ̄▽ ̄)にっこり



エントロピーの法則ですね!

無秩序から、新たな秩序が産まれる

部屋は片付けないと
散らかったままやけど

散らかりのなかにも
ある主の意識が働くからね



恋愛も無秩序だけど
ある主の秩序が産まれるもんね!

想像と破壊の繰り返しなんかも!

(笑)( =^ω^)



お元気そうで
何より!何より!

ヘ(≧▽≦ヘ)♪
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この回答へのお礼

ヘ(≧▽≦ヘ)♪❀


(  ̄▽ ̄)にっこり. .。.:*・゜゚・*❀

>エントロピーの法則ですね!
無秩序から、新たな秩序が産まれる
>恋愛も無秩序だけど
ある主の秩序が産まれるもんね!
>想像と破壊の繰り返しなんかも!

→ほ~熱力学ですね❀
まさか恋愛を熱力としたのですか?
面白いですね❀

想像と破壊の繰り返しですか??
そうすると恋愛がさらに苦しくなりますね❀

私としてはですね、
恋の病原菌を探そうかと思ってるんですよ笑

恋は病ですからね❀

わしさんも相変わらずで何よりです❀

お礼日時:2019/05/19 03:31

(  ̄▽ ̄)にっこり



こんばんは!
花とは
おしべとめしべ

かな?

果物なんかだと
良質な実を採るため
花を選定したりするから
恋愛の花も
知らず知らずに
選定してるのかも!
知れないね

友情の花は
実を気にしないでいいから
恋愛の花のように
選定されないのかも!

質問を読んだら
そんな感想が
しましたよ


そだそだ!
お久しぶりかなかな?
(  ̄▽ ̄)ニャリ
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この回答へのお礼

わしさん、深夜ですが、
こんばんは
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

(  ̄▽ ̄)にっこり.。.・❀


>花とは
おしべとめしべ
かな?

→なるほど❀
そこまで考えてなかったかも*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

>果物なんかだと
良質な実を採るため
花を選定したりするから
恋愛の花も
知らず知らずに
選定してるのかも!
知れないね

→確かに、私たちは生命ですからね❀
そういう意味では自分にとっての良質な恋愛の花を探したいですね❀

>友情の花は
実を気にしないでいいから
恋愛の花のように
選定されないのかも!

→ここが友情と恋愛の違いですかね.。*・゜゚・*❀
ありがとうポン❀

>そだそだ!
お久しぶりかなかな?
(  ̄▽ ̄)ニャリ

→笑笑:.。. .。.:*・゜゚・*❀アリャリャ。。。❀笑 
はい、ありがとうございます
皆も元気そうですかね
落ち着いていそうで良かったです❀
安心してます❀

いきなり申し訳分けなかったです

ただ、きっとこの方がよいのでしょう
来てくれてありがとポン❀



ヒラヒラと
 飛んでいったは
  愛(マナ)の羽
地につくすがた
あいも変わらず

 笑

ポンポンわしポン。.:*・゜゚・*❀

*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*

お礼日時:2019/05/19 02:53

№15を承けます。

コメントをありがとうございます。


分からないところがありますが われわれは案外かんたんなことをあれこれ
詮索していたのかなとも思いました。

★ 感性によりS極とN極が引き寄せられるのは
お互いに先天的にそういうチカラが備わっているのですかね、おそらくは❀
☆ というふうにツイ関係をかたちづくろうとする自然本性の傾き(要素)
は あるんでしょうね。

★ 逆にお互いが引き寄せられない場合、片方が恋を抱くのも
先天的にその人を恋するようにできているのか
それとも経験認識による価値観の形成によるものなのか

★ もし後天的に知ったとするならば、
経験により色々な価値観を形成していき、その形成されて認識したものが
やがて先天的に存在していた美と認識される
ということですかね

☆ 価値観は――クセのことでもありますが―― 変化することさえあり
ますから 後天的に形成されるんでしょうね。

美学・美意識は ある程度変遷する価値観と連れ立って 対象をえらぶ。

そして あくがれの対象というものも その候補がいくらかは あること
になるんでしょうか。
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この回答へのお礼

ブラジュさん、こんばんは❀

>われわれは案外かんたんなことをあれこれ
詮索していたのかなとも思いました。

→笑笑*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

私には学びとなりました笑
モナドから始まりカントのアプリオリに繋がりましたので❀
ありがとうございます

>そして あくがれの対象というものも その候補がいくらかは あること
になるんでしょうか。

→私は候補はいくらかあるのかなってのは思いました
ちなみに、《あくがれの対象》とは、《自身のこころが惹かれるもの》という解釈でよろしいですか??

だとすると、《自身のこころが惹かれるもの》とは言い換えると《心の空腹を埋めるもの》ということになるかと思われます❀
そうすると私の中ではある程度、結論がでることになるような気がします❀

いつもありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/18 20:53

№14を承けます。



▲ (コトバンク:日本大百科全書(ニッポニカ)の解説:物自体) ~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%B …

(せ) カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、

(せ-a ) 従来思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、
(せ-b ) 感性の先天的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、
悟性の先天的形式(範疇)によって総合的に構成されたものである。

(せ-c ) したがって、われわれのもっとも素朴な感覚与件でさえ、すでに空間・
時間という主観の形式を経由したものであるから、
(せ-d ) われわれは感覚を刺激する外なるものをそのあるがままに認識するこ
とができない。
(せ-e ) それをカントは物自体とよぶ。

(そ) のち『実践理性批判』においては、物自体の世界を自由の概念と結び付
けて、現象界に対して叡智界(えいちかい)と名づけた。

(た) 物自体概念は、カント哲学の要石(かなめいし)であると同時に、批判が
集中した概念であり、その後のドイツ観念論の発展――フィヒテの自我概念に始
まる絶対者概念の成熟――はそのままこの概念に対する批判的発展であったとも
いえる。
[武村泰男]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆(ち) 物自体についての定義内容に変遷があるんですよね。

▲ (せ-e / d ) 物自体は そのあるがままに認識することができない。

▲ (た) のち・・・物自体の世界を自由の概念と結び付け
 
▲ (コトバンク:百科事典マイペディアの解説:物自体) 
(そ-a ) 実践哲学では,物自体の世界は,・・・単に理念の問題にとどまる
ことなく,自由の可能性を保証するものとして要請された。


(つ) ヘーゲルの次の思想を参照したいと思っています。
▼ (ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は 

どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない 
ないしはこれを 我慢できないであろうが 

この矛盾を持ちこたえることができるのが
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。

    (『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(て) すなわち:
① 《有限なもの》は 経験事象でありその世界であり また経験存在である
人間のことです。
② 《無限なもの》とは 早い話として神であり 物自体に当たるとも見ます。

③ その場合わたしは これを《知り得ない不可知》と見るのではなく 《知
り得るか知り得ないかが知り得ない非知》と捉えます。
④ それゆえ ヘーゲルが《非知なる神(霊ですが)》と人間との――信仰に
おける―― 一体性を想定したのだと見ます。
⑤ 何のことはなく 梵我一如や仏仏一如あるいは霊霊一如といった非思考の
庭における一体性のことだと言ってよいはずです。


(と) こうして 〔飛躍がありますが形而上学たる〕神論にまで広げて捉え
るなら 物自体にしてもあるいは《カントによる認識論におけるコペルニクス
的転回》についても 割り合い分かりやすいかと思っています。

(な) すなわち 《モノの本質》として物自体をかかげたときには それで
もそれがあたかも神のごとくに前提されていて その前提の上では 世界につ
いての認識が 人間のおこなう認識行為のみを扱えばよいという恰好になった。

(な-a ) その上 認識の形式として 空間や時間また因果関係といった要素
を 対象(世界)の側にではなく 認識主体たる人間の側にアプリオリに備え
たものであるとして規定したならば あとは 人間のまさに主体的な―― 理性
にダントツの主役をあたえるような――行き方が提唱されたのだと思います。

(このことを自力更生と言いましたが あまり馴染まなかったですね)。

(時空間や因果関係は――わたしのコダワリとしては―― 人間の側にだけ備
わるのではなく 対象ないし世界の側にも同時にあると見ています)。



(に) のちに物自体が 自由なる理念に結びつけられたあとでは これを自
由意志あるいは宇宙の意志として捉えたショーペンハウアーは その怪物のよ
うな神のもとにうめいていたように見えます。 

さらにニーチェになると 人間の側における超人なる思想が 現われ出たよう
に映ります。

ヘーゲルが理念と実際とのバランスを取っておいたと思えるのですが。

(に-a ) つまり 《ブッダター(仏性)》をその自然本性にアプリオリにや
どすゆえに ひとは自由かつ平等。 ただし 仏性を人間が思うようにあやつれ
るなどとは考えられていない。



☆ 全体として反応しましたが どうなりましょうか?
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    • 1
この回答へのお礼

ブラジュさん、おはようございます
早起きなんですね❀
夜はちゃんと寝れてますか??
昨日は忙しく返信が遅れてしまいすみません

他の方面の勉強をしてまして、
なかなか哲学の方の勉強に手が回らず無知で申し訳ございません
早速のレスありがとうございます
ブラジュさんの回答拝見しました

なるほど。

そうですね、
カントは《神=非知》の世界まで想定したんだと思います
カントが説明する理性というのも、
ヘーゲルが説明する人格というのも
そのために説明をしているのかとは思います

また何故批判されたのかわかりませんが、カントの物自体の概念は
私はなければならい概念だとは思いますが。
それから自力更生もありなのではと思いますよ

私たちの経験世界の認識だけでは説明できないものは
確実に私たちの内なる世界に存在していますからね
これは誰にも支配されない絶対的なものであると思います
という思いから自力更生もありだと思います

今ざっと読んでしまいましたので
すべてちゃんと理解できてるかわかりませんが笑
また後でちゃんと読んでみます
もし疑問がわいたら、ブラジュさんのスレにレスします❀

とりあえずレスポンスです

今からまた少し出かけますので
後で他のレスのお礼もさせてください

いつもありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/18 08:42

恋愛は 美の問題であろうか? 美の問題であるなら 《あくがれ》の問題になるで


あろうか?

ということで 《あくがれの理論》を提出します。真善美の問題になるはずですが 
ツイ関係とどこまでかかわっているのか? ――かかわりがあるのほうにわが見解は
ありますが 果たしてどうでしょうか?


【Q:うつくしさに打たれたきみは だれになるのか?――《あくがれ》の理論――】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9145860.html  ~~~~~~~~~~~~~~


1. うつくしさに心が打たれるのは きみの生まれつきそなわった自然本性におい
てか?
しかも わが自由意志のあづかり知らぬ隠れた秘密兵器がはたらくのか? 
あるいはむしろおのれの自由のおよぶ範囲にあって感性の起きるとともにはたらく自
由意志によってなのか?

2. われわれがうつくしさに打たれたとき 《わたし》はあるか?

3. 《ある》なら そのワレは おのれの自由になるところの自由意志であるか? 
それとも 意志や意識以前の自然本性そのものであるか?

4. あるいはつまり《あなた(かなた・他者)》があるのか? この他者を《わた
し》は見留めているか? 《わたし》はワレ自身を見留めているか?

5. それとも その一瞬《わたし》は ないか?

6. けれども・ただし 確かにわれらはその瞬間にはとどまれない。ときは なが
れる。うごく。ゆえにわれにかえるのか? ここにもどるのか? 

7. それとも・むしろ その美を感じたとき(瞬間)にこそ われはわれにかえっ
ていたのか?

          *

○ 《あくがれ》の理論 
 ――有限なる人間と無限なる真理(美)との接点についての定理をもとめて――

8. あこがれ(憧れ)の語の原義:《わたしの居るべき所から――あたかもたまし
いがふらふらとさまようかのごとく――離れる》こと(大野晋)。

9. あこがれ < あくがれ < あく(場)‐かれ(離れ)

10. アクとは 《思わく》や《老いらく》の末尾に使われている -aku である。
 
11. ちなみにインドネシア語などで aku とは《わたし》のことである。

12. 日本語学で アクは 《( a )場・( b )事》の意とされる。

13. アクは ( a )《ワレが 世界の内にあるそのバ》のことであり
    また ( b )《この世界における経験法則などのコト》である。

14. その《アクを離れる》とは どういうことか?

   ( a )《このうつせみのワレからの離脱》・《脱自》。
       ――《ケ(日常)‐カレ(離れ)》( * )を参照。

   ( b )《有無や善悪や因果法則から自由な場に立つこと》。
       ――《特異点》を参照。

    * ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     ただし ケガレには

      日常の元気から離れて《ケガレ(穢れ・汚れ)》と呼ばれる場合と 
      日常の習慣から離れる非日常性なる《ハレ(晴れ)》の場合と

     のふたつの用法がある。
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

15. ケガレがもし《善悪の彼岸》を意味しうるハレとして むしろ《聖なるも
の》と呼ばれるとすれば まさにアクガレはその意味で 真理で無限なる神との接
点を成す。
《特異点》もおなじくそのようであろうか。(だれかくわしい人 おせーて!)。

16. アクガレの素は 秘密兵器として アートマン(霊我)やブッダター(仏
性)とも あるいはルーアハ;プシュケー;アニマ;スピリトゥス(=息・息吹き
・風:神の霊)とも呼ばれる。とは考えられる。

17. うつくしさは あくがれの問題か?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

ブラジュさん、こんばんは

この美の問いをずっと考えていましたが
答えが出ません笑

ずっと考えていたら
これを突き詰めていくと、私の中で
恋が何故発生するのかの問いと
被ることになっているように思いました


美しいものを美しいと感じるのは何故かということですよね

美しいものを美しいと認識できるものが、あらかじめ(=先天的に)心の内なる世界に存在していたのか,
それとも後天的に知ったのかなんですが、

先天的に知っていたとするなら話は簡単ですが
...というより
後天的に知ったということはあり得るのでしょうかね?

もし後天的に知ったとするならば、
経験により色々な価値観を形成していき、その形成されて認識したものがやがて先天的に存在していた美と認識される
ということですかね

感性によりS極とN極が引き寄せられるのは
お互いに先天的にそういうチカラが備わっているのですかね、おそらくは❀

逆にお互いが引き寄せられない場合、片方が恋を抱くのも
先天的にその人を恋するようにできているのか
それとも経験認識による価値観の形成によるものなのか

と、いう疑問になってしまいました*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

私の中では先天性があるのだとは思いますが
両方の可能性も否めない*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

ただ、両方だとしても、結局は先天的なものが関係してきますよね

それから、ツイ関係ですが、あくがれ理論はかかわってくるんだと思っています



いつもありがとうございます
*・゜゚・*:.。..。.・*:.。. .。.:*・゜゚・*❀

お礼日時:2019/05/18 19:31

№12&13を承けます。



▲ (ライプニッツにおける生得観念の定義② 無意識へと通じる微小表象
の内にある潜在的な観念の存在) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://information-station.xyz/7046.html

(あ) ライプニッツの認識論においては、人間の認識のあり方には、対象
を明確に意識している意識的表象と呼ばれる認識のあり方の他に、

(い) そうした一つの明確な意識へとまとめられる前の段階の微細な認識
である微小表象と呼ばれる認識のあり方も存在するとされることになります。

 ☆(ブラジュ註) ここまでは はっきりと経験事象の範囲内であり 経
  験行為であると思います。《微小表象》は 《無意識に似たハタラキ》
  として捉えられて行きますが これも 経験事象です。意識がされない・
  または 薄いというだけですから。

(う) そして、こうしたライプニッツにおける微小表象の議論に基づくと、

(え) 人間の心は、現実の世界における事物を意識的表象として実際に知
覚する前に、そうした世界の内にあるすべての存在に関する微小表象をすで
に持っていて、

(お) 生得観念と呼ばれる生まれながらに備わった観念の存在は、そうし
た微小表象と呼ばれる人間の心の無意識の階層において存在しているとも捉
えられることになるのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(か) ひとを恋愛にみちびくチカラが どういうものなのか? 磁石のご
とく斥力もあるところの引力だというとき その中身は いかに?

(き) 意識の有無あるいはモナドと呼ぶものであるかどうかにかかわりな
く 《感性として引き寄せるチカラ・または引き寄せられるチカラ》だと思
います。N極とS極とから成るチカラの相互作用である以上にくわしい説明は
わたしも おしえて欲しいと思います。



(く) このライプニツの説く《生得観念》――イデアですね――と カン
トの打ち出したアプリオリ(生得?)な認識形式(純粋直観)とは どう同
じでどう違うか?

(け) カントは イデア(観念)とまでも言うけれど 神とは切り離して
いる。そのため わざわざ人間の認識しえない《物自体》をも打ち出した恰
好ではないかと。

(こ) 信仰や絶対性へと 物自体を想定することで ひらかれていること
を言っているのでしょうか? 

(さ) しかも・ただし コペルニクス的転回というように地動説ですから 
認識は 無意識ではなく 純粋直観にもとづく段階ではすでに意識し自覚す
る主体性のもとにおこなうと言っているはずです。

(し) アプリオリなんだけれど その時間や空間といった形式は むしろ
アプリオリにみづからの内に備えているからには その形式のもとに認識す
ることは 言わば自力更生なのだと。

(す) アプリオリならば 遠くプラトンのイデアにつながるかたちにおい
て言ってみれば天与のものだと思うのですが 神と人間の現象とのあいだに
《物自体》をはさんだことによってでしょうか 備わっているものは もは
やわれらのものであることになり そこからはやはり自力更生の道がひらか
れるのだと。いや自分たちが 切り拓くのだと。

・・・
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ブラジュさん、こんばんは

>(あ)~(お)について

→なんとなくは理解しました❀

>(か)(き)について
>N極とS極とから成るチカラの相互作用である以上にくわしい説明は
わたしも おしえて欲しいと思います。

→そうなんです。これを考えていたら意外に深くなってしまいました❀
頭の中で収集がつきません笑

>(く) このライプニツの説く《生得観念》と カントの打ち出したアプリオリ(生得?)な
認識形式(純粋直観)とは どう同じでどう違うか?

→カントもライプニッツも、人間の認識においては、
《経験に先立って先天的に備わっている知性の働き》が存在しているということは共通していて、
ライプニッツは、その《経験に先立って先天的に備わっている知性の働き》自体も
観念を生み出す観念の一つとして捉えられると考え、それを生得観念とし、
カントは、その《経験に先立って先天的に備わっている知性の働き》自体は
それを観念としてではなく、それ自体はいかなる内容もない空虚な形式でしかない
としてア・プリオリな形式(=先天的な認識形式)として捉えている

と、ここまでは、ブラジュさんも把握していることは同じですか?

>(け) カントは イデア(観念)とまでも言うけれど 神とは切り離して
いる。そのため わざわざ人間の認識しえない《物自体》をも打ち出した恰
好ではないかと。

→ここがわからなかったのですが、
ブラジュさんの仰る、「人間の認識しえない《物自体》」とは、時間や空間のことですか??

>(こ) 信仰や絶対性へと 物自体を想定することで ひらかれていること
を言っているのでしょうか? 

→どちらかというとライプニッツのほうが、信仰や絶対性を想定しているようには思いましたが、
想定していたかどうかが、はっきりわからないです。
ただ、ブラジュさんの仰る通り(その《物自体》が何かによってはですが)
カントも信仰や絶対性を想定していた可能性はあるのかなとは思いましたが



つづきます❀

お礼日時:2019/05/17 22:20

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