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原稿用紙2000文字の人権(いじめ)についての作文を書かなくてはなりません
丸写ししたいので誰か考えてください
お願いします

A 回答 (3件)

締切に間に合わなかったようですが、私の作文です。

たぶん丸写しは無理だと思います。

いじめに焦点をあてて自分のこれまでの人生を振り返ると、長期間いじめられた記憶はありませんが、知らぬ間にいじめる側に加担していたり、いじめにあっている人を救おうとしたことはあります。どちらも思い出したくない嫌な記憶として残っています。
 働き出して、やがて結婚してからは、職場でいじめにあった記憶はありませんが、責任ある立場になって自分にはそんな意識はないのに、結果としていろんな人をいじめていたということはあると気づいています。
結婚生活では、若いころ妻をさんざんいじめていたようです。60歳過ぎてから、ことあるごとに、妻からいじめの数々を指摘されるようになりました。その代表的な言葉は、「おまえバカやないかです?」確かに自分の口癖ですが、ここ数年、この言葉を発することは極端に少なくなってきたような気がします。
 そして、妻から良く言われるのは、「いじめた側は忘れているけど、いじめられた側はいつまでも忘れないのよね。」です。

 30歳を過ぎている娘は小学校4年生の時と中学校の時にいじめられた経験あります。彼女が最近、「いじめられる側にも、いじめる側にもなりたくない。」とまじめな顔をして言ったことがあります。

 娘が小学校4年生の時に初めていじめにあったのは、私の転勤が原因です。
詳細は書けませんが、妻の話によると半年ぐらい保健室に通うことが多くなったそうですが、ある時からいじめていた子と娘の立場が逆転し、いじめていた子が娘に仲間に入れて欲しいと言った時に、娘は「いいよ。でも、もういじめないでね。」と言ったそうです。
 私は、この話を聞いて衝撃を受けました。「いいよ」に衝撃を受けたのではなく、「もういじめないでね。」という言葉に大きな衝撃を受け、6カ月もの間娘がどれだけ深く傷つき苦しんでいたかを思うと胸がかきむしられるようでした。
 この時、私は、こんなところに娘は置いておけない、と思って引っ越しを決断し、娘が5年生の夏休みの時に引っ越しましたが、二学期が始まると娘はまるで昔からその学校にいたかのようにふるまっていたようで、この時の男女数人の友達関係は今でも続いているようです。

 ここからようやく本題です。
いじめられた経験のある娘が言った「いじめられる側にもいじめる側にもなりたくない。」という言葉は、非常に危険な環境を作り出すと思いました。学校現場では表面的で建前にすぎない思いやりなどに溢れているのではないかと思います。その一方で、教師から見えていないところでは本音の陰湿ないじめも少なくないと思います。そういう環境下で、長期にわたっていじめた経験もいじめられた経験もない多くの子どもたちがこの状態に陥っているのではないかと危惧します。
 「いじめられる側にもいじめる側にもならない」とは、目の前で起きていることに目をつぶり、自分の感情を押し殺して無関心になることです。こういう危険な事象は、大人の世界だけではなく子供たちの世界にも数多く起きているような気がします。その理由は簡単で、大人たちの世界に本音と建前があるように、子供たちの世界にも本音と建て前があるからです。世の親たちは、我が子は常に自分の言動を良く観て成長しているということを肝に銘じるべきです。

程度の差はあれ、特定の集団生活の中ではいじめは起きるものと考えるべきだと思います。そういう中で、耐えるだけではなくそれを乗り越える術を身に着けさせることが重要だと思いますが、いじめの内容も多様で、その子の耐力にも個人差があり、非常に複雑でいろいろな施策が教育現場の教師を疲弊させるだけに陥る危険もあると思います。
そして、生きていく中で非常に大事な「怒り」と「恐怖」の感情を無関心という感情で押し殺してしまうことにより、ここぞという時に感情が発露せず、発露すべきではない場面で暴発させてしまう人が増えているように感じます。
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この回答へのお礼

中学校です

お礼日時:2019/08/22 21:34

ネットで検索すれば出てくるのでは。

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