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魏志倭人伝と言う中国の書物って信憑性あるんですか?

A 回答 (8件)

あれは魏の国の使者が日本を訪問して、帰国後、数十年立って昔語りに陣寿に、その時の出来事を記憶をたどって語って聞かせ、それを基に陣寿がまとめたといわれる。


陣寿本人は日本に行ったわけではない。
同時に中国人の歴史観・主観などが多分に働き、かなりの誤解あり。
あれが真相と思うととんでもない間違いを犯す。
あれを解釈する学者一人一人で千差万別の解釈をしているのが現実。
邪馬台国にしても、解釈者一人一人で答えはバラバラ、本当はどこにあったのか決着はつかない。
何百年も論争が続く。誰も答えを出せない。卑弥呼も本当は誰なのと尋ねると明確に答えを出せない。
モモソヒメでしょうとか、いや天照大神でしょうとか、好き勝手な答えが来る。
邪馬台国に大和に当ててもまたその中でいくつも説が展開。

聴いている方は混乱するだけ。

そもそもヤマタイコクと読むのが正しいのか、ヤマイチコクなのか、ヤマトノクニなのか、それすら決着つかず。
でも考えると邪馬台国は当てた漢字の中国読み。では日本人はそれをどう読んだかです。

たとえば、天照大神と書いて日本人は「アマテラスオオミカミ」と読む。
でも中国人は漢語で「テンショウダイジン」とか読むのではないですか。

大学の入試問題で「テンテルダイジン」とフリガナを振る学生がいたらしいですね。
飛んだ笑い話。
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そこには「邪馬壱国」って書いてあるんだよ。

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そういう書物は存在しません。

そこからスタートしましょう。三国志、魏書、東夷伝、の中の、倭人について書かれた小文です。魏から使者が派遣されました。諸方面に派遣されて情勢を探っているのです。何時の時代の中国でも、それが行われていたのです。だから書物として残される余地があったのです。日本だけでは何も残せなかった。中国が書き残してくれたのです。それはそれとして、朝鮮、満州方面に派遣された役人は、それ相応の地位があったと思われます。そして、朝鮮半島で、倭について聞きます。波浪厳しきを衝いて見に行く価値はなさそうだ。朝鮮から倭に渡った商人が沢山いる。彼らの話を適当に書いておこう。どうせ価値のない部分だから。と、捏造されたものです。だから距離も方角も出鱈目であり、邪馬台国の位置を特定できません。噂と嘘で塗り固めた書物から、真実は見えません。断定します。信憑性はゼロです。
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三国志を書いた陳寿が、烏丸鮮卑東夷伝の冒頭で、『(元資料に)到底信じられない記述もあるが、真偽の判断は後の人に任せてそのまま書いておく(意訳)』みたいなことを書いているので、それを含めて三国志の信ぴょう性は高いと言えます。


ただし、”到底信じられない記述”の多くは東夷条を指している可能性が高いので、陳寿が引いた元資料の信ぴょう性が低い可能性は、そこそこあります。例えば最初の七千里も、韓半島がそれほど大きくないこと(おおよそ方千里程度?)は知られていました。
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晋の陳寿が、国書として前王朝の事績を纏めた書物(まとめて三国志ですね)で、晋王朝として真面目に編纂しています。


魏が晋にとって替わられた、直後に編纂されているので、当時の2世紀から3世紀にかけての貴重な資料とされています。
ただ、編纂過程で伝聞情報(これは仕方が無いです)を含んでたり、記述の曖昧さがあったりして、今でも邪馬台国の場所について論争の元となっている部分もあります。
当時の日本の風習や政治制度を知ることができる資料としては貴重です。

後代まで伝わっている魏志は、残っていく過程で幾つかの写本が存在することになってしまい、どうも間違いが多いと思われる写本が存在することになりました。
私の若い頃、古田-安本論争というのがあり、写本のどれを資料として採用するのかを含めて邪馬台国論争がありました。
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「魏志倭人伝 信憑性」で検索してみると、結構信憑性は高いようです。

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「三国志」と言うのが書物名です。


その「三国志」の中の「魏」の国の歴史書「魏書」の30巻にある12ページほどの記載「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」の俗称が「魏志倭人伝」です。
その時代の支配者の装飾賛美はあるものの「三国志」は歴史書として認められている書物です。
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そういう書物がある訳ではない。

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