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こんばんは。

日本武尊の伝説ってどこまで本当なんでしょうか?
大和朝廷が東国進出したのは事実ですよね?ならば、日本武尊のような人が征討軍として派遣されたのも事実だと思うのですが。そうならば、彼のモデルとなった特定の人物がいるのですか?
また、こういう英雄伝説が書かれたのには、何か背景とか理由がありますか?実際の朝廷の東国進出と関係があるのでしょうか?

質問ばかりで申し訳ありませんが、この辺に詳しい方がいらっしゃいましたらどうぞよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 簡単にいってしまえば、古事記や日本書紀を編纂した時点での権力者が、自らの正当性を主張するために書かれたものですね。

事実を元にしているかもしれないけど、いろいろと改編が加えられているのは間違いないでしょう。
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私が歴史の先生から聞いた話では、No.3さんの話と同じになりますが、複数の武人の伝説を「ヤマトタケル」という1人の人物として物語風に書いたものだということです。



例えばヤマタノオロチを退治するところなどは、「8本の川が氾濫を起こすのを、堤防を築くことで防いだ」という事業を、面白く物語にしたものだ、という説があるそうです。
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この回答へのお礼

すみませんが、ここに一括でお礼させて頂きます。

皆様のお早い回答、感謝しております。とても参考になりました。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/01/10 00:41

 雄略天皇ですね。



 ヤマトタケル伝承の素材については、文学的方向からは、素材のもつ民族性から各伝承の背景にあるものを推察しようとする立場がある。一方歴史的な方向から見るものとしては、『英雄時代』を想定しての論がある。また、王権史的レベルにおいて論じられ、モデルとされるのが雄略天皇である。そのシゴウがワカタケルを含むことや倭王武(宋書倭国伝)とあること、また、その伝承に共通点があることなどから、雄略天皇の属性を移し換えて再生された存在がヤマトタケルであると見る見方である。タケルの名称が天皇シゴウに使用されていることについては、称号にふさわしい歴史が既に積み重ねられていたとみるべきである。つまり、雄略の時代には『タケル』はヤマトの英雄としての意義を既に有していたからこそ、シゴウに用いられたとみるべきだろう。(常盤大学 瀧口泰行助教授『日本「神話・伝説」総覧』P141より)
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日本武尊のモデルは、特定の人物と言うよりも東国や各地を大和朝廷の配下にした、複数の武人をイメージ化したものではないでしょうか。


また、日本武尊の父である景行天皇も実在の可能性は疑わしいとの事なので、特定の人物はやはりいないのではないでしょうか。

もちろん東国進出はあったと思いますが、それは、景行天皇などのモデルとなる、以降の大和朝廷の系統とは異なる別の王朝かも知れません。

後にその王朝の事跡を天皇家のものとして取り込んだのが、古事記や日本書紀の景行天皇・日本武尊の記事になるという可能性もあるのではないでしょうか。
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専門家の集まった学会での通説は架空人物だそうです。


読み物としては学習研究社(学研)から出ている
神一行著 「崇神天皇とヤマトタケル」が面白かったそうですよ。
そう……というのは連れ合いの意見だからなのですが。
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