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「時は今雨が下知る五月哉」という歌は、明智光秀が戦勝を祈願する連歌の会の中で詠み、「知る」という言葉は「統治する・治める」という意味もあったので、「土岐氏が天下を治めることとなる五月だ」と解釈される方が多いのですが、「本能寺の変 431年目の真実」という本を読むと、本当は、「時は今雨が下なる五月哉」と詠んだことが正しいそうです。
そこで、「時は今雨がしたなる五月かな」か「時は今雨がもとなる五月かな」と、どちらの読み方になるかはわかりませんが意味を教えていただけないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 以前、文学のジャンルで似た質問をさせていただいたのですが、その時は、「土岐氏は今、信長様(朝廷もしくは足利義昭の可能性あり)のもとで戦いに行くのだなぁ」という回答をいただいたのですが、他にも解釈があれば教えてください。

      補足日時:2020/01/24 10:53

A 回答 (4件)

結果論として、「土岐氏は、今(朝廷もしくは義昭)のもとで信長を討つ戦を待つ五月なんだなあ」という意味を否定しません。

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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私も、「雨(天)」は信長だと見せかけて、この様な意味を本音で詠ったと思っています。

お礼日時:2020/01/24 13:53

とき:土岐氏=光秀の出身


あめ:天=天下
下知る:命令

土岐氏出身の明智光秀が「天下」に向かって命令をくだす=「俺が天下人になる!」の解釈は悪意がある(軍記物「惟任退治記」に「謀反の意思表示がされていた」と書かれていたが、「惟任退治記」は豊臣秀吉の側近によって編纂されて、光秀を悪人に描こうとするがため、連歌の原文が改ざんされている可能性)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私も、改ざんされている可能性が高いと思っています。

お礼日時:2020/01/24 13:50

この歌会は、戦勝祈願の為に行われ愛宕神社にも奉納されている事や、独りで詠うのではなく連歌として数名で詠う事から、「土岐氏が天下を治めることとなる五月だ」と詠ったと考えるのは短絡的であると思います。


本能寺の変を目前にして、わざわざばれる危険がある様な歌を詠わないと思います。
私も以前の回答された方と重なってしまいますが、「土岐氏は今、信長様(朝廷もしくは義昭の可能性もありますが)のもとで毛利攻めを待つ五月なんだなあ」という意味だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2020/01/24 13:49

ここで詳しく説明しています。

再放送でどうぞ。

https://www4.nhk.or.jp/onamae/x/2020-01-25/21/18 …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2020/01/24 13:48

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