プロが教えるわが家の防犯対策術!

下記の続きです。意味不明の迷惑コメントが多いので、仕切り直します。
【次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。1)庭には二羽鶏がいる 2)私には弟がいる】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html

 もともとの疑問は下記でした。
===========引用開始
 次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。
 理由はハッキリしませんが、2)には少しだけ異和感があります。

1)庭には二羽鶏がいる
2)私には弟がいる

 ハを削除すると、かなり違いが出てきます。
3)庭に二羽鶏がいる
4)私に弟がいる

 3)は1)とほぼ同義に感じます。4)は2)と相当違うような。
 ちなみに、「私に弟がいることを友人には隠していた」だとなぜか不自然ではなくなります。
 さらに少しかえます。
5)庭は二羽鶏がいる
6)私は弟がいる 
===========引用終了

「いる」だと制約が強そうなので、下記の例文で考えたいと思います。本質的にはかわらない……などと書くとホニャララっぽいのでやめておきます。

1.庭には花壇がある
2.私には夢がある
3.庭に花壇がある
4.私に夢がある
5.庭は花壇がある
6.私は夢がある

 こう並べると、「庭」のほうは、「3.庭に花壇がある」が原形で、「ハ」がついて「庭には花壇がある」。「庭は花壇がある」は、ちょっと特殊な文脈が必要な気がする。
 一方、「私」のほうは、「私ニ夢がある」が原形で、「ハ」がついて「私には夢がある」。
「私は夢がある」は、それとは別のものとかんがえるほうがよいような。「ハ」は普通の主題で、「ある」がついて所有を表わす。
 一方、「所有」のイメージに結び付きにくい〈5.庭は花壇がある〉は文脈が限定され、異和感が生じることが多い、くらいですか。
 元の文もこれと同じことなのでは。

質問者からの補足コメント

  • 【補足1】

     前問の補足でリンクを張った資料です。

    ===========引用開始
    【助詞の話 またしても「ニ」 庭には二羽鶏がいる】〈1〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12559141996.html
     以下は一部の抜粋(重言)。

    「ニ」は〈 時・場所・対象、比較の基準など、格助詞「に」で示されるもの〉『大辞林』でいいだろう。問題は「ハ」。
      強める『大辞泉』
      特にとりたてる気持ちを表す係助詞『大辞林』
      強調または取りたてて示す『日国』
     こりゃ……さて、どうしよう(笑)。
    「取りたて」は「主題」と言いかえることができるだろう。「強調」のこともあるらしい。おそらく「比較」の場合もある。まぁ、大差はないか。
     語釈を見ると、『大辞林』が詳しい。ほかの2冊の語釈のほかに、④⑤がある。
    ===========引用終了

      補足日時:2020/02/24 09:45
  • 【補足2】

     ↑の続きです。
    【助詞の話 またしても「ニ」 庭には二羽鶏がいる】〈2〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12564329159.html

    【助詞の話 またしても「ニ」 庭には二羽鶏がいる】〈3〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12568517384.html

      補足日時:2020/02/24 09:46

A 回答 (18件中1~10件)

これらの「ハ」は特殊性の認識を表わすもので、総て同じ副助詞です。



★彼にハ夢がなさそうだが、私にハ夢がある 。
これは、「彼」「私」という人の特殊性の認識を表わします。結果的に対比の機能を果たします。

格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表わし、「には」はこれらを結び付けたもので総て同じです。

なお、「ある」は存在を表わします。

また、格助詞「が」は個別性の認識を表わします。

人が死ぬ。
これは、目前の個別の人の死を表わします。

人は死ぬ。
これは、個別の経験から導かれた人の死という普遍性の認識を表わす係助詞で、特殊性の認識を表わす副助詞ではありません。
ご質問のハは全て副助詞です。

同じである理由はハッキリしたと思いますが?
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なお、理由がハッキリしないのは語の意義と文の意味を混同するためと推量されます。



「語の意義と文の意味の混同について」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11491357.html

を参照下さい。■
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この回答へのお礼

本当に迷惑だからコメントしないでほしい。
 しかもリンクの張り方も知らないみたい。

お礼日時:2020/02/25 22:49

「に」については


大きくは、ある空間(場所といってもよい)を示す、ということで、さらに細かく分類するときはその空間の質が関わってくる、ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 できれば具体例をあげていただけませんか。
 下記が少しヒントになるかもしれません。
【助詞の話──場所を示す「に」と「で」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1210. …
 以下は一部の抜粋(重言)。
『goo類語辞書』をひいておく。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17117/m1u …

 根本的な問題として、「デ」と比較される「ニ」の働きは「動きの場所を表わす」。そりゃそうだろう。
「ニ」の解説を見ると、以下のとおり。
================================
【3】「に」は、ものの存在する場所を表わす。「に」と結びつく動詞は、「ある」「いる」「住む」「勤める」「座る」「立つ」「泊まる」「止まる」など。
================================
 
 そうか。「存在」に関しても「存在するという動作が行なわれる場所」と考えればいいのか。微妙だけど、そのほうが分類が少なくなるからそうしておこう。

(略)

 〈1〉~〈3〉で「デ」と「ニ」は〈どちらも「動作・作用の行われる時・場所」を表わすが、「デ」は比較的広い範囲を指す傾向があり、「ニ」は比較的狭い範囲を指す傾向がある〉などと書いた。この点について『goo類語辞書』は下記のように書いている。まあ、そういうことだろう。
================================
【5】「で」は、「に」あるいは「を」とも組み合わせて用いることができる。この場合、「で」の方がより広い範囲の場所を表わす。「東京でホテルに泊まった」「高速道路で追い抜き車線を走った」
================================

お礼日時:2020/02/22 17:56

「に」については、いずれの場合も場所、位置を表しています。


問題は「は」です。
文法の説明では、係助詞、主題の提示、と説明され、以降続く内容は提示した主題に関連する内容に限定される、という説明になっています。
この「限定される」が強調につながるのでは・・・と思います。
逆に考えれば、限定された内容の表現のために、主題として提示した。
庭は花壇がある、ごく単純な情景描写でならあり得る表現かもかもしれません(強調の必要がありませんね)、この強調を特殊性の認識と表現している人もいるようですが、よく理解できませんね。
特殊性の認識を持って表現された結果、受け取る側にすれば、単純な情景描写とは異なる内容と認識=強調?、個人的な見解ですが、こんな感じです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>文法の説明では、係助詞、主題の提示、と説明され、以降続く内容は提示した主題に関連する内容に限定される、という説明になっています。
 できれば、出典を書いていただけませんか。
 かなり微妙な話なので。
 おおむねそのとおりだと思います。
 ただ、「強調」とするためには、それなりの文脈が必要なのでは。
 下記をご参照ください。
【助詞の「は」の働きについて。】 
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11471806.html
「には」の「は」は辞書にあるように、「強調」と解釈してよさそうです。
 問題は、改良版の「ある」だとわかるようでも、元の「いる」だと異和感が強くなることです(泣)。


>この強調を特殊性の認識と表現している人もいるようですが、よく理解できませんね。
 当方もまったく理解できません。異次元のSF文法の話ですから、常人には理解できなくて当たり前でしょう。少なくとも、この質問サイトにいるかたは、誰も理解できてないと思います。

お礼日時:2020/02/22 18:16

庭は花壇がある、


個人的に考える時、「庭に」と場所を示すときは、単に「庭」というだけの場所ではなく、その庭、そこの庭・・等特定の場所の場合が多いと思います。
一方一般名詞としての「庭」、言い換えれば、庭というものは花壇があってしかるべきだ、という認識で表現するなら。庭は花壇がある。という表現も否定できません。
表現は言葉のほかでも可能です、小高い丘から、ある邸宅を見た、広い敷地の庭の一角に花壇があり、黒い色の花が見えた。
スクープとばかりにカメラ!望遠レンズがなかったので標準で全体の景色として撮影。
プリントして、当人は真っ先に花壇を見つめ、黒い花を探します、当人は特殊認識を持ているからです。
なにも知らない人(当然特殊認識なんてもっていません)が見たときは?、そんな反応しませんね、それに注目してほしければ、そこに→を表示するとか、丸で囲むとかの表示をします、これが文章で表現する時の「に」。
そのうえで欄外に→、丸囲いは・・・・・・・と説明書きしますこの欄外の「→、丸囲いは」が文章表現での「は」に該当します。
文章で「は」の後に続く内容が、欄外の説明内容、ということになります。
庭は花壇・・・・・あとに続く内藤により不自然、違和感は異なります「ある」という言葉に限定して、言い切り、意外なら違和感のない場合も十分あり得ます。
庭は花壇があり、その花壇には・・・・・・以降続く内容によります。
以上鵜呑みする必要はありません、自分の考え方の参考になる部分があれば取り入れて、自分なりの理解をしてください。
左脳、言語脳ともいわれる理屈だけではなく、右脳、イメージ脳も大いに活用すれば・・・?。
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この回答へのお礼

申し訳ありません。何が書いてあるのかわかりません。

お礼日時:2020/02/22 21:40

>ただ、「強調」とするためには


強調を辞書で調べた意味通りに理解するとそうなりますね
他の回答者が言って、いる「特殊性の認識」それを他人に伝える時に使われます。
私は鈴木です、これも場合によっては該当します。
指で指され、「はい、佐藤さん」、(違います)「私は鈴木です」強調というほどではなくても、私だけに限定していますね、限定=強調につながる、が理解できないと理解できないかもしれません。
>下記をご覧ください
まるで参考にもなりません。
文法オタク、どころではない、文法まがいオタク、が投稿しているだけです、情報の取捨選択能力も必要ですよ。
出典なんかどうでもよいはずです、こんなものを引用するなんて。
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この回答へのお礼

>まるで参考にもなりません。
>文法オタク、どころではない、文法まがいオタク、が投稿しているだけです、情報の取捨選択能力も必要ですよ。

 どれが〈文法まがいオタク〉の投稿なんでしょうか。
 ちなみにfxq11011さんも投稿していますよね。

お礼日時:2020/02/22 21:42

前回の質問の回答で、「には」の後に来る動詞について書いたが、例によって一笑に付された。

次のような文章が有りました。

 状態の主体を「に」で表わす場合がある。この場合、「には」「にも」のように、あとに副助詞を伴うことが多い。「に」で主体を表わすのは、主に「分かる」「読める」「見える」「話せる」などの可能を表わす動詞である(「に」の例文(1))。その他、所有を表わす動詞「いる」「ある」(「に」の例文(2))や、要求を表わす動詞・形容詞・形容動詞「要る」「欲しい」「必要だ」、感情を表わす形容詞「うれしい」「悲しい」「なつかしい」(「に」の例文(3))なども、主体を「に(は)」で表わす。
「類語例解辞典」
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>前回の質問の回答で、「には」の後に来る動詞について書いたが、例によって一笑に付された。次のような文章が有りました。
 前回の質問には、迷惑コメントが多数入っていて、とてもたどれません。コメントNo.をつけていただけませんか。

「類語例解辞典」からの引用をした趣旨は?

お礼日時:2020/02/22 21:45

>どれが〈文法まがいオタク〉の投稿なんでしょうか。


>下記をご参照ください。
として、引用している内容がです。
あんなものを、ありがたがっているんですね。
>ちなみにfxq11011さんも投稿していますよね。
私だけではありません。あまりにも一人よがりの内容のなので、そのことについて投稿しています。
単に投稿していますね!・・ではなんの意味も表現できていませんよ。
そんなことでは、微妙な問題なんか、とてもとても、自分が何を言いたいのか、の表現もできないようでは、他人の表現の理解なんか・・。
無駄な事はこれで終わりにします。
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この回答へのお礼

>あんなものを、ありがたがっているんですね。
 別にありがたがってはいません。
 
>あまりにも一人よがりの内容
 どのコメントのことでしょうか。

〈情報の取捨選択能力も必要〉とNo.6でお書きになってますよね。

お礼日時:2020/02/23 12:00

>前回の質問には、迷惑コメントが多数入っていて、とてもたどれません。

コメントNo.をつけていただけませんか。
No.30 でした。

>「類語例解辞典」からの引用をした趣旨は?
   再掲
 状態の主体を「に」で表わす場合がある。この場合、「には」「にも」のように、あとに副助詞を伴うことが多い。「に」で主体を表わすのは、主に「分かる」「読める」「見える」「話せる」などの可能を表わす動詞である(「に」の例文(1))。その他、所有を表わす動詞「いる」「ある」(「に」の例文(2))や、要求を表わす動詞・形容詞・形容動詞「要る」「欲しい」「必要だ」、感情を表わす形容詞「うれしい」「悲しい」「なつかしい」(「に」の例文(3))なども、主体を「に(は)」で表わす。

 このことは「庭には」には、通用しないことなので、「私には」と「庭には」のそれぞれの「には」が同じではないことの証明になるでしょう。「私には悲しい」があるからと言って「庭には悲しい」はあり得ないでしょう。
 ただ、「私には」を例文としてあげられたとき、このような用法は除外されていたら何の参考にもなりませんが。必要があれば、「類語例解辞典」に戻ってお確かめください。
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この回答へのお礼

>No.30 でした。
 お手数をおかけしました。

 No.30のコメントはきわめてまともなものだと思います。
「例によって一笑に付された」のがどこだったか探してしまいました。下記ですね。わかりにくくてどうしようもない。
【「次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。/1)庭には二羽鶏がいる 2)私には弟がいる」:Ⅱ】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11456532.html
 コメントする気にもなりません。異次元の話です。関わるとうつります。

『類語例解辞典』は下記のことですね。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17100/meaning …

>このことは「庭には」には、通用しないことなので、「私には」と「庭には」のそれぞれの「には」が同じではないことの証明になるでしょう。「私には悲しい」があるからと言って「庭には悲しい」はあり得ないでしょう。
 そういうことですか。
 たしかに「庭には」では使えないものが多数ありそうですね。
 ただ……そのことと、1.〜6.の違いにどういう関係があるのか、現段階では不明です。少し考えます。

お礼日時:2020/02/23 12:38

>下記をご参照ください。


だって!
>ちなみにfxq11011さんも投稿していますよね
むしろこれをいうのは私のほうですよ、(すでに、文句ではありませんが批判にすら該当する内容、今更参照なんて・・・)その内容を見てから、下記を参照くださいとすべきです。
あなた息をしていますよ!。
※こんな当たり前のこと言って、あなたがこちらの都合のよい反応してくれるなんてここから先も思っていませんが、そう思う人もいるようですね。
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