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哲学では「存在」というと何かただならぬもののようですが

沢を行くカニや 電気ストーブなどは(諸々具体的なものは)存在者と呼ばれます

此処で存在論をぶちまけるには限界があるので 存在性の話に絞ります

存在性とは 存在しようとする性質です。カニで言えば横に歩く、海を泳ぐ捕食する呼吸する

大きな挟みで的と闘うというような性質を持っています。もちろん他にも生きるための性質を

カニであろうと犬であろうと植物でも人間でも 生きるために必要な性質を数多に持っているのです。

それらが存在性と呼ぶものです。

人間で言えば 衣・食・住が必要ですし それらが持っている性質が必要なのです

シャツにしても「保温」という性質が必要で濡れてるシャツじゃ困るのです。

この様に生物や人間には存在するための存在性が必要なのです。

もっと語りたいですが病弱でこのくらいにします。

進化論の獲得形質にも性質が着いてきます。性質を獲得するのです。

「存在性」という言葉は私の造語ですがわたしには全く違和感がありません。

存在性を持つ生物が己の持つ鶴翼形質や存在性を持って 環境の存在性に助けられながら

進化していくのが存在性の考え方です。

A 回答 (20件中11~20件)

質問者さんへ


「汽笛」さんに質問者さんには代わって「存在性」の解説をして頂きました
その解説はとてもわかり易く論理的です
質問者さんも参考にされるといいですよ
尚その解説の中で「存在性理論」の根本的な問題点が指摘されていましたのその問題点を質問者さんご自身で確認してみて下さい
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この回答へのお礼

Thank you

汽笛さんの解説が見つかりません 今日は遅いので・・・

もしよろしければ場所を教えて下さい。おねがいします。m(_ _)m

お礼日時:2020/03/27 23:56

質問者さんへ


笑わせて頂き有り難うとございました
質問文を読んで私と私の同僚の若い社員が大笑いしました
なんで可笑しいのか? 
それを説明しても質問者さんは絶対認めないでしょうから説明はしません
なお「存在性」についての私の質問に対して「汽笛さん」が質問者さんに代わって「存在性」の解説をして頂きました.
その解説はとてもわかりやすかったですよ
質問者さん参考にされると良いです
因みに質問者さんが提唱している「存在性理論」の根源的な問題点を「汽笛さん」の解説の中でご指摘されてます
その問題点については質問者さんご自身で確認して下さい
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私は、ここで皆さんと話せるのが嬉しい。



haru27さんにこそ、堂々としていて欲しいと思う。

岡本太郎の言葉を借りるなら、
「下手なら下手で、もっと下手な様に、それでいて平気でいるんだ。そうするからこそその人のその人らしさが出て来る。」

上手な人は、時に自分を忘れて技術に食われてしまう。下手な人は、自分が剥き出しなのに、恥ずかしく思って引っ込んでしまう。

第二の青春?
私の人生は、既に二度終わってる。
一度目は小学二年生の時に。二度目は中学一年生の時に。
終わってるから、始めるんだ。
負けたなら、立ち上がるんだ。
生きてる限りは、不死鳥の様に。

二度死んだ後、
青春は、五回目くらいかな^_^
数えてないけど。

今回も話してくれてありがとね。
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この回答へのお礼

Thank you

人生が二度終わってる?

小二で脳を強打したとか、中一で大失恋して死にそうに成ったとか?

青春は5回目? 何が在ったのでしょうか 青春を5回やるとは・・・

いい青春だったのか 5回も失ったのか?

キサラギXさんは不思議な人ですねえ。

また今度聞かせて下さい。

お礼日時:2020/03/27 22:22

>シャツが濡れると風を引きやすいのです


私は雨が降れば傘を指します、洋服を洗う手間を省くためです
親に洋服洗って貰ってるなら出来るだけ濡らさないで選択を溜めないことです


何を寝言を言ってるんだ。めっちゃでかい溜息出た。
そういう意味じゃない。
濡れたシャツで歩くってのは、惨めな姿で歩くと言う意味です。それでも堂々と歩くとは、たとえ惨めでも、堂々と歩くと言う意味です。そうすれば惨めさなんて吹き飛ぶんだから。

荷物背負って、小汚い格好して、バスに乗ろうとすれば乗車拒否される。それがなんだと言うのだろう。
レストランに入れば、埃の積もった席に案内される。それがなんだと言うのだろう。
平気な顔して堂々としてりゃいいんだ。堂々と椅子に座り、堂々と、「おい、ウェイター、埃がのってるだろ?拭いてくれ。」
と言えばいいんだ。みすぼらしい格好を理由に差別されてるとも気が付かないほどに、堂々としてりゃいいんだ。
私は惨めな時でも、堂々と生きてきた。たとえみすぼらしくとも、世間の目に打ち勝ってきた。無意識にできたことだけれど、その理由は、もっと大事なものを探していたからだ。世間的な価値基準、そのようなものに縛られていなかったからだ。
haru27さんもそうだったのではないのか。
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この回答へのお礼

Thank you

若いねえ。第二の青春してますか?

僕は傘を用意して行くねえ。と言っても大概が学生時代は自転車通学

通勤も大概車通勤だったから あえて雨に濡れてつっぱるような事はしなかったですねえ

私は偶然運悪く生徒会に引き込まれ 活動をしていく内に色んな問題にぶつかった

掃除の問題 風紀の問題 文化祭 体育祭 色々あるから大変だけど経験には成る

突っ張るほど何処も偉くない 体育祭で目立つか文化祭で目立つか 勉強で一番になるか

しないとなかなか堂々とは行かなかったねえ。 しかし確かに天が降ってるのに傘を差さない

人には 何でだろうか?と思っていました。

惨めでも堂々と歩く。今出来ませんね。確信があれば堂々と歩く 迷いの中では堂々としていられない。

お礼日時:2020/03/26 20:12

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この回答へのお礼

ありがとう

あれは何だ 光か? ジェット機か? ムカリンマンだ!

お礼日時:2020/03/26 17:40

私は、濡れてるシャツの、その濡れた理由が知りたい。

いや、濡れたシャツのままで歩いているその理由を知りたい。

「あら、シャツ濡れてるじゃない、大変だわ!早く着替えないと!」
なんてのは、ちっとも大変さを分かっていないんだ。

俺は濡れたシャツで、堂々と歩くよ。

存在性の欠けたままで、生き切ってみせる。
それが、存在性に溢れてるってことなんじゃないのか?
在るものではなく、無いからこそ、誇りを懸けるんだ。
才能ない、努力ない、徳がない、運もない、出会いもない、金もない、仕事もない、立場もない、、そんな存在性が、彼にはない。
だからなんだと言うのだろう。
懸けろ。輝け。持たざる者の歌を響かせてやるんだ。
それが存在性理論だと言うのなら、幾何か心打つものもあるはずだ。

>カニは案外横や後ろからの攻撃に弱いものです。そういう横這い性を持っているのです。

巨大なカニがいたとしよう。正面には強いが、横や後ろには弱い。
なら正面から勝負するんだ。

巨大なカニとは哲学的難問である。存在とは何か?人生とは何か?命とは何か?人はいかに生きるべきか?自分とは何か?時間とは何か?死とは何か?勇気とは何か?
カニが横に歩くのは、常に相手を前に捉えるためである。正面に対峙することが前提で、大きなハサミも前に向いてついているのである。
正面が前提の相手に、側面や後ろに回って攻撃すれば、勝てるかもしれない。だがそれは科学者や実業家の戦法であって哲学徒の執るそれではない。
哲学徒は、ハサミでどつかれても、挟まれて万力のような力で締め付けられても、カニの堅い殻で覆われた頭の中心を拳でどつくんだ。がっぷり四つに組んで、押し切るんだ。その勝利に、意味があるんだ。
それが本物の哲学徒だと私は思う。死を覚悟しているから、かえって生が開けるんだ。おじけづけば負けるぞ。負けたら、虚しい人生が待っているぞ。他ならぬ自分自身に負けるのだから、誰に言い訳する事も出来ないのだから。
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この回答へのお礼

Thank you

成る程 確かにそうですね。虚仮の一念でやっています

シャツが濡れると風を引きやすいのです

私は雨が降れば傘を指します、洋服を洗う手間を省くためです

親に洋服洗って貰ってるなら出来るだけ濡らさないで選択を溜めないことです

カニも四方に爪があれば良いんじゃなかと思うんですが

如何せんその様なカニに出会ったことがないですねえ。

死を覚悟して戦って生を得る といえば格好良いですが、何時果負けるときも来ますよ。

お礼日時:2020/03/26 17:37

存在性とは存在しようとする性質である、と言うところまでは分かります。


しかし、カニの横に歩こうとする性質は、存在性では無いと思います。何故なら、前に歩くカニが存在したって良いからです。
或いは、カニには歩くと言う性質がある。だけれど別に歩かなくたっていいんだ。
こうでなければならない、と言うことは何も無い。
人も同じだ。人には道を歩くと言う性質がある。でも歩かなくたっていいんだ。しかし、君はきっと歩いてしまうだろう。それが本然性というものだからです。

人間である、という事実よりも、自分である、と言う事実を大切にした方が良い。今は。
その方がきっと、自身の本性に迫れる。
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この回答へのお礼

Thank you

私も生きるためには沢山の性質を持っています。寝ることとか歩くこととか

自動車に乗ったり 色んなものを食べたり。

そうやって数多の性質を使わなければ人間として生きていけません

食べなかったら飢えて死にます。着なかったら警官に職務質問 全部着かなかったら罪になります

住居がないと雨風しのげずに日射で熱くて 生きては居れないかも知れません。

自分もDNAから生じた数多の性質を持っています。食べたものを消化したり 排泄物を遠ざけたり

人と挨拶したり話したり。コミュニケーションしたり、私の場合は簡単な仕事をしたり

人一人生きるのにどれだけ性質があるかわかりません。情報、知識、学問も存在性となります

存在するために必要な性質を数多に持っているのです。

下記が横に歩くのは相手から目を離さずに移動することではないでしょうか

カニは案外横や後ろからの攻撃に弱いものです。そういう横這い性を持っているのです。

お礼日時:2020/03/25 16:26

学術的にはありそうな感じですが、


一般にはなくても困らない言葉でしょうね
逆に定義がはっきりしていて、代替する適当な言葉がなく
必要な言葉なら定着する可能性はゼロではありません
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この回答へのお礼

ありがとう

僕も考えでは獲得形質 の「形質」近いつもりです

形ではないので獲得性質の質というのが本当でしょうね

ただ質だけでは言葉の意味が分かり難い それで存在性(存在させようとする性質)と成ったのです。

ありがとうございます。

お礼日時:2020/03/25 15:50

近代哲学というものは、「自我の自覚から始まる」と言われております。


デカルトが「我の存在を論証した」というのは有名ですが、
「自分はここで考えている、意識している、だから自分は存在する」というんでしょう。
自分の存在の奥に「自己」と言われるべきものがある
西洋哲学の場合には、個人的な自我の存在というところで止まっている

自我の存在の証明がその奥にある絶対者の存在の自覚というところまで進んだ時
縁にたどり着く
人間界であれ自然界であれ、単独で存在しているものはなく、
すべてが互いに縁となりながら現象界を形成している。
すなわち、事象のありのままの姿は、個別性というよりも関係性や相互依存性を根底としている。
 一切の生きとし生けるものは、互いに関係し依存し合いながら、生きた一つの コスモス(内的調和)、哲学的にいうならば、意味連関の構造を成している
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この回答へのお礼

ありがとう

もちろん人間も言葉でも繋がる社会的動物ですが、個人個人にも身体があり、心があり、衣食住が有って

能力があり。仕事も分業で特化しています。互いに関係依存しながら生きてるのは事実ですが

個人の良心や欲望、心理、志を持って生きているのではないでしょうか 大なり小なり。

お礼日時:2020/03/25 09:33

スピノザは、存在者が、その中に有する存在しようする力、能力を「コナトゥス=自己保存能力」と、ハッキリ言っています。

踏襲し、使わしてもらうと良いですね。「エチカ」という本で頻発してるので目を通すとよいです。使い方がわかります。
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます。存在しようとする力ですね 「コナトゥス=自己保存力」ですか

勉強不足で知りませんでした。エチカという本があることだけ知ってました。調べてみます

ただ「存在性」という言葉は私が再発見したので 使おうと思っています。

お礼日時:2020/03/25 08:22

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