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信仰について言えば皆勘違いをしているのでございまする。
ここではっきりと申しておきまする。
信仰とは神や仏を拝むことではないのでございまする。
それゆえ信仰するのに神も仏も要らないのでございまする。
それどころか信仰するのに必要なものは殆ど何も無いのでございまする。
食うメシがなくて腹を空かしていても信仰するのに何の問題もございませぬ。
見栄えの良い仏壇やら、お題目を唱えるのに高いお金を払って御本尊を買う必要など毛頭ございませぬ。
また戒名料やら高額なお布施など要求する坊主らを相手にする必要もございませぬ。
むしろ坊主などとゆーは信仰をするにあたり邪魔ものに過ぎませぬ。
信仰するのに必要なものはただ一つなのでございまする。
ほんとーに信仰するのに必要なものはただ一つなのでございまする。
そのただ一つのものとは夢見る心でございまする。
なぜなら信仰とは夢を見ることに他ならないからでございまする。
布団の中にはいって猫のよーに夢見ることができれば、それはもー立派な信仰者なのでございまする。

A 回答 (5件)

概ねあってる。

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この回答へのお礼

だろーね。

お礼日時:2020/04/05 21:23

猫が夢見て信仰かどうかは分かりませんが 信仰には規制の宗教はむしろ誤解を生む時代になってますね



信仰はただ自分の信念があればそれで良いのでしょう。それが揺らぐのは揺らぐでしょうが

「求道既に道である」と宮沢賢治も書いているように求道を怠らぬ時に信念めいたものが出てくる

それを信じて生きるしかありません。神仏を参考にするのは良いでしょうが お金を払って信仰してるつもりになってはいけませぬ。
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仰る通りです。

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自分が一番分かっていない事が、どうやら理解していないらしい。

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人の道様の仰せられる通りで御座います。



<信仰には神も仏も要りませぬ>人さえが居れば十分なのです。

その人の中に神も仏も悪魔も生まれるのです。
このご時世、念じても糞拭き神さえ出ない、我が身の至らなさを
ウジウジと反省する今日この頃です。

本当に<布団の中にはいって猫のよーに夢見ることができれば、
それはもー立派な信仰者なのでございまする。>でしょうか?

布団の中には猫が居ました。以前迷子に成り二週間も雪の中を
彷徨った彼に、雪を見せてやろうとの親心から、窓の外を覗かせ
ました。パニックにも成らず、何も感じていない様子でした。
又布団に潜りました。

それからの悟りです。安心立命の極意は<忘却とは忘れ去ること
なり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。>にあり。
猫頭の猫は神の領域に有り、我々はその域には決して及ばない
のではないでしょうか。

雪の深々と降る日に。
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この回答へのお礼

>猫頭の猫は神の領域に有り、我々はその域には決して及ばない
のではないでしょうか。

極楽に行きたければ極悪の夢をみればよいのでございまする。
極楽とは夢の中にのみ有るのでございまする。

お礼日時:2020/03/29 12:49

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