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自分は子供の頃から親から「貴方は昔から少し知恵遅れの所があったから」と
言われて育ってきました。
子供時代は「そうなんだ~」程度にしか気にしてませんでした。
しかし、大人になるにつれて周りと少しづれてる事に気づき始めました。

人より分からない事が多すぎてそれを友人知人に質問するのですが、

「そんな事は小学校で習う」

「いやいや子供でも知ってるでしょ?」

「学校で習わなかった?」

などと言われてしまいます。


ただ、実際に自分は小学校の頃の(特に低学年)記憶があいまいです。
実際に物心がついてきたのが遅いみたいです。

つまり自分でお金を使ってお菓子を買ったり記憶が定まってきたのが9歳からです。
それまでは親の言うことを聞いてるだけで自分の意思がないロボットに近い感覚でした。親から「牛乳を飲みなさい」と言われたら牛乳しか飲まないような。自分からこれが欲しいからこれを買うとかした記憶がなくお金の使い方が分からないというか買い物の仕方を覚えたのが9歳くらいなのでしょう。なので9歳以前の記憶が断片的です。

だけど例外もあります。
生まれてきた瞬間の記憶だけ残ってます。
暗い所から一筋の明るい光が見えてきて、出た瞬間に強烈な明るい物を
直視して目が潰れるかと思った強烈の光でした。
今思うと分娩台を照らす電気のようなものでした。


少し話が脱線しましたが、下にわかりやすくまとめます。


・言葉を発するのが遅かった(親が言うには3歳になっても話さなかった)
・物心がつくのが遅かった(9歳以降)
・学校からの帰り道で迷子になる。いつも通ってる道を覚えられないので
いつも泣きながら人に道を聞いていた記憶があります。
・避難訓練なのに本当の火事だと思って一人だけ帰ってしまった
・1つの事を覚えるのに人の3倍くらい時間がかかる
・クラスメイトから「お前はクラス間違えてるだろ?」と言われ
ダウン症の子がいるクラスに連れて行かれるイジメにあう。そうすると
ダウン症の子からは逆に「お前のような健常者の来る所じゃない」と追い出され、
行き場を失う


ざっとあげましたが、まだいろいろあります。

とにかく小学校で習った事が抜け落ちてる事が多くて、
何か調べるにしても時間がかかります。

例えばAの事を辞書とかで調べてると「AとはBがCになった事である」
書いてあります。
そうなると今度はBやCの意味がわかならいのでBやCまで
調べることになる。
なのでAの事を調べるだけですごい遠回りする事になり時間がかかります。


ただ一つの事を勉強し出すと突き詰めてしまうので、その分野において
変に詳しくなる。


あるエピソードがあります。


まだネットが普及する前に電子辞書がほしくなりました。

そこで電子辞書を発売してる全メーカーに電話してカタログを
送ってもらいました。
各メーカーの特色(この機能ならこのメーカーが突出してる)を勉強して
自分のニーズならどのメーカーが一番しっくりくるのか?細かな機能
など調べました。
そこである程度、電子辞書に詳しくなったので、電気屋さんに行き店員さんに
電子辞書の疑問点を聞き出す為に質問しました。

本当ならメーカーに聞けば一番良いのですがメーカーは大概
自分の商品を良くしか言わないので他のメーカーの
商品と比べて劣ってる点やデメリットについては店員さんの方が
わかるだろう?と思って店員さんに聞きました。

しかし返ってきた答えが
「お客様が言われてる事は専門的すぎて私も正直そこまで把握してないです。すみません。むしろお客さんが売り場で変って説明してもらった方が良いですよ」
と言われました。

今のようにネットが普及していなかったので、わからない事がわからないままで
終わり気持ち悪くて生きづらさもありました。

ある事柄で気になる事があると図書館に行き、それらの事が書かれてる文献
などを探したり、図書館になかったら本を買うことになりますが、普通に
10冊くらい買ってしまい、その時にはもうその分野では少し専門的な領域に
入ります。

子供時代は親にわからない事を聞いても適当にはぐらかされて終わりました。

「そんな事気にしてどうする?」
「余計な事は考えるな」
「こういう社会だから仕方ない」
「それがこの世の常識だから」
「この国ではそうと決まっているから仕方ない」

などで親にもあまり相手にしてもらえませんでした。


でも、今では本当に便利になりネットが普及してわからない事はすぐに調べられます。
とても良い時代になりました。
だけど一個調べ出すといろいろ調べないといけなくなり結果
数時間経っていて、いくら時間があっても足りません。

普通なら疑問符が1つでも自分は疑問符が3つくらいになったり、人より生きていて世の中の疑問に思うことや矛盾に思うことが多く抱いています。

長くなってしまいすみません。
こんな私の子供時代は今で言う所の発達障害とか知的障害とかだったのでしょうか?
「そんな事知ってどうなる?」
と言われてしまいそうですが、やはり自分の本質的な事だから知りたいです。

また、自分と同じような方はいらっしゃいますか?

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

質問者からの補足コメント

  • ※aouze_yaさんへのお礼の続きです


    >一つのことを調べ出すと、次々不明のことが増えるのは当たり前です。 

    とても安心しました。


    >普通の行為としては、不明なことには目をつぶるか、最初から気がつかないことにすることで対処するしかないのです。

    普通はそうなんですね?!



    >16歳~49歳の男性でも、口にしてなくても5人に1人くらいはいるように思います。 

    自分はこの中に妥当するのでなんだか安心しました。

    aouze_yaさんのような真剣に向き合ってくれる大人の方が自分の子供時代にいたら、きっと自分をもっと愛せた子供になってたかもしれません。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/04/19 11:34
  • うれしい

    ※aouze_yaさんへのお礼補足の続きです

    ずっと「自分は変ってる」というレッテル?みないなのを貼られてきたから、やはり
    自分の思ってる事を素直に口にするという行為?が出来なくて疑問に思っていても
    「そんな事気にしてどうするの?」と言われるのが落ちなのでだんだん大人に近づくにつれて極力自分の思ってる事は周囲には正直に話さなくなり仮面をかぶって生きてる感覚?
    というか疑問を押し殺してる感じでしたが、それが自分だけではなく「5人に1人はいるんだ」という勇気をいただきました!

    これからは自分にもっと自信をもって自分自身を好きになれるようがんばります。
    ありがとうございました!

      補足日時:2020/04/19 11:35

A 回答 (3件)

1)misaki357さんの子供時代が、現在の判定基準で「知的障害」に該当するか?



⇒ 該当しないと思います。幼児期の言葉の遅れ、たとえば言葉数が少ない・理解している言葉が少ないといったことで知的障害が疑われることはあったとしても、1つの事を覚えるのに人の3倍くらい時間がかかったとしても、普通の子ならば起こさないような間違いをおかすことが何度かあったにしても、ここに記載されている内容には、知的障害的な傾向があまりに少ないです。 しかも、その後には、知的関心に基づく偏執的行動が多く、現状も、https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8443839.html であるなら、医療や医療行政でいう知的障害にはならないです。

2)misaki357さんの子供時代は今でいう発達障害とかだったのでしょうか?

⇒ 「今でいう発達障害」は、内容というか、発達障害である/発達障害ではないに明確な線引きができるのではないので、どちらでも言えないことはないです。 ただ ASDの傾向が強いとは言えないし、LDやADHDではなさそうです。 単純に言えば、「おかしな子/変わった子」と当時思われたでしょう。 そして、現代でも、「おかしな子/変わった子/困った子」とは思われるでしょうが、多くの場合、「発達障害じゃないみたいだけど、気があるんじゃない」と素人なら思うのではないでしょうか。 専門家ならば、多くの場合、「発達障害じゃないですよ」というと思います。

3)やはり自分の本質的な事だから知りたいです。

⇒ 「本質的なこと/自分の本質的なこと」というのを、どのような意味・意義でいわれているのでしょうか。 「生理的に自分がだれとだれの間で生まれたのか」「血液型はどうか」「幼稚園、小学校1年、2年の先生はどんな方か」「メーカ、特色、ニーズなどの抽象語を自分で正確に使えるようになった年齢は」「精通した年月日は」     自分の身体・頭髪・肌・頭皮・視力・聴力・筋力・運動能力、健康や疾病・傷害、経歴、経験・知識・記憶、取得学歴・資格・勤務先・地位、預金残高、他人からの評価、自尊心、そいうものが、「本質的なこと/自分の本質的なこと」の一部でしょうか。
{そんなのが「本質的なこと/自分の本質的なこと」であるわけない}というのであれば、「本質的なこと/自分の本質的なこと」はなんでしょうか。
理由はとってつけただけで、「とにかく、知りたくて堪らない」という希求の強さを表すmisaki357さん流の表現形式なのでしょうか。

> だけど一個調べ出すといろいろ調べないといけなくなり結果 数時間経っていて、いくら時間があっても足りません。
> 普通なら疑問符が1つでも自分は疑問符が3つくらいになったり、疑問に思うことや矛盾に思うことが多く、、、、、

質問文ではハッキリとは分かりませんが、私の経験では、疑問を持ったり、考えたり、調べたりを続けても、その対象としていることはちょっとしかないです。 子供時代に、調べはじめると、身の回りに百科事典が6冊、7冊と広げたママになっていて、最初に調べはじめたことからどんどんと対象が変わり続けてしまったことも十回、二十回では足りないし、中学校のころ化学反応(燃焼)で専門書を調べ回り(当然理科の先生にはサッパリ分からない)というようなことをしてましたが、それだって、一日に経験し見聞きすることの1万分の1のことにさえなりません。 人が考えを巡らすスピードはとても遅くて、増して調べごとだと数時間調べてもたいしたことは調べられません。 ネットが利用出来てスピードアップする効果は絶大でも、どれだけ調べられるかというと、まあ、速度が百倍、千倍にアップしたところで、情けないほどの効果しかないです。
自力でネットや公立図書館の検索システムと司書さんの協力を得たところで、ちょっとのことしか調べられませんし、それで分かることもちょっとしかないです。 ほとんどのことは、調べる対象にすることさえもできません。
一つのことを調べ出すと、次々不明のことが増えるのは当たり前です。 普通の行為としては、不明なことには目をつぶるか、最初から気がつかないことにすることで対処するしかないのです。 空に浮かぶ雲が見えてその生起消滅や大きさ形状高さの決定因を気にしているとか、片目で見ても双眼で見ても統合して見えるメカニズムに思いを馳せる、呼吸の間隔の変動や就寝中の呼吸について疑問を抱くなどのことをしていては、なにも考えることさえもできなくなるから、そういうことは一切合切気にせず、気に留めず、いまたまたま関心を持った《シュートを上手くやるには》に専心して行くのです。 そのいまたまたま関心を持ったことは、他人も興味関心を持つとは限らないし、1000人、1万人に一人しかない場合も、結構多いです。 異性への関心興味とか性的なことでさえも、興味関心の寄せ方は千差万別であり、飲食や排泄、就寝、認知や記憶などのことについて関心を持つか、重力や物理化学・自然現象に関心を持つか、金儲けや買い物、交友関係や愛憎好悪親疎などに関心を持つかと、どれにもさほど積極的関心を示さずにいるかと考えれば、【6割近くの人は……である】というような傾向はないのです。 
たまたま自分の関心の示し方、執着の仕方が、周囲に比べて偏執の傾向に見えたとしても、その程度が(社会生活を損なう程度)にならなければ、普通として扱われます。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2845436.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5923050.html
このような質問をしている範囲では、(社会生活を損なう程度)はならないです。

4)自分と同じような方はいらっしゃいますか?

見当で適当なことを言ってしまえば、(気にし症)的なことを自分で気にしている人は数多くいます。 やや女性の方が多いように思いますが、16歳~49歳の男性でも、口にしてなくても5人に1人くらいはいるように思います。 口にする人がどのくらいいるかは不明ですが、自分の性向や資質などで悩みを感じて、それとなくネットや雑誌に目を通す人は、そこそこいるでしょう。 ときどき偏執的に情報を調べ回る人でも1/20くらいはいるのではないでしょうか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

この度は本当に真摯に細かく説明してくださり、本当に心から感謝申し上げます。


>理由はとってつけただけで、「とにかく、知りたくて堪らない」という希求の強さを表すmisaki357さん流の表現形式なのでしょうか。

すみません、表現の仕方がよくわからないです(汗)
ただ子供時代からとかく変ってる子だと言われてきました。
なのでもし、自分が生まれながらにそういう障害を持って
生まれたのだとしたら、人より言葉が遅れていたり、学習が遅れていたり、理解が遅れていたり、いろいろ合点がいくと思いました。
それを私のボキャプラリーのなさでなんと表現して良いか
わからず、それを言葉で表現しようと思うとタダでさえ長文なのに
更に長くしてしまう故に「本質的」という表現をしてしまいました(汗)
こういう言葉も知らない事が多いので大人になってから恥ずかしい思いを沢山してきました。なので大人になってから知った言葉が圧倒的に多いです。
とにかく言葉は難しいですが、これからも知らない言葉をたくさん勉強したいと思います。ありがとうございます。


>空に浮かぶ雲が見えてその生起消滅や大きさ形状高さの決定因を気にしているとか、片目で見ても双眼で見ても統合して見えるメカニズムに思いを馳せる、呼吸の間隔の変動や就寝中の呼吸について疑問を抱くなど

わ!すごいです!正に自分が思ってる事を言い当てられてるみたいです(汗)

子供の頃から「雲は水蒸気の塊?でも微細な氷の集まりとも聞くし、どっちが正しいの?水蒸気なら浮いているのも不思議じゃないけど、氷の集まりなら浮いてるのは変じゃない?」とか「なんで目って二つ必要なのだろうか?一つじゃダメなの?一つが潰れても大丈夫なようにスペアであるのかな?肝臓や肺と一緒のシステムなのか?だとしたら心臓はなんで一つ?心臓はスペアで二つあっても良いと思う」とか「なんで人間はというか生物は息をしてるの?調べると酸素を取りいれる為らしい。そもそもじゃ~なんで酸素を必要としないと生きてゆけないシステムにしたのか?」とかずっと考えていると疑問が次々と膨らんで答えが知りたくて気持ち悪くなり、親や親戚や友人に聞いても「ま、そういうものだから」とか「そんな事考えても仕方ないから忘れな」って言われてきました。


※ちょっと字数制限があり補足に続きを書きます。

お礼日時:2020/04/19 11:31

昔は頭の障害について今ほど細分化されてなかったですからね。


年齢相応のものが身についてないってことで知恵が遅れてるという表現になったのでしょう。
その原因が今でいう知的障害なのか発達障害なのか迄はわかってなかったしわかろうとするつもりもなかったのだと思います。

質問者様の場合、親は原因について考えるつもりがなかったのか、改善は諦めていたか、悪い意味でそれを個性の一つだと割り切ってたのかもしれません。
ですが原因について知ることで、どのような対処をすれば生きやすくなるかがわかることもあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

確かにその通りだと思います。

親に関しては・・・
まだ自分が子供の頃は今ほど情報も多くなく、またそういう病院も
今より少なかったように思います。

また親は「精神病院はき●が●が行くところ」と常々言っており、
とても偏見がありました。

そして年月は過ぎ私にも甥っ子が出来る年齢になりました。

私の例もありますので
甥っ子の親である私の妹は専門の病院で見てもらったら甥っ子は発達障害と診断されました。
それからというもの、妹は病院に通い先生の言われる通りに甥っ子にとても献身的に
向き合うことになった結果、現在、高校生になる甥っ子は普通の人と変わりなく育ちました。

自分の時代はそういう病院が今みたいになかったのでうらやましくもありました。
と同時に自分と同じ道を歩まなくて良かったとも思いました。

そういう訳でもしかしたら発達障害はDNAとか血があるのか?と思うようになりました。

ですので、もしかしたら自分もやはり幼い頃は発達障害だったかもしれないと
気になるようになりました。

お優しいお言葉本当にありがとうございました。

お礼日時:2020/04/16 21:36

何歳かわからないですが、


大人の発達障害、をネットで調べ
判定できる精神科を、ネットか福祉課できいて、判定診断してもらっては。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

ちなみに以前にパニック障害と強迫性障害と鬱にかかり、精神科に通っていた事はあります。

子供の頃の事を質問した事があります。

昔から変っていた傾向がありましたと。

ですが、「確かにそういう節はあったかもしれないけど、今直すことに集中して。今が大事」

と言われて遮られてしまいました。

今は症状も落ち着き、薬も飲んでいませんし、通院もしていません。

なので今となっては自分が子供の頃、発達障害か知的障害だったかは知るよしがないと

言った感じです。


治ってからは母が鬱になってしまい、違う病院を探しました。

母は私が一緒に付き添ってクリニックに言ってました。

私がそういう病気になったのはきっと母の影響かもしれないと言われました。

そういう血があるかもしれないと。

で、子供の頃から自分は少し周りと違っていたんですがと質問しました。

「もしかしたらそうかもしれないけど、息子さんは今は元気なんです。だからそれで良くないですか?」

と話をはぐらかされました。


なので、もう気にならなくなっていました。

しかし、時々思うのです。

「結局自分って子供時代はやはり発達の遅れがだったのじゃないか?」と。

今はADHDとかアスペルガーとかいろんな名前が出てきてより細かくなったように感じます。

自分ももしかしたらそれらに該当するのか?と思うことがあります。


ありがとうございました。

お礼日時:2020/04/16 17:56

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