限定しりとり

イギリスやアメリカ、フランス、ドイツ、ロシアの国々が植民地を広げようとした目的はなんですか?
解説お願い致します。

A 回答 (5件)

簡単に言うと「元々欧州は豊かな国ではなかった」からです。



大航海時代が始まったのは、十字軍で中近東に遠征したら「金銀財宝や、その先の中国の珍しい陶器など、豊かな物資がたくさんあった」からです。
 なので貿易が盛んになっていくのですが、陸路で行くと様々な場所で通行税などを取られたり、ラクダの背で運ぶ荷物ににも限度があるので「もっと大量に安く買い付けしたい」と考えて船で直接インドや中国付近まで出かけるようになったのがきっかけ、その結果戦国時代の日本にも南蛮人がやってくるようになり、日本の珍しい漆細工などを買って、ヨーロッパで何倍もの値段で売って儲けたのです
(英語で漆細工をジャパンといいます。頭が小文字のjapanです。陶器はチャイナです。)

で、英国で産業革命が起きます。産業革命とは「物資を大量に安く作る」ことで、産業革命で貿易の方向性が逆転したのです。

これが植民地化で、植民地というのは二つの機能があって、
・本国で作る製品の資源や原料を供給する場所(そのためには大量の労働者が必要)
・本国で作った製品を購入する場所
です。アジアはヨーロッパに比べて3倍ぐらいは人口が多いので、労働者一人一人の購買力が低くても集まれば購買力はものすごいものになるわけです。

これが植民化の一番重要な点で、アメリカは結局「開拓途中の旺盛な国内需要と国内にある資源や原材料を黒人奴隷が作る」という北部の工業地帯と南部の植民地地帯があったために、フィリピンぐらいしか植民地にしなかったのです。

また日本は満州とか朝鮮併合をしましたが、植民地化するほどの物資が本国に無かったので、結局「日本本土を防衛するために大陸の植民地を豊かにする」と言う方向性になっていき、大損したわけです。
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儲ける為です。



植民地では、現地人を奴隷化して
働かせ、資源などを奪いました。

そうやって、欧米は今の豊かな生活を
手に入れたのです。

しかし、時代が進むにつれ、現地人の
反撥が強くなり、軍隊を使っての鎮圧に
費用がかさむようになり
植民地は採算が採れなくなりました。

それで、貿易にした方が儲かる、という
ことになり、現代に至っています。
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大航海時代に入ると、英仏スペインポルトガルといった欧州海洋国家の王侯貴族がスポンサーとなって、海外に企業を造った。

彼らの西側、具体的には南北アメリカ大陸に作った会社を西インド会社、東の中東以東の会社を東インド会社と呼んだ。これらの会社は金銀財宝や天然資源の強奪事業や、黒人を中心とする奴隷集めで利を挙げる傍ら、先進国のインド、中国、日本などからスパイス、絹製品、美術工芸品などを敵対するオスマン帝国抜きで直接輸入していた。(それ以前はオスマン帝国を仲介して手に入れていたので大変高いものになっていた)。大航海時代の終点が戦国時代の日本だ。信長・秀吉時代は、宣教師などが(現代の中国人の爆買いさながらに)日本の工芸品を競って買っていた記録がたくさん残っているのでご存じだろう。

そういう中で、英国の東インド会社が、インドの内乱に乗じてムガル帝国を事実上乗っ取りインド全域を支配するとともに、インド産の安くて高品質の綿製品(キャラコ)を、本国の英国を含めた欧州に輸出して大儲けすることに成功する。

この反動で起こったのが英国発の産業革命だ。インドのキャラコに大打撃を受けた英国の繊維業者が、泣きの涙ではあったが、家族同然だった従業員の大量解雇に踏み切り、生産を機械化したのだ。これで大量かつ安価に生産された英国製繊維製品は、キャラコの市場を奪うことになる。

そして、今度は、インドのキャラコ産業に悲劇が巡ってくる。市場を英国に奪われただけでなく、インド産の原材料となる綿花も、より安く生産できる英国奪われ、インド繊維産業は壊滅したのだ。インド人資本家は大損害を受け、大量の失業者が出た。
これが英東インド会社への猛反発を産み、セポイの乱を招き、英東インド会社は清算され、ムガル帝国も廃止されて、インドは英国女王をインド王(後にはインド皇帝)とした英国の植民地となる。インド人は英国に商品を売る立場から、英国産の商品を買わされる立場に変わったわけだ。

この産業革命の成功の可否は、大量の資源を確保することと、大量の生産品を売りさばく市場の確保だ。
欧州主要国にも産業革命が進展するに従い、資源国と市場国のふたつが必要になるため、欧州列強は競って植民地獲得競争を行うことになる。

それに巻き込まれた欧州以外の国々にとっては、地獄のような話だ。
当時から人権についてはうるさい人々がいた西欧諸国だが、当時は白人以外の人権を認めていなかったのだろうか。少なくとも当時の王侯貴族などの資本家階級は、他国人の人権よりは自分たちの金儲けにしか関心がなかったことは間違い無さそうだ。
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国を運営していくにはお金が必要です。


現在ではそれを税金で賄っています。
それをそれ以外の何かで賄おうとしたとき、自分の国以外のところから搾取しようというのが植民地の考え方です。
つまり、植民地に働かせたり、そこで手に入る天然資源などを手に入れて収入を得る。
これが植民地の目的です。

もうひとつの目的もなくはありません。
自国で増え続ける人口の受け皿です。
自分の国にはその人たちに与える国土がないので、それを国の外に求めるのです。
英国の北米や豪州、ニュージーランドへの植民にはその目的が色濃かったと思います。
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労働人口と資源の確保です。

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