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中学の歴史についてです。
江戸時代の本百姓制度について、水呑百姓が増えたことで幕府の財政が圧迫されたという風に習ったのですが、なぜですか?小作人が米を作ってもそれは幕府に徴収されないんでしょうか?
うろ覚えなので、間違った知識が会ったら、ご指摘していただけると嬉しいです。

A 回答 (2件)

年貢は土地(田、畑、屋敷)についてかかります。

本百姓とか小作とかは関係ありません。所得税ではないのです。
小作農が逃亡しても土地は村に残りますね。村は耕作者がいなくなった土地の年貢も納めなくてはならないのです。年貢は村の住人が個人的に納めるのではなく村がまとめて納めます。ですから村を逃げ出すものが増えると残された少数の者で他人の土地まで耕さねばならないので手が回らなくなることもあったでしょう。そうなったら年貢の完納は難しくなります。
年貢は作物を全く植えなくても納めねばなりません。逆に米より儲かる作物を育てても年貢は増えないし、冬に麦などの裏作をしても年貢は増えないのが原則です。とは言っても麦などに年貢を掛ける殿様が全くいなかったわけではないのですが。
水呑の増加 イコール 幕府の財政圧迫 というのはちょっと短絡的過ぎると思いますが、地主の取り分が増えたことで水呑百姓の元気がなくなったことは確かでしょう。
なお小作農は地主に小作料を納めますが年貢は納めません。地主は受取った小作料の中から年貢を納めます。年貢は本百姓(つまり土地の所有者)の名義でないと納めることはできませんでした。
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水呑百姓が増え貧農層は年貢が納められず村を捨て江戸へ出てしまい、年貢が入らず幕府や藩の財政が圧迫

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