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タイトル通りなのですが、死ぬとどうなるのでしょうか?
意識が身体から離れ、幽体となってさまようのでしょうか?
天国や地獄などは存在するのでしょうか?
それとも、意識も消滅し、何もなくなるのでしょうか?
また、自然死した場合と、自殺した場合は、何か違いはあるのでしょうか?

A 回答 (22件中11~20件)

参考に


哲学的には「われ思うゆえにわれ有り」ですから思考する個性あるものが生き物なんですね。物理学的には「思考する個性エネルギー」が生き物の本質ということですね。これを宗教では「霊魂とか仏性」といっています。中国の有名な僧、天台ちぎは「一念三千論」を説いています。「思い」の世界は三千世界あり生きていようが死のうが思いはその世界に通じているということです。実際は考え方や個性はもっと多様ですが、分類的にということでしょう。この思いの世界が宗教でいうところの霊界ですね。全ての生き物は「考え」をもっています。動物や草花にもありますね。だから全ての生き物は、死後も同じような考えの空間(霊界)にいるわけですね。悪い考えの多い生き物は、悪い考えの空間、これは地獄といいますね。良い考えの生き物は、良い考えの空間で生きて(考えている)わけです。これを天国といいますね。肉体が無くなれば「思考エネルギー」はおのおのの考え方にあった世界に戻ると考えていいんですね。認識力の差に応じた世界といってもいいでしょうね。これは、動物も植物も同じですね。
考え方は自由に変えられますので恒久的に同じ空間というわけではないですね。悪い考えも直せばいい考えになりますからね。それから、生き物は一般的に自殺などしませんね。人間だけが自殺しますが、その時の考えは普通じゃないので、普通じゃない世界に行くわけですね。そういうことですね。本来的には宗教も哲学も「思い」を探求するものなので同じ結論が出るはずなんですが、いろいろな考え方があるものですね。
天国も地獄もありますのでしっかりと勉強して人のために良きことをたくさんしてくださいね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
基本的に意識は死後も存在し続けるということですね。

お礼日時:2005/01/14 23:13

> 死ぬとどうなるのでしょうか?


少なくとも、「意識」は、完全になくなりますね。

> 意識が身体から離れ、
『 意識 』とは、簡単には「心」のことなので、身体から離れては存在しません。

> 幽体となってさまようのでしょうか?
近代の大乗仏教では、『 霊魂 』の存在に関しては、触れられていないようです。
当然、科学的には、否定される考え方なのでしょうね。

> 天国や地獄などは存在するのでしょうか?
古い仏教では、別の他の世界にそれらが存在するように、説明されてたのですが、
近代の大乗仏教などでは、『 天国や地獄 』も、人間の心の状態を表していると、
そう説明されています。

> 意識も消滅し、何もなくなるのでしょうか?
意識は消滅しますが、死んだ後も「肉体」は残りますので、火葬や土葬や水葬、
などにより、肉体は< 地球(宇宙)に戻る >と考えればよろしいのでしょう。

この考え方は、科学的な考え方とも、矛盾しないと思うのですが、どうでしょう。
以前の解答にも、同じことを書いていますが、

仏教的に言えば、
  ---------------------
  「宇宙全体が、生命体」と言うような、考え方をとりますので、
  ---------------------
《 生まれ出ることも、「死」と言う終わりも無い 》と言う考え方になります。

> 自然死した場合と、自殺した場合は、何か違いはあるのでしょうか?
仏教も自殺は良くないこととされ、< その傾向が広まれば問題 >でしょうが、
「自殺した方その個人」に限っては、特に違いはないと言うことになるはずです。

下↓の記事を読まれ参考にして下さい。科学的に考えられることを、希望します。

---------------------------------
「 生まれる前と死んだあと… 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1160126

「 人はどこから来てどこにいくのでしょう? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1147696

「 死について真剣に考える恐怖心 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1116105

「 人が死んだらどうなるの? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1077507

「 死って何ですか?死ぬのが怖いと思いませんか? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1038202

「 死んだら・・・ 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=970863

「   。死の意味っ 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=561704

「 死後の世界について 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=443921

「 死んだらどこへ? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=350566

「 死後の世界は?宇宙の最後は? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=294300

「 死後の世界を否定するのは「科学的」か 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=272541

「 死んだらどうなるのでしょうか? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=258096

「 死後の世界とは?死ぬとどうなるの? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=232859

「 死 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=232036

「 死とは何か? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=66696

「 「死」とは何か? 」
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=63019
---------------------------------
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仏教の観点から答えてくださってますね。
ということは、インド哲学につながるものですね。
私は西洋哲学より東洋哲学に興味がありますので、とても興味深いお話でした。

お礼日時:2005/01/14 23:11

あなたは考えればなんでもい分かると思っているのですか。

それは受験勉強のように答えがあることになっている問題だけが問題であると思い込んでいるからではないでしょうか。考えても答えがないものやいくつも答えのようなものが出てくる問題もあります。頭が悪いから答えが出せないということもあるでしょうが、誰にも答えるのが無理なものもたくさんあると考えたほうがよいのではないでしょうか。あなた自身ここに書いた質問に対する答えが誰かから得られると本当に信じていますか。又答えがあったとして今度はあなたがその答えを簡単に納得できると考えていますか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
飽くまで「哲学」のカテゴリーとして質問させて頂いたので、答えが出るとか納得するとかではなく、死というものについて哲学的に論議がしたかったのです。

お礼日時:2005/01/14 07:59

死後の世界については、生きることを問う意味と同様、人にとっては回避できない問題です。

そのため様々な説があるのでしょう。たとえば輪廻転生、幽体離脱、医学的見地や精神世界の他に脳死問題などの医学的な問題もあります。
「死」は形而上的な問題ですが、より高次な形而上的な観点、概念から、また形而下的により科学的、現実的に研究、探索することは、ただひたすら「死」へ向かう途上の、「生の証」を確かめたい作業であると考えます。

個人的には輪廻転生、つまり「前世」「来世」、「カルマ」などを信じていますし、地獄もあると思っています(ただし子供の頃刷り込まれた鬼や閻魔様がいる地獄ではなく、死の瞬間の精神状態に左右されるというより科学的(?)な地獄)。

その昔、死後の世界が存在するかどうかを確かめたくて自殺した思春期の少年がいたそうで、マスコミにも大きく取り上げられました。自殺は罪といいますが、これは罪なのでしょうか?彼は今地獄にいるのでしょうか?「苦」ゆえに死を選んだのではなく、純粋な疑問の塊(かたまり)の魂(たましい)は、ある意味幸福な死ではなかったかと思います。
ですから自殺が悪いとは一概にいえません。「死」ぬよりも苦しいことが蔓延しているのがこの世の実体かもしれず、それでも行き続ける人の強さは美しい。でも同時に「死」の魅惑にも魅かれます。フロイトは「エス」という人の心的組織を「本能」と位置づけ、「生の本能」と「死の本能」であるとしました。死はその死以外に破壊や攻撃も意味します。攻撃をしないと、不意に襲いかかってきた敵から逃げることはできません。つまりそのような意味での「死の本能」とはイコール「生の本能」であるともいえます。

しかし私は「死への誘惑」も本能のひとつであると思います。ギャンブルなどの行為も、「死への誘惑」があるともいわれますが、「β-エンドルフィンの増加量が多い」ためと解明されています。
しかし「死への誘惑」を動機づける行為よりも「死」そのものが最高のエクスタシー体験ですからです。死ぬとき麻薬の何百倍もの脳内麻薬様物質がでるといわれます(セックスでのエクスタシーは「小さな死」というのはよく言い当てた言葉だと思います)。

私にとって「死の誘惑」というのは好奇心ともいえるでしょう。実のところいろいろあって、いろいろ悟ったので(笑)、正直死ぬのは怖くないです。詳しくいいますと、死の瞬間を迎えるのは怖い(肉体的痛みなど)ですが、その後の世界に早く出向きたい。そんな心境から、私にとって死とは、次の扉を開く行為だと思っております。その扉とは幸福な来世かもしれないし、まだまだ修行しなければならない現世と同じような世界かもしれませんし、卒業した私を待つ、神のいる部屋かもしれません。死の怖さよりも好奇心の方が強いというのが、本当のところです。

ご質問から脱線して申し訳ないですが、「死」は生きている人の想いの分だけあると思います。それにまた「死」を本気で考えないと、よりよい「生」も生きられないと思うしだいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
一生懸命答えようとしてくださって、本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/01/14 07:58

植物などの「死」は、ご質問の「死」ではないですよね。



人間は、思考することができる生物で、
それができなくなることを「死」ととらえるのであれば、
脳死状態なども、「死」と考えられると思います。

そういった意味で言うと、死ぬということは
単純に「(永久に)思考停止状態」になる、ということなのではないでしょうか?

その先に何かがあるのかどうか、と言われると困ってしまいますが、
上記のことから単純に考えると、
「何もなくなる(思考回路自体がなくなる)」という可能性が、高いような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間だけ特別扱いするつもりはないので、(そういう考え方は人間のエゴですよね)、植物が死ぬとどうなるかも私の質問の範疇には入っています。

お礼日時:2005/01/14 07:56

たくさんのアドバイスが既にありますので、読まれてもおわかりになるかと思いますが、本当に人それぞれ信じているもの違うので、自分は何を信じるのかというところで終わってしまうと思います。



私自身は、NO.7さんのような感じだと信じています。どうなるにしても、今を正しく精一杯生きることが死後への明るい未来につながるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

死について、哲学的に論議がしたくて質問をしました。

お礼日時:2005/01/14 07:54

私は死後の世界を信じています。



死後は魂のみの状態になります。そして自分の魂にふさわしい霊界へと移行します。しかし、死んだことに気が付かないで現界を浮遊する人や生前の思いに囚われて自縛霊になる人など、すぐに霊界に行かない霊もいます。

普通の場合、魂は幽界に移行します。そしてそこから自分にふさわしい霊界に進みます。霊の世界は精神だけの世界です。精神を包む肉体というオブラートがありません。ですから自分の精神と異質なものとは相容れません。ですから悪想念を抱き続け魂が汚れている人は、同じように汚れた魂を持つ集団、いわゆる地獄に落ちてしまいます。反対に清らかな精神で生をまっとうした人は同じような清らかな精神を持った集団に向かいいれられます。

それから自殺についてですが、どのような死だったかは問題ではありません。自然死であろうと自殺であろうと、問題なのはその時の精神状態です。落ち込んで暗い想念で死んだ場合、その想念が死後も続き、浮遊霊や自縛霊になったり、地獄に落ちる可能性があります。反対に自殺であっても、死の瞬間に清らかな気持であり生前も清らな精神の持ち主であったなら、現界で迷うことなく高位の霊界に行く可能性は高いと思います。

説明不足の点もありますが、だいたいこのようなものだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
死後は魂のみの状態になるということですが、猫や犬もそうなのでしょうか?
猫や犬はともかく、昆虫や植物なども魂はあるのでしょうか。
人間だけ特別扱いするつもりはないので、人間にだけ魂があるというのはおかしいような気がしますが。

お礼日時:2005/01/14 07:53

私の知人は心臓停止になったのですが、その時お花畑を見たそうです。

本当に美しかったと言っていました。そして、「もう死ぬのが怖くなくなった」とも。
お花畑は外国人でも臨死体験をした人は見るそうです。不思議ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仰られたのは臨死体験ですよね。
それは脳内麻薬のせいだと思うのですが。
臨死体験ではなく、死後のことが知りたかったです。

お礼日時:2005/01/14 07:51

「無」になると考えるのが妥当ではないでしょうか?


他の方も書いてるように脳が停止するわけですから、たとえ「あの世」があったとしても、それを認識するための意識や感覚はないはずです(もちろん「あの世」があるとも思っていません)。

そう考えると、自分の存在を(哲学的に)追求することが無駄な事のように思うのです。それよりも「有」である間をどう過ごすかが重要で、できるだけ人らしく愛情深く生きたいと思います。哲学的な追求がその邪魔にならないようにしないと。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
「無になる」というご意見が多いようですね。
それなら、今私達は、「無になる」ために生きているのでしょうか。

お礼日時:2005/01/14 07:49

「神との対話」という本を読んでみることをオススメします。


質問されている事柄に対してほぼ書かれています。
それが本当かどうかは読む人の判断に任せますが、
私は読み終わったあと「たしかにそうなのかもしれない」と思いました。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
「神との対話」読んでみます。

お礼日時:2005/01/14 07:48

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