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科学の発達で自然淘汰がされにくくなるとすれば、人類は今後、過去の歴史上見たことがないほど身体的肉体的に個体差がある種族になる?


大学生理系男です。
自然淘汰について考えていて思ったのですが、、、
①科学の発達で自然淘汰が起こりにくくなる(過去の人類なら一定割合で死ぬ何かしらの要因が、科学の発達で無効化される→自然淘汰されない)
②本来自然淘汰され消えるはずだった個性を持つ人間が子供を産むことでその個性は継承される
③同じ人間と呼ばれる生物だが、同じ生物とは思えないほどに特徴の違う生物になる
という未来を想像しました。

もしそうなったとしたら、
❶全然違う特徴を持つ生物なのに、同じ人類と呼ぶことに無理がある→戦争になる→別生物としてペットにする(今人類が他生物に対して行なっていることと同様のこと)ことを正当化するような怖い世の中になるような気がします。しかし私自身、この戦争は怖いと思うが理由は筋が通っているような気がしてしまいます。
今まで人類が共通の祖先誕生(16万年前?)からとてつもない長い年月が経っているのに、人類というくくりで見たとき大きな違和感がない(人類という括りを保っている)のは自然淘汰がしっかり行われてきたからではないでしょうか?
もしそうだとするとこれまで当たり前のように認識していた人間という種族の規模感が今後どんどん大きくなるため、これまでの歴史と大きく変わる1つの大転換になるのではないでしょうか?
(未来のことを考えるなら、これを踏まえなければいけないみたいな基本原理になりうるのではないか)

❷またそういった未来から現代に逆算したとき、現代で言われる「個性」という言葉と「別種族との個体差」という言葉の定義がかなり怪しいものなのではないかと感じます。
この違いは何なのでしょうか?
人間の定義がはっきりしないのであれば、通例人間と認知している範囲を人間と認知し、それ以外を人間ではないと無意識に思い込んでしまうと思います。
もしそうだとするならアメリカ南北戦争時の黒人を奴隷として扱うという南軍の考え方は今でこそ非人道的でありえないと思いますが、その時代その場所に生まれ落ちたとしたとき自分がそうでないと言えない・南軍は悪い奴らと糾弾できるかわからなくなります(歴史に詳しいわけではないため当時の善悪感や人類・奴隷に対しての認識等は間違っていたらすみません)。
私は勿論、黒人差別には反対している人間です。
反対しているからこそ、昔人類が犯してしまった過ちを確固たる理由で否定できる自分である必要があると思うのですがそこが怪しくなります。
また同様の現象が気づいていないだけで現在も起きている可能性もあり、今違う生物と見なされている動物が今後人類と同等の権利を得る可能性もあるのではないでしょうか? 逆に今は同じ人類として扱っているが、四足歩行になったり羽が生えたり等同じ人間と見なせなくなったとき人類とみなさなくなる可能性もあるのではないでしょうか?
これは単に言葉の定義を広めにとっておけば解決するという問題ではなく、地球という限られた資源をまるで特権階級であるかのように分配すると考えたとき、分配する人数によって取り分が大きく変わるためシビアな調整が求められる難しい問題だと思います。

❸個性をばらけさせることは種族の全滅を避けるための生物の生存戦略として有効な策である気がするが、もし科学や他の方法でカバーできるのであればむしろ今後は悪手になるのではないか?(有性生殖の方が適してそう)

❹競馬でより早い馬を生み出すため血統等を考え人間が馬を選別するのと同様に、自然淘汰とは自然が人間の質を高く保つために行われる世の中のプログラムだとするなら科学の発達による自然淘汰の抑制は良くないと考えることもできるのではないでしょうか?
●人類という質が下がる
人間に価値をつけ、人が生きることにケチをつけたことは一度もありません。また利己的ですが仮に私や私の大切な人が淘汰される側に選別された場合それを受け入れることはしないでしょう。
ただ人間が社会的意義とか色々屁理屈はこねるけど、本質はただ子孫を残すことのみをプログラミングされた機械と考えた場合(他の生物はそう考えられなくもない側面もあるなと感じたため)、種族の質が下がることは本質とは相容れないなた感じたためです。
●自分が淘汰される側に当てはまっているのに生きながらえているとするなら自然淘汰が行われないのは幸せなのか否か?
死ぬ理由がどうしようもない外的要因ならば納得して潔く死ぬかもしれませんが、もし自然淘汰が抑制された結果種として劣等であることを老衰するまで見せつけられ続けてら生き延びること・種族の数を間引きするため人間が人間を選別をし始めることに対して納得がいくか疑問なためです。

❺自然淘汰とは意識されにくいだけで現代の私たちにも起きているのか?
私はもうすぐ社会人になるのですが、未来が現実的にイメージしやすくなったためなのか、自分でお金を稼ぎ所帯を持ち漠然と将来結婚をし子供が生まれるという当たり前が実はかなり難しいのではないかと怖くなってきています。
これまで私はなんとなく、「なんだかんだいって男女は過不足なくペアになり必ず子孫も残せる。そして私もそのうちの1人である」と当たり前に思い疑いませんでした。これは、私の今までの人生で出会った人・見かけた人達は例外なく両親にあたる人間から生まれているという事実(男女片割れから生まれましたみたいな人間は見たことないという事実)による錯覚なのではないかと思うのです。
私が大学生でまだ知らないだけで、世の中結婚できない・子供がいない問題は意外と世の中にはありふれているのでしょうか?
またもしそうであるとするならそんな当たり前の幸せを掴むためには未来で後悔しないため何をすれば良いでしょうか?
本来されるべき自然淘汰であったとしても私は子供が生まれる喜び・育てる喜びを感じたいです。


だいたい以下のようなことを考えました。
①人類という言葉の広がりが今後爆発的に広がっていく(人類という種族が今までの歴史とは大きく変わる?)
②どこまでを人類とみなすか(過去の歴史・未来)
③個性をばらけさせる生存戦略は今後悪手になるか
④自然淘汰抑制による不都合
⑤自分が自然淘汰側にいた場合

歴史に関しては専門ではありませんし、正直まだまだ世の中のことをよくわかっていないなと感じる今日この頃です。
歴史に詳しい方・人生経験が豊富な方、もしよろしければ遠い未来の人類のあり方や私自身の今後の生き方に関して意見をいただけると幸いです。
長文読んでいただきありがとうございました。

A 回答 (4件)

理系男子ねぇ…。


理系でも文系でも無く妄想を語ってるだけという印象です。



> ①科学の発達で自然淘汰が起こりにくくなる(過去の人類なら一定割合で死ぬ何かしらの要因が、科学の発達で無効化される→自然淘汰されない)

この前提が、もう滅茶苦茶ですよ。
人間が100人いたら、麻疹で死ぬ人もいれば、癌で死ぬ人もいるわけだけど、では○○が原因で死ぬ人は同じ人なのか?
それとも違う人なのか?
違う人なのであれば、本来は癌で死ぬはず無かった人が、新型コロナで死んでしまったら、単なるダブルパンチじゃないか?


> ❶全然違う特徴を持つ生物なのに

滅茶苦茶な前提に基づいて展開する妄想に意味は無いですね。


> 別生物としてペットにする(今人類が他生物に対して行なっていることと同様のこと)ことを正当化するような怖い世の中になるような気がします。

別生物も何も、ちょっと前まで白人は黒人を奴隷にしていたじゃないか。


> 人類というくくりで見たとき大きな違和感がない

『違和感が無い』というのは、貴方の個人的な感想でしょう?
違和感があるから人種差別があるんじゃないのか?


> ❷またそういった未来から現代に逆算したとき、現代で言われる「個性」という言葉と「別種族との個体差」という言葉の定義がかなり怪しいものなのではないかと感じます。

日本語が意味不明。
何か難しそうな言葉を使っているだけで。

だいたい君の使っている『個性』の定義が曖昧なんだよ最初から。
生物学上の違いなのか性格上の違いなのか慣習上の違いなのか。

そもそも君は関西人って○○だよね、という決めつけをどう思う?



> 今違う生物と見なされている動物が今後人類と同等の権利を得る可能性もあるのではないでしょうか?

『第三のチンパンジー』という本がある。
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いくら科学が発達しようと自然淘汰そのものはなくならない。

自然淘汰と同等かそれを上回るスピードで変異・変化は進んでいる。
ゆえに、新種の病気は常に発生し続けるからだ。

遺伝子コントロールの面から云えば、人為的遺伝子操作をどこまで認めるかが問題だろう。体質強化をどこまで認めるのか、クローン人間を認めるかどうかでも人類の未来が大きく変わる。

今の人類の課題としては、高学歴化と女性の社会進出が新生児数減少に向かわせているという人口問題だろう。
20世紀は人口爆発が問題となったが、21世紀は人口縮小が問題となる世紀だ。20世紀の少子高齢化社会は先進国だけの問題だったが、今はすでに先進国以外でも新生児数が前世紀に比べて大きく減少方向に転じている。
ほぼ多子低齢社会しか経験していなかった人類が、初めて持続的少子高齢社会を経験するわけだ。自然科学ではなく、社会科学的問題だ。
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質問者様は生物学上でいう「種」の定義を理解するところからはじめてください。


種、亜種、品種、人種、何れが生物学的に有効な概念かわかりますか?

入り口が間違っていますから全て考察ではなく妄言になってしまっています。
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意見と言えるほどたいそうなモノは持ちませんが、読んでみて面白いなあと思いました。



・自分の死後の遠い未来、人類がどうなるのか分からないが、想像することはできるし、その想像は面白い。

・淘汰は既に始まっているのかもしれない。新型ウイルスで多くの人が死んでるし、決定的な解決策はまだ無い。今後更に強力なウイルス流行が起きないとは誰にも予測できないし、同時多発的な流行や、未だかつて無い感染経路を持つ新型が現れることも予想できる。

・淘汰が自然に起きるとは限らない。今後、様々な判断がAIに委ねられる未来もあり得ると思う。人類の寿命さえコントロールされかねない。AIによる淘汰の可能性もある。その未来には恐怖を感じるし、起きて欲しくないとは思うが、現在の格差社会すら是正できない現実を思うと、あながち無いとは言い切れない。

・人類は、これまでも自ら作り出した武器兵器により人口を減らしてしまっている過去(戦争等)があり、それを広い意味での淘汰と考えれば、何らかの淘汰は必然なのかもしれない。ウイルスによる淘汰も限界があるなら、AI。AIによる淘汰も限定的なモノだとすると、次は大きな自然災害かな。しかし、それだと生物界全てリセットされてしまう可能性がある。

・以上のようにみると、地球という限られた実験場でのアンバランスは、なんらかのリセットの繰り返しを余儀なくされてきたのではないか、と考える。今現在増え過ぎたヒトは、明らかに地球のバランスを崩しつつある気がする。

以上いろいろ想像できます。ただの感想ですが。すみません。
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