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日本史,弥生時代の稲作について。

文転して日本史を進めている者です。あまり詳しい用語は知らないので解説は易しくお願いします...。

今進めている参考書に

「弥生時代になると墓が生まれます。墓が生まれた背景には、様々な説がありますが、稲作の開始が大きな背景となっているのは確かです。稲作を始めることによって、人々は土地に縛られるようになります。その結果、土地の支配者という概念が生まれてきます。土地を支配している者と支配していない者との間に貧富の差が生まれてきます。また、米というのは保存が出来るので、その米を巡って争いが生まれてきます。」

と書いてありました。最後の文に「その米を巡って争いが生まれてきます。」とありますが、これは仲間内(同じ土地に住んでいる者同士)での争いでしょうか?それとも別の土地に住んでいる人々との争いでしょうか?

僕がこの時代に生きていたとして、自分の村が不作だったら生き延びる為に隣の村を襲いますし、土地の支配者が理不尽に米を独占していたとしたら反乱を起こします。

A 回答 (5件)

別の土地に住んでいた人々との争い、と覚えておいてOKです。

環濠集落など、弥生時代は戦国時代であったことが知られています。

勉強し始めたばかりということで、あまり変な知識をつけるのは良くないのかも知れませんが、あまり一般的ではない話をしておきます。後に稲作が主流になったことから米が重要視されることが多いのですが、稲作の伝来は縄文時代後期までさかのぼる事が分かってきており、また他の(粟やヒエなどの)穀物と同じくらいの価値しかないのものでした。稲作が爆発的に広まったというよりもじわじわとしか広まらなかったのは、後の私たちが考えるほど当時の人たちは稲作を重要視していなかった可能性もあります。
以下は私の勝手な妄想ですが、そうなると当時は採集生活中心の縄文村と穀物栽培している弥生村があって、先に住んでいた縄文村は(採集に)一番良いところにあったでしょうから、弥生村は少し離れたところということになります。ところが冬などの食料が不足する時期(あるいは年)になると、食べ物の無くなった縄文村の人たちはどうするでしょうか、飢えて死ぬのを選ぶか、食べ物を持ってるところを襲うか。環濠集落も、弥生村vs弥生村というより、縄文村の人たちから守るために発展していったのかもしれません。(再度書きますが、私の妄想ですw)

結果として、弥生時代になると食糧獲得量が増え人口が5倍くらいに増えたと考えられています。増えた分のほとんどは稲作と共に生活していた人たちでしょうから、”日本人”のほとんどが縄文系から弥生系の人たちに変わったということになりました。
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随分と話を単純化というか類型的にまとめた参考書ですね。

大陸型の農耕発展史観にも毒されている。

縄文時代の人口は最大でも30万人くらいと少ない。稲作が本格化した弥生時代に人口爆発が起こり、縄文時代よりも戦乱が多くなったのは事実だ。それは考古学的にも大国主神話や天孫族の山彦海彦神話、神武東征神話にも観て取れる。

しかし、日本の場合、支配者の役割は収奪ではなく、調整が主だった。穀物は不作時に備えて備蓄できることが最大のメリットだが、コメが不足すれば隣村と調整をすることになる。調整できるクニが多くなればなるほど調整がしやすい。日本国内の大国化は戦争もあるが、基本的には話し合いによる調整で大国化していった。最後に覇権というか調整役の頂点に立ったのが天皇と大和朝廷ということになる。

大国主時代にしても、戦いの多い時期ではあったが、民を飢えや病気から守ることが大国主の最大の職務だった。だから大国主は戦いの神でもあるが、農業の神でもあり、酒造りの神でもあり、疾病対策の神でもあった。その話し合い調整文化の伝統が聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」などにも現れていることを忘れてはならない。
「隣村を襲う」とか「理不尽な支配者にたいする反乱」は大陸の歴史に頻繁に登場する話だ。日本でも皆無とは言わないが、大陸に比べれば問題外に少なかったことを忘れてはならない。
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大学入試の日本史レベルで言えば


「農耕による定住生活の促進と余剰生産物が、大きな集団を生み出した」ということになります。
特に稲作と同時に伝わった「金属(鉄と青銅)」によって農耕の生産性は格段に進歩しました。
地域交流(戦争も一つの交流です)が盛んになって、地域集団は「ムラ」から「クニ」に変化しました。
わかりやすくいえば、地域集団の巨大化です。当然争いも巨大化します。

集団内には役割がうまれ、その役割をまとめる指導者としての「王」も生まれます。
王は特別な能力で地域集団の行動を決めました。いわゆる「占い」です。道具として「骨や金属」を使いました
その道具を使える能力があるから王になれるので、指導者が富を独占しても「理不尽」だとは思わないのです。
ただ、王を中心とした集団同士の争いはありました。倭の争乱時代です。
大集団の戦争に備えて、「環濠集落」や「高地性集落」も生まれます。村の防衛と武装化です。
こうした集団の巨大化は、農耕先進地域で起こります。九州・瀬戸内・近畿などです。
ついには「奴国」や「邪馬台国」が生まれます。少しは参考になりましたか?
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仲間内も外部との両方に思います。



仲間内の争い(取高の競争等含む)から、リーダや科学者等の専門職(警察・裁判員・軍人等)が必要になります。
外部との争いから、王様やもっと大きな村・町・国という組織が生まれます。
墓が生まれたことに興味がおありなら、その専門書を読む方が良いと思います。

日本史、弥生時代の稲作として習うのなら、なぜ「コメ」「麦」「とうもろこし」「牧畜」等と狩猟収集との
生活様式が社会にどういう変化をもたらしかを理解するのが大事に思います。

農業は食糧の長期保存ができるので、社会の効率がものすごく良いんです。
そのため、農業専門職が産まれます。さらに効率化され、織田信長等が軍を創設したりしてますね。
歴史って、浅すぎても深すぎても理解しにくいものと思います。

高校卒ですが、TVの人類史や○○史、歴史ドラマも見ての回答です。
参考文献(メイン)

「NHK ダイアモンド博士の“ヒトの秘密」がお奨めです。農業の意義や意味が分かりますよ。

https://perry-r.hatenablog.com/entry/2018/02/17/ …
出来れば、番組も見て欲しいです。
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竹田恒泰さんの「竹田学校」YouTubeを観てみられたら



如何でしょうか?

確か、墓の起源もありましたよ。

岩宿時代から弥生時代、縄文時代、、、。

今、明治時代の 日清日露戦争まで来ました。
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