プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

有史以来、人類は絶えず争い戦争を繰り返してきました。
国単位でも、会社・組織・学校単位でも人は争います。

人はなぜ争うのか。
そういう性なのでしょうか。

A 回答 (17件中1~10件)

>→この点だけは反論させてください。


>私は小1まで引っ越しの連続でしたが、都会育ち&自分自身、人懐っこい部分もありイジメの経験はありませんでした。

>でも大人になるまで過ごしたド田舎の町では貧富の差が激しく、よそ者(引っ越してきた人達)に対し、冷たい、疎外感なようなものがありました。

私の言葉が足らなかったようです。
「いじめられる側に一般的でないものを持っている」
という「一般」というのは、
いじめっ子たちの社会において一般的でない、つまり彼らとは相容れないものが
ある、という意味です。
「一般社会において」という意味ではありません。

人は社会において社会を乱す異端児を除外しようとするところから争う、
この本能が根底にあってこの本能が顕在化するところでこれが偏向していじめが始まる。
といういじめがなぜ始まってしまうのがのシステムを書いたまでです。
このいじめも闘争本能の一部である。ということです。

あなたの場合、
疎外した彼らから見て、「よそ者」という彼らの社会では一般的でないわけです。
またその「よそ者」というとどういう人だかわからない警戒感から除外しようとしたわけです。

大人になってもこの警戒感はアリ、どこの地域でも地元に古くから住みついた人達は「よそ者」と言われる人
に警戒心と排除しようとする気持ちが心の底にあります。

例えば、実社会では町会役員、PTA役員、神社や寺社の運営役員など
いずれも地元の人が役員の中でも上部を占めます。

町会の広報とか会計、など単なる役員は「よそ者」でもさせますが、
町会長、会計部長、広報部長、などは地元の人たちです。
これは地元の=地主ですから、土地や家をおいて何処へも行かない。
したがって地元で悪さはしない、という地元の人にとって安心感が
ありますが「よそ者」は入ってきたんだから出ていくこともある、
したがって悪さして逃げる、ということも考えてしまうわけです。

神社の役員などはもっと顕著で、役員全員地元の人で「よそ者」は信徒や氏子の会には入れますが
役員には一切しません。
これは神社にはお祭りなどの際に寄付されたお金もあり、
これが年々たまってくると「よそ者」は余ってるなら氏子や信徒で分けよう、
という意見が出たり、
もっと勘ぐれば会計など任せたらこのお金をもって逃げるかもしれない、
という警戒心から役員にはしないのです。
さらには会計報告は役員のみに行い、一般信徒には公表しない、なんてことが
信徒会の規約に書かれていたりします。
一般会員から「そんなに金があるんだったら信徒で分けろ!」という意見を出させないためです。

役員は代々続く地元の地主。
彼らは後の世のため神社を建て替えることもあるだろう、
台風や地震で壊れることもある、その時のためにプールしておこうと考えていますし、
太鼓の張替え、おみこしの修理などもあるのでそんな意見が出てしまうと困るからです。

公立小中学校のPTAも会長は地元の地主です。
これは、地元の地主の方が地域に顔が効く、という理由からです。
例えば小学校でブラスバンド部を作りたい、しかし予算がない。
かといって生徒の親から一律寄付をしてもらうこともできない、
のが普通です。

会長が地元に顔の効く人だと、
地元の有力者(この人たちも同校出身です)のお宅を回り、
寄付を募ると、ほんの数軒回っただけで数百万集められます。
寄付する側も地元の同校出身の人ですから地元愛が強く、
そんなことなら100万くらい出してやるよ!
と二つ返事で引き受けてくれます。
ところが「よそ者」が会長で地元を回っても、地元の人は会長は「よそ者」という感覚ですから
「よそ者」が何を言ってやがる、PTAでなんとかすりゃいいだろ、と
門前払いをくらわします。

なので学校側もこれをよく知っていて、会長職をお願いするときには必ず地元の地主のところに話を持っていきます。
交代するときも、前会長は部下だった「よそ者」のPTAの一般役員には話を持って行かず、
地元の他の人に新会長の話をもっていきます。

このように一般とは違う(「よそ者」は自分たち「地元の社会」で見れば一般ではない)
から、自分たちの社会を守ろうと排除しようとするわけです。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
なるほど。そんなに根深いものだったんですね。

確かに私や引っ越し組は疎外感が半端なかったです。
そういった背景があったのは初めて知りました。
勉強になります。

お礼日時:2020/06/20 10:19

人間生命に果てしない「欲望」があるからです


それをコントロールできないからです
注意・・・欲望自体わるくありませんよ
     医療の発展や文化の発展に寄与してきたからね

コントロールするためには、「深い哲学」が必要です
相変わらず武力の競争は絶えず、経済の競争も過激です
しかし、そこに深い哲学があれば、人道の競争になる
故郷は地球、国籍は世界、人種は人間となる
ソクラテスやプラトンに学ぼう
汝自身を知れ
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

資本主義は競争は推奨しておりますよね、、、。

お礼日時:2020/06/22 05:03

増えてるから戦争がつづくって言ってるんだけど

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この回答へのお礼

そうでしたか。
ありがとうございます。

お礼日時:2020/06/22 05:01

> 人はなぜ争うのか。

  そういう性なのでしょうか。

そのように理由や原因、メカニズムを気にする前に、争いの実態をただ調べたりすることをお薦めします。

> 人類は絶えず争い戦争を繰り返してきました。 国単位でも、会社・組織・学校単位でも人は争います。

この争いには、市場競争、価格競争、性能の競い合い、知性・教養・学力・技能・芸術の高低の競い合い、あるいは、夫婦間のいざこざ、相撲や将棋、ゴルフの勝負、学術論争や新薬や新技術の開発競争、あるいは宗派・学派の争論のようなのも含めて考えるのか、さらに、村八分・侮蔑・嫌悪・ネグレクト・排斥のようなイジメも含めるのか、観察調査の対象範囲の設定をどうするのかも、早い段階で決めることをお薦めします。

> 一方で排他的な人(何かに対し強い嫌悪感や排除する意識)が居るのも事実で、そういう人達を駆除すれば「より平和」になると思うのです。


考察の対象範囲や、「争い」と認定する/「争い」とは認定しないという思考の過程を飛ばして、対策を求めると、見当違いの方向に進みかねません。 何を検討し結論を得たいかのようなことが先行している場合でも、その結論のようなものを成立させるには、検討条件や検討範囲の検討(ゴチャゴチャですみません)が必要です。
そもそも《そういう人達を駆除すれば「より平和」になる》のでは、《駆除せんとする/駆除されんとす》という争いを推奨しているようなものです。 

> 何せ、自分が通った中学は事件で全国紙の新聞に載るような酷い学校で、理由なく誰かをばい菌扱いにしたり、イジメが横行してました。中学までは義務教育だったので学校を選べませんでしたので、 高校は180度世界が違いました。イジメって何!?みたいな環境で平和でしたね。

排除、排斥、無視と、無縁、不(無)関与とは、かなり近接しています。 その《排除、排斥、無視と、無縁、不(無)関与》を嫌い、 仲間・親密・融和・強力などを頻繁に求めるられたら、それは辛いかもしれません。 平和な環境の高校とは、どういう状況だったのか、《争い》という観点で考えた場合に、検討の対象に含む争いなのか、それは争いには見なさないのか、争いか否かの判定をどう行うのか、考えてみてください。

> 法華経は言葉は知ってますが、詳しくは知らなかったのでググってみました。 戦国時代、そしてそれ以後(江戸~近代)まで広く流布されているようですね。

ググった中に、このサイトはありましたか、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF …
鎌倉期に日蓮は、法然の専修念仏を批判し、念仏勢力の激しい反発を招き、襲撃されるという事態を引き起こしています。
http://monnbutuji.la.coocan.jp/gosyo/sinnpenn/01 … ヘイト、殲滅を繰り返し主張して、説いて回り、建言しているのです。

> 争う必要なんてなく、単に自分磨きをやってれば誰でも自然に稼げる機会が与えらえている社会です。

そんな認識は、あまり通用しないです。 今、ニュースでも格差が開き、差別が広がり、自分が頑張ってもどうにもならない世の中になっているというのが、ほぼ毎日流されています。

> オレオレ詐欺系なんかみていると、楽して(騙して)稼ぐという、レベルの低い人間どもがおります。

まあそういう「楽して(騙して)稼ぐオレオレ詐欺系」もいるのでしょうが、「オレオレ詐欺系で稼いでいる人の多くは軽挙・軽率・浅慮で働かされている」のです。 「楽して(騙して)稼ぐ」のは資産家の息子や家族、有力者の関係者であって、学歴や教養という面ではレベルは低いとは言えません。

> 私からすれば、そういう犯罪者が争いの源だと思っております。

争いの定義も関わりますが、アメリカが最近増やしている争いを「犯罪者が源」とは言わないことが普通です。 戦争、国家間の紛争、国内の武力紛争、民族間の争い、宗教戦争、戦国時代や鎌倉幕府や江戸幕府が倒れる争いも、南北戦争、第一次第二次大戦、トーマとカルタゴ、どれにしても、犯罪者が争いの源だという認識をして、何かの理解に新局面をもたらすことは無理だと思います。 夫婦げんか、親子げんか、地域での住民の争いでも、犯罪者が争いの源とは、無茶です。

> つまり、別に他人なんか意識しなくても、自分磨きに没頭し他者と協調・寄り添う能力さえあれば、争いごとの大半は無くなると思うのです。

No.5 回答者:信じる者は救われるさんが、埋め込んでいる動画は見終わりましたか。 この動画で講演者は、いろんなことを言ってます。 連続ものなので、三編までみました。 第一編が、この「争い」の関係では面白かったです。 「他者と協調・他者に寄り添う能力」というのは、「他者と隔絶・他者を服従させる能力」でもあるのです。 「他者と協調・他者に寄り添う能力」と「他者と隔絶・他者を服従させる能力」とは同じ種類に属する能力です。 蝟集だけという能力ではないのです。 自分磨きに没頭したら、恋愛も結婚も子育てもできないし、他者の指導や他者への協力もできません。 他者に協調・他者に寄り添うことはできません。 縄張り争いと他者排除に徹するなら、コアラに似た生態になり、一見すれば争いごとは激減しますが、社会生活を基本とする人間には向きません。 自分磨きを適当に止めて、適当に他者に協調、他者に寄り添うということで、人間社会は成り立っています。 「他者に協調、他者に寄り添うということ」は、「協調する相手や集団、寄り添う対象相手や対象集団を選択するということ」でもあり、イワシやメダカ、ヒツジがやるようにそばに見えているものに合わせるだけというのではないのです。 例えば、トランプ、安倍や小池に盲従・追従するだけのような行動だと一見争いごとは減るように見えることも多いのですが、警官や行政、自治体あるいは自粛警察による暴力行為、排斥、排除、誹謗中傷が増加するということも多いのです。 https://www.afpbb.com/articles/-/3096594 
https://blog.goo.ne.jp/geradeaus170718/e/963a78c …
協調と同調は、争いを激化し、残酷にさせることが多いのです。

> 毎日、喧嘩(争い)ばかりしてたら疲れます。  人生が上手くいかなくなります。

勉強や鍛錬も、それを責務のように感じ始めたら、疲れます。 仲良しを演じるの、ポジティブをアピールするのも、その一方に強く傾斜し続けたら疲れます。 No.5さんの埋め込み動画は面白かったです。 
夫婦など喧嘩することで上手くいく場合もあるようです。 喧嘩せずにうまくいく夫婦もあるとは思いますが、、、 
「毎日、~~~~ばかりしてたら」 それが疲れる本(もと)になることは多いのでしょう。 変化し行きつ戻りつを続けることは、案外大事かもしれません。

知性というのは、「既得知識や経験をもとに、現象や今後を判断し、価値付けして」という能力のようなものです。
とても大事なものだと思いますが、その知性を使ってしまえば、判断と価値付けの結果、支配・臣従・敵対・蔑視・尊視・親愛・融和が起きることは必至でしょう。
それと、例えば、私には高等数学は理解できないです。二次方程式くらいはなんとかなりますが、ベクトル計算や統計処理になると、専門の大学生にとても及びません。化学でも物理でも、生理学でも、株式などのネット売買の仕組みもどうなっているのかさえもわかりません。 たぶん、私と同程度の人は、二十歳~六十才でも、7割を越えるでしょう。ニュースを見ていると、新型コロナの感染の機序や感染発症重症化の状況さえも知らないか知らない振りをしているのが政治家、行政官、マスコミ、感染症の専門家という人達の大半のようです。 マスコミに出てくる配意での感染症の専門家という人達と、しっかり研究している感染症の専門家とは違うことも多いのでしょうが、防止・減災に異常に一方的に気をとられています。 赤狩りとか、非国民とか、劣性人種とか、利敵行為と騒ぐ人と同じです。 知性をコントロールできるかが問題だと思いますが、何が理性や知性をコントロールできるものなのかは、ちょっと、哲学的すぎて、私にはわかりません。
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この回答へのお礼

熱い回答ありがとうございました。
なんてお礼をすればわからなくなりました(すみません)

でも気持ちは伝わりました。

お礼日時:2020/06/22 05:01

虫とかも増えすぎると減りますよね。


自然の摂理なのでは
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この回答へのお礼

人類全体は増え続けてますよ(^^;

お礼日時:2020/06/20 10:18

No.11です。



>やっぱり宗教って一度は勉強したほうが良いみたいですね。

良い機会だと捉え、是非学んでみてください。
特に、仏教、中でも『法華経』は真の『法』の存在を明らかにしたものです。

仏教というのは、基本的に人間が幸せになるためにあるものです。
人の悩みや、苦しみがどこから来るのかを明らかにしたものです。
また、『六道』と先に述べましたが、その続きとして『声聞』、『縁楽』、『菩薩』、
『仏』といった「四聖」を含めた十界を学ぶ事で、人間という生き物がどういった
ものかも理解できますし、自身を含め対する人の心(生命状態)も分かるようになります。

しかし、宗教教育というものは、信教の自由を憲法に掲げている我が日本国では、
教育のカリキュラムの中にはありません。せいぜい、歴史的なとらえ方として学に
過ぎないと思います。

本来、そうした事を学ぶ事で、現存する多くの問題は解決できる気がします。
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この回答へのお礼

詳しく解説ありがとうございます。
他国では自然とキリスト教だったりイスラム教が浸透してますからね。
日本もさわりの部分でもいいから仏教を教える機会があるといいですね。

勉強してみます。

お礼日時:2020/06/20 10:17

No.7です。



>世の中には争いを好む人もいますよね。

基本的に、王が(権力者が)法華経を根本にして政(まつりごと)を行うと、
その世は平穏が長く続くと言われています。

逆に、法華経をないがしろにしていると、争いだけにとどまらず、自然災害、
疫病、飢饉なども流行るという事です。

この事は、日蓮大聖人御書全集にある、時の(鎌倉時代)執権、北条時頼に宛てた
『立正安国論』に書かれています。
この書にある事を無視した幕府によって、自界叛逆難である「二月騒動」と他国
侵逼難にあたる「元寇(文永の役、弘安の役)」が現実に起きてきます。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

法華経は言葉は知ってますが、詳しくは知らなかったのでググってみました。
なるほど、です。

戦国時代、そしてそれ以後(江戸~近代)まで広く流布されているようですね。
やっぱり宗教って一度は勉強したほうが良いみたいですね。

お礼日時:2020/06/18 19:46

人はなぜ争うのか。


 ↑
資源が有限だからです。

そして、人間は知能が発達したので
獲得した資源を蓄積することを
知りました。

その結果、人間は更に争うように
なったのです。

戦争は、農業革命が興り、蓄積が
始まってから発生した、と
言われています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに昔の戦争は資源争いでした。

今もそうかもしれませんが、日本は資源が無い癖に一時期、世界で第二位の経済大国になりました。
今でも世界200か国あるうちのかなり上位に位置します。

つまり人間は自分の能力を高めれば、自ずとお金を稼げる力を有するのだと思います。少なくともこの国では、勉強さえきちんとでき常識があれば、1人でもやって行ける力を備えることができます。

争う必要なんてなく、単に自分磨きをやってれば誰でも自然に稼げる機会が与えらえている社会です。

オレオレ詐欺系なんかみていると、楽して(騙して)稼ぐという、レベルの低い人間どもがおります。

私からすれば、そういう犯罪者が争いの源だと思っております。

つまり、別に他人なんか意識しなくても、自分磨きに没頭し他者と協調・寄り添う能力さえあれば、
争いごとの大半は無くなると思うのです。

毎日、喧嘩(争い)ばかりしてたら疲れます。
人生が上手くいかなくなります。

確かに意見の違いや、考え方、趣味趣向によってぶつかることはあるのでしょうが、大半の人は、
社会性を保つことで相互扶助が成立していると思います。

しかし、一方で排他的な人(何かに対し強い嫌悪感や排除する意識)が居るのも事実で、そういう人達を駆除すれば「より平和」になると思うのです。

お礼日時:2020/06/18 19:39

はい。

原核生物が他の原核生物を襲うようになったころからの性です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも人間は高い知能があり、制御できる力もありますよね?
今でこそ形骸化しましたが国連というのも作りましたし。

お礼日時:2020/06/18 19:28

一人一人に欲があり、誰もが自分の欲を満たしたいから。


譲れない欲と譲れない欲がぶつかった時、争いとなる。
全員の欲をかなえられないとなればなおさら。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一方で社会に出れば「協調性」が無いと、周囲から仲間外れに遭います。

和を尊ぶではありませんが、「争い」が起こる反面、「許容」し合う関係もありますよね。

お礼日時:2020/06/18 19:25

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