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高校日本史では、三国志の魏志倭人伝の記述邪馬台国・卑弥呼を正史として扱っていましたが、今でも変わっていないのでしょうか。現状を教えてください。

質問者からの補足コメント

  • たくさんの意見を頂きました。その中から、現在の高校日本史では、魏志倭人伝をクエッションマーク付きで教えていること、記紀が書いていることを少しは教えているという事、GHQ洗脳時代のままではないことが分かって少々安堵しています。

      補足日時:2020/09/19 14:16
  • ベストアンサーを選べと催促のメールが来ましたが、すべてのアンサーが記紀よりもシナ古典を尊重する意見なので、ベストアンサーなどありません。日本人の魂のふるさとを高校で押し合えない左翼歴史学者の残渣が消滅することを切に祈っております。

      補足日時:2020/09/25 19:21
  • 上の押し合えないは教えないのタッチミスでした。失礼。

      補足日時:2020/09/25 19:23
  • へこむわー

    №24で終結し、ベストアンサー者はいないと宣言したのに、新しい回答が投稿されたとのメールが来るので開いてみると2本も。論争好きの人たちだね。
    若者が外国にステイして、日本の建国を語れない、ギリシャ神話は語れても日本の神話は語れない。弘法大師や親鸞や道元は知っているが、伊勢神宮などお宮の祭神についての知識はゼロ、1945年以降こういう人間の大量生産がまだ続いているらしい。左翼を批判すると、国粋主義者だと極め付けたがる単細胞の人種も。日本人の洗脳に最も力を尽くしたGHQ民政局長のホイットニー准将は、墓の下で喜んでいるのか、あきれているのか、聞いてみたいものだ。

      補足日時:2020/09/27 15:05

A 回答 (26件中11~20件)

このコーナーの論理展開は人の説を批判して否定して壊しておこうという論理で動いている気がします。



森を見て木を見ない。木を見て森を見ない。ケチをつけて信じないでおこう。他説をこわして物事の本質を見ず、ただ信じないだけの寂しい論理展開でしたね。

記紀をみろというが、中国史書の欠点探しで答えを出そうとしない論理になっていますね。

先ほどのお礼と総監してそういう論理で行きますか。
どうもひねくれた感じの終始でしたね。

きちんと年表を作って順番整理すればおのずと答えが出ます。
質問者さんの態度でぶつかると答えの出ない空洞に行きますよ。
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>日本にありもしない邪馬台国を九州だ畿内だなどの騒ぎは、学者連中も反省を始めているのではないかな。

そんな雰囲気を感じます。

これは曲解。在りもしないのではなく、邪馬台国=大和朝廷という論理に行きつけということです。

日本に在りもしないということはまさかどこか別の国にある国としたいのですか。

まあ、そういうふうにしてやれ、エジプトとかフィリピンだとかトンデモ説ありますね。でもこれこそ完全な誤り。

だって魏志倭人伝でしょう。「三國志・魏書巻30東夷傳・倭人」略して「魏志倭人伝」ですよ。倭人とは日本人のことですよ。だから、当然、邪馬台国は日本国内にあるのです。倭という言葉にも不快感を示し、後世に日本のという字を当ててヤマトと読ませることにした。「日本」と書いて「ヤマト」と読ませるでしょう。
つまり、倭=日本です。邪馬台国は日本の中央政府国家いわば今風にいう首都のある国ということになります。

さて、中国には助詞という物がありません。だからヤマトのクニと言う言葉の
ヤに邪
マに馬
トに臺(この字を略して台)
クニ(國と翻字)

以上を繋げて邪馬臺国となったのです。

そういう意味で日本に存在していたのです。

卑弥呼は女王となっていますが、天皇ではありません。

当時、日本には政治を執る天皇と祭祀を行う祭主すなわち巫というものがいて女性の場合にこれを巫女と呼んで当てたわけです。
いうなれば王が二人いて、使者の応対にあたったのがたまたま女性だったので、女王が治める国という誤解を生んだのでしょう。

でも中国には王が2人いるという概念がなく、王は1人と思い込み、そこで女王卑弥呼の治める国となってしまった。

こういうことですね。巫女はやがて時代が下り、斎王という言葉に変化。

卑弥呼は中国の差別漢字。日巫女とか当てたほうがふさわしいでしょうね。

あれでは「卑しい」という別の意味にとられそうで不快ですね。
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この回答へのお礼

邪馬台国=大和朝廷 シナ古典大好き学者のこじつけ論理ですね。

お礼日時:2020/09/20 10:53

> 高校日本史では、三国志の魏志倭人伝の記述邪馬台国・卑弥呼を正史として扱っていましたが、今でも変わっていないのでしょうか。

現状を教えてください。
> 正史は言葉足らずでした。魏志倭人伝を信じている書き方なのかという質問でした。あった程度まで変化してきましたか。戦後の左翼学者と文部省は、中国文献を尊重して、記紀を頭から無視するという姿勢でしたので。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「魏志倭人伝を信じている書き方なのか」とは、現物が存在しているか、魏志倭人伝など存在していない可能性があるか、などの意味でしょうか。
「三国志の魏志倭人伝」など存在が怪しいという方はあまりないと思います。
これをどのように読むのかに関しては、いろいろあったところで、あると確信して教科書も参考書も作成され、授業などでも教えられているでしょう。
2000年代でも高校の日本史で、変わってなどないと思います。

記紀を無視するかどうかとは、全く関係がないです。
高校では、漢書・地理志、後漢書・東夷伝の倭の記述も教えることがあると思います。
https://www.try-it.jp/chapters-12394/lessons-124 …

720年に完成したと言われる「日本書紀」は漢文による編年体で書かれた最初の国史で、これ以降、「続日本紀」「日本後紀」「日本文徳天皇実録」「日本三代実録jが編まれ、この6つをあわせて、六国史と呼ぶ。 というようなことは、高校の教科書にも載っているようです。
「古事記」は高校の教科書にも出てくるようですが、扱いは簡単でしょう。
古事記について次のようなことを書いてしまう人もいます。(ほぼバカですね)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一時期は古事記を「ふることふみ」と読む時代もあったが今は「こじき」と読む。日本最古の歴史書であり、712年に太朝臣安萬侶(太安万侶)が編纂し、元明天皇に献上された。学者の間では古事記は日本書紀のような勅撰の正史ではないとする意見も多いと聞くが、序文で天武天皇が「撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉」(訓読文)「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流へむと欲ふ」と記載があるからこれは間違いなく、勅撰ではないかと私は学者ではないが思っている。
史料の上では、序文に書かれた成立過程や皇室の関与に不明な点や矛盾点が多いとする疑問からだろうが1300年も昔の事だ。少し位は行き違いや矛盾点も出る。細かい事を言うなと言いたい。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご存じとは思いますが、いわゆる古事記は一度で編纂され完成された文書ではないです。編纂・完成した頃の書名も不明です。序に記載されているように、"漢字を訓読みして当て嵌めると自分たちの使っている言葉の意味とは違ってしまう"と彼らが思っているくらいに、漢字表記と彼らの言葉には乖離があったのです。読み下し文に直しても意味の解釈の正しさには繋がらないし、固有名詞や地名の特定にも問題がある文書です。 この古事記が見つかったのはどうやら、ずいぶん時代が経過してからです。これを典拠に歴史を高校生に教えるのは、ムリがあるのは明らかです。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisets …

日本書紀は古事記とは違い、読むことの難しさは減りますが、日本書紀の改新之詔に「畿内国司郡司」という記述がありますが、「国司郡司」は大宝令で初めて制定された制度で改新之詔の頃には用語がないのです。推古の記載で17条の憲法も有名ですが、推古朝の頃にこの日本書紀の記載と同文はなかったことはほぼ確実となっています。
日本書紀が8世紀に成立していたことは間違いないとして、記載内容までその通りと思ったり、それを歴史的事実として高校生に教えるのは非常識です。 
高校生なら、8世紀初頭に日本書紀が編纂されたというだけで充分でしょう。

> 記紀が書いていることを少しは教えて

「書いていることを少し」によるのではないですか。 
歴史なのに、第16巻までの記載内容を教えるのはバカげてます。
「高校日本史では、邪馬台国・卑弥呼を正史と」の回答画像14
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この回答へのお礼

高校歴史教育で記紀を全部読ませろなんて言っておりません。漢文や国語の授業じゃあるまいし。家永三郎らが史実を曲げてしまったのを是正してほしいだけです。家永の師である津田左右吉博士が「学術研究の名は借りているが、実は全く非科学的、自国の歴史を嘲笑的態度で扱い」と彼ら唯物論者を叱っております。

お礼日時:2020/09/20 10:50

>日本書紀が正史で古事記が偽史になっているのかな。



この意味は日本書紀では崇神天皇の崩御年は紀元前30年になるが、古事記では後258年とできる。同じ人なのにこれは矛盾。

日本書紀は意図的に日本を悠久の歴史を持つ神々の住む國としたいための策謀に基づいて書かれた書と言えましょう。古事記の崩御干支を正しいという判断で西暦に当てはめると、日本書紀の言う年数と大幅にずれてしまう。

そういう意味で日本書紀を正史と見る人々にとっては古事記は偽史を綴ったものとなってしまうのでしょうね。

なお、邪馬台国を大和朝廷と見るか、九州王朝と見るかで古代史の筋書きはかなり異なるものになるでしょう。

この決着がつかないとこの問題の解決は難題。

邪馬台国はいったい本当はどこにあったのでしょうね。卑弥呼は本当は誰なんでしょうね。
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この回答へのお礼

日本にありもしない邪馬台国を九州だ畿内だなどの騒ぎは、学者連中も反省を始めているのではないかな。そんな雰囲気を感じます。

お礼日時:2020/09/19 19:22

魏志倭人伝を陳寿が書いたという人が多いですが、陳寿は東夷伝(倭人伝ではないよ)の冒頭で『資料には信じられない記述もあるが後世に託してそのまま記述する(意訳)』という文を書いていて、倭人伝はほぼそのまま原資料の丸写しであると考えられるので、あれは陳寿の書いた文章というと語弊があります。



また邪馬台国はヤマトコクと読むと長らく考えられてきています。畿内ヤマト王権と混同をさけるためにワザとヤマ”タイ”コクと読んでいるだけです。これ基礎知識。

知らないで回答している人が多すぎるので、ちょこっと訂正です。


記紀も中国史も、記述されているという意味では”歴史”ですが、書かれていることが全部正しいなどというアホな意見は昭和の時代で終わっています。ただ考古学的に検証できるものとそうでないものがあり、邪馬台国などの国名や地名のようなものは看板が出てくるわけでもないので、考古学的な裏付けというのは難しいところがあります。とはいえ記述された元ネタはあったと考えられることが多いです。
中国史でも、夏王朝はなかっただろうが、対応する古代遺跡(二里頭遺跡など)は発掘されていたりします。
このあたり、有るか無いか次元で停滞している日本よりも進んでいると言えるのかも。
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この回答へのお礼

縄文土器の芸術的な素晴らしさから、縄文時代の日本に稲作をはじめとする高い文化が発生しており、の統治の必要性から天皇制の原形ができているのではないかという仮説も、最近真実味を帯びてきたと思います。陰部に箸を突っ込んで自殺した倭姫命の墓とされる箸墓古墳を卑弥呼の墓などと科学的根拠はもとよりわずかな伝承すらないものを学説として主張する連中には引っ込んでもらいたいもので。

お礼日時:2020/09/19 14:35

>本居宣長は「魏志倭人伝信ずるに足らず」と一蹴しています。



宣長は邪馬台国も卑弥呼の存在も認めてますよ。
丸々全部を信用していないというだけです。

>陳寿が、伝聞のみで書いた

三国志が最初ではなく、魏略にも記述があります。
それから記紀は何百年も前のことの伝聞を書いてあるのですが。

>欽明天皇以前の神話が全省略してあるのは何故なのでしょうか。

欽明天皇以前は全部が神話ということではありません。
年表によっては載ってます。
教科書には継体天皇や雄略天皇のころのことも書かれています。

年表に書かれにくいのは、欽明天皇以前は日本書紀のなかで年代に矛盾があるので確定しづらいためでしょう。
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この回答へのお礼

家永三郎は教科書に「神代や神武天皇から数代の歴史は、皇室が日本を統治するために作りだした物語である」と書き、シナの古典を尊重する姿勢を打ち出し、GHQを痛く喜ばせました。井上清、和歌森太郎らの歴研、日教組、文部省内の共産主義者らがそれに続きました。山川書店発行の歴史本では、まだその流れを汲む連中がいることを教えてくれます。萩生田文科相は、教科書選定においてその流れを早急に絶ってほしいものです。

お礼日時:2020/09/19 14:26

魏志倭人伝の編者の陳寿は来日せず、ただ使者が帰国後四十年くらい経て昔語りに聞いた話を基に書いたと聞く。



だから過信しすぎですね。

>魏志倭人伝は、東洋史の範疇ではあっても、日本史で扱うべきではないと考えます

いえ、日本も東洋です。

>「魏に朝貢したというのを、すべての日本史年表が採用しているのに、欽明天皇以前の神話が全省略してあるのは何故なのでしょうか。」

それは年数を定められないためでしょう。
私の習った頃の年表は推古天皇以前の天皇の在位期間をみな空白にしていた気がする。

日本書紀が正史で古事記が偽史になっているのかな。
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この回答へのお礼

昔の大学の学科には、国史(日本史)科、東洋史科、西洋史科とあって、東洋史に日本史は含まれていませんでした。最近の学部は知りません。
年数を定められなくても、日本書紀にこうあるという注釈付きで記載するべきです。日本人の輝かしいルーツなのですから。
天武天皇が編纂を命じて稗田阿礼が伝記伝説を洗い上げて太安万侶が書いた古事記を偽書だとする人は極く少数派に留まっています。

お礼日時:2020/09/19 11:02

そうですね。


でも過剰信仰という気がします。

そもそもヤマタイコクとか読んだのが誤り。そんな呼び名の国など当時ないのです。

当時はコクでなくクニの筈。

書き下し文にするなら、大和言葉で訳しましょう。

日本書紀が卑弥呼を神功皇后に当てたのがそもそもの誤りですか。

古事記を使い、崇神帝の代にすればいいと思うのですが。
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この回答へのお礼

日本書紀が卑弥呼を神功皇后に当てたのがそもそもの誤りですか。その通りだと思います。

お礼日時:2020/09/19 11:02

「邪馬台国」が「皆黥面文身」していると書かれたのは、記録した「西晋の陳寿」が南にあるということだっを頼りに南の風俗の脚色をしたと高校で習わなかったのでしょうか。

そして「中華思想」により中国は周囲諸国に良い意味の漢字をほとんど使用しなかったことも習われていないのでしょうか?
「記紀を正史」とか古代史を日本の伝統という言葉で歪めてみているのは、全く「リトル中国思想」に思えます。都合の良いことを言ってチベットを弾圧し、南シナ海を侵略しようとする中国の思考方法に、似ています。中国かぶれの思想から早く脱して「実証的な思想」を持ってほしいです。「左翼先生」と同じような思考回路は捨ててください。ちなみに日本の神社は「多様な神」を祀っており「乃木希典」から「平将門」まで、多くが祀られていますが「4世紀以前」に祀られた対象ははっきりしていませんそれを明らかにする意味でも「古代史研究」は重要です
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この回答へのお礼

正しく教える教師もいて安心ですが、「記紀を正史」とか古代史を日本の伝統という言葉で歪めてみているという意味が分かりません。古代史研究の重要性は当たり前のこと。各地の風土記、伝聞、地名、神社祠の類に邪馬台国と卑弥呼を結びつける証拠が現れるまでは、魏志倭人伝は、東洋史の範疇ではあっても、日本史で扱うべきではないと考えます。日本人として、記紀をきちっと教えるべきです。

お礼日時:2020/09/19 06:58

日本の正史である日本書紀は、魏志を引用して神功皇后のところに書いてます。

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この回答へのお礼

本居宣長は「魏志倭人伝信ずるに足らず」と一蹴しています。陳寿が、伝聞のみで書いた239年卑弥呼が魏に朝貢したというのを、すべての日本史年表が採用しているのに、欽明天皇以前の神話が全省略してあるのは何故なのでしょうか。

お礼日時:2020/09/19 06:58

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