一回も披露したことのない豆知識

電流が~に流れる、とよく言いますが、実際に流れているのは電子なのですよね。

ということは、電流という「モノ」は存在しないのですか?そうならば、なぜ「電流」なるものを考えるのでしょうか。電子の存在を知らない昔の人の勘違いとか…?

暇なときに回答ください。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

電子というのは、いうならば「物体」の一種ですが、電流は<電荷が移動する>という「現象」の一種です。


電荷が移動するなら何でも電流といいますので、電子の流れだと限定する必要はありません。希硫酸に電流を流したら「水素イオン」が移動しますが、水素イオンはプラスの電荷をもつ物体です。当然、電子と違って、《電流と同じ方向に》流れます。素粒子実験では陽子や陽電子などいろいろな粒子の流れをつくって実験しますし、半導体では(本当は電子の移動なのですが)正孔というプラスの電荷をもつ「モノ」の流れを考えます。

金属中の電流では、自由電子が電流を担います。電子はマイナスの電荷をもつので、《電流とは反対方向に移動》します。このことを、「電流は存在しない」という言い方はしません。マイナスの電荷をもつ物体が東に進むことを、西向きの電流と呼ぶのです。

2種類ある電荷のうち、一方を+、他方を-にすれば理論が組み立てられるので、別にどちらをどちらに決めてもさしつかえありません。

最初に研究された電気現象は、摩擦による静電気です。ガラスを絹でこすったときに生じる電気と、こはくを毛皮でこすったときに生じる電気は反対の性質をもつことがわかっていましたが、これらをそれぞれプラス、マイナスとしたのはフランクリンです。後に「マイナスの電荷をもつ」電子が発見されても、電子と電流の方向を一致させて「便利にする」ためだけにわざわざそれまでの理論の+-をすべて逆にする、というようなことは、科学者たちはしませんでした。
(参考)
http://gggzzz.cool.ne.jp/zakkisou/mukasizakkisou …
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00450/ …
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この回答へのお礼

>「マイナスの電荷をもつ」電子が発見されても、電子と電流の方向を一致させて「便利にする」ためだけにわざわざそれまでの理論の+-をすべて逆にする、というようなことは、科学者たちはしませんでした。

「便利にする」ためだけでも有用だとは思うんですがねぇ。
詳しい解説どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 22:21

電磁相互作用を担う抽象的なものとして電流を考えた昔の人の方が正しく、電流は電子の流れだと思う方が勘違いかもしれません。

電流とは何か?と言えば「ラグランジアンのU(1)ゲージ不変性に伴って保存されるカレント」というのが電流の定義です。これからスピン1/2の場合、電流が
 j μ = ψ†γ0γμψ
という形になり、ディラックはこれを電子の確率の流れと考えました。ここで流れているのは確率であり、何か粒のようなものではないことに注意して下さい。しかし現在ではψは場の演算子になっているのでもはや何かの流れと考えることもできなくなっています。ゲージ不変性が局所的なものであることを要求すると、電磁相互作用は
 ejμAμ
という形になります。このように電流とはゲージ不変な相互作用を与えるのが本質であり、荷電粒子の流れを必ずしも伴うものではありません。ここで電磁相互作用はあるが、電子は動いていないという例をあげましょう。電子はvirtualな光子を放出したり吸収したりするため磁気能率が自己相互作用を考えない場合と異なる「異常磁気能率」を持ちます。上の相互作用を用いて計算すると発散が起りますが、くりこみ理論によって発散を除いた結果、計算は実験と見事に一致しました。こうして電磁場は量子化されなければならないこと、電子は自己相互作用をすることが示されたことは20世紀物理学のハイライトでした。この例では荷電粒子が動く必要はなく、流れているのは強いて言えばvirtualな光子と言うことになります。
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この回答へのお礼

単純に電流と電子の流れは、向きが逆なだけではなさそう、ということですか?なんだか難しいですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/01 10:45

>ということは、電流という「モノ」は存在しないのですか?


>そうならば、なぜ「電流」なるものを考えるのでしょうか。電子の存在を知らない昔の人の勘違いとか…?

電子を知らなかったために,運悪く電子の流れと逆向きに定義されてしまった訳ですが,
これは「勘違い」ではなく,物理でよくある「モデル化」に相当します.

例えば,「エネルギー」と言うものは存在しませんが,
ある方向からある方向への現象の向きを考えるとき,
「エネルギー」と言う概念を導入します.
これと同じように,昔の人は電気について「電流」と言う概念を導入したのは,
至極当然のことと考えます.
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この回答へのお礼

運が悪かったとは…物理学者もびっくりしたことでしょう。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 22:25

参考URLにも科学者の勘違いと書いてあります。



> 電流が~に流れる、とよく言いますが、実際に流れているのは電子なのですよね。
その通りです。

> ということは、電流という「モノ」は存在しないのですか?
その通りです。

> そうならば、なぜ「電流」なるものを考えるのでしょうか。
> 電子の存在を知らない昔の人の勘違いとか…?
まさにその勘違いです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90
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この回答へのお礼

参考URLによると「慣例により」電流の概念を残したとのこと。おそるべし、慣例。

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 22:28

電流は、実際に特定の電子が端から端まで移動す


ることを表しているわけではなく、導体の原子が
持つ自由電子が隣の原子へ移るのが伝わる現象で
す。ところてんを押し出すのと似ていなくもない
(後ろからところてんが供給される?)。
ま、結局外から見れば電子が流れているわけですが。

現象を説明する言葉ですから、ものとしては確
かに存在しませんが、この電子の流れに大きさ
の概念がありますから、電流として成り立って
いるわけですね(1m離れた二本の導体間に?の
力が生じる時の流れが1Aだったかな↓参照)。

参考URL:http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10157/wo …
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この回答へのお礼

ところてんの原理は、化学平衡のようなものですかね。

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 22:35

物事の実際の挙動を概念に置きかえることで単純化し、理解する事が可能だから。



手法としての概念化は自然化学のみならず全ての分野で行われています。

例えば、「国家」という物は存在しませんが、国家という主体が存在するとして理解しても実質的に問題なく、理解し、判断する事が可能なわけです。

無論、個々の反応を細かく見た場合、誤りがある場合もあります。
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この回答へのお礼

電流もある意味ブラックボックスのようなもので、詳しく理解する必要はなくとも、便利は便利ですからね。

ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/01/31 22:37

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