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信仰とは神を信じることである。
信仰の振りは神を信じてはおらず、神を信じている振りをしていることである。
信仰の振りはシミュレーションであり、パフォーマンスである。
つまり毎日毎日5回神に祈り、「アラーは偉大である」などと唱えて見せるのである。
しかしそれは単なるシミュレーションであり、パフォーマンスであるだけなので神を信じている証拠にはならない。
その証拠に預言者の風刺画を見せるといちいち怒ったりするのである。
ほんとーに神を信じているなら風刺画ごときで怒ったりわめいたりはしないはずである。
神を信じているか信じていないかはシミュレーションやパフォーマンスではなく、むしろ風刺画によって分かるのではありませんか?

A 回答 (13件中11~13件)

心のうちは誰にもわかりません。

嘘発見器も完全ではない事が証明です。日によっても変わりますし思い込みもあります。他人が判断するものではないし、そういうことをする人こそ信じ助けるという宗教から外れると思いますね。ま、私にとっては信じる人しか救わない時点で小さいですが。
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この回答へのお礼

>心のうちは誰にもわかりません。

神を信じているか、信じていないか測定する方法はあります。
風刺画です。
風刺画を見せて吠えたらアウトです。
簡単ですよね。
その通り、イスラムは神を信じてはいません。
信じてる振りしてるだけです。
全てパフォーマンスですよ、パフォーマンス。

お礼日時:2020/11/02 09:51

自分が救われれば、それは信仰。



ゲン担ぎも信仰。
読モの真似するのも信仰。
アイドル崇拝も信仰。
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本来は心の内で思うことであって、その「私は間違いなく心の内で思っているんですよ」ということを広く知らしめる方法として、ここで言うところのパフォーマンスをするのかも知れません。

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この回答へのお礼

信仰は内面のことであり、他者に知らしめることではないです。
また他者に知らしめる必要もないです。
むしろ他者に知らしめよー、知らしめよーとするうちにパフォーマンスに陥り、信仰からかけ離れてゆくのです。
古今東西共通の現象なのですよ。

お礼日時:2020/11/02 09:38

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