プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

むかしは「そんなことでは世の中に通用しない」という言い方がありました
「世の中って誰ですか?それはあなたなのではないですか?」という
反論もあったように思います。
最近は、「今の時代はそれでは通用しない。欧米では…」という
言い方があります

多少の問題はあるとしても
なにか失言やミスがあれば、責め立てたり
その人の人格までをも否定するののは「不寛容」すぎるのでははいでしょうか?

みんなが「現代の代弁者」になって責めるより
寛容さを見出す方が、老いも若きも生きやすい世の中になるのでは??

格差社会で若者にものすごく「しわ寄せ」がいってることや、
暴走老人の「アクセルとブレーキをまちがえたっ」ていう
交通死亡事故、そこら辺の店できれるおっさんや爺さんいっぱいいて
ただでさえ世代間がギスギスしてるのに…

A 回答 (6件)

「世の中は~」も「今の時代は~」も、結局は、「みんなに合わせろ」と云うことですよね。



別の場所では「多様性」とか言ってる人達が、何かあるとすぐ「みんなに合わせろ」と疑問もなく言ってくるのを見ると、お里が知れるなあと思います。

「寛容性」もそうで、自分の意見に沿う時は「寛容性」を持ち出しますが、沿わない時は「許されることではない」と断罪してくる。その二面性が一番問題だと思います。

オードリー・タンが言うように、「相手を論破する」ことを目指すのではなく「相手との合意できる点を見つける」ことを目指す方が遥かに建設的な議論ができます。寛容かどうかと言う感情的なことよりも、本質はそこだと思うんですけどね。議論する時に何をゴールとして目指すのかが重要。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
オードリータン、台湾の天才ですね
かっこいい

お礼日時:2021/02/07 10:39

仏教はなんでも偏るのはいけないと。


全て寛容でもいけないんです。
バランスです。
中庸っていうのかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
中庸ですね

お礼日時:2021/02/07 10:56

一番簡単なのは


寛容。
なにもせず
見ざる聞かざる言わざる
でいいからね。

注意するには相手の反論も納得させなければいけないから
大変なんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
日本の仏教って寛容だいじにしてたように思うのですけど…

お礼日時:2021/02/07 10:42

その言葉を言った本人の主観でしかないので


言われたら、その人に
「その考えが今は通用しない」と言ってやりたいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
今の時代なんか知らねーよ
っていう反発ではだめですかね

お礼日時:2021/02/07 10:50

全くの同感です。


ところで、質問者の方の文が「ギスギス」しているように感じるのは私一人でしょうか?特に最後の段落あたりの文が…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
すみません、エッジが効いてるほうがいいかなと思いまして…
角を立ててみました

お礼日時:2021/02/07 00:25

>寛容さを見出す方が、老いも若きも生きやすい世の中になるのでは??


 同意します。
 確かに「それでは通用しない」というセリフがあるとすれば、それはお互い様なので、であれば互いに寛容の精神を持つほうが生産的だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
知らないうちに「時代遅れ」になりますよね…

お礼日時:2021/02/06 23:44

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