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戦国期、防備のために山がちなところに城を構えたのはわかりますが、農業はどうしてたのでしょう?

米が取れないことは、致命傷だと思うのですが。

武田の金山は、別としても。

A 回答 (3件)

山のふもとの盆地や平地を耕して米を栽培していましたし、戦国時代いわゆる一般の兵は通常は農民として田畑で作物を作っていました。


そしていざ戦と声がかかれば農作業を一時やめて戦にはせ参じていたのです。
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城は、日常生活するところではありません。


平常時は、山裾に居館を構え、平地で農民は農業を営み、商人は商いのお店を開きました。
非常時にのみ、山の上のお城に農民など多くの庶民も避難し、城の防御の役割を担いました。
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独立峰ではなく山々の峰が重なっているようなところであれば


間道などを伝って物資補給も可能だった

それに秀吉による大規模な包囲戦が行われるまでは
攻城戦はそんなに長期間行われた訳ではない

戦略として敢えて城を奪う目的ではなく
敵勢を城に追い込んで、その間に周辺の農地の農産物を奪うもしくは収穫出来ない状態にする事で
敵の交戦能力を奪うような事は行われていたけどね
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