『大阪府の歴史散歩 下』に「ニギハヤヒが天の磐船に乗り、河内国河上の哮峰に降臨したという三聖地」という表現が出てきます。富田林の磐船神社、交野の磐船神社の2つは本にも載っていて分かったのですが、もう1つの聖地がわかりません。今週末からの旅行でぜひ、訪れたいと思っています。ぜひぜひ、お願いします。

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A 回答 (3件)

このページがお探しの場所の手がかりにはならないでしょうか?


左から2番目の「物部の神々」の欄を縦にたどっていくと、いくつか「饒速日命」をおまつりしてある神社が見つけられます。(「星田神社」「野間神社」などです)

見つかるといいのですが・・・。

参考URL:http://www.kamnavi.net/ichiranosaka.htm
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。参考URL拝見しました。これによると、第3の聖地は現存しないようですね。石切劔箭神社と伊弉諾神社(長弓寺)、登弥神社(奈良市石木町)を第3の聖地候補として訪問したいと思います。
 教えていただいたURLは、詳しくて驚きました。新しい発見がいっぱいあってとても参考になりました。
 ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/23 17:21

下記URLを見て下さい。


これによれば、現在の大阪城の場所に、昔、磐船神社があったと書かれています。

参考URL:http://www.kamnavi.net/mn/osaka/isikiri.htm
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この回答へのお礼

 ご丁寧にありがといございます。参考URL拝見しました。これによると、第3の聖地(3つ目の磐船神社)は現存しないことになるようですね。と、すれば、饒速日山を探して生駒山をさまよってみましょうか。(冗談)
 石切劔箭神社と伊弉諾神社(長弓寺)、登弥神社(奈良市石木町)を第3の聖地候補と考えて参拝したいと思います。
 本当にありがとうございました。

 

お礼日時:2001/08/23 17:09

ひょっとしてこれでしょうか。



参考URL:http://www.kawachi.zaq.ne.jp/dpawe708/jinja/shig …
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この回答へのお礼

 ごめんなさい。富田林は、河南町の間違いでした。URLで教えていただいた磐船神社と交野の磐船神社がわかっていて、あと1つが不明なんです。よろしくお願いします。

お礼日時:2001/08/22 22:30

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Qニギハヤヒについて

 旅行で奈良・大阪の神社を訪れて以来、ニギハヤヒに興味を覚えました。物部氏の祖といわれるニギハヤヒについて詳しく書かれた書物等教えてください。

Aベストアンサー

 「物部氏の伝承」 畑井弘 吉川弘文館
に詳しく書かれています。絶版のようですが、数年前に復刻版が出たようです。これも版数が限られていて入手は不可能と思われます。図書館で借りるか、古本屋で探す方が早いと思います。

Q河内源氏と他の清和源氏の関係は?

河内源氏と他の清和源氏の関係は?
河内源氏の源義朝や頼朝と摂津源氏や美濃源氏に甲斐源氏といった他の源氏は主従関係にあるんでしょうか?それとも会社における上司と部下みたいな関係だったんでしょうか?それか単なる協調関係だったんでしょうか?平氏に対してまとまりに欠けているような感じがするので教えてください。

Aベストアンサー

平安時代の大きな枠組で言えば、中央政権の権門と個別の権力者に奉仕する受領層・在地領主という構造の中で、受領層・在地領主というのが源氏であり平氏であり、魚名流藤原氏や宇都宮氏です。
個別の受領層・在地領主にとってのライバルは、同じ受領任官を狙っている別の受領層であり、隣接の荘園を持っている別の在地領主です。
なので、将門の乱にしても、その他の源氏の内訌にしても、見た目が一族内の戦いに見えても、彼らの主観的には、同じ利権を求めてのライバル争い。
しょっぱなは源護攻撃からです。源氏を倒すとかではなく、協力者である平真樹を助けて攻めたと言うのが実情。
在地領主の集合離散の戦いです

Qニギハヤヒ降臨伝承地

 『大阪府の歴史散歩 下』に「ニギハヤヒが天の磐船に乗り、河内国河上の哮峰に降臨したという三聖地」という表現が出てきます。富田林の磐船神社、交野の磐船神社の2つは本にも載っていて分かったのですが、もう1つの聖地がわかりません。今週末からの旅行でぜひ、訪れたいと思っています。ぜひぜひ、お願いします。

Aベストアンサー

このページがお探しの場所の手がかりにはならないでしょうか?
左から2番目の「物部の神々」の欄を縦にたどっていくと、いくつか「饒速日命」をおまつりしてある神社が見つけられます。(「星田神社」「野間神社」などです)

見つかるといいのですが・・・。

参考URL:http://www.kamnavi.net/ichiranosaka.htm

Q鉄鋼船と亀甲船

いつもお世話になっています。
文禄の役の制海権について教えてください。

1・信長が九鬼氏に造らせた鉄鋼船は文禄の役に出陣しなかったのでしょうか?(そもそも秀吉は鉄鋼船をまだ造っていたのでしょうか?)
2・出陣していた場合、制海権は互角ぐらいにはなっていたはずなのにボロ負けしているのはなぜ?
3・その文禄の役で、李舜臣率いる朝鮮水軍に亀甲船なるものが登場し、日本軍を打ち負かすのですが、予め日本の侵略対抗策として用意していたと考えてよいのでしょうか?急造したとは思えませんが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1) 信長の作らせた鉄甲船は、玄界灘を渡れるような航洋性を持ちません。あくまで、瀬戸内海専用の軍船です。

構造的には、欧州の地中海で軍船として使われていた櫂で漕いで進退する喫水の浅いガレー船に、巨大な上部構造を載せたようなものとされています。海上での機動力はほとんど無視して「浮かぶ要塞」として使われたものでしょう。櫂で動かせる限度を超えた重さと大きさと思われますので。

上部構造が鉄の板(数ミリ)で覆われているため、当時の海戦で敵の船に火をつけるために多用された火矢を跳ね返すのが最大の威力です。さらに、数ミリの鉄の板が硬い木の「装甲」に裏打ちされているため、合成するとかなりの強度があり、火縄銃の弾も跳ね返したはずです。

信長の水軍(伊勢水軍主体)と戦った瀬戸内海の毛利水軍は、火矢と火縄銃以上の攻撃力を持ちませんので、鉄甲船を攻撃する手段を持たなかったことになります。

志摩の海賊大名である九鬼氏が建造して熊野灘を経由して大阪湾に回航したという話もありますが、果たしてどうでしょう。熊野灘回航は、上部構造を取り付けない船体だけの状態で行なったのではと個人的に考えます。それでも、竜骨のない日本式の船舶ですからかなり困難な回航になりますが。

2) 仮に玄界灘を超える鉄甲軍船を作るとすれば、
* 西洋式の竜骨を備えた構造でなければ、上部構造が重い鉄甲船は玄界灘を渡れない。
* 櫂で人力で動かすのではなく、西洋の帆船と同様に風力で動かすのでなければやはり玄界灘を渡れない。
となり、当時の日本では建造不可能です。日本で建造された最初の西洋式帆船は、江戸時代になって、イギリス人ウィリアム・アダムスが浦賀付近で建造したものです。徳川家康の求めによるものです。

朝鮮出兵当時に日本と接触していたポルトガル人やスペイン人は、西洋帆船の売却も建造技術の提供も一切拒否していました。ついでに言うと、大砲の売却や大砲鋳造技術の提供も一切拒否していました。日本が大砲を装備した西洋帆船を持てば、東洋の両国の植民地(フィリピン、マカオ等)があっという間に日本の手に落ちてしまうからです。

私は、玄界灘を渡った日本水軍の軍船や兵員輸送船がどのようなものだったのか非常に疑問なのですが、その中に鉄甲船が入る可能性はゼロです。

3) 日本水軍と朝鮮水軍の戦いは、文禄の役の最初は日本の方が優勢でした。だから、物資や兵員を無事に朝鮮に渡して快調に進撃できました。

「文禄の役で、李舜臣率いる朝鮮水軍に亀甲船なるものが登場し、日本軍を打ち負かす」と質問者様はお考えですが、そもそも日本水軍はそんなに弱くなく、「李舜臣の朝鮮水軍が日本水軍を打ち負かした」という話はかなり朝鮮側に有利に誇張されたものです。

李舜臣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%88%9C%E8%87%A3

質問者様が重視しておられる亀甲船が具体的にどのようなものだったのかは明らかではありませんし、どの程度の威力があったのかも良く分かりません。伝説の中の存在であり、韓国文化の常として、史実とは関係なく誇張して伝えられていると考えた方が良さそうです。

亀甲船
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B2%E8%88%B9

信長の建造させた鉄甲船については、外国の宣教師が現物を見てローマに報告した手紙がありますので、「当時のヨーロッパにも存在しない、鉄で装甲した軍船が実在し、ヨーロッパ人の目で見ても強力な(強力に見える)軍船であった」のは確かです。

1) 信長の作らせた鉄甲船は、玄界灘を渡れるような航洋性を持ちません。あくまで、瀬戸内海専用の軍船です。

構造的には、欧州の地中海で軍船として使われていた櫂で漕いで進退する喫水の浅いガレー船に、巨大な上部構造を載せたようなものとされています。海上での機動力はほとんど無視して「浮かぶ要塞」として使われたものでしょう。櫂で動かせる限度を超えた重さと大きさと思われますので。

上部構造が鉄の板(数ミリ)で覆われているため、当時の海戦で敵の船に火をつけるために多用された火矢を跳ね返す...続きを読む

Q物部建麻呂はどういう人?

物部建麻呂について知りたいのですが、名前で検索しても二件しかヒットしません。
どんな人かお分かりの方、教えて頂けますか。
又、参考になるページがありましたら、教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんちは。
私も詳しくは知らないのですが、物部建麻呂、または物部多芸連建麻呂というようです。
多芸連というのは、今の岐阜県の養老あたりで起こった氏族で、名前から言えば物部系のようですが、本当のところは?。
養老郡多芸村金屋に式内社の御井神社が鎮座しますが、ここを祀っていたのが多芸連のようです。
本人はというと、延暦12年に平安京が造営されるときの大工のようで、
造宮使の長官に藤原小黒麻呂と和気清麻呂が、そして建麻呂は
技術系の造宮大工として任命されたようで、すでに外従五位上
だったと言うことです。
すみません、お答えできるのは、この程度です。(^^;;

Q大東亜戦争の時の海軍の船で本を読んだ知識ですが夕張と言う船はかなり雲が良かったように記憶がありますそ

大東亜戦争の時の海軍の船で本を読んだ知識ですが夕張と言う船はかなり雲が良かったように記憶がありますそれからうん三等駆逐艦雷 秋月と考えたが
1番幸運に恵まれた船ってなんでしょうあまり詳しくないのですが父親とかおじいちゃんとかが海軍で経験あるような知識が豊富なあなた独断と偏見で結構ですのでこーゆー船があるよとか教えてくださいよろしくお願いします僕は水泳もできないので船は無理ですがいろいろと空想するはできます
もう平和が何よりですがね

Aベストアンサー

雲じゃなくて「運」ですよね。

であれば駆逐艦雪風でしょう。

手を抜くようですが、下のWikiを読んでいただくのが一番良いと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E9%A2%A8_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)

おっしゃる通り、平和が一番です。
なお、水泳ができないのでしたら水泳教室に通ってはどうですか?
恥ずかしがる必要はありません。週1で1カ月も通えば、背泳とクロールくらいはマスターできるでしょう。

Q秦河勝や物部守屋の墓・・・古墳だと思っていました。

大阪府寝屋川市に秦河勝の墓があります。
丘陵の上に墓石のようなものがありました。

また大阪府八尾市には物部守屋の墓があります。
平地に鳥居があり、瑞垣で囲まれた中に墓石のようなものがありました。

この時代の有力氏族の墓は古墳だと思っていたのですが
これはどういうことなのでしょうか。

推論でも結構です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

寝屋川市の伝・秦河勝の墓は市の史跡に指定されていますが、別に寝屋川市が秦河勝の正真正銘の墓として認定している訳ではありません。
現地には古くから五輪塔があったようですが、現在のものは慶安2年(1649)に再建されたものであることが、現地の説明板に記されています。
(私が現地確認したのは昨年3月です)

八尾市の物部守屋の墓は私が行った時には施錠されていたので、中の確認ができなかったのですが、どう見ても近世以降のものですね。
http://mononobe.nobody.jp/tabi/yao/yao06.htm によると、「河内名所図会」には古墳のような状態で描かれてはいるようですね。
なお「河内名所図会」は享和元年(1801)に発行されたもののようです。

いづれにしても、古代の人物の墓の場所を特定するのは、奈良・平安初期の絵図に描かれている、とか、墓誌でも出土しない限り絶望的ですし、仮に場所が特定できたとしても、古墳が形を保ったまま残されている可能性は低いですね。

Q下鴨神社と上賀茂神社

京都で有名なこの2つの神社。なんで「かも」の字が違うのか知りたいんです。

教えて下さい

Aベストアンサー

手元にある『賀茂御祖神社略史』(下鴨神社社務所で求めた小冊子です)には、以下のように説明があります。

「鴨」と「賀茂」
カモの文字の用例については、古代から様々に用いられていたのを江戸時代の中頃より、「鴨」と用いる場合は、賀茂御祖神社(通称下鴨神社)。「賀茂」との場合は賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)、或は両社を一度に表わす場合に用いることとなった。(『賀茂注進雑記』)
しかし、「賀茂社」の場合、両者と別雷社の区別がつかないため最近では、両社を表す場合は、「かも」、或は「カモ」とすることが例となっている。


それまでは峻別されていなかった(迦毛・甘茂・鴨・賀茂・加茂・可茂・賀毛・賀母・加毛・・・等の多種の用字例が見受けられるようです)のを、江戸時代中頃に「鴨」と「賀茂」に統一して使い分けるようになったようです。なぜそのようなことになったかの経緯にまでは触れていません。

わずかな手掛かりですが、御参考までに。
明日は両社の祭礼、「葵祭」ですね。

御参考までに。

Q大和朝廷成立前後の豪族

邪馬台国や、ニギハヤヒ、出雲、蘇我、中臣、物部等
朝廷を支えた豪族たちを扱った書籍を
教えてください。

Aベストアンサー

 
  蘇我とか、物部とか、または中臣とかだけなら、本がありそうですが、そんな広い範囲のことを言えば、一冊の本では無理です。以下に、Amazo.co.jp で検索した、「大和朝廷」と付く本のリストを記しますから、アマゾンで詳細を見に行くなり、書店で本を探して内容を確認するなりしてください。
 
  >2. 「大和朝廷―古代王権の成立」 講談社学術文庫
  >上田 正昭 (著) 文庫 (1995/08/01) 講談社
  >通常4~14日以内に発送
  >価格: ¥860
 
  この上の本は、講談社学術文庫ですから、学問的に水準が高いでしょう。
  
  >7. 「古代大和朝廷」 ちくま学芸文庫
  >宮崎 市定 (著) 文庫 (1995/09/01) 筑摩書房
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,068
 
  上のこの本もなかなかいい内容ではないかと思います。
  以下は、玉石混交です。3,4などは、割といい本ではないかとも思います。
 
  >3. 「神々と天皇の間―大和朝廷成立の前夜」 朝日文庫
  >鳥越 憲三郎 (著) 文庫 (1987/11/01) 朝日新聞社
  >通常4~14日以内に発送
  >価格: ¥460
 
  >4. 「邪馬台国と大和朝廷」
  >久保田 穣 (著) 単行本 (1999/01/01) 日本図書刊行会
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,500
 
  >5. 「日本誕生史〈PART3〉大和朝廷形成の軌跡」
  >青木 一参 (著) 単行本 (1997/03/01) 近代文芸社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,650
 
  >6. 「邪馬台国の真実―卑弥呼の死と大和朝廷の成立前夜」
  >安本 美典 (著) 単行本 (1997/03/01) PHP研究所
  >在庫切れ
  >価格: ¥3,204
 
  >8. 「天皇家の大秘密政策―日本史転覆のシナリオ 大和朝廷の出自隠し」
  >1300年の密謀 超知ライブラリー
  >大杉 博 (著) 単行本 (1995/06/01) 徳間書店
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,359
 
  >9. 「謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密―ヤマト・プロブレム」
  >ムックセレクト〈507〉―真説日本誕生シリーズ
  >加治木 義博 (著) 新書 (1995/02/01) ロングセラーズ
  >お取り寄せ
  >価格: ¥874
 
  >10. 「大和朝廷と東アジア」
  >鬼頭 清明 (著) 単行本 (1994/05/01) 吉川弘文館
  >お取り寄せ
  >価格: ¥2,233
 
  >11. 「テラスで読む大和朝廷の謎」
  >武光 誠 (著) 単行本 (1993/12/01) 日本経済新聞社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,456
 
  >12. 「日本史の謎と真説―大和朝廷から明治維新まで」銀河セレクション

  >南条 範夫 (著) 単行本 (1993/02/01) 銀河出版
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,456
 
  >13. 「大和朝廷は古代の水軍がつくった!」
  >武光 誠 (著) 単行本 (1992/03/01) JICC出版局
  >在庫切れ
  >価格: ¥437
 
  >14. 「大倭国通史―大陸側から眺めた古代大和朝廷」
  >井伊 章 (著)
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,165
 
  >15. 「古代大和朝廷」 筑摩叢書〈327〉
  >宮崎 市定 (著) 単行本 (1988/09/01) 筑摩書房
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,900
 
  >16. 「吉備王国の崩壊―大和朝廷の謀略」
  >井上 高太郎 (著) 単行本 (1987/01/01) 新人物往来社
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,748
 
  >17. 「原日本統一政権の成立―出雲朝廷と大和朝廷」
  >安達 巌 (著) 単行本 (1986/12/01) 新泉社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,600
 
  >18. 「大和朝廷成立期の研究」
  >坂本 弘道 (著) 単行本 (1985/10/01) 雄山閣
  >在庫切れ
  >価格: ¥18,000
 
==============================================
 
  蘇我・物部だと次の本ぐらいがいいでしょう:
 
  >5. 「物部・蘇我氏と古代王権」
  >黛 弘道 (著) 単行本 (1995/08/01) 吉川弘文館
  >通常2~3日以内に発送
  >価格: ¥2,500
 
  >8. 「蘇我氏の実像と葛城氏」
  >平林 章仁 (著) 単行本 (1996/01/01) 白水社
  >通常2~3日以内に発送
  >価格: ¥2,136
 
  以下にアマゾン・ジャパンのURLを記しますから、そこで「出雲」だとか「邪馬台国」だとかで検索して調べてください。
 

参考URL:http://www.amazon.co.jp/

 
  蘇我とか、物部とか、または中臣とかだけなら、本がありそうですが、そんな広い範囲のことを言えば、一冊の本では無理です。以下に、Amazo.co.jp で検索した、「大和朝廷」と付く本のリストを記しますから、アマゾンで詳細を見に行くなり、書店で本を探して内容を確認するなりしてください。
 
  >2. 「大和朝廷―古代王権の成立」 講談社学術文庫
  >上田 正昭 (著) 文庫 (1995/08/01) 講談社
  >通常4~14日以内に発送
  >価格: ¥860
 
  この上の本は、講談社学術文庫で...続きを読む

Q神社・神宮・護国神社等神様になる基準について

人を神様にしたり、初めから神様をまつったり、川崎では性器を祭っている<神様は誰の?>ところも在ります。1・縁結びの神社の神様って誰ですか・・2・動物や植物を神様にしているところもあるのですか?3・そもそも何でも神様になれるようですが、神様になる基準って何で、誰が決めるのですか?・・・神社・護国神社・神宮三つの違いって何ですか?神様の違いですか?

Aベストアンサー

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められた朝廷の法律みたいなものに、延喜式と言うものがあり、その中の第九巻に神名帳という章があり、朝廷が祀る全国の神社が記載されています。それを官社と言います。
官社には格付けがあり、「名神社」「大」「小」に分けられています。
その中で、「神宮」と書かれているのは、「大神宮」=伊勢と「鹿島神宮」「香取神宮」だけです。
また、「大社」と書かれている神社はありませんでした。
大社と言えば「杵築大社」=出雲大社のことと言われますが、それはもう少し時代が下がってからです。
なお、延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼び、2800社あまりが載っています。

明治新政府になり、神社は国家や府県が管理するようになり、神職は公務員となりました。
その中で、昔の制度に倣い、社格制をとりました。
国家が管理する「官幣社(大・中・小)」「国幣社(大・中・小)」「別格官幣社」と、府県が管理する「県(府)社」「郷社」「村社」と、格付けからはずれた「格外社」です。

また、歴史的に偉大であった天皇を祭神とした新しい神社を創建しました。
明治神宮(明治天皇)・平安神宮(桓武天皇)・橿原神宮(神武天皇)とかです。
それらの名前を見ても分かるとおり、「神宮」とは、天皇を祀る神社あるいは皇室と深いかかわりのある神社と言えます。

しかし、戦争に負け国家と神道は切り離されたため、戦後に各神社は社号をそれぞれが名乗るようになりました。
その結果、福井の気比神宮や奈良の石上(いそのかみ)神宮のように、今まで「神宮」と名乗っていない所も神宮を名乗るようになりました。
また、全てではありませんが、多くの官幣大社・国幣大社が「大社」と号するようになりました。

よって、誰が「神宮」とかを決めているのかと言う質問に対しては、それぞれの神社が歴史的な背景を元に決めていると言うのが答えになります。
とは言え、多くの神社は「神社本庁」という宗教法人に属していますので(属していない神社もある)、神社本庁の許可(承諾)を得て決めていると言えます。

なお、靖国神社・護国神社に関しては、別のところで回答が出ているので省略します。

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められ...続きを読む


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