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小説を書いている者です。

小説を書いているときに視点は変えてはいけないのでしょうか?

漫画とかは視点が変わっているものも多くあるのですが
小説はダメなのですか?

A 回答 (8件)

ダメなことはありません。

ただ視点を変える技術は必要です。芥川賞受賞の死んでいない者は視点変わりまくりですし、そこがすごいと思わせる作品でしたね。
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絵がないだけに、その切り替えが分からないと読む側が戸惑います。


なので章を変えればいいでしょう。
できれば章題で分かりやすくするとか。
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視点を変えるということはありうる話です。



村上春樹の「1Q84」では二人の視点で物語が進行します。
ただマンガなら絵で表現できるのですが、文は読者に想像をさせることが必要です。この場合、よほどうまくかかないと、読者が混乱してしまうのですね。

ですから、小説でも別にダメではありませんが、それをやるためにはかなりの筆力が必要でしょう。
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そういう小説はいろいろあるよ。


『ナミヤ雑貨店の奇跡』
『国盗り物語』
『洞爺丸はなぜ沈んだか』
・・・

というか、複数の視点から書かれることにより物語が多角的に相補的に重層的に描かれ厚みが増す。
だからプロの書く小説はそうなっているものが多い。

もちろん3番の言うとおり、プロの筆力があるからできる技である。
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ためでは無いけど意図的にきちんとそれが効果的になされてるならいいですが


書きにくいとか、視点固定の技術がないから
コロコロ視点が変わってるだけとかならよくないですね。
三人称での小説であれば問題なくできますが
そういうことではないのですよね。
一人称なら章を帰るとか表現の工夫するとか

あと、書きたいなら沢山読んだ方が良いですよ
時代やジャンル超えて
インプットたくさんしたほうが引き出しが増えると思います
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芸術にダメなことはありません。


教科書どおりに仕上げる必要もありません。
ハウツー本に従ってもつまらないだけです。
今は「個人」を軸にストーリーがつくられるのが主流ですが、
それもごく最近の風潮です。
そもそも、「個」の概念ができたのもごく最近です。
極端な話、『源氏物語』などのように、古来の文学作品では、
一文の中であっても自由自在に視点が移動するのが普通だったし、
主語を定めない表現形態と日本語とは相性がすごくいいです。
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他の方も仰ってますが、ダメってことは全然ないし、実際に名作と呼ばれるものにも複数視点から書かれている作品はたくさんあります。


ですが、読む側としては、「今は誰目線で書かれているのか」を分かりやすく提示してほしいです。1人称(私、俺、僕)を使用する場合は、特に。
例えば、主人公格が2人いて、交互に視点が変わるなら、男と女にして1人称を「俺」「私」にするとか、違う性格にして上品な文章とワイルド系の文章に分けるとか。
章の名前を「3日目 山田」「3日目 木村」のようにしている小説も見かけますね。
「どっちなのか分かりにくいなぁ」と思ってたら、意図的にミスリーディングを誘う小説(叙述ミステリなど)だった、なんてこともありますが。・・・まあ、そういう経験が蓄積されてしまうと、単にへたくそで分かりにくい場合も、「ん?これは意図的に混乱させようとしているな?てことは、実はここは~」みたいな深読みをしてしまったりするんですけど。
まあ、それは極端な例にしても、「視点が変わる」というのは、何かしら意味があってのことだと、読む方は受け取ります。
なので、「主人公視点だとここの部分だけうまく書けないから、視点変えちゃえ~」みたいな安易な書き方は、出来れば止めて欲しいかなと思います。
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北方謙三の水滸伝なんか、視点変わりまくり。


主人公クラスが100人以上いる関係で。
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